第4話

 ライブと最後のMCが終わる。

 これで終わりではない。オタクたちにとって、ここからは第二の戦いが始まる。だからオタクたちは誰も気を抜かない。むしろ気張っている。手元にはさっきまで持っていたはずのペンライトもサイリウムもUOもない。代わりに皆、紙切れを持っている。一枚の人もいれば、複数枚持っている人もいる。

 これが握手券だ。

 たまに複数枚持っているとチェキ券に化けたりする。で、今日はチェキ券に化ける日であった。

 ちなみにこの券はCD一枚購入すると一枚貰える。良い商売だ。でもオタクは買っちゃう。推しとの時間を買っていると思えば安いものだ。


 「まききんさん。やはり体調悪いのではないですか? 途中でリタイアしていましたよね」


 壁際で鍵開けを狙うオタクたちを眺めながら立っていると、フォースとハルヒが私の元へやってきた。いつもはあのオタクたちに紛れているのに。珍しい。


 「フォースさん、流石にそれはないわー。ない。ありえない」

 「ハルヒさん。俺の扱い最近酷くないですか!?」

 「酷くないよ。だって事実だもん。推しそっちのけで、まききんのこと見てたんでしょ。キモイよ。めっちゃキモイ」

 「うぐっ……そういうハルヒさんこそ、こちらに来たということはまききんさんのこと見て、心配しているのではないですか?」

 「そりゃそーよ! 私たちはオタク仲間を超えた友達だから。フォースさんとは違うの」


 むふん、とハルヒは胸を張る。一方でフォースはグハッとオタク特有のオーバーリアクションを見せていた。

 顔が良い女に、友達、と言われるのは悪い気分にならない。例え中身が救いようのないくらいぶっ飛んでいたとしても、ね。


 彼女は私の元に寄って、額に額をコツンとぶつけた。

 んぐっ、と顔を背ける。

 しょうがない。キスされるかと思ってしまったのだ。「童貞」と書いて「しょじょ」と読む属性持ちの私にはちょっとばかし刺激が強い。


 「熱はないねー」


 ハルヒはなにも気にしていないような仕草を見せる。


 「も、もしかしてアレではないですか?」

 「ふむ、アレ? とな」


 フォースの言葉にハルヒは乗っかる。

 続きを促されたが、フォースは言葉を詰まらせる。今にも張り裂けそうなお腹をぽよんぽよんと揺らす。なんか触ってみたい、と心底場違いなことを考える。こういうことを考え始める時点で、別に体調が悪いわけじゃないんだよなー。と、思うが思考回路による証明なので口で説明することは不可能に近い。残念。


 「あの、ですね、良く言うではありませんか。一ヶ月に一度、女の子だけが苦しむ日があると。その、あれ、ですね」

 「うわー、待って。フォースさん、マジでキモイ」


 ハルヒはマジなトーンで指摘していた。

 一切冗談めかさない。本気で思っているのが伝わる。だからか、フォースは本気でショックを受けていた。なにも反論しないで、口をパクパクさせている。ワニワニパニックじゃなくてオタクパニックだ。


 「あの、私……軽めなんで、アレ。そもそも今周期じゃないですし」


 救いの手を差し伸べてあげた。ここでハルヒ側に立ったら、フォース死んじゃうような気がしたから。

 それに嘘は言っていない。


 「なるほど。ではなぜ、さゆちゃんから個レスあんなに貰っていたのにそこまで上の空なのですか」

 「あ、やっぱ……わかるんだ」


 周りからしたらなんてことのない一挙手一投足なのかなと思ったが、やはりそうじゃないらしい。まぁ明らかに私ばかりだったし。

 とはいえ、この人たちにも本当のことは言えない。信用していないわけじゃない……が、リスクを考えると言えるわけない。


 「個レス貰っても響かない時もありますよ。そもそも私だけのさゆちゃんではないですから。個レスするくらいなら皆に愛を振りまいて欲しいですもん」


 と、達観しているようなセリフを口しておく。


 「凄い……オタクの鏡だっ!」


 ハルヒは一人で盛り上がる。

 不当に高評価を得た、みたいな気分になって、あまり嬉しくない。うーん、私って結構面倒な女だな。





 「あんなこと言っておいて、しっかり握手券は確保しているんですね」

 「なんならチェキ券じゃん」

 「オタクとして当然では?」

 「そうですね」

 「私たちもそーだし」


 そもそもチェキ券に化けるのに握手だけする人っているのだろうか……と、思う。

 どうせお金出すならチェキ撮りたくない? 撮りたいよね。


 「これだけ遅く来てもまだループしてるオタクたち居るんですね」


 フォースは感心するように周囲を見渡していた。正直、鍵閉めかなぁと思っていた。だが、そんなことはなさそう。鍵閉めを狙っている人たちが居る限り、偶然最後になるなんてことはない。


 「さっさと撮りに行きましょうか」

 「作業感凄くないですか」

 「まききんったらなんか変わったよね」


 たしかに今のは作業感強かったかもしれない。実際問題作業であったとしても、それを表に見せるというのはどうなのだろうか。素直に反省する。

 こういうしょうもないところから綻びが生まれ、やがてさゆちゃんとの関係が露呈するかもしれない。もっと気を引き締める必要がある。



 というわけで、「新垣紗優列はこちらでーす。チケットを持って一列になってお待ちくださーい」と誘導するスタッフさんの指示に従い、さゆちゃんの列に並ぶ。列の前後からは視線を感じる。なんでお前がここに居るんだよ、みたいな視線だ。

 推しの握手兼チェキ列に並んでなにが悪い。言ってみろよ、こんにゃろ。という気概で堂々としておく。言わないし、睨み返さない。オタクたるものそういう広い心構えが大切なのだ、と心の中で演説をし、気持ちを保つ。


 そうこうしていると、私の番が近付く。あと三人、だ。

 ファンとチェキを撮るさゆちゃんと目が合った。私に構って欲しくないので、さっさと目を逸らす。


 また一歩、また一歩と近付き、やがて私の番がやってくる。


 さゆちゃんは露骨に表情を明るくする。決して今までが暗かったわけじゃないが、差は明白なものであった。


 「今日も来てくれてありがとう!」


 さゆちゃんはそう言って、私の手を奪うように握った。握られた私はとりあえずはにかむ。握手されておいて仏頂面というわけにもいかないし。


 「前回はみぃちゃんの列、だったけどね」


 彼女の言葉には明確に私を攻撃してやる、という意図があった。本人は隠しているつもりかもしれない。でも感じ取れてしまう。それほどに言葉に感情が乗り、迫力がある。


 うわー、重たいなぁ……。

 私はとんでもなく顔を歪めてしまった。

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