第8話

 一応密室。扉を封じたので、そういうことになる。

 とはいえ、ここはあくまでも簡易的な楽屋。イベントがない日は広場の一部となるような場所。密室と呼ぶにしてはあまりにも全体的にガバガバだ。壊そうとも思えば簡単に壊せるような壁と天井に囲まれている。


 私の視線の先には不敵な笑みを浮かべる私の推しがいる。

 闇堕ちしかけている魔女だって言われても納得できるような笑みだ。不気味すぎ。


 「で、なにしてたのかな。河合さん」


 さっそく踏み込んできた。躊躇というものがない。


 「問い詰められていた……というか、攫われていたというか……」


 事実だけを述べる。こっちに都合の悪いことは伏せるけど。

 でも星空未来に対する情はそこまでない。推しってわけでもないし。あくまで、推しても良いかな……くらいの感覚でしかなかった。

 誘拐したことを正当化するどころか、なかったことにするような奴なので、ここで売ったって心は痛まない。むしろ脚色つけて、あることないこと言ったって良い。そういうことをしない私を感謝して欲しい。


 「みぃちゃんに?」


 さゆちゃんは不思議そうな目線であった。


 「そうだけど」

 「本当ならヤバいね。犯罪だよ」


 お前がそれ言うか。ブーメラン過ぎる。

 多分星空未来もさゆちゃんにだけは言われたくないのでは。

 ここまで綺麗に自分にぶっ刺さるブーメランも中々ない。もはや一種の芸術である。


 「誘拐されてどんな破廉恥なことされたの?」

 「一瞬でそこに繋げられるのもはや尊敬だよ。本当に」

 「されてないの?」

 「破廉恥なことはされてない」


 しっかりと否定する。そうしないと星空未来が凶悪な犯罪者になりかねない。誘拐してる時点でどうなんだと思うが、濡れ衣で性犯罪者になってしまうのはいくらなんでも可哀想だなぁと思う。


 「じゃあなにされたの?」

 「さゆちゃんがここ数週間ずっと機嫌悪かったから、なにか知ってるんじゃないかって。問い詰められてた。ついでに関係性も」


 さゆちゃんは「機嫌悪かったかな……」と素の声でつぶやく。

 そんなに自覚はないらしい。機嫌悪そうな雰囲気を醸し出しておきながら自覚がないとか一番たちが悪くて最悪なやつだ。


 「で、言っちゃったんだ。私たちの関係」

 「うん。まぁ言いかけた、が正解だけどね」


 途中で乱入してきて、有耶無耶になってしまったから。


 「というか、なんで機嫌悪かったの」

 「機嫌悪かったつもりはない。どうせ、この営業モードで接してたから勘違いされてるだけ」


 たしかにアイドルのさゆちゃんは塩対応だし、言葉足らずなところもある。彼女のことを詳しく知らない人が見れば「この人機嫌悪いのかな……」となってもおかしくない。

 ただそれは彼女のことを知らない人が見れば、という条件付きである。

 ALIVEの新垣紗優をしっかり知っている人からすれば、それだけで機嫌が悪い……と判断するとはとても思えない。それがメンバーであるのなら尚更、だ。


 「メンバーが機嫌悪いって言ってるし、相当表に感情出してたんじゃないの。私その場に居たわけじゃないから知らないけどさ」


 推測であれこれ語ることしかできない。

 その場にいたわけじゃないから。


 「……」


 彼女は黙る。ひょいっと座っていた机から飛び降りて、落ち着きなくうろちょろし始める。

 あまりにも落ち着きがない。

 思い当たる節でもあるんじゃないだろうか。


 「もう一回聞くけど、なんで機嫌悪かったの?」

 「……だから」


 周囲の喧騒さにさゆちゃんの声は飲み込まれてしまう。

 ほとんど聞き取ることができなかった。

 首を傾げ、もう一度言え、と促す。

 彼女はむっと頬を膨らませる。


 「河合さんを見れなかったから……」


 どういうことだ。

 この言葉の裏側を理解しようとする。明らかに言葉通りに受け取って良いものじゃないから。

 でも裏側になにか別の意味があるとも思えない。一切浮かんでこないのがなによりの証拠だ。どう頑張っても言葉の意味そのままに受け取ってしまう。


 「私のことなんて見れないのがデフォルトでしょ」


 と、言ってから気付く。

 この人の場合はデフォルトではないのだ。ストーキング行為をして、私のことを監視するような人だ。


 「ストーキングしてなかったから不機嫌になってたってことか……」


 私の言葉に彼女は少しだけバツの悪そうな顔をする。

 その表情の真意はわからない。いや、まぁ……なんとなく浮かんではいる、が敢えて気付かなかったことにしておく。

 世の中には知らない方が良いことってのもたくさんあるし。


 だから新垣紗優が機嫌損ねていたのは、ストーキング行為を控えていたから……というで。


 「あっ。そうだ。本当はサイン会のときに渡そうと思ってたんだけど」

 「渡す? なにを?」


 ふと、思い出して、バッグを漁る。

 彼女は嬉々としている。なにかプレゼントをもらえると勘違いしているのかもしれない。

 バッグから一枚のハンカチを取り出す。さゆちゃんは露骨にテンションを落とした。


 「私のハンカチ」

 「わかってんじゃん。返すよ」

 「持ってきちゃったんだ……」


 感謝とか謝罪とかそういう言葉が来ると思っていた……というか、構えていたので、持ってきちゃったんだという言葉に拍子抜けしてしまう。

 凄いね。忘れ物持ってきてあげただけなのに、なんだか私が悪いことした、みたいになっている。うーん、解せない。


 「悪かった?」

 「悪い。悪いよ」

 「なんでよ」

 「その忘れ物を取りに河合さんの家に行くっていう口実がなくなっちゃうから」

 「言ったら意味ないのよ、それ」


 どうせろくなことじゃないと思っていたが、案の定そうであった。

 もう驚きもしない。むしろさゆちゃんらしいなぁと思ってしまう自分がいる。


 「とりあえず返すからね。あと、そういう小賢しいことしないで」


 しっかりと渡す。半ば無理矢理という感じだ。推しに物を押し付ける……というわけのわからない体験をしている。なんだこれは。


 「でもありがとう。嬉しい」


 さゆちゃんはうへへと笑いながら、ハンカチを頬擦りした。

 なんか怖かったなぁというのは秘密だし、さゆちゃんはこれで丸く収まったみたいな反応しているけど、なーんにも解決してないからね。

 でも、この場であれこれ追い詰めるのは野暮というものだ。だから見て見ぬふりをした。




 ハンカチを渡して数分後、さゆちゃんが作り上げたバリケードは無理矢理破壊された。ドンガラガッシャーンと積み上げていた机と椅子は散らばる。

 癇癪を起こした子供が遊んでいた積み木を散らかすみたいな惨状が目の前に広がる。


 怖いよりも先に、片付け大変そうだなぁという他人事のような感想が出てきた。


 「新垣紗優っ!」


 怒鳴り込んできたのは日野灯ひのあかりであった。

 さゆちゃんは私の背中に隠れる。さっきまでの威勢はどこへやら。虎が臆病な猫にでもなったようだ。


 「さゆちゃん、なにしてんの」

 「隠れさせて」

 「隠れさせてってなに……」


 そもそも私の背中に隠れるのは無理があるんじゃなかろうか。


 「はい、どうぞ。こちらが新垣紗優です」


 躊躇無く差し出す。

 さゆちゃんを匿う理由なんてこれっぽっちもない。警察じゃなくて日野灯に差し出すだけ優しいと思って欲しい。だからそんな睨まないでよ。


 「ありがとうございます。えーっと、スタッフ……さん?」


 日野灯はガラッと態度を変える。

 年がら年中あの怒りモードというわけじゃないらしい。

 ALIVEの三人中二人は表と裏で性格が全然違ったので、日野灯もそうなのかなと勘繰ったが、不要な心配だった。


 「いえ、さゆちゃんの知り合いです」


 と、答える。

 さゆちゃんはそう言われたのが嬉しかったのか、怯えるような瞳から嬉しそうな瞳に変わる。ちょろい。


 「そっか、そっか。もしかして邪魔しちゃったかな?」

 「大丈夫です。邪魔なのはさゆちゃんなので」

 「えーっ! ちょ、ちょっと! 酷くない?」

 「さゆちゃん。衣装着て、お化粧したら営業用の性格にチェンジしてって言ってるでしょ」


 むっとさゆちゃんは頬を膨らませる。


 「じゃあこれ借りてくね」


 日野灯は猫の首根っこを掴むようにさゆちゃんの首根っこを掴んで、引き摺り出す。


 「河合さん! たすけて」

 「無理です。お仕事頑張ってください」


 完全に他人事なのでひらひら手を振る。


 「あっ、河合さんって言うんだね。これからイベント参加するんだよね。楽しんで行ってね」


 見えなくなったと思ったら、ひょこっと日野灯は顔を出し、そう私に告げて、また姿を消した。

 ALIVEのメンバーで唯一のまとも枠、か。なぜこの人がALIVEのリーダーなのか。納得した。






 イベントが始まる。

 写真集のサイン会という名目ではあるが、サインだけで終わるわけじゃない。写真集に関するトークから始まり、お客さんとの軽いゲームがあって、それからミニライブが行われる。で、最後に宣伝が行われて、サイン会へと移る。


 サインを貰う順番的には中盤であった。中々時間がかかりそうだなと思っていたが、実際に並ぶとあっという間で、もう次……というところまでやってきていた。


 「お次の方どうぞー」


 と、スタッフに案内される。

 サインは日野灯、新垣紗優、星空未来の順で書いてくれるらしい。

 写真集を抱え、ただのオタクみたいな顔をしながら日野灯の正面に立つ。そして写真集を渡す。


 「あははー、まききんさん。河合さんの方が良いかな。さっきはごめんね」


 パンっと手を叩き、謝ってくる。

 凄い。ストーカーしたり、誘拐したりしても謝らないメンバーとは違って、わりとどうでも良いことでしっかりと謝罪してくれる。ちょろいので好きになりそう。


 「いえいえ、とんでもないです。こちらこそご迷惑おかけしました。あれも」


 チラッとさゆちゃんを見ながらこっちも謝る。


 「宛先の名前は河合さんで良いかな。希望あればそっちにしてあげちゃうけど」

 「まききんって書いてくれると嬉しいです。というか、本名やめてください。周りの目あるので」

 「そっか。そうだね。ハンドルネームの方が良いね。オッケー。じゃあまききんだね」


 白紙にサインが書かれる。


 「また来てね」


 写真集を受け取るのと同時に握手をした。


 せっかくの対面サイン会なのに、まともな会話しなかったな。まるで社会人の上辺の会話……みたいな。あれ、私なにしてんだろう。



 次は新垣紗優。

 私だってわかると表情は明らかに明るくなった。あまりに露骨過ぎて、前の人が可哀想である。コイツ、アイドル失格だろ、もう。


 「来てくれてありがとう。残りの余白ぜんぶにサイン書いてあげる。なんならリーダーのサインを上書きしようか」


 通るわけない提案をしてくる。


 「ここに書いてください」


 と、指示を出す。


 「私色に染められない」

 「染めなくて良いです」

 「なんか他人行儀じゃない」

 「ここでいつもみたいな雰囲気は出せないです」


 周りの目もある。

 どうしても一歩引いてしまうのは仕方のないことだろう。


 「で、いつサイン書いてくれるんですか?」


 待っていたが、一向にサインを書かない。ずーっと私のことを見つめているだけ。

 本当にこいつ、一度リーダーにぶん殴られた方が良いんじゃないだろうか。


 「サイン書いたら居なくなっちゃうじゃん」

 「そういうイベントですよ?」

 「えー」


 もうどっちがサイン書く方かわからなくなってくる。あれ、私がアイドルだったっけ。


 「すみません。そろそろ時間です……」


 タイムキーパー役のスタッフが困惑しながらさゆちゃんに声をかける。

 そりゃそうよ、困るよ。お客さんじゃなくて、アイドルを急かすんだから。


 「別にこれで会えなくなるわけじゃないですし。来れば良いでしょ、家に」


 後半はコソッと告げる。もうこうでもしないと、先に進まない気がした。


 「仕方ない、か」


 渋々サインを書き始める。それが仕事だけどね。


 「ありがとうございました」

 「スマホにも書いてあげようか」

 「なんですか、いらないです」


 立ち去ろうとしたら変な提案をしてきたので一蹴した。




 「やっほー、河合さん」


 最後は星空未来だ。


 「どもです」


 ぺこりと頭を下げて、写真集を渡す。


 「いやー、凄いね。さっきだけファンとアイドルの熱量が逆転してたよ」


 彼女はケラケラ笑う。相当面白かったらしい。他人事だと思いやがって。


 「にしてもあれだね」

 「あれ、ですか?」


 私は首を傾げる。


 「さゆちゃんに愛されてるね、すごい」


 嫉妬とかじゃなくて、純粋に感心されている。という感じだ。


 「推しからの愛が重すぎてちょっと困ってます」


 と、私は笑いながら答えた。





 帰宅して、SNSで今日のイベントの感想投稿を見漁っていると、玄関の扉が開いた。


 「まさか……なぁ」


 そう思いつつ、リビングの扉に目線を向ける。

 すぐにリビングの扉は開いた。


 「ただいま」


 やってきたのは新垣紗優だった。


 愛が重いとかそういう問題じゃないよね。もはや、これは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る