第6話

 今日はALIVEの写真集発売記念サイン会である。一応ちっちゃなライブもやってくれるらしい。

 というわけで、都内のとある商業施設の中にあるイベントスペースにやってきた。

 広場の正面にはステージが設置され、観客席は青色のプラスチックでてきた柵で囲われている。


 二時間後にはここでイベントが始まる。

 周囲には既に同志らしき人物がいる。オタクは二時間前行動は当たり前だからね。学校とか仕事とかは良くて五分前行動なのにね。なんなら遅刻上等レベル。


 まぁ商業施設でのイベントであれば、時間はいくらでも潰せる。

 色んなブランドのお店が入っているので洋服を見たって良いし、にカフェでコーヒーでも啜ながら優雅に時間を過ごしたって良いし、ペットショップで動物を眺めたって良い。

 やろうと思えばいくらでもやれることはある。だから早く来てるってのもある。人身事故とかで電車が遅れて、イベントの参加に遅れるとかって展開になるのよりもマシだ。


 「って、洋服なんて買ったら荷物になるし、そもそもそんなお金なんてないからいつもカフェに行っちゃうんだけどねー」


 誰に言うわけでもなく、ただ独り言をつぶやく。


 我ながらつまらない人間だなぁと思う。冒険をせずに安定を選んでしまう。


 イベントスペースを後にして、目的地であるカフェへと向かう。

 ステージ裏を通り過ぎたタイミング。

 突然手首を掴まれる。そしてそのまま流れるように口も塞がれた。叫ぶ隙すらなかった。驚きと困惑で私はまともな声が出せない。

 状況理解に務める。

 しかしその努力は虚しく、私は舞台裏へと引き摺り込まれてしまった。

 手と足をバタバタさせるけど、そんな抵抗は意味をなさなかった。





 「なにここ」


 舞台裏に連れてこられた。こんなの誘拐だ。ストーカーとか比にならないくらいの犯罪である。

 私はおっかなびっくりしながら後ろにいる誰かに向かって訊ねる。

 振り返れば顔は見れる。でも怖くて見ない。振り返る勇気がない。


 「ここは舞台裏。楽屋と言った方が分かりやすい、か」


 淡白な口調。

 どこかで聞いた事のあるような声であるが、思い出せない。

 居たっけ、こんな人……知り合いに。


 「……誰ですか」


 決して振り返らない。でも声は振り絞る。声は震えているし、おしっこチビりそうだけど。このままだと二時間あっという間に経ってしまいそうだったから。頑張った。勇気を振り絞った。推し活を捨てるのに比べれば容易いものである。


 「誰ですか、と問われてぺらぺら喋る犯罪者がどこにいると?」


 とんとんと足音が響く。

 私の背後にいた女性はゆっくりと私の前へとやってくる。

 正面にやってきたところで足を止める。そしてしゃがんで、目線の高さを私に合わせた。

 足元から視線を上げる。

 脚は細い。太ももも細い。頑張れば私でも骨を折れそうな程に細い。でも病的じゃない。繊麗という感想を第一に抱く。努力して得た細さなのだと理解できる。腰周りも細い。ウエストもキュッと引き締まっている。胸元も小さい。私よりも小さいかもしれない。

 顔は一言で言うなら地味だった。

 化粧は薄め、ほとんどスッピン。肌の白さは段違いであるが、それだけ。なんというかまぁ綺麗かも、という感想しか出てこない。メガネも度が強い。そのせいで目が小さく見えて、残念な感じになっている。

 髪の毛の色自体は派手さと優しさが混ざるような金髪で、一目引く。でも髪型はなんというか面白みがない。一つ結び。ポニーテールよりもゴムの位置は低く、派手さもない。とりあえず邪魔だから髪を縛っていますという感じで、面白みも色気もなにもない。これじゃあ髪の毛を長くしている意味がない。宝の持ち腐れだ。


 というか……。


 「誰ですか」


 根本的にというか、そもそもというか。誰なんだこの人。

 可愛くなれる素質があるのに、全くオシャレに興味が無い地味子ちゃんなんて私の知り合いにはいない。思い当たる節もない。というか、金髪のくせに地味ってあまりにもミスマッチだ。

 欧州人の陰キャかなにかならまだしも、コイツはバリバリの日本人顔である。


 まぁある意味これもギャップなのかもしれない。

 興味がそそられる。なにこいつってね。


 「名乗るほどのものでもないから」

 「いや、こっちが知りたいんだけど」

 「それよりも君」


 真っ直ぐな視線。

 私は思わず押し黙ってしまう。ずーっと見つめられて、緊張して、つーっも目を逸らす。


 「ALIVEの新垣紗優とどういう関係?」


 ビクッと情けない反応をしてしまう。

 でもしょうがない。見知らぬ相手から突然推し及びストーカー犯とどういう関係なのかと問われてしまったのだ。ビックリするな、警戒するな、というほうが無理な話である。


 「ただの推し、ですよ」

 「本当に?」


 怪訝そうに訊ねてくる。まるで信用されていない。


 「そりゃもちろんそうですよ。なんたって数年も推してるくらい大好きな推し、ですから」


 ALIVEとしての新垣紗優を頭に浮かべながら答える。

 嘘は言っていない。ALIVEの新垣紗優に対する想いはこれであってるから。


 「なるほど」


 相手の表情から、感情は読み取れない。


 「でもあの日から明らかに機嫌悪くなった。因果がないと考えるのは難しい。なにかしらの関係があると考えるのが自然」


 口元に手を当てたと思えば、ぶつぶつと呟き始める。

 ちょっと怖い。


 「わかんないですけど、ここから出して貰えませんかね」

 「それは不可能」

 「えっ、なんで?」


 想定していなかった答えに驚く。


 「君が嘘を吐いているから」

 「吐いてないですよ。なんで赤の他人がそこまで決めつけたりできるんです?」


 腹が立ってきた。なので、ちょっとだけ強めに出てみる。

 早くここから脱出しないといけないし。


 「赤の他人……」

 「……?」

 「私は赤の他人ではない」


 彼女は不思議なことを言い出した。

 私はぽかんと口を開けて、首を傾げる。

 でも冷静に考えてみればそうか。ただのヤバい誘拐犯かと思ったが、この舞台裏。ALIVEの関係者しか立ち入れないような場所に連れてきたってことは、この人はALIVEの関係者である可能性が非常に高い。そういうことならば、新垣紗優となにかしら関係があってもおかしくはない。


 「わかりました。でも私はなんも知らないですよ。新垣紗優さん。さゆちゃんは私の推しであってそれ以上もそれ以下もないので」

 「そう……」


 彼女はそう淡白な返事をする。

 あまりにも淡白でなにかされるんじゃないか。拷問でもされるのかな、と警戒する。相手は悪怯れる様子もなく、人を攫う極悪非道な人間だ。拷問の一つや二つしてきたってなにも驚きやしない。むしろそうだろうなと感心する。


 「それじゃあ」


 そこまで口にして、彼女は口をとざす。

 そして髪の毛を解き、結び目の位置を高くして、また結ぶ。所謂ポニーテールという髪型にした。それからメガネを外し、手馴れた手つきでコンタクトを装着する。


 相手はなにも言わないけど。

 私は彼女の正体にやっと気付いた。

 びっくりして、声が出ない。


 「改めまして……。って、営業モードに入った方が良いか」


 彼女はわざとらしくコホンと咳払いをする。


 「いやー、どーもどーも。さゆちゃん推しで私のことも興味を持ってくれた君。ご無沙汰してるねー。この前のイベント以来だね。自己紹介する必要もないかなーって思うけど、一応しとくね。私はALIVEのメンバー! 星空未来、だよっ」


 ダブルピースなんかしちゃってる。


 「え、なんで……」

 「なんでって言われてもねー。さゆちゃんがずーっとこの前のイベントから元気ないからさ。問いただしてもなーんにも言ってくれないし。君ならなにか知ってるんじゃないかなって」

 「ただのファンですよ。私。推しの裏事情なんて……えーっと、知らないです」


 言い淀んでしまった。仕方ない。脳裏にさゆちゃんの数多な行動……というか奇行が浮かんできてしまったからだ。裏事情を知らないとはとても言えない。


 「いやー、それで知らないは……さすがに無理があるんじゃない?」

 「推しとファンの関係でしかないのに知るわけなくないですか?」

 「ただの推しとファン……って関係ならそうだろうねぇ。でもそうなら、さゆちゃんがあそこまで妬みの視線を送ってくるのはおかしい。キャラクター設定そっちのけで君に視線を送っていたしね。あつーい、視線を」


 分かった。この人は疑っているんじゃない。確信を持って、その上で問いただそうとしているんだ。

 誤魔化したところで逃げられるわけじゃない。


 「なにしたのかわかんないけどさー。私に教えてよ。あっ、あとでさゆちゃんも連れてくるからちゃんと解決してね。イベント始まる前に」


 彼女はそう言うと近くにあった椅子を正面に持ってきて、座る。

 えぇ、めんど……。

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