第5話
「でー、どーして私のところに? さゆちゃんのこと嫌いにでもなっちゃった?」
星空未来は不思議そうに訊ねてくる。
そりゃそうだ。認知されているのなら尚更である。私が彼女の立場でも多分同じことを聞いている。不思議だもん。
「嫌い……じゃないような、でも嫌いなような……。うーん。う、うーん? わかんないですねぇ」
自問自答して出口の見えない迷宮に迷い込む。
推しとしての新垣紗優は好きだ。大好きだ。だが、ストーカー犯としての新垣紗優は嫌いだ。大っ嫌いだ。
この両極端の気持ちがぶつかり合う。
どっちも同じくらいあるから、結局どういう気持ちなのかが見えてこない。片方の答えだと思った次の瞬間には傾いていたりするから。わからなくなる。
「じゃあもしかして私のことが好きになったとか? 推し変しちゃう? えへへ、私は大歓迎だよ」
私の思考を読み取ってか、それとも仕事モードだからか、星空未来は軽く流れた沈黙を簡単に埋めてきた。
「検討の余地は大いにありますねー。星空未来推しってのも悪くないのかなーと」
「え、ほんとに?」
彼女は心底吃驚している。
まぁそうだよね。デビュー当時からずっと新垣紗優を追いかけていた古参ファンが突然推し変をするのだ。その反応が正解だと思う。
「さゆちゃん、この子になにしたの……」
彼女はこめかみに指を当て、小さく息を吐いてからつぶやく。
どうやら私の気が変わった、とは思わないらしい。さゆちゃんがなにかした、というのが星空未来の中では確定のようだ。
うーん、さゆちゃんメンバー間の評価どうなってんだ。信用ないみたいだけど。
「えーっとなにされたか、ですか。それはなんかもう、とってもかなりすごいことですね」
この場であったことをそのまま言えるわけもなく、あまりにも抽象的な表現をしてしまう。なんかこれはこれでちょっとえっちな感じになってしまった感は否めないが。って思う時点で私の頭の中は真っピンクなのかも。
「まぁ私はいつでも大歓迎だからねー。次の握手会でもさゆちゃんより私に会いに来てよ」
「はいっ! 絶対にっ!」
「待ってるね」
ギュッとまた握手をする。
そのタイミングで時間がやってきて、スタッフに促される。私はこの場を後にした。あの挨拶が別れの握手になった。星空未来。会話しつつ、時間もしっかり気にして、握手の適切なタイミングでしてくれる。やるな。そういうファンサができるならそりゃ人気も出る。
「良かったなぁ。星空未来」
残った温もりを感じながら、手のひらを眺め、つぶやく。
ハートを撃ち抜かれた私が物販でなけなしの金を使って、星空未来グッズをいくつも購入したのはまた別の話。
ライブが終わり、途中ファミレスで夕飯を食べてから帰宅する。一人でファミレス行っても寂しくないもん。周りに家族連れとかカップルが多かったけど、気にしてないもん。本当だよ。羨ましいとかも思ってないから。
ファミレスを後にしたと、自宅最寄りのコンビニでお菓子と飲み物も購入した。残りの休みは外周ゼロを目標にしてるからね。お菓子とか飲み物のためだけに外出するのはあまりにも馬鹿げている。備蓄大事。
右手には物販で買ったグッズのビニール袋。左手にはコンビニで買ったビニール袋。両手が塞がっているが、指に鍵を挟んで、器用にあける。
「ただいまー! って、誰もいないか」
やけにテンションの高かった私は馬鹿みたいなセリフを口にして、手を使わず靴を脱ぐ。
そしてそのままリビングへ向かう。一直線、だ。
「おかえり、河合さん」
暗闇の中、リビングから声が聞こえてきた。
これは新垣紗優の声だ。顔を見なくてもわかる。推しだからなのか、なんどもこういう場面に出くわしているから、なのかはわからない。前者であれば嬉しい。
ただ気になる点がある。いつもよりもちょっとだけトーンが低いのだ。気のせい、で片付けられるレベルではない。
冷酷というか、怒っているというか、不機嫌というか。ちょっと適切な言葉が見つからないけど。でもトーンが低いのは事実だ。
照明を点ける。
やっぱりリビングには新垣紗優がいた。
もう驚きもしない。あー、いるなー……としか思わない。
つまらない反応をしたからだろうか。ただでさえ不満気だったさゆちゃんはさらに不満そうに私のことを睨む。
「全然びっくりしないじゃん。せっかく河合さんの推しである私が来たのに」
「ストーカーが来たってビックリしないけど」
「まだ私のことストーカー扱いするんだ。河合さん。酷くない?」
「まだってか、ストーカー扱いやめる要素がなくない?」
合鍵を渡していないのに家に上がり込む人が、どうやってか知らないけど私のことを監視する人が……ストーカーじゃないってのは無理があるんじゃないかな。
「というか今、ストーカーとかそうじゃないとか関係ないから」
話を逸らされた。
本人に話を逸らした自覚があるのかはわからない。腕を組んで、不機嫌さをより一層アピールしているから、もしかしたら話を逸らしたという自覚がないのかも。
「ふーん、そう」
これからどういう展開に話を持っていくつもりなのか。純粋に興味があった。ここから転がせる方向なんてそう多くない。
「今日のライブ。来てくれたよね」
「そりゃもちろん。目も何回も合ったでしょ」
私はこくりと頷く。
開演してから私が会場を後にするまで。何度も目を合わせた。舞台上で新垣紗優がパフォーマンスをしている時から、私が星空未来と握手をしている時まで。何度も。
「握手会券も持ってきてたよね」
「そうだね。オタクだもん。抜け目ないよ」
「何枚持って来てたの」
「十二枚かな。二分間分だよ」
「そっか。そうだよね。でもさ私、河合さんと握手した覚えも、チェキを撮った覚えも、なんなら喋った覚えすらないんだけど。不思議だよね。まさか、チケット使わずに帰っちゃったのかなぁ?」
嫌味ったらしい。
この人もしかしたら本当に嫉妬していたのかもしれない。少しお灸を据えるか。
「そんな無駄なことしないよ。今日は星空未来とお話してきたからだね。チケットぜんぶ使ったから丸々二分話せたし」
「そう……」
「そもそも目合ってたじゃん」
彼女は目を逸らす。
ふーん、そういうことしちゃうんだ。
「それにグッズも沢山買ったから」
ビニール袋に入っているグッズを見せつける。
「えっ……グッズまで」
彼女は唖然としている。狼狽えるという表現の方が近いかもしれない。
ビニール袋に向かって指を差し、ぷるぷると震える。
「そりゃ推し活の一環だし」
「推し活……私じゃなくてみぃちゃんの推し活……ありえない。そんなのありえない。河合さんが私じゃない人にお金を……ありえない。うん、ありえない」
さゆちゃんは壊れてしまった。ありえないを連呼している。
「現実だよ」
「いいや、違うね」
なぜか本人の言葉を他人が否定する。
「だって河合さんは私のことが好きで好きで仕方ないんだもん。推しを自宅に連れてきちゃうくらいに、ね」
「それはそっちが勝手に上がってるだけでしょ」
危うく私が悪者にされてしまうところだった。
「あっ!」
さゆちゃんは突然大きな声を発した。パンっと手も鳴らす。
ビックリして肩を震わせた。
なんだよ……という視線を送る。
「箱推しってやつだ。ついに私だけじゃなくて、ALIVE全体を好きになったってことでしょ。それなら納得」
自分に都合の良い介錯を見つけ、飲み込むように口に出し、うんうんと大きく頷く。
もっとも間違っているのだが。
決して箱推しはしない。
いや、別にね。箱推しが悪い事だとは思っていない。むしろ全メンバーを推したい。その愛は賞賛に値する。
ただ私にそれは不可能だ。頑張ればできるかもしれないから不可能は言い過ぎかもしれないけど。でも難しい。
時間的にはできる。でも資金的に厳しい。単推しの現状でさえ、お財布の中身もATMの中身もすっからかんなのに、ここからさらに推しを増やすって。どうやってお金を捻出しろというのか。実家暮らしならまだしも、大学生の一人暮らしには厳しい話である。
食費を削るか、如何わしいお店で無理矢理お金を作り出すか、の二択だ。
生憎、そこまでして推し活をするつもりはない。できる範囲でやる。それが推し活だ。無理してするのは推し活じゃなくて罰でしかない。
「推し変しよっかなぁって」
「う、うん? ごめん。河合さん。ちゃんと聞こえなかった」
「だから推し変しよっかなぁって」
改めて、誤魔化さないでしっかりと告げる。
「河合さん、冗談だよね?」
「うーん、冗談だと思うならそう思えば良いと思うけど」
「え、それ冗談じゃないって言ってるようなもんじゃん! ちょ、なんでよ。推しだよ。私はあなたの推し」
振られた恋人に縋る元恋人みたいな反応。私の両肩に手を置いて、今にも泣き出しそうな表情を浮べる。現役アイドルがプライベートで見せて良いような態度ではない。
「なんで? どうして? 推し変しようと思った理由は?」
「質問ばっかの女は嫌われるんじゃなかったっけ」
「そんな出処のわからない理論は知らない」
アンタが言ったんだよ。
「まぁ理由なんて単純だよ」
「単純?」
「そう。考えてみて欲しいんだけどね。ストーキングしてくる上に、自分の家に神出鬼没なアイドルと握手会で顔合わせたいと思う?」
わざわざ何枚もCDを買って、会いたいと思うか。という話だ。
「まぁ人によって答えは変わると思うけど、私は顔合わせたいとは思わない。だって特別感がないから」
普段会えない人と会えるという付加価値が握手券には本来存在している。ただ私の場合は存在しない。勝手にあっちから会いに来るから。
「なるほど」
彼女は思い詰めたような表情を浮べる。なにか真剣に物事を考えているようだった。
「じゃあ私帰る」
思い立ったように彼女は立ち上がって、そのまま流れるように帰宅した。
本当に自由な人だ。
「あっ……」
ハンカチが一枚。彼女が座っていた場所の近くに置いてあった。このハンカチに見覚えはない。つまり私のではない、ということ。状況とタイミングから考えるに、持ち主は一人に絞られる。
「さゆちゃんのだなぁ、これ。ま、今度来た時返せば良いか」
今生の別れというわけでもない。
どうせまた明日とか、明後日とかに、ふらふらっとやってくるんだ。なんならこのハンカチを理由にやってきて、上がり込むかもしれない。もし計画的にやっているのなら、とんでもないやり手だ。
しかし、彼女は家にやってくることはなかった。
もちろんストーカーをしてくることもなかった。
監視……は知らないけど。
一週間、二週間、と彼女はやってこない。
ALIVEの活動で忙しいのだろう。きっとそうだ。そういうことにしておこう。
結局、新垣紗優は次のALIVEの対面イベントがある日まで、一度も私にプライベートで関わってこなかった。
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