第4話

 推し活をする私の朝は早い。

 部屋に差し込む日差しを浴び、小鳥がさえずりを聴きながら、気持ち良さと冷たさが混合する爽やかな風を肌で感じながら、目を覚ます。

 あと二日でゴールデンウィークに突入するからか世間は若干浮き足立っている。もっとも私には関係ない。大学生である私は年がら年中ゴールデンウィークみたいなものだ。


 目を覚まし、上体を起こした私がまず最初にやること。

 普通の女子ならあざとく欠伸をしたり、真っ先に洗面所へ向かって顔を洗ったり、妖艶に朝シャワーでも浴びたりするのかもしれない。でも私は違う。枕の横に置いてあるスマホを手に取り、推しのSNSチェックを行う。

 私の推しは馬鹿なので、夜中にライブや物販の宣伝をすることが多々ある。

 だからチェックは欠かせない。


 今日は特筆するような投稿はしていなかった。


 ゴールデンウィークの真ん中にあるライブについて言及していたくらいだ。

 もちろん私もそのライブには参加する。

 ライブ後にある握手チェキ会にももちろん参加する。CDに付随するチケットを使うことで参加可能なイベントだ。そのため私は沢山のCDを購入した。アルバイト代のほとんどを使っている。そのせいでお財布の中身もATMの中身もスッカラカンだ。

 それでも推しと交流できる。その事実があれば満足であった。

 少し前までは。それだけの価値があると思っていた。


 しかし、今となってはなにしているんだろう……と思う。


 こっちは金を払って会っているというのに、私の推しは金を払わずに私のプライベートに干渉してくる。

 真面目にお金を払って、何枚もCDを買っているのが馬鹿馬鹿しくなる。そもそも今更握手に特別感はないし、チェキなんていらない。家に押し寄せてきた時にスマホをインカメで構えたらどうせ入ってくるに決まってるから。


 「ただ……買っちゃったからなぁ」


 ストーカー犯が新垣紗優だって知らなかった時にCDを沢山買ってしまった。故にそのイベント参加券が手元には沢山ある。

 どうすんだよこれ。本当に。

 要らないからって捨てるかと言われるとまた違うなと思う。

 お金を出す価値がないだけであって、存在することで私に不利益を被らせるようなものではないから。いっその事存在することで私に不利益をわけわからないくらい発生させるようなものであれば良かった。そうすれば迷わずに済んだのに。






 ライブ前日。

 ポストには差出人が書かれていない上に切手すら貼っていない茶封筒が入っていた。なんなら宛先すら書いていない。


 「怪しい……」


 見るからに怪しい。怪し過ぎて怪しい。長形4号の茶封筒なのが唯一の救いか。このサイズなら爆発物とかではないだろう……という謎めいた安心感がある。

 推しにストーキングされた経験のある私にとって、これくらいなんてことない、ということで。


 のり付けされている開け口部分をビリビリに破く。

 そして中身を取り出す。


 「これは……」


 封筒の中に入っていたもの。それは見覚えしかない。既視感しかないものであった。


 「明日のチケットじゃん」


 ALIVEのライブのチケットである。しかも関係者席だ。

 入っていたのはチケットだけではなかった。まだ中になにか入っている。

 うーんと首を傾げながらそれを取り出す。


 一枚の手紙が入っていた。


 『明日のチケット入れておくから、良かったら来てね。河合さんの性格的に来なくなりそうだったから 新垣』


 というものである。

 どうやらさゆちゃんは私のことを薄情者だと思っているらしい。それに関しては純粋に悲しい。私そんな薄情者じゃないよ。それにALIVEのことは普通に好きだし。ライブは行くよ。握手会とかは迷うけど。


 とりあえず行く。まぁ元々行く気だったが。もうこんなの行かざるを得ない。推しからチケットもらっておいて行かないオタクなんて存在するのだろうか。多分そいつは痛いクソオタクだろうね。

 私は純情でちょろいオタクだから。行っちゃう。


 「ただ……チケット二枚になっちゃったなぁ」


 貰ったチケットを無駄にしてしまうことは許して欲しい。




 ライブにやってきた。

 会場に入場する。

 この後方席のどこかが多分関係者席だろう。自分の買った席の方が明らかに良席なので関係者席のチケットは使わない。


 座って、オタクたちが続々とやってくる。隣の席に座る見知らぬオタクに軽く会釈をして、開演を待つ。

 開演五分前になると声が聞こえ始める。注意事項なんかをリアルタイムで喋ってくれる。


 『よーし、オタクくんたち。オタクちゃんたちも、今日は来てくれてありがとー。イエイイエイパフパフ。開演五分前になったから注意事項説明するよー! って、ちょっと待ってね。台本忘れちゃった――』


 ALIVEのメンバーである星空未来ほしぞらみく。愛称はみぃちゃん。が、今日の担当らしい。

 みぃちゃん担当のオタクたちは黄色のサイリウムをぶんぶん振り回す。

 それに釣られて他の推しであるオタクたちも色を黄色にしてサイリウムを掲げる。

 誰が何を言い出したわけじゃない。それなのに会場は黄色一色に染った。私はこの不思議な結束感が好きだ。


 この五分間は本当にあっという間である。

 体感で三十秒にも満たない。


 舞台装置は動き、ALIVEの三人は姿を見せる。

 楽器隊の音楽に合わせ、オタクたちは各々の推しのメンバーカラーのサイリウムを振る。

 私は一瞬躊躇したが、青色……。新垣紗優のメンバーカラーにサイリウムをセットして、リズムに合わせサイリウムを振り始めた。


 舞台に立つ新垣紗優は私の近くにいる新垣紗優とは全く違う。同じ顔をした全くの別人という感じだ。

 だからだろうか。

 これっぽっちも嫌な気持ちにならない。純粋に楽しい。幸せ。


 こうしてライブは幕を閉じた。

 今日は来て良かった。と本気で思った。




 ライブが終わり、やってきたのは握手会兼チェキ会である。

 チケットを持っている人だけが参加できる特別なイベント。

 一枚十秒。二枚なら二十秒。というように複数枚出せばその分だけ話す時間が長くなる。だから皆そのチケットを得るために、チケットが同封されているCDを何枚も購入する。もちろん私も例外ではない。

 手元には十二枚ある。つまり、二分間お話する権利がある。

 少なくはないが、特別多いわけでもない。


 「どうしよう……」


 ついに会場までやってきてしまった。既に列ができている。

 どうしよう。どうしようもないけど。本当にどうしよう。


 新垣紗優は塩対応たが、逆にそれが人気。

 ほかの二人よりも若干列は長い。


 「……この列並んでまで会いたいとは思わないな」


 強がりとかじゃなくて、素直な感想であった。


 「別にさゆちゃんに使わなきゃいけないってわけじゃないし」


 というわけで、私はさゆちゃんの隣で握手会兼チェキ会をしている星空未来の列に並ぶことにした。

 さゆちゃん以外と握手。お話。

 新鮮過ぎて、緊張している。ビックリするくらい心臓がバクバクだ。


 うるさいな、鼓動。


 そんなことを思っていると、あっという間に私の番になった。

 スタッフさんにチケットを十二枚ぜんぶ渡す。


 そして星空未来の前へと移動した。


 星空未来はクリーム色に近い金髪ポニーテールを靡かせる。いや、こうやって間近で見ると可愛いな。可愛すぎ。白い肌に通った鼻筋。青系統と瞳も美しい。


 「わぁ! 誰かと思ったらめずらしーお客さんじゃん。とりあえずーあーくしゅっ!」


 無理矢理私の手を握る。華奢で握り潰せそうなほどだ。

 幸福度が高すぎてぼーっとしてしまう。


 「君ってあれだよね。さゆちゃんファンの子。さゆちゃんのこと好きな女の子ってめずらしーから覚えてたんだよね」


 ……マジ? 私推し以外のメンバーからも認知されてたのかよ。ヤバい、どうしよう。星空未来に鞍替えしようかな。もうハート撃ち抜かれてるんだけど。


 「っと、っと。嫉妬の視線がすごいから握手はこんくらいで……」


 アハハーっ、と笑いながら彼女は私から手を離す。

 ……嫉妬って。星空未来のファンヤバいのばっかりかよー、と心の中で馬鹿にしながら彼女を見つめる。彼女の視線はさゆちゃんへと向けられていた。

 私も追いかけるようにさゆちゃんを見る。


 さゆちゃんは凄い顔をしながら私たちのことを見つめていた。


 いや、嫉妬ってそっちかよ。重い、重いよ。推し。

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