第3話
私はリビングで頬杖を突きながらぼーっと音楽番組を眺める。
目的もなく眺めているわけじゃない。推しの所属アイドルグループ。ALIVEが音楽番組に出演するのだ。
推す者として当然の嗜みである。
私は若干……いいやかなり緊張していた。
というのも、この音楽番組は収録ではなく生放送なのだ。つまり、歌詞を間違えればその失態は全国へ……全世界へ晒されることになる。
推しが晒されるというのは望ましいことではない。だから失敗するなと願うし、自分のことのように緊張してしまう。したところでどうにもならないのはわかっているのだが。
『みっなさーん! こんにちは。せーのっ』
『『『みんなのアイドル!
『イエイイエイパフパフ』
『みぃちゃん。うるさい』
『うへー、さゆちゃん塩たいおーじゃーん』
『やめて。触らないで』
『襲っちゃうぞー、ガオーッ』
『二人ともふざけてないで。宣伝の時間なくなっちゃうよ』
『
『明後日新曲『星空につかまって』配信開始、聴いてね』
『ちょー、紗優ちゃん一人でやんないでよー! 聴いてね!』
『二人とも自由過ぎ……! あ、以上ALIVEでしたー! バイバーイっ』
画面は切り替わる。
スタジオへと戻ったらしい。
『勝手に終わらせられてしまいましたけれども、これからALIVEの三人には新曲『星空につかまって』を歌っていただきます』
マイクを持った男性司会者は苦笑気味に曲紹介を行う。
また画面が切り替わり、ステージ上に立つALIVEの三人が映し出された。
『駅の改札で――』
ALIVEの三人は歌い始める。
アイドルとは言うけれど、そこらのアイドルよりも歌唱力は高い。顔も良い、歌も良い。それが彼女らの売りなのだ。三人とも楽器の演奏や作詞作曲もできる。所謂音楽人である。だから今回の曲も三人のうちの誰かが作ったはずだ。まぁ私にはわかる。これはさゆちゃんが作っている。特有のコード進行、転調の使い方、伝わらないようで伝わる歌詞、曲の節々から紗優節が感じられる。
新垣紗優は凄い人なんだよね。
表舞台に立つし、裏舞台でも躍動する。推しとかいう贔屓目を抜きにしても、彼女は相当ハイスペックだ。
たまたまアイドルという形になっているが、アイドルでなかったとしてもアーティストとして絶対に名を馳せていた。歳をとってアイドルを引退することになっても、彼女は音楽で飯を食っていける。そのくらいの実力の持ち主。
まぁストーカーしてたなんて事実が公になったらどうしようもないけどね。
とはいえ、それはもう過去の話。
ここ一週間はストーキングをしていない。
バレたから控えるようになったと考えるべきだろうか。
一瞬、遠くに行ってしまったな……と思ってしまった。でもこれが元ある姿。あるべき形なのだ。こうやって近距離だったのがおかしかった。
あの日のことは夢だった。
そう思うことにすれば良い。
「ハグはやっぱり心残りかもなぁ」
新曲を歌い終えた、ALIVEはひらひら手を振って、ステージから降り、コマーシャルに入る。
緊張の糸が途切れ、私はぐわーっと仰向けになった。
「こういう時は寝るに限る、か」
頭がポワポワしてきたので意識を手放した。
目が覚めた。リビングで寝落ちしちゃったから白い天井が見える。そしてさゆちゃんが見える。
ん……? んん?
目を擦る。
疲れからか幻覚が見えてしまっているらしい。
疲れちゃったもんはしょうがない。まぁ推しがストーキングしてたって事実から始まり、かと思えばピタッとストーキングは止まって。精神がすり減らないわけがない。この状況下で疲労を溜めるなって無理な話だ。
加えて推しが生放送に出演するという緊張もある。
疲労の影響が幻覚程度で留まって良かったと安堵すべきかもしれない。
瞼を閉じる。
「おーいおーい」
幻覚に加え、幻聴もやってきた。
額にぺちぺちとした感覚も走る。まるで指で叩かれているような。
目を見開き、狙いを定め、さゆちゃんの頬を両手でパチンと挟む。捕まえた。捕まえられた。あれ、ということは。
「ほんもの?」
「本物の新垣紗優でーす」
「……」
幻覚でもなければ幻聴でもなかったらしい。
「あのさ」
色々訊ねたいことはある。山ほどある。
だがそれらを全部放り投げてでも真っ先に問わなきゃならないことがある。言うか、言わないか。ちょっとだけ躊躇した。しかしすぐにその躊躇は消えてなくなる。
「なんで家に入ってるわけ?」
帰宅した時に玄関の扉はしっかりと施錠した。だからここにいるというのはありえないのだ。もちろん合鍵は渡していない。というか、ストーカーに渡すわけがない。
「んー、入れたから?」
「なにそれ。どういうこと」
「河合さんってこの時間帯いつも寝室の窓は施錠してないから。部屋に入り込むことくらい造作もないよ」
なるほど。
さすがはストーカーだ。と、感心してしまう。
私がどういう生活リズムで生活しているか、そしてどこのセキュリティが薄いのか、またどこのセキュリティが厳重か、はしっかり把握しているんじゃないだろうか。
「それ知ってるってことはさ……今日が初めてじゃないってことだよね。寝室から入り込むの」
彼女の言葉を噛み砕いた結果、こうなった。
「言葉の綾じゃないかな。別に河合さんの寝顔が見たくて何度もこそこそ入り込んでたわけじゃないし」
「……」
「な、なに?」
なんだかもうツッコミを入れることすら億劫になってしまう。
不用心だった私も悪いか。多分。
「そもそも生放送終わったばかりでしょ? なんでここに居るの? さっきまでテレビの中にいたのに」
「質問ばっかりの女の子は嫌われちゃうよ」
「推しに嫌われるのは嫌だけど、ストーカーに嫌われるのは喜ばしいかな」
「むぅ……私ストーカーじゃないって」
「今更その嘘は無理があるんじゃ……」
なぜこの期に及んでその嘘が通ると思ったのか。謎である。寝室に侵入していることさえ実質暴露したようなものなのに。
「嘘じゃないもん」
むっと頬を膨らませる。
あくまでも嘘を吐き通すつもりらしい。
「ちなみにさっきの質問の答えは簡単だよ。あれ収録だもん」
「収録? 生放送って言ってなかった? LIVEって書いてあったし……」
「そんなの編集と演技でいくらでも工作できるよ」
「たしかに。さゆちゃんの演技は凄いもんね。私も騙されてたし」
「馬鹿にしてる? してるよね!」
額に人差し指の腹をくっつけてくる。彼女の体温がじわじわと伝わる。かと思えば、グイッと押して、指が離れる。
「演技じゃないよ。みんなの願望を憑依させてるだけ」
「それって演技って言うんじゃ……」
彼女は首をこてんと傾げる。
どうやら演技をしている自覚はないらしい。だから自然に見えるのかもね。
「まぁ演技とか演技じゃないとかどうでも良いんじゃない? 河合さんの前では本当の私を見せてるわけだし」
綺麗にまとめようとするさゆちゃんは優しく私を抱きしめる。
豊満な胸、鼻腔を擽る石鹸の香り。
推しにハグされる。
オタクであれば一度は夢見たことがあるはずだ。それが今現実となっている。今だけはすべてがどうでも良く、幸せだけが私の心を撫でる。
「ふふ、河合さんの願い。これで叶えられたかな」
「願い?」
彼女から距離をとって、問う。
「うん。ハグしておけば良かった、っていう願い」
「え、いや、は? なんで知ってんの……」
「そりゃー、もちろん! 監視してたから」
「は?」
「あっ……」
さゆちゃんは顔面蒼白にして、つーっと汗を流す。
「監視……してた?」
私の推し……いいや、違うな。コイツにはコイツって二人称で十分だ。
コイツ、ついにやりやがったな!
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