第1話

 現実を受け入れるのに時間がかかる。

 だって、私の推しが私のストーカーだったんだよ。現実感の欠片もない。

 やっぱり私の見間違えじゃないかな、と改めて確認するけど、やっぱり私の推しであることに違いはない。なんならさゆちゃんのトレードマークである左目の付け根にある黒子が動画に映る犯人にもしっかりとある。

 もう言い逃れはできない。


 「でも、なんで? どういうこと?」


 推しが私をストーキングしていた。うん、そこまでは理解した。でも受け入れられるかと言われると全くの別問題である。

 疑問符が何個も浮かんでしまう。


 家でうじうじしていてもしょうがない。

 それに一応犯人は判明したんだ。

 ストーカーの犯人は新垣紗優にいがきさゆ。私の推しだ。


 だったらなんにも怖くない。

 格闘術がなくても良い。

 捕まえて、問いただしてやろう。どういうつもりなのか、と。


◆◇◆◇◆◇


 とある日の夜。

 駅から自宅へ向かって歩く。

 今日も視線を感じる。どうやらストーキングされているらしい。


 今までは恐怖と不安で死にそうだったが、今日は違う。近くに推しが居るんだという感情が新たに入ってきて、ぐちゃぐちゃに混ざる。

 恐怖に不安に、高揚感に加えて期待。

 自分の感情なのにはっきりとしない。


 人気の居ない路地に入る。

 家とは真逆であるが、推しを捕まえるのならばこっちの方が色々と都合が良い。

 ストーカーの犯人はこの辺りではそこそこ有名なローカルアイドルグループのメンバーだ。彼女らローカルとはいえ、地下アイドル等を中心としたオタクたちに人気と知名度がある。仮に取っ捕まえたとしよう。その瞬間を誰かに盗撮され、ネットで瞬く間に拡散され、彼女のアイドル人生を私がめちゃくちゃにしてしまうかもしれない。それは本望ではない。推しの人生を壊したいと願うファンやオタクなんてこの世には存在しない。いいや、過激派はいるか。それに取っ捕まえている場面だけ切り取れば、厄介オタクが推しをストーカーして接触を試みた、というような受け取り方をされたっておかしくない。私が悪者になる。それももちろん望まない。

 だったら必然的に人気の居ないところで取っ捕まえるという選択肢しか残らない。

 まぁ普通にストーカーの犯人を捕まえるのであれば愚策も良いところなんだろうけど。今回に関しては普通とはあまりにも掛け離れているから。


 路地を右に曲がり、さらに細い道へと入る。そしてしばらく歩いて今度は左に曲がる。家と家の間。車一台通ることすらできないような細い道。私有地だって言われても良いような細道だ。そこを歩くと広い空間に出てくる。芝生と背丈の低い草木が広がる。

 周囲に建物はない。見えるのは山の斜面と遠くにぽつぼつと見える一軒家。

 ここで叫んだとしてもあの一軒家に声が響くようなことはないだろう。


 そして私の後ろをつけてくるストーカー。

 違和感に気付いて、引き返すかもしれないと少し警戒していたが、そんなことはなかった。


 「かかったなぁ! 罠にぃ!」


 視線を感じる低木へ一直線で向かう。

 運動神経が悪いなりに走り、人影に向かって飛びつく。


 低木の枝が左腕に掠り傷をつける。

 ヒリヒリとした痛みが走るが、その直後に「むにゅっ」という感じたことのない弾力に襲われて、どうでもよくなった。

 私はストーカーのことを取っ捕まえようと飛び込んだのに、運動神経があまりにも悪過ぎて抱きついてしまったのだ。その勢いでどうやら胸に顔を埋めてしまったらしい。

 不覚。

 しかし良い感触に加え、石鹸を彷彿とさせるような清潔感のある香りが私のことを包み込む。離れたくても離れられない。


 「んんっ……痛い」


 犯人が声を漏らす。


 私は顔を上げる。


 ストーカーの犯人と目が合った。


 わかっていたことではあったが、こうやって対面するとやっぱり驚いてしまう。

 ストーカーの犯人が私の推しで確定してしまったのだから。


 「さゆちゃん……」


 もっと抱きついて胸の感触を味わいたいという気持ちと、今は真面目にならなきゃという気持ちがせめぎ合い、後者が勝り、渋々距離を置く。本当に渋々、だ。


 「河合かわあいさん……これは違うの。ちょっと待って。これはね、これは違うんだよ」


 慌てた様子で両手をパタパタさせる。


 「なんで私の名前を知ってるの?」

 「あっ、それはその……」


 ハッとした様子で目を逸らす。

 我ながら意地悪だなぁと思う。


 というか、私の知っているさゆちゃんではない。なんというかキャラクターが違う。私の知っているさゆちゃんはもっとクールビューティという感じであった。今のさゆちゃんはクールビューティとは真逆の位置に立っている。口調も行動も。


 「ほら、一年前くらいから手紙とかくれるようになったでしょ? その時にさ、しっかり差出人のところ書いてくれてたから。それで名前覚えちゃった……というか」


 なるほど、つまりファンサってわけか。

 と、少し前までの私なら良い方向に受け取っていただろう。


 「この手紙とか!」


 私が黙っていたことに対して不安を覚えたのか、さゆちゃんは一枚の手紙を取り出す。その封筒と中から取り出した便箋には見覚えがあった。

 私が初めて彼女に渡した手紙である。


 「えっ……なんでそれ持ち歩いてるの……」

 「あっ、そ、あの、違くて……違わないけど……違うの。これは、その、あの、えーっと。たまたま……そう。番組で、思い出の品をね、持ってきてって言われたから持ってただけで。アハハ……」


 さゆちゃんは見え透いた嘘を口にしながら、手紙をしまう。

 手が滑ったのか、その手紙を落としてしまう。


 「いやっ……!」


 彼女は慌ててしゃがむ。

 バッグの口が開いていて、中から荷物が落ちる。

 そこから出てきたのは私が今まで送ってきた品物や手紙の数々であった。


 「わっ……」


 さゆちゃんは慌ててそれを隠す。

 もう遅いけど。全部見えてるけど。

 じーっと見つめていると、さゆちゃんはえへへと笑う。


 「気のせいだよ。河合さん。うん、気のせい。なんにも見てないよ」

 「なわけないでしょ!」


 私は推しにもしかしたら呪われてしまうのかもしれない。


 今この瞬間に私は、ストーキングされるよりも強い恐怖を抱いた。

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