伯爵の代官は、殿下と話す



 伯爵邸執務室。

 今日も今日とて、姉さんは執務をしない。




 執務を、しないのだ。





















 この執務室、本当に僕の部屋と化してきていることについて、そろそろ一言なり二言なり言うべきかもしれない。

 執務室から、姉さんの部屋に行き来できることを含めて。

 これはこれで、勘違いされても仕方がない。――いや、勘違いされてたほうが僕としてはいいのかもしれないけども。



「……で、これはどういうことなのか、説明してもらいたいな」


 その勘違いした輩が一人。

 執務室で仕事をしている僕の前に現れた。


「フィンバルク殿下ではないですか。先ほど姉さんといたと思ったのですが?」


 輩と表現するのも不敬な気もするが、心の中で言うだけなら許してほしいものだ。


 僕は目の前でぶすっとしている殿下に、今この来訪者を前にして重くなった腰を持ち上げて挨拶――手を胸に当てお辞儀をする。


「それで、何について説明が必要ですか?」


 発言を許されたわけでもない。

 だけどもこの殿下とはこういう場ではいつもこんな感じで許してもらっている。

 なので今も今まで通り。


 で、何について聞きたいのか問うてみたものの、


「まずは君が、マリニャンの執務室で仕事をしていることについて、かな」


 ……それは、姉さんに聞いたほうが早いのだけど?


「姉さんが、仕事しないから、代官として代わりにやってるんですよ。いつもは姉さんがいないので僕も気にしていませんが、姉さんも忘れてるんでしょうけど、殿下が思う通り、隣は寝室ですからね。いい加減こういうところもわかってほしいところですよ。もちろん、姉さんが決済すべきこと以外片付けたらここから出ますのでご心配なく」

「……ならいいのだが」


 ならいいと思う殿下もどうかしてる。

 未婚の女性の寝室に繋がってるっての。いま、殿下も僕と同じ状況なんだけど?

 帝国の王子に姉さんが仕事していないって言ったんだけど? 領主の仕事してないって言ってんだよ?


 それを問題ないと済ませるこのフィンバルク殿下は、姉さんが絡むと本当にポンコツだ。


「……で、あのアルヴィスという執事について、教えてほしいのだけども? なんで雇用主のマリニャンのことを呼び捨てにしたり、話を聞くと、マリニャンは自分のものだと言っていたそうじゃないか。しっかり聞きたいところだ」


 だけども、姉さんに手を出す相手に対してはポンコツではない。

 本題に入ったことに、僕はごくりと喉を鳴らした。


「アルヴィス・アイーダ。ランページの元代官扱いであったシャリア・ベリーに拾われた孤児です」

「孤児。ねぇ……」

「シャリアさんとマリアベルの両方に専属として仕えていたものの、何を思ったか、シャリアさんをミリアルド・ランページの後妻と盲目的に信じ、且つマリアベルがミリアルド様の実の子であると捉え、以降、マリアベルを次期当主にしようと動いていたことが確認できています」

「それがなんでマリニャンに固執することになったんだ?」


 流石にそれは僕も分からない。肩を竦めると、殿下も同じ仕草をする。


「姉さんの婚約破棄と関連でも?」

「ないような気もする。というか、あれはあの二人の自業自得だろう? 浮気した。子供ができた。だから婚約破棄して幸せになろうとした。それが、マリニャンでなく、平民同士のいざこざであれば問題にはならなかった。でも、マリニャンであり、貴族相手に平民同然の彼らがしたからこそ問題になっているんだから」

「たまたま、ですか」

「そのシャリアという代官が、マリアベルにランページのお客様扱いであるということを伝えなかったのは、故意だとも思えてしまうね」

「それになんの利点があるのか。自分の娘を陥れたいのならそうすべきでしょうけども」

「それもそうか。……だとしたら、本当に伝える前に亡くなってしまった、ということなんだね。それか、理解していると思っていたか」


 流石にシャリアさんを知る身として、それはないと思いたい。むしろ自分の娘であるマリアベルを愛していたのはわかっているから。虚偽を教えればこうなることくらいわかっていたはずだし。

 ランページを陥れたい。そういう思いがあったのであれば……とも思ったけど、そう言うわけでもないと思う。だからこそ、その行動が謎すぎる。


 本当は、マリアベルは、知らないだけで、ランページに関わる云々の話は言っていない。と思ったほうが、まだ理解できるかもしれない。言っているのはムールだけである、とかなら十分に理解できる。


「君は、マリニャンが婚約破棄したことについては、どう思っている?」

「嬉しいですね。やっと姉さんをあの男から解放できた」

「それは同感だ」

「だけども、カシムール殿下と貴方が進めている、ランページ不可侵法を撤廃することは賛成しません」

「なぜ?」

「わかるでしょう?」


 そう言うと、殿下は笑顔を僕に向ける。僕も笑顔を返すと、しばらくして二人揃って笑ってしまった。


「殿下、僕はね、もし姉さんの相手が王族の誰かになるのだとしたら、もちろんフィンバルク殿下を推しますよ」

「それはありがたい」

「だけども、カシムール殿下に奪われることはないよう、重々お気を付けください」

「もしそうなったら?」

「もちろん。僕が姉さんと無理やりにでも婚姻して、王族には渡しませんよ」

「それは許せないな。頑張るとしよう」


 別に殿下とは仲が悪いというわけではない。

 殿下とはすでに話も付いた話である。


 すべてはランページ。そして姉さんの幸せのため。


 ランページ不可侵法の撤廃は、殿下が姉さんと添い遂げたいがために計画していたことだ。

 姉さんには、姉さんが好きな人と添い遂げてもらいたい。

 それが僕の本心だ。

 それが僕であればよかったのだけども、姉さんは僕のことは眼中にない。多分弟くらいにしか思っていないだろう。


 だから、姉さんのことを大切にできる相手に姉さんを託したい。

 ダメならダメで、本当に僕が奪ってしまえばいいのだから。どうやら僕は、優良物件みたいだからね。


「不可侵法、撤廃できそうですか?」

「ああ、僕には難しい案件でもあった。だけど、父上を説得して揺らいだところに、今、カシムが動いたから、近いうちに撤廃されるだろう」


 カシムール殿下が先ほど姉さんに求婚したということは聞いていた。

 腹立たしいことである。

 あの男のせいで、僕らランページはどれだけ被害を被っているのか。あれが帝王となるのであればランページは反旗を翻すかもしれない勢いで嫌われている。


「……うまくいくといいですね」

「おや。うまくいかない方がいいんじゃないかい?」

「姉さんの幸せは、僕の幸せですよ」


 そう言うと僕は、執務室のワインセラーからワインを一つ取り出しグラスに注いだ。


「フィンバルク殿下が、姉さんを射止めることを願って」

「僕が君より先にマリニャンを手に入れることを願って」


 グラスを渡し、こつんっと合わせ、殿下の想いが叶うことを願う。








 殿下は、姉さんのことにおいては僕とはライバル関係である。

 だけど、友人であり、兄のような存在でもある。

 そんな二人が、幸せになってくれるよう僕は願いつつ、今日も姉さんがやらなかった仕事に手をつけることにした。





 今日この日のことを、後ほど後悔するとは。僕も思ってもみなかった。


 姉さんは本当に婚約破棄に傷ついていて、不可侵法がなくなったことで、王族からも婚約の打診が来ることに――いや、カシムール殿下から強制ともいえる打診と、王城に赴いたときに起きた出来事に、酷く心を痛めてしまったということを。その傷は、今この数時間前――その時にすでに芽吹いてしまった後だった。


 だから、僕は――




















 ――姉さんを。










 





        殺すことにした。

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