伯爵家執事は、思惑の結果に蒼褪める
明日には止むであろうこの雨。
だけども邸内から見る雨は、本当に明日には止むのだろうかと不安になるほどに降り続いている。
明日は久しぶりに、愛しのマリアベルのお茶会だ。
マリアベルはそろそろ社交にも、ランページ当主として顔を出すべきである。
この時をどれだけ待ち望んだか。
やっとこの伯爵邸に戻ってきたマリアベルと会うことができる。
本来の伯爵家当主であるマリアベル。
まさか婚姻前にムール様がマリアベルと婚前交渉を行うなど思ってもいなかったし、その結果、二人に愛の結晶ができるとは思ってもみなかったが、それはそれで、マリアベルによく似たお子様ができると思うと、シャリア様亡き今、また愛でるべき対象が増えるのだと思えばこそ、嬉しくもある。
私はこれからも彼女を――いや、彼女達を、誰よりも傍で見守っていく。
そのために、後もうひと手間。
私が、婚約破棄されて傷心しているマリーニャに優しく声をかけ、関係を築くことが必要である。
マリアベルを楽させるためにも、マリーニャはこれからも代理としてランページ領で働いてもらわねばならないのだから、誰かがあの女をモノにしなければならない。
「これから、大変だ」
気に入らない。
あんな女は私の趣味ではない。
戦場で名が売れたとは言うが、騎士達を配置して代理当主として後ろでふんぞり返っている小物ではないか。
そんなのは私でもできる。いや、私であればもっと騎士達を有益に使うこともできるだろう。
私がマリーニャを妻とした暁には、私がマリアベルのためにアルト・アイゼン平原を王国から取り戻してやろうではないか。
……そうだ。
王国と戦いの最中に、マリーニャを前線に配置して、殺してしまえばいいじゃないか。
そうしたら俺は俺の趣味でもない女と一生過ごす必要もない。
難点はマリアベルが悲しむかもしれないということだが、それはそれで、悲しむマリアベルを慰めるための必要なことだと考えればいい。
なあに……。所詮、騎士団が強いだけで本人はか弱い令嬢だ。
前線にぽいっとおけばそれだけですぐに慰み者にでもなるか首を斬られて死ぬだろう。
「……あぁぁ……マリアベル……」
悲しみに暮れるマリアベルを想像する。
それだけで涎が止まらない。
「――っ!――、――っっ!!!」
誰かの叫び声が聞こえる。
その声は辺りの雨音で聞こえにくい。
だけども私のこの優秀な耳はしっかりとその声を捉えた。この声を聞き間違えるわけがない。
これは、マリアベル。
マリアベルの悲鳴だ!
どこから聞こえているのか、どこだ。誰だ。何があった!
私のマリアベルに何をした! 何をされた!
私以外の誰がマリアベルを悲しませた! 誰が私以外にその顔を見た!
私だけの顔を、誰の許しを得て私より先にみたのだぁぁっ!
邸内を走る。
伯爵邸にしてそこまで大きくはない邸宅ではあるが、それでも一刻を争う状況は、邸内があまりにも大きいと感じてしまい、焦りは募る。
「――ぁ、ぁああああっ!」
ついに。
しっかりと愛しいマリアベルの声が聞こえた。
その悲痛な声を聞いた。
その声に、何があったのかは分からないが胸が張り裂けそうなほどに痛む。その声だけで意識を失いそうになるほど蕩けてしまう。
愛しのマリアベルを目視した。
よりにもよってあのにっくき女代理領主、マリーニャ・ランページの部屋の前で座り込んでいる。
あの女に何かをされたのだ。
かっと外の稲光に一瞬見えるマリアベルの表情は、恐怖に彩られていた。
もしマリアベルに危害を加えようとしているなら、あの女を、殺す!
「マリアベルに何をした――っ!」
私はすぐにマリアベルの前へと立った。
部屋の中は暗い。
何かがある気配はするが、何がそこにあるのかは分からない。
何分、先ほどマリアベルの美しい顔を見せた稲光に目が慣れてしまったようで、暗闇が余計に暗く感じる。
眉間にしわが寄ることも厭わず、私は目を凝らす。
何かが宙に浮いている。
ぶらぶらと、それは浮いている。
なんだ。何が――
一歩。
部屋へと入ろうとした時。
再度の稲光が、辺りに光を灯した。
「――っは、はぁぁぁぁぁぁぁぁーーーっ!?」
その光景に、私は。
思わず尻餅をついて、思いっきりはしたなく、大声をあげてしまった。
ぶらぶらと揺れているのは、マリーニャだった。
私がマリアベルのために妻とすべき、相手である。
部屋の中央にある大きなシャンデリアからぶら下がるマリーニャ。
シャンデリアに布を括り付け、その布が彼女の首に巻きついていた。
私の声に気づき、騒がしくなる邸内。
私はこの時、目の前でぶらぶらと揺れるそれの瞳をしっかりと見た。
恨んでいるかのように見つめる、怨差のかぼちゃ色の、光を失った瞳。
そして私は。
私は、とんでもないことを行ってしまったのだと、自分のやったことの愚かさを、そして最初から勘違いしていたことを、しばらくして知る。
マリアベルは平民であって。
最初からマリーニャこそが、ランページ当主であって、代理当主であったのはただ年齢が満ちていなかったからだとは。
ずっと、逆だと、そう思っていた私を。そうやって蔑み、貴族を害してしまったことを。
ずっと気づくことなく、伯爵邸に背き続け、そして恩を仇で返してしまっていたことを。
その勘違いが、まさかこんなことを起こすとは。
――……アルヴィス。
お前は、いい、カモフラージュだった……――
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