伯爵は、急報を聞く
「お嬢様、おかえりなさいませ!」
馬車がランページ伯爵邸に到着して、セバスに手を借り馬車から降りると、伯爵邸には本邸執事長と代官、メイド長や仕事の途中で抜け出してきたであろう騎士団員の一部が邸宅前で私を歓迎してくれる。
騎士団を抜いて本邸で働いているのは三十人。そのうちの半数がこの場にいる。
騎士団は総勢千名いるので、それらがみんなここに並んだらそれはもう壮大なことだろう。さすがにそれはなくて、騎士団長含む数十名のみがこの場にいるみたいだけど、それはそれでなかなかの数が邸宅入口前に並んでいるのは――それが自分の出迎えであれば、より壮観さがあった。
……まあ、毎回こんな感じだから、見慣れたものだけれども。
「みんな、ただいまー」
と思ったものの、これはこれで問題な気もしてきた。
当主だから迎えに上がってくれたのは当主だからこそ当たり前と言えばそうなのかもしれないけども、私的には毎回そういうのされても、という気分もある。
だけど、慣れ親しんだみんなの顔を見ると、帝都であった一件で傷心気味な心が少しだけ晴れた気もしてほっとするのも確か。このお出迎えもそんな私を想ってしてくれたのかと思えばこそ、嬉しい気持ちもまたあって、強く怒れない。それに、当主の出迎えも、なんだかんだで仕事の一つでもあるしね。
「……とはいえ、仕事中に抜け出すのはよろしくないからね?」
「そうですな。サボっていると捉えて後でしっかりとお叱りをさせて頂きますれば」
「セバスさんが怖いからすぐにもどりまーす」
皆は笑顔でそそくさと蜘蛛の子を散らすように去っていく。
皆が嬉しそうに去っていくのを見ると微笑ましさが溢れて、ああ、帰ってきたんだって気持ちが強くなって思わず笑みがこぼれてしまう。
「さて、お嬢様、さっそくではございますがお話が」
こほんっと、自身の騎士団員数名を見回りに戻らせて、咳払いの後に話をしたのは、この場に残った青髪の騎士団長。
ランページ騎士団【ヴァイスリッター】の騎士団長のルイン。以前フィンが言っていたけど、鎧で隠しているのにみんなが胸を見ているようだって言ってたっけ。なるほど、考えてみたら確かに胸部装甲が他の騎士より大きいかもしれない。私も思わず見てしまっていたわ。
……ん? フィン、あなたも見ていたのね。
「あー……ルイン、その前に少しだけ時間をもらえるかしら。ヨモギと少し話がしたくて……」
「ああ、こっちは大丈夫。本邸の話のほうを先にしたいところだけど、話をすり合わせた後に話をしたいかな。ルインのほうが急用だから後でいいよ、姉さん。改めて、おかえり」
どっちが先か、というのも悩みどころではあるけども、ルインのほうを優先してと言う、伯爵家の代官であり私の従兄弟にあたるヨモギ・ラッシュ子爵は、ひらひらと手を振って邸宅へと戻っていく。
「あ、だけど、後で時間は欲しいかな。少し話したいこともあるから」
「仕事以外ならいいわよ」
「姉さん、もう少し領内のこと考えてよね」
そんな軽口をたたくと、新緑色の髪を軽く搔きつつ苦笑いして去って行くヨモギ。さすがに彼が私を裏切るなんてことはなさそうに見える。その後ろを、カンロとセバスが私に頭を下げた後についていく。どうやら二人のほうから先に話をしてくれるようで、カンロもセバスもヨモギを疑っていないようで安心した。
「それで、急用ってなんだったのかしら」
「本当はお嬢様の手を煩わすことなく処理したかったのですが……」
「むしろ助かったわ。帝都でいやぁなことあったから」
ルインに一言謝りながら、騎士団の訓練場に向かいつつ話を聞く。
途中、執事のアルヴィス・アイーダが庭先にいたのを見かけて手をあげて挨拶すると、アルヴィスはぺこりと頭を下げてまた邸内へと戻っていく。
そう言えば、と。アルヴィスって、シャリアさんがどこかで見つけてきた孤児だったことを思い出す。シャリアさんがお父様に珍しく無理やり伯爵邸の見習い執事として雇ってほしいと頼み込んでいたのが印象が強かった。
シャリアさんとマリアベルの専属執事みたいになってたけど、それもマリアベルを勘違いさせる要因だったのかもしれない。
自分専用執事なんて、そんなのいたらどう考えても自分は伯爵家所縁ですよ、なんて思うのも仕方ないのかな。
「嫌なこと、ですか? お嬢様に不快な想いをさせるなんて、カンラはなにをやっていたんですか」
「ルイン団長……。斬っていいのだったら私もそうしていたのですが」
「では今すぐ斬り殺してしまいなさい。お嬢様がどれだけ帝国に貢献しているのか。それに比べたら帝国民の一人や二人」
なかなか怖いこと言うわね……。
私のことになると少し過激発言をするルイン。領内で平民にも慕われる団長さんなのに、こういうときだけ残念な気がする。
「ルイン。だったらマリアベルとムールを斬ってきて」
「あー、あの二人でしたか。……なるほど、ついにお嬢様もあの二人のことを知ったと」
「なんでルインも知ってるのよ……」
「私も時々帝都に行きますから。そりゃもう、すぐに耳に入りますよ。タウンハウスでも有名でしたから」
まもなく訓練場というところで、まさかのルインからの発言。思い出してみれば、ルインは男爵家出だった。帝都で友人に連れられて社交に出ていることがある。
ここでも私だけが知らなかったみたいなことを言われて、ルインにとても残念な子を見るような目で見られるのがなんだか悔しい。
「片方お嬢様の婚約者ですが、いいので?」
「ルイン団長。お嬢様は先日婚約破棄されましたよ」
「は……? お嬢様「は」?……お嬢様「が」、じゃなく?」
ルインの訓練場に向かう足が止まる。驚きをぱくぱくと口の開閉で現すなんてとても器用ね。
というか、婚約者でも斬っていいって思考、どうかしてるわよ?
「私が婚約破棄することになるでしょうけどね。だからまだ破棄には至ってないわよ」
「いえ、もう破棄はされているでしょう。フィンバルク殿下が動いておられるので」
「なるほど。ついにフィンバルク殿下が動いたのですか。これは吉兆ですね」
「なんで私のことでフィンが動くのよ……」
呆れたように二人にため息をつくと、二人から「お嬢様……」と逆に呆れた哀れみの表情を浮かべられた。
……待って二人とも。一応私はあなた達の主よね?
あ、でも、フィンも書類もって去って行ってたわね。まさか本当に私のいないところで破棄なんてされるのかしら。まあ、それはそれで楽だからいいのだけれども。
「まあ、とにかく。急用について話しましょう」
「そうですね。……先日、モロニック王国とアルト・アイゼン平原で小競り合いがあったのは覚えていますか?」
「小さな争い、というか睨み合いよね」
モロニック王国とインテンス帝国の主戦場であるアルト・アイゼン平原。
純粋な力と力をぶつけ合うかのようなまっ平の平原で、先日、モロニック王国の侵攻を確認したと聞いている。
今年の初頭辺りにあった大規模な戦いに比べれば戦死者もいない、ただの睨み合いで終わった戦い。だとしても伯爵家のヴァイスリッターを動かしたり、領内の民を安全な場所へ避難させたりと、色々経費もかかっているのである。ヨモギはそのことについて話をしたいのかもしれない。
ランページの経済面での圧迫を狙ったものとも思えるけども、それは向こうも同じ気がする。
なぜ侵攻したのかが分からない不気味なものであったから、頭に残っていた。
「あの時。どうやら、一部鼠が入り込んだようです」
「……あー、賊化したのね……」
モロニック王国からの流入。
どこの国でも、やはり貧富などの理由で亡命しようとすることはあるものである。
モロニック王国から逃げて新天地で頑張ろうとする人もいる。そう言う人が帝国方面に逃げてくると、最初に辿り着くのは旧フレイ王国かランページ領内となる。今は旧フレイ王国もランページ内に取り込みされているため今ではランページに必ず辿り着くといってもいいかもしれない。
だけど、そういう人達の中には、モロニック王国から追放されるようなことをしてこちらに逃げてくる人もいる。
そう言う人はランページの検問に引っ掛かって入国拒否されると、大体盗賊等に堕ちて手を染めることになる。さすがにすべてを受け容れていてはランページの治安も悪くなるのでこれは仕方ないことなんだけども。
「……じゃあ、近いうちに賊狩りをするのね」
「はい。ただ、その中に少し厄介な相手がいるようでして。モロニック王国のほうから、見つけたら秘密裏に処理してほしいと要望を頂いています」
「……王国から……? どれだけ危険な相手が入り込んだのよ」
私の今の現状を創り出したとも言える婚約破棄を流行らせた張本人、元モロニック王国王太子で廃嫡されて帝国に逃げ込んできた、カース・デ・モロンでさえそんなことを言われなかった。
むしろ帝都で狂ったように娼館に通うカース元王子こそ処理すべきだったのでは、と思うのだけれども。敵国の元王子の種を帝国で広めて。もしかして帝国を乗っ取ろうと画策しているのかしら。
「元冒険者ギルド所属、C級冒険者パーティ【トット・ト・イケ】のリーダー、ヤットコ・デ・ヒラは確実に処分してほしいとの要望です」
「……」
誰よ、それ……。
【トット・ト・イケ】とか、ちょっと可愛らしい名前のパーティ名をつけてるそのリーダーは一体何者なのか、いやむしろ、なんでそんな名前にしたのか。
帝国からしてみたら敵国である王国から、そのようなことを言われているその相手が何をしでかしたのか。
訓練場について日頃から鍛錬を欠かさない我が優秀な騎士団一同に挨拶しながら、何が起きるのか不安で仕方なかった。
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