伯爵は、タウンハウスへ帰る
第一王子ことフィンは、
「君の婚約破棄については、私の方でいい感じに処理しておくよ」と、とんでもない後光を煌めかせて、何が嬉しいのかわからないけど、走る馬車の扉を開けて嬉しそうに外へと飛び出していった。
怪我がなかったかと心配して様子を見ようにも、窓から見える範囲も限られているし、いくら少し遅めの速度の馬車とはいえ、すぐに遠くの距離となっていた。
学生時代に調子に乗って、走る馬車から誰が一番格好良く飛び降りることができるかと競い合ったことがあったけど、流石に私達はもうそんなこと普通にやるほど若くはないんだよ、落ち着けと言ってやりたい。
あのはしゃぐかのような嬉しそうな姿に、「ま、いっか」という気持ちも頭をもたげてくる。
一応あの人は第一王子で帝位継承権四位。
友人であるからあのように親しくしてくれているけども、そこらへんの伯爵当主が簡単に声をかけてはいけないやんごとなき方である。怪我させようものなら首が飛ぶほどなのだから、安易にあんなことやらないでほしい。
「なのに、馬車から飛び降りるって」
御者も彼を知っているから驚いたんではなかろうか。
小窓から声を掛けると、「いつも通り」と笑っている。
え。ああ、怪我はなさそうだった? ならいいけど、今日はポーズも決まってた? あー……。
うん。慣れてもらっても困るから今度説教だ。
一人になった馬車の中。
静かにしていると、かっぽかっぽと外からうっすら聞こえる蹄の音に、改めて考える。
フィンは、見事に爆弾を爆発させるかのように、世間や噂に疎い私に気づかせ、教えてくれた。
「まさか、マリアベルは私と本当に姉妹だと思っていたなんて……」
わなわなと戦慄くとはこういうことを言うのかもしれない。
モロニック王国との戦時中でも感じなかった寒気に、体がぶるりと震えてしまう。
私の婚約者だと紹介したときから、妙にムールに懐いていたと思っていた。
まさかそんな関係だったなんて。
もしかして、フィンは知っていたのだろうか。ううん、違う。ムールとマリアベルの関係は、フィンだけでなく、みんな知っていたのかもしれない。
私だけ知らなかった。
怪しいと思ったことはあったけど、それでも二人を信じていたつもりだった。
でも結果は、二人は浮気して、私は捨てられた。
そして今、何を思ったのか、ランページを自分たちのものにできるとさえ周りに吹聴している。
「だってありえないでしょ」
一人呟く私の声は妙に響く。
窓に映る自分の姿を見てみると、カボチャ色の瞳が私を見ていた。
化粧っ気もない――いやまあ、今日は少なからず気合を入れていたから少しは化粧してるけど、それでも世間的には薄化粧の私がそこにいる。
別段綺麗というわけでもなく、戦争に当主として出向くほどだし、ランページとして体も鍛えちゃってるもんだからそこらの令嬢が似合うドレスも似合わない。
どちらかというと軍服のほうが似合いそう。
これでも今日は無理して巷で人気なドレスを着たんだけども、出会った男性陣――フィンもムールもなにも言いもしない。
まー、似合ってないから褒めようもなかったんだろうけども。
「はー……」
私とマリアベルは、全然似てない。
どちらかというと、母親より父に似た私は、未亡人としてそれなりの歳にも関わらず数多の男性に求められるシャリアさんの美貌を受け継いだマリアベルと血も繋がってないのだから似るわけもない。
「どこをどうみたら、そうなるのよ……」
姉と妹。
まったくそうは見えない。
何を考えているのだろうか。
ムールもそうなる前にしっかり言い聞かせなきゃいけないのに。
……しっかり言い聞かせた上で、それでも結ばれたいと思ったのであれば、それはそれで祝福すべきなのかもしれない。
「平民同士、お似合いではあるのだけれども」
マリアベルは、十八歳でランページの庇護を抜けて元平民へと戻って生活することになる。
ムールも私との婚約がなくなれば、ランジュ伯爵家には用無しとなるので平民落ち。
平民として二人仲良く暮らすのだろうと思っていた。
だけども、ここでまさかのマリアベル。
マリアベルがランページを継げると思っていたのはなぜなのか。
本当に、シャリアさんから教えてもらっていなかったから? だとしたら、どれだけあの子は貴族社会をわかっていないのか心配になる。
「なにをどう信じたら、そうなるのかしら……」
世間はそうであると信じている。それだけ、マリアベルが言ったことに信憑性があったから。
……なさそうだけど。
貴族なわけでもなく、貴族みたいに振る舞っているのも、期限付きだから酷い時以外は窘めることもしなかった。ほしいというものも、しばらくは生活に慣れないだろうから売って資金にして貰うために買い与えた。私の持ち物だって、私が持っていても宝の持ち腐れだから、欲しいものがあればあげていた。
だけども、勘違いしないようにランページの経営には触れさせることもなければ近づけさせてもいない。
だから、あの子が百歩以上譲って天地がひっくり返って当主になったとしても、何もわからないのだからたちまち領地は荒れ果てて没落していくだろう。
彼女についていく代官も領主もいない。ランページ伯爵家領地は分離分散して割拠するのが目に見える。
ランページ伯爵領がどれだけ広いと思っているのか。
その領土は数年前に滅んだフレイ王国を取込、いまやインテンス帝国でも一、二を争う領地。ランページ。その領地の七割がモロニック王国と霊峰から流れる河川を挟んで接しており、戦いの火蓋が降ろされると真っ先に戦場として扱われるアルト・アイゼン平原を王国と二分し、常に国防を担っている。平原では常に小競り合いが起きている領地もある。
そんな領地を、戦場に出たこともなければ、見たこともないマリアベルが領主として戦場に向かうことができるのだろうか。
もちろん、それさえも彼女にとっては、何も関係がないのだけれど……。
「……甘やかしすぎたかしら……」
ムールは、マリアベルがランページを継ぐなら私なんかより可愛いマリアベルへ乗り換えたほうがいいとでも思ったのかもしれない。
あれも領地経営なんて頭になさそうだから、以下同文。
「お腹の子ができたからそう思ったのか、できる前からそう思っていたのか……」
ため息だけしかでてこない。
考えても仕方ない。
とにかく今は、今の状況を把握している領主邸の誰かしらを見つけて、いつからそうだったのかとか聞きだして婚約破棄の書類を作らなければ。
馬車はごとごとと、ゆっくりと帝都のタウンハウスへと戻っていく。
「……これは?」
タウンハウス。
馬車から降りて私のことを小さい頃から知っているメイド長と執事長に声をかけ、マリアベルについてどこまで知っているか問い詰めようとしたところで花束を渡された。
私の好きなガーベラの花束。
「いつも前向きであれと限りなき挑戦を意味する赤いガーベラは花束の縁を彩っておりますな」
「ピンクのガーベラは日ごろの感謝と思いやり。中央までに親しみと究極の愛を意味する黄色のガーベラがびっしりですね」
「そしてど真ん中はオレンジのガーベラ」
私の輝く太陽。
そんな花言葉を持つ、私のかぼちゃ色の瞳と似た色味のガーベラは、それぞれが主役を張ろうと際立つ花の中でも綺麗に印象付ける。
「まるでお嬢様の瞳が太陽であると、言っているかのようですな」
「お嬢様はやめてよ、セバス」
「このような熱烈な愛情を向ける方はどなたですかね、お嬢様」
「茶化さないで。カンロ。どう見てもこれ、そういうことよね……?」
オレンジのガーベラを愛で包むかのような、それは私に宛てたものであるからこそ、私の瞳に似た色――つまりは、私を愛で包むという意味である。
こんな戦闘狂の当主にこのような愛情を向けるのは誰?
「ああもう。お嬢様にもついに春が来たと思えばこそ、カンロは嬉しくて嬉しくて」
「春というか、私まだ婚約者いるんだけど?」
「いないものと一緒ではないですか。あんな浮気男のことなんて。お嬢様に会うわけがありませんよ」
「……そこは詳しく後で教えてもらいたいのだけれど。で、セバス、これはどなたから?」
「フィンバルク殿下でございます」
フィンならやりかねない。
むしろ、さっきまで一緒にいたのにこれがここにあるということは、やはり前々からこうなることがわかっていたんだ。
「勘弁してよ……もぅ……」
花には罪はない。
罪はないけど、傷心している私のことをもう少し気にしてほしいところなんですけども。
それは私が、ダメージ受けていないようにも見えるからなのかもしれない。
そう思うと、言われてみればそこまで悲しいってこともないなぁと、これから降りかかる火の粉のほうが面倒そうで大変だと思う自分のほうが強くて。
「ゆくゆくは帝妃ですな。お嬢様」
帝妃にではなく、少しだけ嬉しい私がいることも確かで。
フィンは私のこと、やっぱりよくわかっているんだな、とそう思うと、これが社交辞令という名の優しさだとわかっていても少しだけ元気がでた。
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