伯爵は、事実に気づく


「さて、マリニャン。君は今回婚約を破棄された。破棄されるべきではない立場で、破棄すべきで破棄できるのはマリニャン側であって、ムールが破棄できるわけがないものの、それでも彼は破棄と。無謀をもって婚約破棄すると、君を蔑み陥れたわけだが」


 そんなに破棄破棄と連呼しないでほしい。一応は、長年の婚約者を実妹でもないマリアベルに奪われた身なんだから。


 喫茶店のテーブルで向かい合っているくらいの距離の馬車の中。

 壁が左右にあるから逆に密着感があるこの密閉空間で、目の前の第一王子は嬉しそうに笑う。


「ムールは貴族当主が取り決めた婚約を破棄できないので、私が破棄するしかないでしょうね」

「今回は醜聞が酷いから、向こうの落ち度で綺麗に破棄ができる」

「そうですね……」


 ムールは、帝国法に則れば、自身の家門の後継者に問題があった場合等に限り継承権を得ることのできる三男であって、家門の庇護のもとスペアとして扱われる存在だ。そんな三男が、貴族当主同士が取り決めた婚約を破棄できるわけがない。なので、あの場で婚約破棄してほしいと私に伝え破棄したつもりになっているムールは、今も私の婚約者である。


 私が、婚約破棄しない限りは。


 ……いえ、もちろん、血の繋がらないマリアベルと愛を育み被害者のように破棄要請してきたムールとこれからも婚約者でいたいとは思っていない。先方有償での破棄とするのは当たり前。


 ランジュ伯爵家は、長男に伯爵家を。伯爵家の寄子爵位であるランジュ男爵家を次男に渡すことが決まっている。それなりに大きな伯爵家ではあるものの、三男に継承するものがない。なので三男は政略結婚に使われる。これにより伯爵家も他家と繋がりを持つことができ、同格の家門に婿に入れば、今までと同様の生活ができるだろうというランジュ伯爵家当主の思惑と優しさで私との婚約がなされていた。


 本当に優しさだけであれば、まだましだったのだけれども。

 そう思うと、なかなかに問題だらけだなあの家、と、今更ながらにそのまま婚姻まで進まなくてよかったと安堵してしまう。


「それに、ランジュ伯爵家とも縁が切れるだろう? あれだけのことをしたのだから切られるべきだと思うけどね」

「でも、ムールが伯爵家から切られてしまうだけで、ランジュ家には痛手はなさそうですよ」

「あの男を庇うのかい?」

「長い間婚約者でしたから。少しは情があると思っていただければ」

「そこは嫉妬してしまうな。……でも、彼が切られようが伯爵家がランページにたんまりと謝礼を出そうが、どちらでもいいんだけどもね」

「そりゃそうですよ。フィンには関係ないわけですし」

「いやぁ、関係ありたいものだけど?」

「そう言っていただけると友人としてありがたく思います」

「友人として、ね」


 ムールとの婚約が決まったのは私の成人前――十六歳の時。それなりの婚約期間がある。

 その時はそんな考えもなかったんだと思う。

 私が十六歳の頃。父が亡くなり私が当主代理となった。

 ランページ伯爵家の直系後継者――私が成人前ということもあり、取り潰しの危機を迎えていた時に、ランページ伯爵家を取り込もうと隙間に入るように入り込んできたのがランジュ伯爵家だ。


 三男という、伯爵家でも重要視されていない子供を婚約という家同士の繋がりの手段として外に放り出しながら、ランページを内部から乗っ取ろうと画策していたランジュ家。


 今は亡き先代当主の弟の大叔父さんが気づかなければ、今頃ランページ家はランジュ伯爵家の一部となっていたんだと思う。ランページは領地の大きさだけは帝国内の侯爵に与えられる領地に引けを取らない。更に今のランページには、以前インテンス帝国が無血開城させたフレイ王国もその領地の中にある。その規模を手に入れれば、ランジュ伯爵家は侯爵家より上位に位置する――ゆくゆくは、帝国の最大勢力になっていたかもしれない。


 代理当主から成人して、正式に帝国承認の上伯爵当主になって。

 大叔父に領地経営を叩きこまれながらランページ領地を潤わせ、私という存在を領地全土に知らしめることでランジュ家の入り込む隙をなくしたことで婚約だけが残る。


 ランページの各領地の領主や寄子からもランジュ家とは縁を切るべきとの話が出ていたけども、流石にこんなにも長くムールの人生を奪ってしまったのだから、私としてはそのままでもいいと考えていた。


 貴族間の家督の奪い合いはこの帝国内ではいつだって起きている。ランページとランジュは隣の領ということもあるし、帝都をモロニック王国から守護するランページの背中を護ってきた一つの家門であるのだからそれでもいいと思ったこともあったけど、この今も、ランジュ家の暗躍に負けないよう必死に頑張った今であり、ランページを護りたいという意思の結果でもある。

 ランジュ家が私にもたらしたものは、いいものも悪いものも多くあるのは確かだった。



 そうやって、駆け続けてきた。

 道中、敵対国のモロニック王国との小競り合いにも駆り出されたりもした。

 なんでこんな色々あるのかと嘆いたこともある。学生時代の学友もそりゃ笑う。



 正直に言うと、疲れたのでのんびりしたいとも思っている。

 だって、別に私いなくても領地は回ってるし。優秀な代官いるから何も問題ないし。その代官、大叔父様の孫だからランページの継承権もあるし。


 私、実は当主なだけでいらない子だったりする。

 そんな私が、楽するためにはどうしたらいいのか。


 それは、優秀な婿をもらうこと。


 婿様に領地を任せて、私は子供と共に楽をさせて頂きたいと思っていた。


 ――のだけれども……。



 ムールの今回の行動を考えてみると、優秀? と言われると、まったくもって。

 婚約者選びに失敗した感も否めない。


「私としてはどちらでもいい。そりゃ慰謝料をもらって、が望ましいのだろうけども。君はいいのかい?」

「いいも何も……。さすがに他人の子を養う気もしなければ、帰ってこないであろう旦那を領地で待ち続けるというのも辛いでしょう?」

「いや、婚約についてではなく。……それに、帰ってくる帰って来ない、ということはなさそうだけれどもね。必ず帰ってくると思うよ」

「?」


 マリアベルとムールが結婚しても領地にいる??

 それはそれで、私が辛いのだけど。



「ああ……そうか。その辺り、知らないのか、君。……帝都で話題なんだけど。もう少し世間の情報には気を配るべきだねマリニャンは」

「……マリアベルが、何かしたのですか……」


 思わず、頭が痛くなった気がする。


 あの子は今回何をしたのだろうか。

 今までも変なことを言って周りを混乱させていた。フィンの言い方だとどう考えてもどでかいことをやらかしたように聞こえる。


 フィンの笑顔がその証拠。

 姉じゃないけど姉と思われている人から婚約者を奪って既成事実を作るより酷いことってなんだろう……。


「……ああもう。……もう、どこかでゆっくりしたい……」

「そんなに悲観することないよ」

「……本当ですか……?」

「自分は貴族だと詐称していることくらいだよ」

「……」


 言葉を失う。

 平民が貴族と詐称する。それは、極刑だ。


「大丈夫大丈夫。自分はランページ伯爵家の正統な当主だって言いふらしてるだけだよ。姉は代理当主で、自分が成人してムールを婿にもらったらムールと共にランページを後継するそうだよ。自分に当主の座を引き継ぐために姉は代理当主として領内を纏め上げてくれたそうだ。なんて涙が溢れそうな姉妹愛だろう」

「……」



 ……


 …………


 ……………………


 ……………………………………



「……え」




 なにいってんの、マリアベル……。



「まあ、君がしっかり否定しなかったのも悪いと思っているよ」

「私が?」

「マリニャンさ、自分と――ランページとなんの繋がりがないってこと、しっかり伝えた?」

「伝えるもなにも。最初からあの子はお客様で……」



 そこで私は、とんでもないことに気づく。



「それを、あの子は知ってるのかな?」

「……まさか……うそでしょ」


 今は亡きシャリアさんの置き土産。七年越しに知る事実。


 シャリアさんはマリアベルに自分がお客様だって、伝えずに亡くなったってことを。

 私は今この瞬間、理解した。

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