真白 『異世界』から帰宅する
あれから。ナトゥーラお嬢様は王太子殿下として過ごしている。
女の人の体は、女の人の精神と王太子殿下の精神を同居させたまま、放置。
というか、一時期は牢屋に入れられていたとのことだ。
まあ、それはそうよね。
だって、女の人の体で「俺様が王太子だ、あれはニセモノだ」なんて言うんだもの。
王太子殿下の体に入ったナトゥーラお嬢様は「どうやらあの女は気が触れたらしい。わたくし……ではなく、俺様の恋人となったことで気が大きくなり、更には自分が王太子だと思い込んだようだな。不敬極まりない。とはいえこれ以上、元恋人を罰するのは忍びない。王都ではなく、どこか辺境、もしくは農村などで静養させろ」と、命じたらしい。
まあ、ね。女の人の体で自分が王太子だと主張しても、無理だよね。
そのうち、王都まで戻ってくるかもしれないけど……まあ、どうかな? 帰ってきたところでなにもできないんじゃあないかな?
とにかくナトゥーラお嬢様は王太子として問題なく過ごしている。
問題ないどころか……無能だったはずの王太子殿下が、急に有能になられたとか、そんなふうに言われているらしい。
もしかしたら、ナトゥーラお嬢様、一生王太子殿下として過ごす……のかな?
そんなことをわたし思ったけど。
「とりあえず三年ね。三年で国王陛下も失脚させて、この王太子殿下の体も放り出して、なんとか自分の体に戻れるようにするわ」
ナトゥーラお嬢様が王太子殿下の体でそう言った。
三年かぁ……。
三年経ったら、わたしは中学生になってしまうね。明日香ちゃんも奈津美ちゃんは……受験が終わって、わたしとは違う中学校に通っているころ。
中学校が離れても、仲良くしてね、友達でいてねって言いたいなって思った。
だから、三年を待たずにわたしは元の、自分の世界に戻ることにした。
「アイルさん、ナトゥーラお嬢様が戻の体に戻りたいっていうときに、また、わたしを迎えに来て。その時まで、わたし、特にこの世界でやることもないでしょ。だから、元の世界に戻って……わたしも、ナトゥーラお嬢様みたいに頑張る。自分で望む未来をつかめるように」
「わかった、真白ちゃん。だけど、戻るときじゃなくても、ちょくちょく様子を知らせに、ボクは、真白ちゃんに会いに行くね」
「うん。ありがとう」
そういって、元の自分の世界に戻してもらった。
『異世界』に『家出』をしたときは、暑かった。
喉が渇いて、水筒に水を入れようって。水を飲まないと熱中症になるって思った。
だけど、パンダさんに元の世界に戻してもらったときは……もう、寒かった。
「さ、さむっ!」
今はいったい……いつ、なんだろう?
パンダさんの世界に行った時と同じ服で、わたし、ガタガタと震えるくらい寒かった。
「か、風っ! 温風っ!」
パンダさんの世界で覚えた魔法。それが、わたしの元の世界でも使えた。
「うわ、よかった。とりあえず、体の周りをあっためて……」
温めつつ、歩く。そして、走る。
自分の家へ。
親水緑道を抜けて、お母さんと桃花お姉ちゃんがいるアパートへ。
わたしは『異世界』に『家出』をした時とは逆に、うちまでの道を、全力で走って行った。
階段を、一段飛ばしで上って、玄関の前で息を整える。
ちょっと緊張する……かな。
ドアをノックする? それとも……。
そっとドアノブに手を伸ばしてみる。ドアノブをまわすと……ドアは簡単に開いた。
玄関に一歩、足を踏み入れる。
家の中は暗かった。でも、外とは違って暖かい。
「た、ただ、いま……」
小声でぼそりとつぶやいた。
そうしたら。
「真白っ⁉」
桃花お姉ちゃんとわたしの部屋から、桃花お姉ちゃんが飛び出てきた。
「ま、真白……、ほんとうに……」
ぼさぼさの髪の毛。寝起きみたいな顔。それに、頬がこけていた。
玄関先まで飛び出て、そして、桃花お姉ちゃんはわたしを見て、信じられないってふうに目を見開いて……、それで、その目から涙があふれて流れた。
「ごめん、真白……、ごめんなさいっ! あんなこと言って、あ、あたしのせいで、真白……」
しゃがみ込んで、桃花お姉ちゃんは、号泣した。
「ごめんね、ごめん……、ごめんなさい……」
ずっと、謝って、泣いて。
わたしはどうしていいのかわからなかった。
桃花お姉ちゃんが、わたしに謝ることなんて初めてかもしれない。
こんなに泣く姿も、初めて見た。
わたしが『家出』して。
わたしがいなくなったら、桃花お姉ちゃんは喜ぶかと思っていたのに。
わたし一人分、お金がかからなくなるから、その分お母さんだって生活は楽になるし、桃花お姉ちゃんだって、好きなもの、買えるようになる。
わたしがいないほうがいいんだよねって、思ってた。
だから、『家出』することに躊躇はなかった。
だけど、こんなにも号泣するなんて。
「うん。わたしも、ごめんね」
桃花お姉ちゃんにそう言ったら「真白は悪くないっ! 悪いのはあたしだよぉっ!」って、更に大泣きされた。
桃花お姉ちゃんは大泣きしながら、わたしの腕を引っ張って、リビングに連れて行って、ソファに座らせてくれた。
それで、やっぱり大泣きしながら家電の子機をつかむみたいにして取って、どこかに電話をかけた。
「お、母、さん。ま、真白が、戻って、来た。今、家に……」
そう言ったけど、電話先のお母さんには、桃花お姉ちゃんの泣きながらの声は意味がよく伝わらなかったみたい。
「ちょっと、桃花。お母さんは今仕事中なの。なんなのよ、なにかあったの?」
イライラしたみたいな声が聞こえてきた。
ああ、そうだ。お母さんと桃花お姉ちゃんて、いつもこんなふうにイラついた、ケンカみたいなやり取りばかりしていたなあ……なんて、ちょっと懐かしく思った。
『家出』する前は、こういうお母さんと桃花お姉ちゃんのやり取りが嫌で、わたしは部屋やトイレに逃げていたけど。
今は、もう逃げない。
桃花お姉ちゃんの手から、子機を取って、自分の声で、お母さんに言った。
「お母さん。真白です」
受話器の向こうから、「ひゅっ!」って感じの変な声? 息を飲む音? みたいなのが聞こえてきた。
「ま、真白……、本当に、本当の……生きてるの……?」
「ごめんね、心配かけて。今、帰ってきたの」
どさどさどさ……って、なにかを落とすような音が聞こえてきた。
荷物とか落としたのかな? 大丈夫かな?
「す、すぐに帰るからっ! 真白、消えないでいてっ!」
キーンって、耳が痛くなるくらいの大きな声で言われた。
「大丈夫、消えないよ」
消えるって……わたし、ユーレイとかになって、帰ってきたとか思われているのか?
普通に生きてますけど。なんて、思ったり。
ふっと、笑ってしまった。
いや、笑う場面じゃあないんだけど。
「いるよ。もうどこかに行ったりしない。大丈夫。ゆっくり帰ってきてよ。待ってるから。それで……ちゃんと、話そう」
話す。
わたしがずっと我慢していたこと。
嫌だったこと。
どうしようもないから、嫌だって言っても仕方がないからって、黙って飲み込んできたこと。
不満だったこと。
それを、ちゃんと、言葉にする。
ランドセル、新しい赤いのが欲しかった。
桃花お姉ちゃんのおさがりばかりは嫌だった。
嫌だって言った後で、嫌だけど、仕方がないなら我慢するね。
そう、ちゃんと言葉を伝えよう。
子機を、ぎゅっと握りしめたまま。わたしはまだ泣いている桃花お姉ちゃんの目をきちんと見て、言った。
「桃花お姉ちゃんに『いい子ちゃん』って言われたのすごくつらかった」
「ご、ごめん……」
「『お母さんの言うことには大人しく従って。あたしには媚びて』って、桃花お姉ちゃんにあの時言われた。わたし、そういうつもりはなかったけど、だけど、わたしも嫌なことは嫌だって、言わなかった。平気なふりして、我慢して、我慢していれば、いいんだって、思ってた。そんなことないのにね」
「ごめ……ん、真白。ホントにごめん……」
「桃花お姉ちゃんは、口が悪いよね。すぐにお母さんとケンカになって。わたし、それが嫌だったから、何も言わなかったの。だけど、黙っているだけのわたしも悪いってわかった。嫌だって言わないと、わたしが嫌だって気持ちを持っていること、お母さんも桃花お姉ちゃんもわかんないよね。わたしはなんの文句もなく、大人しく生きてますって思われても仕方がない。だから、わたしも悪い」
「ま、真白……」
そんなことないよ、悪いのは自分だというように、桃花お姉ちゃんは首を横に振る。
もちろん桃花お姉ちゃんも悪いことは悪い。
だけど、わたしだって、完全な被害者というわけじゃない。
言われなきゃ、わからない。
言わないと伝わらない。
正直、自分の意見を主張するのは、ずっと大人しくしていたわたしにはむずかしい。
嫌なことを嫌っていうのは、すごく勇気がいる。
今だって、桃花お姉ちゃんに、ここまで言うだけで、足がガタガタ震えてくる。
だけど、言う。
自分の気持ちを、言葉にして、伝える。伝わるように、努力をする。
「我慢ばっかりしているから、心の中が膿んでるのよ。嫌なら嫌とはっきり言いなさいっ!」「そんなのわたくしに言っても仕方ないでしょうっ! 文句を言いたいのなら、あなたのお母様やお姉様に直接言いなさいな」
ナトゥーラお嬢様に叱られた。
だから、お母さんにも桃花お姉ちゃんにも言えないから。だって言っても仕方がない。……なんて、もう卑屈にならない。
ナトゥーラお嬢様だって、今、王太子殿下の体を使ってだけど、自分が自由な未来をつかむために頑張っているんだ。
わたしは、一人じゃない。
わたしも、がんばる。
だから、言う。
「これから、嫌なことは嫌って言う。いきなり、家出なんてしない」
逃げずに、立ち向かう。
これが、わたしが『異世界』に『家出』までして出せた結論。
状況が何であれ、どうであれ。
まずは、自分の気持ちを言葉に出す。
それから、わがままを突き通すのではなくて、引けるところは引く。自分でできることは自分でやる。
魔法もおぼえたしね。
しかも具現だ。
いざとなったら、お金とか具現してしまっても……なんて、それは犯罪か。お金の偽造はダメだって、学校の授業でも習ったし。
だけど、わたしはこれから、きっと何でもできる。なんにでもなれる。
まずは、お母さんと桃花お姉ちゃんに謝って、全部気持ちを伝えて。
それで。
いつか、ナトゥーラお嬢様の精神もナトゥーラお嬢様の体に戻して。
それで。
なにができるか、なにになりたいか、まだ、わからないけれど。
辛い人生に耐えるのは止めて、明るい未来をつかみに行こう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます