桃花 後悔
パタン。
玄関のドアが閉まる音を聞いたような気がした。
だけど、あたしはそのときイライラしていて。
部屋の中のクッションとか毛布とか枕とかを、投げたり殴ったりしていたのだ。
ムカつく。
あたしのことをわかってくれないお母さんが嫌いだ。
いい子ぶってる妹……真白が嫌いだ。
だから、音が聞いたような気がしても、ふすまを開けて、部屋から出て行こうとは思わなかった。
しばらくして、どうしてもお腹が鳴って仕方がないから、真白がさっき持ってきていたおにぎりでも食べてやるかと思って、ふすまを開けた。
部屋の外には、お盆に乗せられたままのおにぎりとか麦茶とかが置かれていた。
ムカつくけど、お腹が空いていたからそれを食べた。
ラップはごみ箱に捨てて、麦茶も二杯とも飲み干した。お盆とコップは洗ってかごに入れておいた。使った食器を洗わないとお母さんがうるさいから。
……あとから考えてみたとき、あたしは、無意識に真白がいた証拠を隠滅したのではないかとも思った。
だけど、このときは本当にあたしはお腹が空いていて、喉が渇いていたんだ。
だから、食べて飲んだだけ。
もしかしたら、そう思いたいだけかもしれないんだけど。
今となってはもう、わからない。
食べ終わって、飲み終わって、片づけをして。
それから真白の姿が見えないことにようやく気が付いた。
リビングを見た。
ソファで寝ているお母さん。部屋を見回す。押し入れが、開いていた。
押し入れにでも隠れているのかと思って、見てみたけど、いなかった。
お風呂場、トイレ。いない。
「真白……? いないの?」
パタン……って、さっき聞こえた音は……。まさか。
「真白っ! 隠れているなら出てきなさいよっ!」
足音荒く、部屋中を見回る。
ざわりと、嫌な感じがした。
冷汗が、止まらない。
部屋中の電気をつけて回る。
真白がいない。
部屋の中のどこにもいない。
時計を見る。もう、九時になるところだった。
真白はいい子ちゃんだから、外で友達と遊んでいても、五時には家に帰ってくる。それを破ったことはない。たとえ、お母さんが仕事で家にいなかったとしても、必ず時間通りに帰ってきていた。
なのに、いない。
出て行った……?
どこに?
友達のところ?
「起きて、お母さん……」
震える声で、お母さんを呼んだ。だけど、寝息を立てているお母さんは身動きもしない。
「起きてよお母さんっ!」
怒鳴った。お母さんの体をバンバン叩いた。
「……なによ、桃花」
寝ぼけながらも、あたしを睨んでくるお母さんに、無性に腹が立った。
「真白がいないっ!」
「はあ?」
「いないのっ! もう、夜の九時なのにっ!」
ぼんやりした目で、お母さんはあたしを見て。そして、ばね仕掛けの人形みたいに、いきなり立ち上がった。家の中を、あちこち見て回る。
「いない……」
「だから、そう言っているのっ!」
お母さんはバタバタと家中を歩き回り、そして玄関で「ランドセルがあるっ! 一度は帰ってきてるのよっ!」と怒鳴ってきた。
「いつ帰ってきたのか、桃花わかる?」
麦茶とおにぎりを持ってきたのは……何時くらいだった? あれからどのくらいの時間が経っている?
一時間? それとも二時間?
無言で首を横に振る。
しらない、わけじゃ、ない。
だけど、さっきのことをお母さんに言ったら、お母さんはあたしを責めるだろう。
……自分だって、寝てたくせに。真白が毛布を掛けてあげたことに、気が付きもしないで。
あたしは自分のせいだって、認めたくなくて、お母さんが気が付かないのが悪いんだって、そう思いたかった。
自分のせいにしたくなかった。
「……桃花に聞いても意味がないわね。真白のお友達……。学校……、警察も……」
お母さんは自分のスマホをつかんで、いろいろなところに電話をかけだした。
あたしは玄関のランドセルを見ながら、ただその場に立ち尽くした。
しばらく経ってから、警察官がやってきた。
近所に聞き込みとかもしたようだった。
一度学校から帰ってきた真白が、ランドセルを背負ったまま、また学校のほうに走っていったところを、近所のおばさんが見ていた……って。
情報は、それだけしか出てこなかった。
「下校時刻ごろね。アパートのほうから学校のほうへ走っていったわ。忘れものでもして、取りに戻ったのかしらって思っていたのだけど」
下校時刻。違う。そのあと真白は一度家に帰ってきている。あたしにおにぎりとか用意してくれた。
真白を突き飛ばしたとき……あれは何時だったんだろう。台所の灯りはついていた。外は暗かったように思われる。
夕方か、夜。下校時刻なんかより、もっと後。
でも、その時間の目撃者はいなかった。
夜になっていたから、気が付かなかった?
アパートから学校までの道を、警察官や学校の先生が捜索したけれど、真白は見つからなかった。
……ああ、あたしのせいだ。
でも、それを、あたしは誰にも言えなかった。
胃が、恐ろしく痛んだ。
お腹を抑えながら、その場にしゃがみ込む。
女性の警察官の人が、「大丈夫? しんどいよね」って言ってくれて、あたしの背中をさすってくれたけど。お母さんはあたしのほうなんて、見向きもしなかった。顔をこわばらせたまま、学校の先生とか警察の人とかと話してばかり。
わかりません。その時間は……上の娘と言い争いをしていて。そのあと疲れて、ソファで眠ってしまって。
ランドセルがあるから、一度真白は帰ってきているはずなんです。そうでしょう?
上の娘と言い争いをしていたから、真白は出て行ったのでしょうか? でも、ランドセルはあるんです。一度はうちに帰ってきているんです。なのに、どうして。上の子ならともかく、真白は家出なんて考えもしない子です。
お母さんの声。
そう、だよね。あたしならともかく、真白が家出なんておかしい。
だったら、誰かに連れて行かれた?
まさか、変質者とかに無理矢理……。
ゾッとした。
真白はすごい美少女ってわけじゃない。目はぱっちりしてるけど、うつむきがち。肩までのまっすぐな髪は、いかにもおとなしいって感じ。
だから、連れて行かれても騒いだり抵抗したりなんて出来ない……のかも。
ああ……、連れ去られたとかじゃなくて、どこかで隠れていて、そこで眠ってしまったとかで、見つからないだけかもしれない。
だけど、そうじゃなかったら?
助けて桃花お姉ちゃん……っていう、真白の声が、聞こえたような気がした。
もちろん幻聴だ。わかっている。だけど……。
こみ上げてきたものを我慢できなくて。台所のシンクに頭を突っ込むようにして、吐いた。
胃液まで吐いても、吐き気は止まらない。
……あたしは、その日から、食事はまともに食べられなくなった。
特におにぎり。それから麦茶。見るだけで、吐きたくなる。きっとこの夜を思い出すから。
食べないと体を壊すから。そうお母さんに言われて無理矢理にゼリー飲料とかスープとかを流し込むけど、味はしない。
お母さんは、毎日、真白を探しに歩いた。
あたしは、探さずに家にいた。
探しに行けなかった。吐き気がして。
それに、真白がいつ帰ってくるかわからないから、桃花は家にいてとお母さんに言われていたから。
わかった、と。あたしは答えた。
真白がいなくなってから、一週間が経った。そして、すぐに夏休みになった。
夏休みの間、あたしは一歩も外に出ることなく、ずっと家にいた。
真白が帰ってくるのを待っていた。
だけど、夏休みがおわっても。真白は……帰ってこなかった。
真白がいなくなったあの夜。あたしが真白にしたことを警察官とかお母さんに言っていたら。真白は見つかったのかもしれない。
そう思うと……気が狂いそうになる。
夜、眠れなくなった。
眠っても、夢で何度も見るのだ。真白が誰かに連れ去られて、殺される夢を。死んだ真白があたしに言う。
「桃香お姉ちゃんのせいで、わたし、死んだの。あの日、桃香お姉ちゃんが、家出するっていったから、わたしはマネしたの」
跳ね起きて、今見たのは夢だ、真白は死んでない……って思うけど。だけど、あたしのせいで、真白が家から出て行ったのは事実で。
……いっそ、罪の意識に潰されて、気が狂ってしまえばよかった。
だけど、どこか心が逃げている。
あたしだけのせいじゃない。
あたしが真白にぶつけた言葉がきっかけになったのかもしれないけど、そこで出て行った真白だって悪い。
お母さんだって、なにも気が付かずに寝ていただけで。
毛布を掛けてもらってありがとうとか、そんな些細な言葉でも、あの日、真白に告げていたのなら、真白は出て行かなかったのかもしれない。
あたしとお母さんがいつも言い争う陰で、真白はいつもうつむいていた。
積もり積もったものがあったのかもしれない。
ああ、あたしは逃げてる。
真白がいなくなったのは、あたしのせいだけど、あたし『だけ』のせいじゃないって。
学校にも行かずに家にいて、真白が帰ってくるのを待っている。
そこまでしているから、だから、許してって。そう思ってる。
ごめん。
ごめんね、真白。
こんなあたしを罵っていいから。
「桃花お姉ちゃんのせいで、わたしは家出したんだよ」って、怒鳴ってきていいから。
文句でも罵倒でもなんでも聞くから。
真白に八つ当たりしたことを、全部謝るから。
だから。
真白。
お願いだから、無事に帰ってきて……。
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