真白 『異世界』に『家出』する ②
トコトコと二本足で、わたしのほうへと歩いてきたパンダ。いや、パンダさん。
動物園で見たことのある実物のパンダより一回り大きい感じ。すごく大きい。
着ぐるみ? 中に人が入って動いているの?
でも、そんな感じはしない。
それが、片手を胸元に、もう片方を背中側の腰に当てて、お辞儀をしてきた。
お姉ちゃんが読んでいたマンガに出てくる王子様か執事みたいな感じで優雅に。
……えーと、なんだろう。これ。夢かマボロシかな? わたし、実はとっくに熱中症で倒れていた……?
見えているものが信じられなくて、ごしごしと、腕で目をこする。
目の前のパンダさんは、にこにこしている。
もう一度、目をこする。
「おーい、真白ちゃん。ボクの声、聞こえてるー?」と、パンダさんが首を傾げた。人間……というか、アニメのキャラクターみたい。
だけど、白黒の毛は、リアルにふさふさに見える。
「き、聞こえて、る。けど、なんで、わたしの名前……」
知っているの、まで、声に出せなかった。
驚いて。
なんだこれ、なんだこれ。イラストだったはずのパンダが、動いて、わたしに向かってしゃべってきてる。
「ああ、君のことはよく知っているよ。だって……から。あー、ええと。以前はよくここで、明日香ちゃんとか奈津美ちゃんとかと一緒に遊んでいただろ。楽しそうに、笑って。そのとき名前も呼ばれてたから、知ってるんだ」
途中、何かよく聞こえなかった。前は、確かによく遊んだ。
「だけど、明日香ちゃんも奈津美ちゃんも、ずいぶんとここに来てないねえ」
去年、四年生の夏休みから、二人は塾に行き始めた。
中学受験、するんだって。
中学は私立に行っちゃうんだって。
一緒の学校に行きたくても、ムリ。
うちにはお金がない。
塾の授業がない日なら、遊べる?
そう聞いたけど、塾の宿題が大変だから、あんまり遊べなくなった。学校では話すけど、それだけ。
下を向いたら、パンダさんにポンポンと肩を叩かれた。
慰めてくれているの?
ちょっと不思議だけど、パンダさん、いいひと? あ、人じゃないか。
「真白ちゃんはいろいろ大変だねぇ。でも、さみしいとかつらいとか、そういうのを溜めていると、もっともっとしんどくなっちゃうよ。いきなりキレたりね」
しんどい……のかな。わたし、つらいのかな? キレる? 桃花お姉ちゃんみたいにお母さんとケンカするってこと?
お母さんが毎日大変なのがわかっているのに?
欲しいもの、買ってよって。わたしも言うのかな……。どうかな……。
お金があったら、桃花お姉ちゃんの欲しいもの、全部買えるの?
わたし、おさがりばかりじゃなくて、自分だけの新品が買えるのかな。
「お金があったら……全部良くなる?」
別に受験がしたいわけじゃないけど、明日香ちゃんたちと一緒の塾に通えたら、あの先生が面白いよなんて、共通の話題で盛り上がれるのに……。
「お金がないと生きていけないけど、お金だけあっても生きていけないかもね」
「……小学生にはむずかしい問題です」
「あー、じゃあ、お金のない世界に行ってみる? あと、真白ちゃんのお母さんが大金持ちな世界とかも」
「え?」
お金のない世界?
お母さんが大金持ち?
「頭で考えてるだけじゃ、わかんないよね。体験学習。学校でもやってるでしょ」
「あー。お米作ったりとか?」
「そうそう。パンダさんの特別魔法。順番に、二つの世界を体験させてあげる」
どういうこと……と、尋ねる前に、いきなり。目の前の風景が一変した。
親水緑道じゃなくて……、ええと、テレビで見たヨーロッパの町みたいなところ。道が石畳になっていて、オレンジ色や黄色の明るい色の屋根の建物が並ぶ。広場には、大きな噴水。かわいい天使のオブジェ。
「ここ、どこ……?」
「今、ボクが言った『お金のない世界』さ」
「お金がないのに……どうやって買い物をするの?」
噴水がある広場には、いくつもの屋台が並んでいるのに。くだものをジュースにして売っている屋台。串焼き。カラフルな飴。お花屋さん。
「物々交換だよ」
「交換?」
「決まった値段はないからね。お互いが納得していれば、売買成立」
「へえ……」
なんとなく眺めていたら、きれいな貝殻を持った金髪の男の子が、くだもののジュース屋さんに行って、そこで、貝殻を五つ、赤い髪の屋台の人にわたして、ジュースを受け取っていた。
おいしそう。
ごくり、と。喉が鳴ってしまう。
「わたしも、ジュースが飲みたかったら……」
「なにかと交換するんだね」
その場でしゃがみ込んで、ランドセルを下ろす。
なにかあるかな……。
ノート、教科書、鉛筆、スティックのり。それから連絡帳に……おりがみ。
「おりがみ……って、どうかな?」
「んー、それだけじゃあ価値は低いね。色のついている紙でしかないから」
「じゃあ……折り鶴とか作ったらどうかなあ?」
「やってみたらいいよ。なにごともチャレンジさ」
「うん」
ランドセルを台の代わりにして、そこでわたしは赤い色と青い色のおりがみで、二羽の鶴を折ってみた。
折っている最中に、何人かの人がわたしの手元を覗き込んで「おおー」とか「すごい」とか言ってくれている。
えっと。外国の人に、おりがみでなにか作ってあげたり、切り絵とかしたりすると驚くって。そういう感じ?
「できたっ!」
立ち上がって、スカートの裾をパタパタ叩いて、ランドセルを背負う。
そうして、わたしはジュース屋さんに早足で行った。
「あ、あの、ジュース、二つ、欲しいです。こ、これで……」
両手で、赤と青の折り鶴を渡す。
すると赤い髪の人は、一番小さいコップに、半分くらいずつ、搾りたてのジュースを入れてくれた。
「コップは飲み終わった後で返してよ」
「は、はいっ!」
受け取ったジュースを手に、パンダさんのところに戻る。
「か、買えました……」
本当に、買えた。ちょっと嬉しい。
「うん、がんばったね」
えへへ……って笑いながら、二つあるうちの、片方のコップをパンダさんに差し出した。
「あの、これ、一緒に飲もう」
「え、ボクもいいの?」
言われてから気が付いた。パンダさん、ジュース飲めるのかな……?
「あ、ごめんなさい。もしかして飲めなかった?」
「ううん。でも、これ、真白ちゃんが自分で作った折り鶴で買ったものだし」
「でも、パンダさんが教えてくれなかったら、そもそも買えないし」
「そっか。じゃ、ありがたく」
わたしとパンダさんは、なんとなく「カンパーイ」とか言って、コップをぶつけて。そうして、一緒にジュースを飲んだ。
だれかからのおさがりじゃない。買ってもらったものでもない。
わたしが、自分の力で、初めて買ったもの。
このジュースを飲めることが、すごく誇らしい。
おいしい。
乾いた喉に、しみこんでいく。
もっともっと飲みたい。
おりがみはまだある。今度は黄色と緑と紫とオレンジの紙で、鶴を四羽作ってみた。
だけど……二回目は、四羽でジュース一杯だけだった。
「どうして……さっきは二羽で、二杯……」
「お金と違ってジュース一杯が百円とか決まっているわけじゃあないからね。最初は珍しかったから、サービスしてくれた。だけど、二回目は珍しくないから、高く買ってくれなかった」
「そっか……」
なんかくやしい。
だから今度はおりがみで立体的な指輪を作ってみた。
折り紙を半分に切って、折り合わせる。折って、たたんでふくろを開いて、裏返えして。指輪の宝石の部分を膨らませて。最後に両端を……本当はテープで止めるんだけど、ランドセルの中にはないから、スティックのりで貼りつける。くっつくまで、しばらく指で押さえておくしかない。だけど、ちゃんと指にはめられる。
しゃがみこんで作っていたら、それを見ていた緑色の髪の毛の女の人が「欲しい」と言ってくれた。
「えっと、なにと交換してくれますか?」
そう聞いたらクッキーを差し出してくれた。
おりがみの指輪で、クッキーが一枚。
すごいな。
いろんな人と、おりがみを交換した。
リンゴ、お花。串焼き、スコーン。
食べ物はパンダさんと半分こにした。
日本だったら、わたしは働いたりすることはできない。
だけど、この物々交換の国だったら、わたしだっていろいろなものを手に入れられる。お母さんにだけ、働いてもらわなくても大丈夫。
この世界だったら、お母さん、あんなに疲れ切っていることもなくなるかな?
時間に余裕ができて、わたしのお話を、聞いてくれるようになるのかな?
「お金、なくても、なんとかなるんだね」
「今はね。真白ちゃんのおりがみ、珍しいから。みんな交換したがってくれてる」
「珍しくないと、交換できない?」
「うーん、欲しい人がいればいいんだけど。どうかな?」
桃花お姉ちゃんが欲しがっているスマホも、交換で手に入れられるくらいだったらいいのにね。
「昔話の『わらしべ長者』みたいにさ、ラッキーが続いて、うまく金持ちになれればいいけど、普通はそううまくはいかないよね」
ああ、えっと、転んでわらを手にして、それでアブを捕まえて、わらでくくって。それをみかんとか反物とかと交換していって、最後にはお屋敷も手に入れちゃうお話。
「相手の欲しいものと、自分が持っているものを交換したいって、お互いが思って、交渉が折り合った場合じゃないと物々交換は成立しないからね」
「じゃあ、相手の欲しいものと自分が売りたいものが違っちゃったら……」
「交換は成り立たない。効率が悪いから、お金ってものが登場したって説もあるくらい」
「そっか……」
たしかにお金があれば、楽かもしれない。
だけど、そのお金を稼ぐのは大変だ。
「楽してお金が稼げる……なんてのは、ないよね」
だってお母さんはいつも大変そう。
お金がない。
桃花お姉ちゃんの欲しいものは買えない。
わたしはいつもおさがりばかり。
「じゃ、次は『真白ちゃんのお母さんがお金持ちな世界』に行ってみようか」
ふっと、また、景色が変わった。
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