第19話


 火力の微調整や目に付いた道具を迷いなく選び取る様子は、初めて使う作業場とは到底思えないもので、無駄もない手際の良さによって煮出し精製を進めていくエイダと、瞬きや呼吸することさえ忘れたかのようにエイダの一挙一動いっきょいちどうを食い入り見つめるシエナの姿は、小さな鍋が竃に乗せられてからどれくらいの時間続いただろうか。


 その間、不要な発言や言葉のやり取りもなく行われた作業は、休まず一定のスピードと一貫した同じ動きで液体を混ぜていたエイダの手がスッと止まった事で区切りを迎える。

 ひと仕事終えたのが窺える、疲労感を全てを出し尽くすかのような深い溜め息を吐きながら、凝り固まった全身を軽く解し伸びをせたエイダは、その手で湯気の立ち上る液体で満たされた小鍋の取っ手を掴んで、火は消したものの熱気が残る竃から作業台へ鍋を移動させた。

 静まり返った室内にゴトリと鈍く重い音が響く。離れたソファーに座った体勢のまま居眠りをしていたアメリの耳にその音が届いたのか、フッと開いた目は自然と音の方へ向いた。


 「ん…ああ……、やっと終わったのね。って、え?…やだ、もう暗くなってきているのね」


 商会で自身が主力で動いている仕事と、手掛けるか止めるか考えあぐねている他案件の書類を見て内容を精査している内に、知らず知らず寝てしまっていたアメリは、目覚めたばかりの視界の端に入った窓外そうがいがやや暗くなり暮れ始めている様子に気付き、それまでぼんやりと半開きだった目を丸く全開にしてガバッ!と背もたれから身を起こした。


 「なんだい、仕事しているのかと思えば寝てたのかい。全く……疲れているんならベッドで横になりな。ここまでの道中もお前さんが横になって寝ているのを見た試しがない。若いのを理由に無理をし過ぎると年取ってからガタが来るってもんだよ」


 火から下ろした鍋の中。精製前は透明度の高い海水と、そこに沈めた海草が入っていたが長時間の作業で随分と変わり果て、今ではトロリと全てが一体化し、海水の透明感や海草の欠片すら残らない濃緑色の液に仕上がっていた。

 その液体を更に馴染ませるように混ぜる手を止める事なく、しかしアメリに説教染みた軽口を叩くのもやめないエイダに、アメリの方もまるで実の孫のように気を許した自然な顔で反論を返す。


 「ちゃんと寝ようとすると仕事が気に掛かって目が冴えちゃうのよ。それに、この小屋にベッドなんてあるわけないじゃない。ソファーとサイドテーブルだってやっと運び込んだのを話したでしょう?」

 「何だって?じゃあ、奥にあるあの扉は飾りか物置だとでもいうのかね?」


 エイダが小屋の際奥に一つだけある扉をチラリと見遣って会話を続ける。


 「ああ、あの扉ね。随分前の持ち主は寝室にしていたみたいだけど、今は何も置いていないからの部屋よ。物が無さすぎて物置にすらならないし」


 暗に、シエナが研究や実験に使う物以外は関心がないのだと言いたげなアメリの不憫そうな表情を受け、今まさに大人しく自分の隣に立っているシエナを見るが、その目は鍋の中を凝視し耳は液体から時折小さく聞こえる泡が弾けるような些細な音だけに集中しているようだった。

 多分、アメリとエイダの会話など全く聞こえていないのだろう。


 「それじゃあ、私達はどこで休むんだい?」

 「エイダさんは村にある商会の支部の二階で寝てもらうつもりよ……って契約書を書く時にエイダさんの家で話したじゃない。とりあえず私は先に馬で支部に戻ってから急いで迎えの馬車を出発させるわ」

 「何言ってるんだ。まだまだ終わっていないのに他所でなんかで寝ている場合じゃないよ」

 「え?だって、もうこんな時間よ?」


 そう作業はまだまだ全体の七~八割強程度といった所。


 アメリはエイダを支部に連れていく算段だったが、あと十時間は何がなんでも作業を続けるとエイダが言い張ったため、大慌てで商会に向かったアメリは、どうにかエイダが寝るためのベッドを工面し深夜に運び込む事になる。

 翌日の昼には四人程度がゆったりと食事をとれる位の大きさのテーブルと、シエナ用のベッドも持ち込んだが『エイダが必要としている新たな道具』が来るのだと期待していたシエナは、不可解そうに自身用だと告げられたベッドが奥の小部屋へ納められる様子を前の日の早朝から一睡もしていない少しぼやけた頭で眺めていた。


 アメリが夜の商会支部でベッドを含む搬入予定の家具類の手配をしている時間、シエナは昼から数時間掛け煮出し精製した海草と海水、それから時々注ぎ足された精製水が溶け込んだ液体を、魔導器具を用いて精製水や海水等を取り除き、海草成分だけを抽出する最終段階に取りかかったエイダの動きを、身じろぎもせず明け方までひたすら見つめ頭に叩き込んだ。





 ◇ ◇ ◇ ◇





 「これで、一通りの作業は終わりだよ。あとは自然に冷めるのを待つだけだ」

 「これで出来上がったのですね。……あの、エイダ様…。心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございます」



 毎回どんなに注意を払っていても作る途中で茶色く変色しては、失敗作だと容易に分かってしまう液体とは見るからに違ったそれは、小瓶に熱々のまま小瓶に入れられた。

 いつも自身の手に届けられるのと似た色を放つ、出来たての原液を見つめ万感な心地のシエナを他所に、エイダの方は欠伸あくび混じりに『大袈裟な子だねぇ』と言いながら、三時間程前に持ち込まれたベッドが待つ奥の部屋へと消えていく。

 急ぎ寝具類を運び込むため、商会の従業員を数人引き連れ戻ってきたアメリが、小屋に数日滞在する際のシエナは三人掛けソファーをベッド代わりに仮眠をとっていると聞いた事から、この後もシエナはいつもと同じようにソファーで寝るのだろうかとエイダは眠気の襲う頭で考えたが、一度横になると疲労感に後押しされるまま深い眠へと落ちていった。



 しかし作業台の前に居るシエナはというと、先程までは大人しくエイダの手元を大人しく見ているだけに留まっていたが、実際の心中では目の前で行われる一連の作業を見ている間、ウズウズと沸き立つ好奇心を抑えるのに必死だった。

 エイダが手を動かす毎に『ほぉ』と感心し、エイダが視線を注意深く移す度に『なるほど、ここが重要なのか』と脳内で反芻しては、無に近い表情や微動すらしない見た目とは正反対の忙しない時間を過ごしていた。

 そしてエイダが奥の部屋で目を閉じるのと同じ頃には、とっくに洗浄を済ませ乾かしておいた小鍋を再び竃に乗せ、エイダが精製中に選んだ器具を手に同じ所作を心掛け、細心を払い脳に書き留めた作業を再現していく。

 エイダの経験値の持つ動きと、弟子になった当初幾度となく注意を受けたネヴィアからの言葉を思い起こしながら、時折浮き足立ち先走りそうになる指先に気付く度に心を落ち着けながら精製作業に向き合う。

 シエナ本人も自覚していないが、この数年忘れていた作業自体が楽しいという感情だけによって進んでいた熱中具合に、明け方に開始した精製は正午過ぎにアメリが訪れ扉を開いた時にもまだ続いており、昼に差し掛かるとあって流石に起きてきたエイダとアメリは揃って呆れ顔で互いを見ることに事になる。





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