第20話


 エイダとの初対面を果たしてからの状況は、これまで行き詰まり滞っていた要所要所の作業が幻に感じるほど著しく進み、何故もっと早く海草の存在を知ることが出来なかったのか、何故もっと早くエイダに出会えなかったのか……と考えても仕方ない思いが強制的に取らされた休憩時間の際、頭をよぎった。

 しかし、それ以外は細やかな精製感覚を身体に叩き込む事に集中していたお陰で原液作りの精度は、この三日でエイダに及第点を貰えるまでに至った。



 「はぁ……正確には三日足らずだ……。全く宮廷薬師筆頭の名は伊達じゃないね。私等凡人からしたら神業もいいとこだよ」


 夜も更け灯りの揺れる作業台の前に立って、忙しく手を動かし続けるシエナの姿を見つめるエイダは、今では定位置となった一人掛けの椅子に深く座りマグカップに入った茶を一口飲んでは、誰に言うわけでもなくそう独りちる。


 自らを凡人とはいうが、実際外に放出する事が可能な程の魔力量を身体に湛えているのは圧倒的に貴族の血を引く者が多い。

 その上、生命力と密着していると思われる魔力を肉体外へ放出できる適正を持っている者となると、多くの貴族が集まる王都であっても人数は限られてくる。

 地方の外れや田舎であれば適正を持つ人間を二人、いや一人でも見つけられたのなら凄い事だろう。

 魔力量と放出可能な力を保持していたとて、当人や周囲がその能力に無自覚かつ無知であれば、膨大な魔力やそれを放出できる才はどこにも知られる事なく血も薄れてやがては消えていくしかない。


 実際エイダの一人息子は体内の魔力量の多さに反し、放出が不得意なのに加え一ヵ所に留まり大人しく作業をしているのが耐えられない性分だったため、幼い時分からエイダの跡は継がないという事を常日頃家族へ宣言していた。

 しかし娼館勤めの女性にとって身体と心の負担が軽くなる海岸沿いのみで作られる催淫剤は、ただ淫楽を誘発するだけの物ではなく重要な役割を持っている事をエイダ自身、実際に働いていた経験で重々承知していた事もあり、後継者がいないまま店を畳む日がくるのを残念に思ってはいた。

 とはいえ、海岸沿いの街では簡単に後継の見つかる職でもないのに併せ、エイダの夫も息子と同じく多い魔力を外に放出しきれないタイプだったのを長年見てきたこともあり、仕方ない事と受け入れ過ごす事数十年の歳月が経った頃 、孫の中でも度々店に入り浸っていた末の孫娘が『お婆さまの弟子になりたい!』と宣言しかたと思えば、弟子を自称し店に居座り始めたのだ。


 あの弟子宣言の日から今年で五年になるが、安心して娼館に卸せるレベルの商品はまだまだ完成出来ないでいる。

 孫娘の出来が良くないのではない。エイダ自身の弟子時代を思い起こせば、孫娘の物覚えや実践能力は高い方で、三日で高精度の原液を抽出したシエナが規格外なのだ……いや、聞けば九つから前筆頭薬師唯一の弟子として寝る以外全ての時間を修行にあてていたのなら、元々の資質に合わせ内にある経験値の濃さや知識量は多岐にわたるだろうから、今回の手解てほどき程度の指示であの結果は、当然といえば当然のものといえるのか。

 翌日昼には迎えの馬車に乗り込み帰る予定のエイダは、感嘆や様々な感情の入り交じった溜め息を吐きながら、シエナの後ろ姿を見続け、やがて視線は自然とその足元へと移り小屋に着いて丸一日が過ぎた時に感じた引っ掛かりを思い出す。





 『じゃあ、次は三日後の昼エイダさんの迎えの時に来るからね』


 バタン!ドタドタ……


 『はあ、毎度毎度騒がしい娘だね』


 扉の閉まった音の後に聞こえる足音に続き、馬の蹄の音が遠ざかるのを耳にしながら、多くの人間が口にするアメリへの形容とは異なる感想を呟くエイダの顔には不快さは一切感じられない。


 『初めてうちの店を訪ねてきた時は、見た目通りの天使か女神様然とした表情や振る舞いを装っていたのに実際の中身は真逆だ。兄の商会主の方も貴族を相手にする商い人としての仮面を被って歩いているが、妹の方が隙がない。一体何枚の猫を被っているんだか……』


 そう、アメリは見た目の美しさや鈴のような耳に心地良い声とは真逆にその性格は血の気が多い……というか実は喧嘩っぱやいし様々な種類の武器を収集し自ら扱うのを何より好む質の女性である。

 普段は外向けの慈悲深そうな笑みでいる事も多いが、他人に対する慈悲などあまり持ち合わせていない反面、好きな者に対する愛情は狭く深い、そして濃く苛烈な印象だ。

 心を許した者にのみ素の自分で接するものの、他人の目が一人でもあれば完全な素にはならない所は、多少の緩さや曖昧さを持ち合わせた兄ルーイとの違いだろう。

 シエナが幼い頃から見てきたアメリはそんな人物で、シエナの事は見た目のまんま、聖母のように慈しみ可愛がっている節があった。


 『兄ルーイが他国の仕事に向かっている間は自分が海草と原液に関する仕事を一任されているから原液の売買の予定を少しの期間変更するって、少しの隙もない笑顔で言うもんだから最初は追い返したんだ。あの笑顔は私には気味が悪く感じたんだよ。それに変更に関しては商会主との直接のやり取りが当然だと思っていたし。まあ、平民の私に対して先触れをくれたのは悪くはなかったとは思うけど……ああ、そこはもっと火を弱めてから混ぜる速度をゆっくりにするんだ、その後に火を止めるといい』


 端からは話に夢中になっているように見えても、抜かりなく要所要所で注意や指摘をするエイダであったが、まだまだアメリとの出会いに対するぼやき話を止める様子はない。


 『そしたら、翌日の朝に原液売買の契約書を持ってきて【双方どちらかに納品の変更・追加、又はそれに準ずる事案が生じた際は商会主が直接来訪する。商会主が来訪不可能な場合に限り商会副長を唯一の代理人として容認する】って書かれていた文言を開店前の勘定台の前で読み上げたんだ。しかも、あの作って張り付けたみたいな笑顔で『契約違反には莫大な違約金が発生するようですね。どうします?』って付け足したんだよ』


 さも身震いするとでも言いたげなエイダに、火を止めたシエナはその光景を想像し、しかし現在では互いに気安く話す二人の関係に可笑しくなりフッと口許を緩めた。


 (おや…こんな顔で笑うのか。随分大人びて見えたが笑うとまだ幼さが残っているね)


 シエナ本人ですら無自覚そうな不意打ちの小さな笑みに、その感想はあえて口には出さず振る舞っていると、鍋を持ち上げ体重移動をしたシエナの足の動きに僅かな不自然さを感じた。

 初めは気のせいかとも思ったが、そこからソファーに掛けたまま注意深く見続け、次の日もシエナに悟られないように見続けた結果、翌朝目覚めたばかりの一時間程度に少しだけ本調子ではなさそうな緩慢な動きが左側の足にだけ見えた。

 それでも暫くすると身体が温まったせいか、日中は徐々に違和感は薄れていったが、長時間立ち続けてからの夕刻を過ぎた辺りから疲労の度合いもあるのか、シエナの動きに再び緩慢さが現れ始めた為、確実に左足を引き摺っていると確信はしたものの、この時点で原因も聞かされていないエイダは、これに関してシエナ本人へ深く踏み込むのを控えた。

 ……とはいえ、本人の前で引き下がっただけで帰りの馬車に乗って迎えに来たアメリには容赦はなかった。

 帰路の車中では領境を通る際の面倒な検問を終えた事で、肩の力が抜けたのを狙い目とし鎌を掛ける形をとって、シエナの足の事を聞き出したエイダの手腕は、若かりし頃の高級娼館勤めの成せる技かはたまた年の功か……誘導されるまま口を滑らせたアメリは、してやられたのに気付いたのが容易に分かる苦い顔で、対面に座って笑うエイダを見て不貞腐れた様子を隠すこともなく、車窓に顔を向けた。



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