第18話
一歩引いた斜め後方でエイダが見つめる中、いつものように特注の長いピンセットを器用に使い、小さく短い海草を選んで瓶から一束持ち上げると、精製された水の入っている中鍋へと静かに海草を入れて全てが完全に水中に浸かったのを確認すると、手早くも繊細さを意識しながら、器具を持ち手の長い木べらに変えグルグルと水と海草を一体化するようなイメージで鍋の中を熱心にかき混ぜた。
呼吸すら邪魔というように息をひそめ、普段より慎重に丁寧に精製の初期作業を行う……しかし、その時間も長く続くこと無く次第に落胆するように手は止まる。
「っ…………」
シエナの声にならない悲壮感と伏せた目をチラリと見たエイダは、半歩前に足を踏み込むと鍋を覗き込みながらシエナが手を離した木ヘラで海草をひと混ぜしてから持ち上げた。
「あー、これじゃあ使い物にならないね。変色してしまっている」
「………」
そうエイダの指摘通りで、シエナも初めは分からなかった色の変化。
抽出のための精製作業を何度か繰り返しているなかで、パッと見では分からない程の些細な色の変化に気付いたのは、シエナが自宅研究室から離れ湯を浴びている間、主の居ない今の内とばかりにメイドが室内の
しかし、変色するかもしれないと気付いたのは瓶の中に残る最後の一束の海草を精製している最中だった事から、次に海草を受け取れる二週間先まで実際色が変化するという事に確証が持てないままの時間は長く続いた。
そこから、再び海草を受け取って精製作業を繰り返していく内に気付いたのは、色が変わると効力のある原液が出来ない可能性だったが、どう試行錯誤しても最終段階に近付いていくと失敗してしまう。
きっと以前なら、試作が上手くいかなくても師匠であるネヴィアと競うように製薬や研究に再度向かい、食事時やお茶を飲む休憩の時でさえ時間を惜しみ意見の応酬を続け、次の試作に取り掛かる事に意欲だけは沸き上がりっぱなしだったように思う。
現在はというと海草の存在を知った時に明るく浮上した気分は、実験を重ねていく度に明らかに少しずつ心は重くなっていっている。数ヵ月前に海草や原液を手にし、ゴールが見えた気でいたのは気のせいだったと現実に戻されるまで大して時間は掛からなかった。
エイダに会えると決まるまでは、手に入った文献や今までの経験だけを頼りに進める暗中模索状態といった気分は、寝ている時ですら時折り苦しさを感じながら目を覚ます始末だった。
何度も続く失敗の先にあるのは、師匠を失う事と痛感し胸を
「初期の精製も原液の抽出さえままならないなんて……」
おそらく、シエナが瘴気を取り払う為の薬に着手してから初めて吐いたであろう弱音は消え入るようで、隣に立っているエイダでさえも聞き逃してしまう程か細いものであった。
「お前さん達が作る薬は国王陛下が口にされる物だろう?闇商品とそう差のないやり取りをされている催淫剤の元なんて、そもそもの畑が違うんだよ。だいたい初めに液を売った時に渡したは書き付けはちゃんと読んだのかい?」
「……書き付け……。はい確か…”全てを鍋に出しゆっくり時間を掛け精製をする”と記されておりました」
「そうさね、よく覚えているじゃないか」
作業台に近付くように、シエナの真隣に立ったエイダは会話をやめること無く壁に掛けられている小さな鍋を竈に置くと、そこに大瓶に満たされた海水の半分量と、同じく海草も半分の量を静かに投入した。
しかし竈の火を極小さく
その同じ動きは気が遠くなる位に遅く緩く繰り返され、終わりも見えないまま五時間ほどが経過した頃、やっとエイダの手が止まった。
途中一時間経った時に『精製水を足しな!」と不意打ちで告げられ、慌てて返事をしながら自身の作った精製水を糸のような細さで恐る恐る注ぎ入れ、その後も『水!』の声が上がると同じように繊細に精製水を足したシエナは、この四年近く単独で行ってきた代わり映えしない研究や実験に慣れていたせいか、注いだ先の小鍋を食い入るように見つめる中で、このやり取りに不思議な安心感を覚えた。
(いつか師匠にもエイダ様に会ってもらいたい)
◇ ◇ ◇ ◇
海水ごと海草を魔力にさらす
時間を掛けゆっくり深くさらす
基本的に筆頭魔導薬師の事前準備……シエナとネヴィアの間では下ごしらえと呼ばれた作業は、前以て自身で魔力精製しておいた水で行っていた。
元々が魔導薬師の精製自体が自身で作った精製水を用いて更に強めの魔力を使い手早く行うのが基本であり当然とされてきた。
しかし、それと同じ手順で海草を下ごしらえると一気に弱り効力が失せたらしい。
【意識を満たされた水の中へと集中させ、ゆっくりゆっくり力を馴染ませるように放つ】それは正式な弟子になる前に師匠から言い渡された最初の精製作業の手順だった事を思い出す。
それをクリアしたからこそ弟子として宮廷に届けが出された過去があったのに、慎重に進めながらも魔力の注入は強くエイダの書き付けにあった『全て』が海水まで含むとは思いも寄らなかった。精製作業には精製水と材料のみ魔導薬師の基本とされている考えから外れる事が出来ない事が、遠回りの一因だった事実に自身への悔しさから唇を噛む。
(師匠なら、もっと早くこのやり方を見つけられたかもしれない)
『お前は何でも無駄を省き簡潔に早々と終わらせようと動いてしまう、せっかちな所が玉に瑕だ。よそ見をしながら気長に待つというのも時には近道になる事を頭の角にでも置いておけ』
時折師匠が口にしていたお小言が脳内に聞こえる。またしても貴重な海草を駄目にした事から心の半分は気落ちしながらも、残った半分は当たり前のように苦言を呈し真っ向からシエナのやり方に意見するエイダに、形容しがたい頼もしさや力強い何かを覚え、先程までの息苦しさが少し楽になった気がした。
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