第17話



 「だから、これでもまだマシな方なのよ。最初はすぐに小屋を使いたいから台所も買い取った時の使い物にならない半壊のままで良いって言うし、作業台と床と窓枠さえ頑丈にして雨風が入っていないなら構わないって譲らないのを改装と補修を一日だけ延長して今の状態にまでしたんだから」

 「とは言ったって、平民でも流石にテーブル位は使うだろう?」

 「エイダさん!このソファとサイドテーブルですらシエナに黙って最近持ち込んだの。それだけでも私を誉めて欲しいわ」


 建前上の名義人は別人だが、実際はシエナの持ち物である土地と建物に無断で物品を持ち込んだ事に、胸を張り声高らかに自慢するアメリを見るエイダの顔は、まだまだ不満そうだ。


 「なんだい筆頭様にまでなると食事を取らなくても生きていけるのかい?それとも地べたで食べるのが今の貴族の中で流行っているとでも言うのかね?」

 「まあ…確かにシエナとネヴィアの二人師弟揃って製薬や実験作業に入ると殆ど寝ないし食べないし、声を掛けても返事が一時間後なんて事も珍しくはないから、あながち間違いとも言えないかもしれないけど…」


 エイダと会話をしながらアメリが隣に視線を移すと、先程手渡した海草と海水で満たされた今までより大きめの瓶を膝に乗せ前を見ているシエナの姿がある。

 その中身を知らぬ者からは、落ち着き払い静かに腰掛けている令嬢に見えるだろう。しかし長い付き合いのアメリから見れば、その無表情も夢心地や心此処に在らずといった風にしか感じず、案の定アメリの呼び掛けの声にハッと現実に戻った様は、目の前のやり取りを眺めていたのもだけで実際には『何も見ていない』という方が正しい。

 まあ大方、これから始める海草の抽出手順のシミュレーションでもしていたのだろうとアメリは呆れ顔でエイダに向き直す。


 「ね?エイダさん、製薬が絡むと大体こうなの」

 「……ああ、何となく分かったよ。長く生きていると、こういった類いの人間も何人か見知っているさ。とりあえずこの契約書に一文足す事にしようかね」

 「一文!?何か内容に不備でも見つかりましたか?」

 「不備じゃなくって、不足だらけだ」

 「不足…というと物品?製薬に使う道具は一通り揃えましたが、足りない器具は急ぎ取り寄せる事と致しましょう」


 契約書を手に話すエイダに、普段は絶対に見せない前のめりの姿勢と早口で返したシエナが、サッと隣のアメリへ『特急料金を上乗せするから大至急エイダ様が必要としているものを全て揃えてちょうだい』と新たな依頼をした。


 「ふむ、エイダさんがなら全て揃えていいのね?」


 これ幸いと今まで手を加えていなかった箇所の改修と家具類の搬入もしてしまおうと考え、そういった告げ方をしたアメリにコクコクと頷き商会の名の入った依頼書へと素直に自身のサインを書くシエナ。

 そして、一連の二人のやり取りと流れを不憫そうな目で見ていたエイダの視線に気付いたアメリがパチンッとウインクで応える。


 (なんだか詐欺の片棒を担いだ気分だけど、きっと悪いようにはしないだろう……でも、この筆頭という子はこの見た目とこの中身でよく今まで無事に生きてこれたもんだ……)


 エイダがそんな事を考えていると、台所の方から先程ジェリと呼ばれていた女性がこちらへと歩き近付いて来るのに気付く。


 「副会長、一通り食事の準備は終えましたので買い出しの道すがら私が依頼書を支部へ届けましょうか?」

 「ああ、そうね依頼書自体はまだ、書き足すこともあるから私が持っているわ。代わりにジェイクへはこれを……」


 言いながら、傍らの鞄から新たに取り出した紙を膝の上に乗せ器用に何やらスラスラと書いたアメリは、それを女性に手渡した。


 「頼んだわ。私が支部に戻る頃には必要な依頼品が増えていると思うので、それまでに業務に当たれる人間を何人か多めに集めておくよう伝えておいてね。あ、買い出しで戻ってくるなら荷物も重いでしょうし外に居る商会の馬で行くと良いわ」

 「はい、ありがとうございます!では行って参ります」


 アメリがジェリにメモを手渡している側では、普段どうやって原液を抽出作業をしているのか見てみたいと言い出したエイダとシエナが立ち上がり移動を始めていた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 「さて、こっちも海草が使い物になる内に動くとするかね」


 アメリとジェリのやり取りを横目に、よっこらせと己への掛け声を発しながら重い腰を上げるエイダがゆっくりと立ち、その視線でシエナを促す。


 「必要な物も揃っておりませんが、宜しいのでしょうか?」

 「いいんだよ。取り敢えずはお前さんが普段どんな手順で海草を扱っているのか見ない事には始まらない。私が動くのはそれからさ」


 どうやら馬鹿真面目に商会から届くを腰掛けたまま大人しく待つつもりでいたらしいシエナは、それが実験とはなんら関係ない家具等だとは少しも察していない顔でエイダを見上げ尋ねた。

 表情は差程変わらないが、その薄紫の瞳からシエナの困惑加減は読み取れたため、やれやれとひとつ息をきながら言うエイダは、小屋に一歩入って直ぐに目に付いた壁へと作り付けられている異様な存在感を醸し出す作業台へと足を向け歩きながら、まず目に映るのは分厚くしっかりとした作業台、そして次に視線をやったのは作業台にくっつくように作られた天井まで伸びる戸棚。

 こちらも作業台と同じく壁と一体化しているように見える上に、観音開きのガラス扉まで付いている。ここまで大きなガラスの嵌められた棚など、平民の身分ではそうそうお目に掛かる事など無いことから思わず視線が留まったエイダは、中に納められている瓶や器具と冊数こそ少ないものの、幾つかある書物類もかなり高価らしい事がガラス越しのこの一瞬だけでも十分伝わった。


 (辺鄙へんぴな村の丘に建つ寂れた外観の小屋にあるなんて到底思えない設備だ。私なんかを態々わざわざ呼び寄せなくても、それこそ他国の高尚な学者でも招いた方が有益だったんじゃないかね……)


 エイダが自宅を出発してから、何度目になるか分からない溜め息を吐き自分が招かれた事に懸念を抱きながら、ガラス戸棚の真ん中にある金属製の丸く小さい板を横にスライドさせるシエナの指先を眺めていると、そこに現れた鍵穴へ鍵を差し込み一瞬だけ動きを止めてか鍵を回したシエナの動きに、シエナの魔力と鍵が揃わないと開かない仕様の鍵穴だと気付いたエイダは、ぐるっと室内を見回す。


 (この古小屋の中はどれだけのお金と労力が掛けられているのか見当すらつかないよ。しかし…)


 一見地味に見えるが相当な金額と手間の掛けられている作業スペースと、自身の背後にあるソファーを見比べて、目の前で抽出に必要な器具を手早く並べるシエナに視線を戻し半ば呆れた顔で見つめる。


 「エイダ様、準備が調いました」

 「じゃあ、私はここで見ているから普段通りやってみな」

 「はい」


 返事をした後は、口を開くこともなくただ淡々と作業に没頭するシエナの姿と同じく、エイダの方も言葉を発するどころか、邪魔にならぬよう一歩引いてじっと見つめるのみだった。




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