第16話
「それで?大金を出してまでこんな所に老いぼれを呼び寄せた理由は何だい?初め赤髪の娘は、催淫剤について聞きたがっている薬師がいるって事しか言わなくてね。商会主ほど腹を割って話さなかったから胡散臭くて断ったんだよ。そしたら、二日程してまた来た時に依頼相手が宮廷の筆頭魔導薬師様だって言うじゃないか」
目の前に座るシエナを値踏みするように上から下まで見てから話を続けるエイダ。
「私達平民からすると、雲の上の別世界にいる相手に迂闊な事を言って首でも切られちゃ堪らないからって、もう一度断ろうと思ったんだけどね……」
「もしかしてエイダ様が来てくださったのは私の祖母がウィステリアだから、という理由でしょうか?」
「ああ、そうかもね。クラークという姓にもしかしてと少し期待した部分はある。……私としたことが、娘時分に懐かしさを感じるなんて年を取りすぎたね」
そう言うと、しんみりしかけた自身の言葉をカラカラと笑い飛ばしシエナを見つめ直す。
「でも、それだけが理由じゃない。催淫剤はね、いとも簡単に他人の命を奪える危険な物だ。だから仕込みも取り扱いも数年掛けて後継ぎ一人だけに直接伝えるんだ」
「ええ、承知しております。その為エイダ様からの原液のご購入も商会側と特殊契約を交わしたことも存じております」
しっかりと自身の目を見据え答えるシエナに、厳しく吊り上げていた目尻を緩めこそしたエイダだったが、尚も伺うように質問をする。
「即効性の毒なんて王宮には他にも出来の良いのがゴロゴロあるだろうから、あんな非効率な輸送をしてまで手に入れる事もないだろうし、知りたいのは淫剤の作用の方かい?だとしたら王家には大層な色狂いでもいるのかね?」
「え?……いえ」
人生で初めて耳にした言葉に一瞬思考が止まり掛け『いろ…ぐるい?』と思ったが、表情には出さず気を取り直し話を続ける。
「今回の依頼も今まで取り寄せていた海草の原液も宮廷の仕事とは関係なく私個人としてのものです」
「………」
この程度の説明では、まだまだ納得など出来ないといった風な視線と圧を漂わせ、目の前のワゴンからマドレーヌをひとつ手に取り口に放り込んでもぐもぐと口を動かし
「体内に広がった魔物の瘴気を消すための薬を研究中でして、エイダ様のお作りになった原液は様々な素材の中で今のところ最良の結果を出しているのです」
「もぐもぐ……ふん!そんな有用な薬なら、尚のこと宮廷薬師様として国主導で行うもんじゃないのかい?」
用意された言葉だと見透かすようなエイダの返しに、観念したというよりは『教えを求める者の礼儀として事実を言わねば』という気持ちが芽生えてきたシエナは、砂山の砂を端から少しずつ
それを聞いているエイダの方は頷くことも相槌をうつ様子すら見せないままじっと聞き入っていたが、やがてシエナが一通り話し終えると、固まった身体を解すようにエイダが大きく深呼吸をした。
「つまりは王女様の身勝手で瘴気に曝されて、その結果お前さんを守ったお師匠さんが死にそうなんだね」
「はい」
「個人で研究をしているのは王家が信用ならないからかい?」
「……ええ、そうです」
「そうかい」
宮廷所属で直接王に仕えているといっても過言ではない筆頭の立場として、不敬この上ない発言も気に留める風もなく返事を返しながら何かを考える仕草をしているエイダの姿を、話し疲れたのか不思議な心地でボーッと眺めるシエナ。
師匠であるネヴィアと離れてから余り長い言葉を発する機会もなかったし、宮廷内であの事を話す貴族も当然ながらいない。
皆、国王が発信した言葉だけを唯一の事実として過ごしており、大怪我を負った者達も見舞金という口止め料と威圧で全てを忘れるようにして生きている。
かなりの『やらかし』だった事件にも関わらず、当の王女は一ヶ月程度の謹慎のみで特段叱られる事もなかったようだし、謹慎そのものが形ばかりで、学園への登校を止められたのと気に入っている騎士を謹慎中は取り上げられるといった軽微なものだったと後日知った。
きっと反省を促す為などではなく、多くの怪我人の回復を待ちつつ同時に事件の沈静化を進める間の保護目的だったのだろう。
何故なら、謹慎明けから今現在に至るまで『王宮の我儘姫』の異名は健在なのだから。
「当面の仕事は孫娘に任せてきたとはいえ、孫も独り立ちには早いし私しかこなせない仕事もあるから、長い事ここに居るわけにはいかないよ。まあ、せいぜい三、四日ってところかね。それで叩き込めるだけ叩き込むから覚悟しておきなよ」
「………っ…え?」
「なんだい?その顔は?足りないってのかい?宮廷の筆頭薬師さんなら十分だろう?」
「あ、……は……い」
王家に隠れるように行う研究の片棒なんて断られる可能しかないと半ば諦めを滲ませ目を伏せていたシエナが、エイダの一言で予想外に隙のある驚いた表情を見せたのが面白く、目尻の皺を深くさせ
自分が笑われているのは分かるものの、何故笑われているのか思い当たらないシエナだったが、不思議と嫌な気分はなく居心地は良かった。
そこからは、昼過ぎに届く予定の海草を待ちながら日常的な会話も幾つかする中で、手元に置かれたままの黒々と混沌を湛える得体の知れないお茶がシエナの師匠であるネヴィア愛飲の物と知ったエイダは、興味心からままよと一気にカップを傾け全てを飲み干すと意外だとでも言うように、空になったカップをしげしげと見つめた。
「へえ、なかなか口当たりが良いじゃないか。しかも頭もスッキリするように感じるし、お茶らしくないスースーする匂いと黒い見た目さえ気にしなけりゃ飲めない事もないさね。これ、門外不出とかかい?」
「いいえ、二代前の薬師筆頭が作ったレシピで商会主達も知っているものですから、良ければ後でお教えします」
「そりゃ有難い、私の住む地域は暑い日が多いからね冷やして飲んでみたいね。しかし聞いてると、お前さんと商会の兄妹は相当親しいようだけど……。ああ、悪いけどもう一杯もらえるかい?」
言い掛けたものの初対面でこれ以上人間関係の詮索は良くないと言葉を区切り、持ったままのカップをシエナへと軽く差し出したタイミングで遠くから馬の蹄の音が聞こえてくるのに気付く。
「商会からの配達人でしょう」
「海草だね?」
「はい、海岸から直接届けられる海草です。いつもなら原液も一緒に届くのですが、今回原液はエイダ様がこちらで作って下さる可能性もありましたし、何より作り手のエイダ様は馬車で移動中でしたので海草だけを頼みました」
「これで、私がお前さんを気に入らないってなって、とんぼ返りでもしてたら一体どうするつもりだったんだい?」
「その時はその時に考え動くしかありません。実際は今回の依頼全てに快諾の署名を頂けて大変感謝しております」
「こういう時は、素直にありがとうって言っときゃ良いんだよ!その代わり、当初の報酬に更に上乗せしてもらうから覚悟しときな」
空白の報酬金額欄をトントンと指で示しながら笑うエイダの表情は、今まで自身の周囲では目にする事がなかった清々しさや逞しさを感じるもので、シエナは不思議な面持ちでエイダを見つめていると、ノックや呼び掛けもなく玄関扉が開いたのにハッと我にかえり自然と二人でそちらへ振り返った。
「途中でジェリを見掛けたから一緒に乗っけて来たわ」
至極当然といった仕草で扉を開け、言いながら小屋へ入ってきた白アメリは朝に馬車から降りた時とは違って白いシャツと、胸下まであるカーキ色のパンツスタイルに着替えていた。その後に続くように歩く小柄な女性の姿がある。
いや、この場合はアメリの方が女性にしては背丈が高いだけで、その対比として女性が更に小さく見えているだけかもしれない。
ジェリと呼ばれた二十代半ばに見える女性は、シエナ達の方にペコリと頭を下げると、慣れたようにサッと台所へ行き姿こそ
「あんた、商会の仕事があるんじゃなかったのかい?」
「必要な書類には目を通してきたし、指示書も出してきたから日が暮れるまではここにいるつもりよ。あ、あと『コレ』必要でしょ?」
斜め掛けにしていた鞄から布包みを出しシエナに手渡しすと、その隣に腰掛け鞄を下ろし寛ぎだす。
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