第15話


 ソファーへと腰を下ろしたエイダを見届けると、急ぎ足で台所に向かったシエナは、素朴な木製ワゴンの上にティーポットと二人分のカップ、事前に王都の有名菓子店で予約まで取り付け昨夕の内に購入しておいたタルトやマドレーヌ、クッキーといった焼き菓子を隙間も見えない程、ぎゅうぎゅうに詰め乗せ始めた。


 一方ソファーに着席したばかりのエイダは古い平屋造りの室内を見回してから、衝立ついたて一枚のみで隔てられている台所らしき場所から立ち上る湯気を眺める。

 玄関先で初めて会ったばかりのシエナの表情からは、変化を読み取る事は出来なかったが、自信満々といった口調で菓子と茶の用意をしてあると言っていた通り、何かしらは用意してあるのだろう。

 しかし台所を発信源として室内へ漂う香りは、貴族が来客へ出す紅茶とは明らかに違っており異質さに眉をひそめる感じたエイダだが、自身を呼び出した相手は王宮の魔導薬師だったなと思い出す。



 (この小屋で何かしらの薬でも作っているのかね……)




 カラカラカラ………



 シエナが台所に向かってから、そう待つことなく衝立ついたての影から木製のワゴンの先端が現れると、敷き詰めるように置かれた菓子が揺れで落ちないよう、慎重に慎重にワゴンを押し歩くシエナの姿が見えてきた。

 やがてワゴンがエイダの前に着き止まると、ハンドルから離した手をティーポットの取っ手へと移し、ニ客分のカップを茶で満たしエイダの脇にある小さなサイドテーブルに静かに置く。


 「……この小屋にはテーブルは無いのかい?」


 目の前の菓子がてんこ盛りになっているワゴンと眺め、驚いた口調で尋ねるエイダの質問の意図が分からずワゴンを見る。


 「?……はい、必要でしたら手配致しましょうか?」

 「必要とか以前に……いや……はぁ……。まあ、この話は後回しにするとして、とりあえずお前さんも座りな」


 目を閉じ額に手を当て溜め息を吐きながら言うエイダの言葉を受け、サイドテーブルを挟み右隣に置かれたソファーへそっと腰を下ろしたシエナはエイダの方を向いて背筋を伸ばした。


 「改めまして、エイダ様には遠いこの地までご足労頂いたこと心より感謝しております」


 頭を下げ数秒そうした後、ゆっくり顔を上げ向き直ったシエナの顔を正面から見つめたエイダは、一瞬だけ見入るように凝視してハッとした。シエナから視線を外し自身の行いを誤魔化しながら脇に置かれたカップに手を伸ばす。


 「ほんと遠いったらありゃしない。ここに着くまで十日近く掛かったよ」

 「都度、宿に宿泊して頂くゆったりとした形の日程でお越し頂く予定だと事前に耳にしております」

 「若けりゃ一足飛びに来れるんだろうがね、あの赤毛の娘が年寄りに無理はさせられないって通常の倍の日にちが充てられたんっ………?!っな、なんだい?これは?!!」


 話しを進める傍らカップ内へチラッと視線を下げたエイダの目に、黒い液体が揺れ動くのが映って口に運ぶ寸前のところで動きを止め叫んだ。


 「あ、あんた!私を殺す気かい?!色ばかりか匂いもおかしいじゃないか!」


 カップを持つ手を恐々こわごわとしたものに変えたエイダはシエナへ黒い液体を差し出す。


 「いえ、これはエイダ様の為に夜明けを待って摘んできた薬草を煎じた物なので是非飲んで下さい。それに、私これ以外のお茶の作り方も知りませんし……」


 目の前のシエナは口調こそ『困ったわ』といった様子だが特段表情の変化を感じさせないままでエイダを見つめていた。


 「お茶の淹れ方を知らない?」

 「……?ええ、知りません」


 貴族令嬢ならば、実際に自ら淹れる事は無くとも貴族学園や家庭教師にマナーの一環として当然習うはずの知識を知らないと言うシエナに目を見張るエイダ。

 しかも『淹れ方』ではなく『作り方』と言い出した事から、エイダとシエナの認識の違いは相当なものだと、手元の黒い液体に視線を戻し呟くように言葉がこぼれだす。


 「髪色や瞳の色はウィステリア様と生き写しなのに、こうまで社交に無知だとは……」


 十年振りに耳にした『ウィステリア』という名前に驚き瞬きするのも忘れエイダを見つめるシエナと、うっかり出てしまった自身の言葉に居心地の悪そうな顔でカップから視線を動かすことの無いエイダ。


 「お祖母様と交流が?」

 「いや、三度ばかしウィステリア様主催の茶会にお呼ばれされた位のもので、交流って程じゃない。ウィステリア様は四つも上の上級生だったから学園も先にご卒業されたし、私の方も卒業する前に南部の娼館に行く事になったからね……」


 事前にエイダが東部の子爵家出身で、娼館勤めを経て現在の暮らしをしていることは聞いてはいたが、まさか自身の祖母を知っているとは思いもよらなかった。


 「………ウィステリア様は御変わりないかい?」


 伺う内容とは違って、エイダの声は答えを知っているように静なものだった。


 「十年ほど前、私が八つの時に他界されました…」

 「そうかい……まあ、そうだろうね……。ウィステリア様が御健勝なら孫娘のお前さんが、こうまでポンコツなはずも無い」


 一瞬見せた寂しそうな顔を払拭するように、ニヤっといたずらっ子のような顔を見せ笑ったエイダは仕切り直しとばかりに話を進め始めた。




 ◇ ◇ ◇ ◇



 

 王国東部にある田舎貴族。王都貴族程の贅沢は出来ないものの、領地もありそれなりに蓄えもある子爵家の五人姉兄妹の下から二番目に生まれ、他の姉や兄と末娘の妹の中で埋もれるように過ごしてきたエイダは、聡明で勉学にも長けていたが貴族学園卒業を一年後に控えていた夏に突然実家の馬車が迎えに来た。

 長期の休みでもない時期に、実家からは事前の知らせもない中で、迎えだという見慣れた馬車に乗ったエイダが連れていかれたのは、今まで訪れた事も耳にしたこともない南部の海岸沿いの宿だった。

 意味も分からないまま貴族御用達らしい宿の一室で待っていたメイドから渡されたのは、子爵家の者が使っている見慣れた封筒。そこには跡取りである兄が出した負債の返済の為にエイダが売られたという、内容だけを簡潔に記した父直筆の紙が一枚だけ収められているものだった。

 馬車が走り出してからの道すがら、何度も御者に疑問を投げ掛けても『自分は隣の領地で待つ馬車の前へお連れするようにとしか伺っておりません』の一点張りだった事から、嫌な予感はあったが、最低でも年寄りとの見合い程度だろうと腹を括ってた。

 まさか、学生の身で下位とはいえ貴族である実の娘を娼館に売り飛ばすなどとは頭の隅にすらなく、震える指先が冷たく白くなって感覚すら無くなっていくようで、現実味を帯びることもないまま翌朝には飾り立てられ娼館へと連れて行かれる事になる。


 幾つかある娼館規則を守った上で大金を持っている者だけが利用出来る公営娼館だけあり、エイダの視界の端に入った自身と引き換える形で渡された買い付け証の金額は、それなりに高額だった。

 とはいえ、王都に住む高位貴族のドレスニ、三着分程度であろう。



 それから七年弱の月日が流れ、当時娼婦達の診察と催淫剤の卸売りを請け負っていた出入りの薬師がエイダの魔力量や性質に気付き、身請けを提案されたのが二十代半ば。

 見受け代金は後日自身で催淫剤を作り、働いて返すように言われての身請け契約だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る