第10話
古い石に囲まれた廊下では、三ヶ月前に卒業したはずの騎士科に戻った感覚が呼び覚まされるような、規律違反時の罰にも似た姿勢で新人騎士達が石壁沿いに背中を付け並び立っていた。
背後の壁を隔てた向こうでは何が起こっているのか、耳を
首だけを動かし何とか見えた扉の前では、扉に手を添え連れていかれた同僚を見つめる二人の魔法師がいたが、その顔は先程の青白さなど通り越し色などで表せない程に酷い。
「お、王女様!何をなされるのですか!?お返し下さい!」
一際大きく響いた魔法師の声に、思わずトーマスが扉へ向かい一歩踏み出すと、両脇に立つ同期の騎士仲間二人が無言のまま慌てて腕を出し、それ以上動くのを制止した。
この同期二人は、王都から遠い地方の伯爵家三男という出自で宮廷内の事情に敏感ではないトーマスとは違い、同じ三男でも王都で育った侯爵家の出だ。
自宅に帰れば宮廷に出入りする機会も多い父母や兄姉から、幼い王女が関わる傍若無人な普段の行いは自然と耳に入ってくる。
『生まれた時に付けられた十二人の高位貴族出身の侍女や侍女見習いが、現在の王女宮には二人しか残っていない。首になった十人は物資も乏しく気候も厳しい極寒の修道院に閉じ込められている』
『王宮専属の料理長が当時四歳であった王女の好物であった果実を出した所、切り分け方が小さく気に入らないという理由で王都から永久追放され、今は海軍の調理場で働いているらしい』
見た目は愛らしく天使のような容姿であっても中身は悪魔顔負けだと、実際宮廷内部に関わる者は皆心に刻み行動している。
このラジアド王国は大変平和な国であり、公務や執務を滞りなく行う勤勉ささえあれば王として不具合いは無い。賢王でなくとも良いのだ。
そんな勤勉さだけが取り柄の王が、一目で心酔し現在も溺愛する王妃から生まれた第一子の王子と第二子である王女マーゴットは、王妃そっくりの顔立ちと、王族に多く見られる髪色を持っていた事から大変可愛がられ、王である父から許す限りの我欲と本能だけを突き通し生きてきた。
許す限り…とはいうが、王がこれまで自身の子供達に対し許容しなかった事柄など一切ない。
兄である王子の我儘も常人から見れば、なかなかの異常さはあったがマーゴット王女は『王女=危険』と宮廷人が連想してしまうくらいの頻度と荒々しさだった為、王子の方は妹マーゴットの影にそれとなく隠れていた。
まだ、斬首等の直接的な死を迎えた者はいないようだが、それも王女の年齢が上がるに従いどうなるか分からないと、そこかしこで危惧されているという。
家族から聞かされてきた、社交界デビューすらしていない少女とは到底思えない不名誉な逸話の数々が、誇張無しの事実でしかないと再認識し、トーマスを制止する二人は自分等を困惑の表情で見つめるトーマスに小声で囁く。
「トーマス、我慢しろ動いた事が分かったら王女が暴れ狂うかもしれない」
「機嫌の度合いによってはお前の家くらいなら取り潰されてしまう。実際そのような地方の家門は今までも幾つかあるらしい」
仲間である二人の心配そうな囁き声に『まさか』という疑念より『あり得る』という気持ちの方がしっくりくるのは、宮園やここまでの道すがらの行動と、さも当たり前のようにマーゴット王女が口にしていた言葉が浮かんだから。
『あの小娘達はメソメソと面倒だから置いていくわ』
『首を切られたいの?さっさとスピードを上げて!』
『風に吹かれた程度で怪我をする役立たずの
『私の通路妨害をする者はこの国に不要ね』
学生時代も騎士科とはいえ周囲は貴族令息ばかり、歩く毎行動する毎に声を張り上げ威嚇する事が日常になっている人間を、連行される罪人以外では初めて目の当たりにした。
しかも相手は罪人と違い王族という立場なため、散々注意を払い続け疲れていたトーマスは、両隣の二人を見て目を閉じ再び響いてくる魔法師の不安げな声を聞き続けた。
シャリン!シャリン!
暫くすると、駆け回るマーゴット王女を何故か追いかけているらしい魔法師の二つの足音に混じり、軽い金属音が小さく聞こえてきた事で、何だか分からない嫌な予感がし、
「もう
「し、しかし!」
「何?」
「そ、それを…「は?それ?それって何?」……」
怒鳴り慣れたマーゴット王女の威勢とは真反対で、覇気のない小さな魔法師の声は押し潰されるように消え入った。
その直後、廊下側へと突き飛ばされたらしく扉から頭だけを廊下側に出す形で倒れてきた貧弱な魔法師の痛々しい姿が目に入り、流石に動いても良いのではないかと言葉もないまま顔を見合わせたトーマス達は、マーゴット王女に気付かれないよう音を立てず素早く動くと、扉に半身を隠しながら室内を窺う。
それと同じくして、室内からのガチャリという解錠音を打ち消すように遠くから複数のバタバタとした足音が聞こえてきた。
魔導薬師筆頭のネヴィアを先頭に、遅れて王女付きの乳母や侍女、他にも騎士団棟付近に偶々居合わせたと思われる宮廷勤めの貴族数名も王女が居ると知り何事かと駆けつけたが、到着した者は誰一人として廊下と室内への境界から足を動かす事も声を発する事も出来ず、全員が想像とは違った光景に自身の目を疑い息を飲んだ。
壁に埋め込まれるように造り付けられている照明のひとつだけが灯され、ユラユラと室内中央に置かれた檻車を照らす。
その鉄格子の扉を開き手を掛けたままの体勢で、固まったように動けないでいるマーゴット王女の前では、徐々に手から離れる形で更に大きく開いていく冷たい格子扉。
誰が触れているわけでもないそれは、檻車内からの圧によってキィィィ…と金属音を立てながら開ききった。
その音にハッと我に返ったマーゴット王女は、背後の出口に向かい走り出すが、恐怖で震える手足は言うことを聞かず過度な装飾のドレスも走るのには不向きとあって、シエナの横を過ぎた直後に足が
固い地面に手を付いたマーゴット王女の耳に、何かが這いずる気味の悪い音が聞こえ、一際大きくドクン!と心臓が跳ね上がり恐る恐るゆっくりと顔を向ける。
いや、顔など向けずとも音の正体などひとつしかないのは分かりきってはいたーーー。
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