第9話


 シエナのいる位置から数メートルしか距離のない目と鼻の先では、ある意味魔獣よりも厄介そうな王女の出現で、今まで黙々と行われていた作業が騒々しいやり取りに変わっていた。


 呼び止められたまま待ってはいるものの、その後は何の声掛けもなく棒立ちでいるシエナは、王族であるマーゴットの許可が無いまま立ち去れば、多分それなりに面倒な事になるのだろうと考え溜め息をいた。

 とはいえ他にやれる事もないとあって、至極当然のように薬師棟に戻ったら取り掛かる予定の製薬手順を頭の中で反芻し始める。


 (あの工程、もう少し効率的になりそうなんだけど…。でもそうすると口にするのも恐ろしい程の蘞味えぐみをどう…)


 深くかぶるフードの影に隠れ鼻から上は見えはしないが、細い顎と小さく固く結ばれた薄い唇は繊細で理知的さを感じ、端からはうつむき落ち着き払っているように見えるだろう。

 置物のように微動だにしないシエナとは相反し、今も修練場の上部からは風が吹く度に、ガラグラと乾いた音を伴い落ちてくる大小の瓦礫が地面を打ち付け、収まり掛けた粉塵を再び舞い上げてはシエナのローブにも細かい砂や小石が当たる。

 非常時といえる中にも関わらず、目線はやや下を虚ろに見据え集中するシエナの半開きな薄紫の目は、フードの影に隠れ周囲の物を何も映さず物思いに耽り続けていた。


 ボーッと脳内で製薬作業をするシエナの僅か先では、マーゴット王女による騎士と魔法師達への意図の読めない質問攻撃や、邪魔としか言い様のない謎行動をどうにか回避しながら、魔獣の体躯を檻車に収める事に成功し、ここから一番近い騎士団棟の空き室に向け檻車を移動させようと新人騎士達が動く準備を始めた。

 すると当然といった顔で檻車の横を陣取り、騎士団棟へ付いて行こうと歩くマーゴット王女に新人騎士のトーマスが必死の形相で阻止しようとすると、再びぎゃあぎゃあわーわー騒ぎ大声を上げ抵抗し始めたマーゴット王女。


 初めて対面した見た目は可憐で妖精のような少女が、あの有名な(?)『わがまま姫』とあって、自ら近付くのも怖がりビクビク身震いしながら騎士に次の指示を伝える魔法師三人と、どうして同期のトーマスが王女と共に行動しているのかという混乱の中、魔法師の指示通り手を動かし続ける新人騎士三人。


 依然シエナは全く知らない他人の集団には目もくれないまま、先程とは異なる薬の手順を考え呆けている。

 そんな無防備ともいえるところに、やっと王女からの声が再び掛かり一気に意識が現実へと引き戻された……。しかし、それはシエナが当たり前に待っていた解放の声ではなく、更なる拘束への声掛けでしかなかった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 頭を垂れ苦渋の表情を浮かべながら檻車を囲み移動させる騎士達と魔法師達。その様子から、どうやらシエナが脳内で製薬作業をしている間、ここにいる臣下全員へ脅しにしかとれない言葉を重ねに重ね黙らせ我欲を叶えたらしいマーゴット王女。

 何故顔を合わせた覚えすらない自分が王女に呼び止められ、尚且つ同行しているのか疑問を感じてはいるものの、表情筋が活発に動かないタイプのシエナは無機質な表情を維持したまま、一同から離れた後ろを歩く。



 (師匠待っているだろうな…早く帰りたい…)



 脇に抱えた薬草園で調達してきた草を入れた鞄に触れ、それを待つ師匠の顔を思い浮かべながら歩いていると、いつの間にか騎士団棟最奥に位置する扉の前まで来ていた。


 到着するやいなや、三人の新人騎士が長く開いてもいないらしい重そうな鈍い金属音を響かせる鉄扉を左と右に力一杯大きく開き、今尚薬で眠っている魔獣を檻車ごと中へと運び込んだ。

 専門外であるシエナの薄く遠い記憶だと、後処理の関係もあるため本来なら魔法師棟へ運ばねばならない筈だが、恐らくマーゴット王女が来て騒いだ事により、適切な指示を下せる者が居ない事から一番近いここへ運ぶに至ったのだろう。


 従来決められている保管場所は違うものの、どうにか滞りなく手順通りに作業を終えた一同は、安堵の表情を見せ誰からともなく小さく息が零れた。

 やっと手が空いたとあって、騎士の一人は本殿の詰所にいる上官の一人に修練場の災害を報告するべく、この場を後にした。

 その走り去る同期の後ろ姿を見届けてから、トーマスはマーゴット王女へと御伺いを立てる。


 「おう……いえ、姫様。そろそろ本殿へとお戻りになられては如何でしょう?騎士団棟の表の出入口からですと、本殿まで馬車の走行が容易に出来る広い道も御座います」


 裏手の出入口側から入り、この最奥の場所まで騎士団長の許可も得ていない状況で我儘を突き通して足を踏み入れた現在、元々目指していた最終到着目標の修練場へと続く通路には、瓦礫が高く積み重なっており辿り着くなど不可能だ。

 宮園に馬車が突っ込んできてから時間にして、一時間も経っていない。それでも意味も分からないまま振り回されたトーマスは疲れきっていたし、配属二週間の新人騎士としては、やりきったといっても良いのではないだろうか。


 (流石にこれ以上の要望はないだろう)


 肉体の疲労は全く無いのに反し、気持ちの疲労感は極限だった故に自然と口から出てしまった提案だったが、言われたマーゴット王女にとっては全く意に沿わない言葉だったようで。

 ピクリと反応し吊り上げた目でトーマスを一瞥してから、その背後で魔獣の眠る部屋への扉を閉じ終え施錠に取りかかっている二人の新人騎士達へ施錠を止めるよう告げた。


 「お前達騎士はその壁に背中を付けて立っていなさい。私が良いって言うまでは少しだって動く事は許さないから」


 扉の左側に続く廊下の石壁に沿い、トーマスと同期の新人騎士達の計三人を並べ立たせたマーゴット王女の、次から次に出る乱暴な物言いと荒々しい様子に、若い魔法師三人は普段から青白い顔を更に青くし身を寄せて関わらないよう小さくなっていた。しかし…。



 「そこの魔法師!お前と薬師は私に付いて来るのよ」



 次に言い放った言葉と共に、怯える三人の中で右端に立つ魔法師を顎で指すと、返答も待たず扉の方へと歩き始めたマーゴット王女。

 この場にいる者全員が、拒否権など持ち合わせてしている筈もなく、扉から離れた場所にいたシエナが早足で王女の後を追い入室すると、魔法師も慌てたようにそれに続いた。


 一歩足を踏み入れただけでも廊下より随分ひんやりと寒く感じる室内は、奥から聞こえる魔獣の寝息ともうめきとも区別のつかない低い音と、それによる振動だけが伝わる暗闇に埋め尽くされた空間だった。

 廊下は上部に幾つか小窓があった事から、明るくはないものの移動だけなら支障は無かったが、この部屋に窓は無いらしい。


 「何を突っ立っているの?何も見えないじゃない!」


 廊下から入ってくる縦長の微かな外光が照らす、そのギリギリの場所で立ち止まったマーゴット王女が発する、少女特有ともいえる甲高い声が反響し室内で幾重にも重なり響く。

 一瞬遅れハッと自身に向けての言葉だと気付いた魔法師は、先程魔獣の搬入が終わり仕舞ったばかりの小さな魔導具を再度ローブ内の懐から出し、あたふたしながら微量の魔力を通した。


 三人の魔法師がいたにも関わらず、自身が指名された理由も分からないまま恐る恐る王女の後ろに付いてきた魔法師は、呼ばれた理由が魔導具での明かり取りだと分かりホッとした。

 しかし実際は、呼ばれた理由がもうひとつあった事に、この後の暴挙で直ぐに気付くのである。




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