第7話


 当時シエナは、修練場近くにある魔導薬師専用の薬草園から薬師棟に戻る所だった。目の前に建つ石造りで三階まである騎士団棟を通り過ぎてしまえば、やがてシエナの所属する薬師棟が見えてくる……そんな時『それ』は起こった。



 天から地面全体を押さえつける空気の圧か発生し、辺り一面が沈んだようで不穏なズンッ!という鈍い音をたてた。

 体にのし掛かる経験した事のない重さに、転びそうになりながらも辛うじて体勢を立て直そうと顔を上げた直後、強風と共に更なる未体験の轟音と揺れが起こり、シエナの側面に長く続いている連絡通路の屋根の上に黒い『何か』が落ちてきた。

 一瞬だけ視界の端によぎった『何か』だったが、二階の渡り廊下も兼ねている堅牢な屋根を瞬時に崩落させた衝撃は凄まじく、小石や粉塵を巻き上げ辺り一帯を闇で包みシエナの視界をさえぎってしまう。

 実験中の軽微な破裂や爆発の危険から身を守れる特別仕様のローブを纏っていた事で、とっさに被ったフードの隙間からある程度の事態を見れたシエナでも、暗い中で絶え間なく小石がつかってくるとあっては地面にうずくまり耐えるしか成す術はなく、ひたすら時間が過ぎるのを待つのみ。



 どれくらいの時間をそうして耐えていたのだろう、しばらくすると連絡通路の騎士団棟側から、幾人かのバタバタと急ぐ足音と、ゴロンゴロン…ガランガラン…という重い金属音が近付いて来るのが聞こえ、その方向へとゆっくり顔を上げた。

 まだ粉塵の収まりきらない中に薄っら見えてきたのは、魔法師団のローブを纏っている三人の男性と、その後ろから徐々に現れた檻車かんしゃの姿だった。

 よくよく目を凝らしてみると、檻車の前に一人と背後に二人の近衛騎士がおり、見るからに重そうな檻車を三人で押し曳きしていのがわかる。


 (魔法師団と檻車…)


 魔導薬師と同類ともいえる、実験や研究を好む引きこもり気質の魔法師団が車輪の付いた鋼のおりと並び歩く事案など一つしか思い浮かばない。

 自国を含む周辺国の都市部に年一体の確率で『飛来』という名の落下をする魔獣の処理は、特殊魔法を魔導具へと注ぎながら魔獣から出る瘴気を押さえ込んで行う必要があるため魔法師団の管轄である。

 どうやら宮廷敷地内の瘴気異常の信号をとらえた魔法師団員が、魔法師団棟に隣接する近衛騎士団の団員に魔獣用の檻車を曳かせ、共に飛来地現場である『ここ』に駆けつけたのだろう。

 基本的に魔法師が貧弱揃いなのは周知の事実で、全力で押しても檻車などびくともさせられない。



 (双方ご苦労ね……)



 初めて出会でくわした魔法師団の魔獣処理の仕事が進むのをフードの隙間から様子見しながら二、三分待つと僅かながらに風が弱まったのを感じた。

 この位の小石や風なら今着ているローブでも十分身を守れると判断し静かに立ち上がり、再び元の進行方向へ踵を返そうとするシエナ。


 しかし、遠くからそれを呼び止める声がした。



 「そこの薬師!」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 馬車の小窓越しに散々喚き散らしたのち、舞っていた物が小石等の見るからに危なげな物が多少減り粉塵程度になったのと、新人騎士と王女という差のありすぎる力関係故、これ以上は閉じ込めておけなくなった結果、外に出る事が出来たマーゴットはこの上なく上機嫌だった。


 「姫様、先程も申し上げましたが安全確認が済むまでは、決して馬車の周囲から離れてしまわないよう…」

 「もう!何回も言われなくったって分かっているわよ」


 扉の前に外れた車輪が引っ掛かっていたのをトーマスが体重を乗せ、どうにか退け終えると、待ちきれなかったマーゴット王女は扉の向こうにトーマスがいるのにも関わらず、無遠慮に扉を押し開けた。

 その様子に不安しかないトーマスは思わず、ついさっき小窓越しに念押しした『扉を開きはするが暫く馬車から離れないで欲しい』の言葉を再度口にしたが、強くは発せられない進言はマーゴット王女の投げやりな言葉に遮られた。


 『実際これだけ砂が舞っている外に出てしまえば、耐えられなくなり直ぐに馬車内に戻るかもしれない』


 扉から顔を出すマーゴット王女を見つめながら、まだその可能性もあるだろうと考えていたトーマスだが、視界が僅かに晴れ始めた事で老齢の馭者が近くの地面にうずくまっているのが発見でき、咄嗟に駆け寄って助け起こした。

 新人騎士が自身の前から一瞬離れたのをいい事に、マーゴット王女は粉塵が入らぬように目を細めながらも、舞い上がる砂煙に紛れて歩きだす。

 目指すは二十メール程先にある連絡通路だ。ここよりも色濃く舞う砂煙や粉塵が包み隠すせいで、何が起こっているのかは馬車のある位置からは全く見えなかったが、非日常的な様子に得体の知れない高揚感を覚える。

 国同士が戦争をすることもない現在、後継争いの種すらなく安心安全が保証され国内で一番平和な宮廷敷地内は、マーゴットにとって欠伸が出る程に穏やかで飽きのくるものだった。


 ここに到着するまでに、名も忘れかけた新人騎士に追い付かれないよう足早にズンズン進むと、上がる気分を表すような軽快な歩みが徐々に速度を落としたものへと変わっていき、やがては目的の場所の手前で足を止めた。

 連絡通路を挟んだ向こう側の檻車からそう離れていない位置で、ゆっくりと立ち上がる人物を視界に捉えたマーゴット王女は、不快そうに片眉をピクリと上げ、すっぽりと被ったフードから一束だけ溢れ落ちる眩い薄金の髪に気付き、その頭から足元までを細めた目で追いながら、日頃から自身の脳裏に付きまとっている感情を思い出す。



 『王家に仕え、その施しで生きながらえている貧乏貴族風情の女…』



 現在宮廷内で働く者としては最年少。

 それ故天才令嬢と呼ばれる事も少なくないシエナの事は、同年代の口ののぼりやすい。王女以外の他者を称える内容とあって、マーゴット本人の耳に直接入る事は決してなかったが、学園内で通りがかりに噂話で聞くことなど容易い位には蔓延している話題の一つが『薬師シエナ』だった。

 しかも『正式』なデビュタント年齢である十三歳の昨年に、公国の集まりへ参加したというのは、この国の貴族なら誰もが周知している異例の出来事でもある。

 十年以内でこの国から、十三歳の年に公国に入国出来たのはシエナだけであり、その前はシエナの師であるネヴィアだった…いや現在までこの二人以外は存在しない。

 正式なデビュタントの年の入国という事実だけでも異例であるのに、公国主催の夜会にまで出席したとの知らせは実際の中身や経緯など知らずとも、その事実だけでマーゴットのプライドが許さない憤怒すべき事だった。



 (薬師の色のローブを着て宮廷敷地を歩く金髪の女など一人しかいない)


 止まった足を今度は怒りで動かしたマーゴット王女は、物々しい動きをする魔法師団と近衛騎士達に声を掛けながら近付き、その向こうに見えた金の髪が揺れるのを先程より近くなった距離でしっかりと目に映すと、更にカッと感情が沸騰するのを押さる事もせず大きく声を張り上げる。



 「そこの薬師!」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 遠くから聞こえた声に『この場に薬師など自分しか居ない』そう思い、踏み出そうとした足を止め声の方向へと向き直したシエナは、ここまで乗って来たであろう事が分かる彼方に見える馬車の方からズカズカと此方こちらに目掛け歩いてくる少女に気付き、表情も変えぬまま『何の用だ用だろうか?』と少女が次の動きをしだすのを待った。

 しかし呼び止めたにも関わらず少女はシエナの方は見ず、近くで魔獣の処理をしている手元の作業に気付いた様で、魔法師へとしきりに話し掛けている…というより何やら絡んで作業の邪魔をしているようにしか見えなかった。


 少し遅れて少女の背後から走ってきた近衛騎士が『姫様!姫様!』と呼んでいる声からシエナを呼び止めたのが、この国の王女であるマーゴットなのが分かり、無下に立ち去るわけにいかない億劫さを感じながら次の声掛けを待つ事にした。

 魔獣処理を初めて見たシエナの目からでも、今までひと作業する毎に指差し確認をする様は、辿々しくお世辞にもスピーディーとは言えないまでも着々と進んでいるようだった魔獣処理。

 恐らく最終段階だったそれは王女の登場により、混乱を帯びた慌ただしいものへと変化してしまったようだ。魔法師と近衛騎士等の慌てふためく光景を眺めつつ、シエナは人知れず溜め息をく。



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