第6話



 一方マーゴット王女側の状況はというと、どこからどう見ても仕事の真っ最中で宮園を近道の手段として小走りで『姫様御一行』から離れた道を書類を抱え駆けていた、平民出らしき文官を大声で呼び止め、直訳すると『痛い目に合いたくなければ、今直ぐ此処に馬車を寄越せ』という内容を高圧的に告げ、数分後には叶い宮園のど真ん中に馬車が現れた。


 豪華な宮廷の庭は噴水や茶会に適した東屋が、此処彼処そこかしこに点在し『人が歩く』仕様の造りになっており普段は大きな音など聞こえはしない。

 そんな宮園中央に狂いでもしたような暴走馬車が、通るのに足りない幅を花壇のレンガを吹っ飛ばしながら現れたのだ。現実味のないさまと事実に驚き、声も出せず目を見開く令嬢達の心情などにおもんぱかる気遣いなども一切ないまま、マーゴットが『何をボーッとしているの?さっさと乗りなさい』と強く短い言葉で令嬢三人を馬車内に追い立てた。


 両サイドに希少なバラなどの花々があしらわれた遊歩道は、幅は多少あったものの、その名の表す通り決して馬や馬車向きではないため、様々な小枝や花をなぎ倒しながら無理矢理に道を作る形で大きな異音を立て突進するように走り現れた馬車には、遥か遠くにいる者すらも振り返った。

 乳母を筆頭とした使用人一同とマーゴット王女の間に出来ていた間へと滑り込むように停まった……いやそもそも、その僅かな空間以外に停められそうな場所などなかった為に、突っ込むしかなかった馬車の勢いは凄まじく、驚き反対側の地面に倒れてしまった乳母達の叫び声が耳に届くと、これ幸いと思い口の片端だけを吊り上げた笑みを浮かべたマーゴット王女。

 震えている年老いた駆者ぎょしゃに『近衛の修練場まで急ぎなさい!少しでも鞭の手をゆるめたらお父様に言い付けて、その要らない首なんか切ってもらうわよ!』と怒鳴り付けながら素早く馬車へと乗り込む。


 マーゴット王女の怒声と共に走り始めた馬車の扉は、あろうことか開いたままで、馬車が揺れる度にユラユラと不規則に動く。それをチラリと一瞥いちべつしたマーゴットは、扉側にいた令嬢二人に『閉じなさいな』と、当然の事のように言い放った。

 言われた令嬢二人は、一瞬言われた内容が余りの事でピンと来なかったが、使用人不在の中では自分達が命令を受ける側なのだと瞬時に理解し、拒否の言葉など出せる筈もなく、生まれて初めて馬車の扉を自ら閉じるのが『走行中の馬車内』という有り得ない状況を受け入れ、震えている手を必死に走り続けている車外へと伸ばす。


 『○○家の息女として、大声を出してはいけない』『常に慎ましくありなさい』生まれてから今まで、そう言い聞かせられてきた高位貴族である少女達は無意識ながら、この状況下でも大声など一切出すことなく目の前の扉を見据え動き出す。

 しかし、揺れる馬車の扉を閉じるなど容易なはずもなく、タイミングをたがえば馬車から落ちてしまうかもしれないのは当然で、居ても立ってもいられなかった三人目の少女も自然と加わり、外へ手を伸ばす令嬢の身体を他の二人が落ちないように、力一杯押さえ込んだ。


 動く事より飾り立てる事に特化した茶会用の装いは、大きく手を伸ばすのにも押さえつけるのにも不向きだったが、縁石ふちいしにでもつかったのか、馬車が一際ひときわ大きな揺れを起こした後、それに連動して上手くこちらへと寄ってきた扉の取っ手をどうにか掴み、その動きのまま力任せに扉を閉じる事に成功した。

 きっと時間にすると大したことはない三分程度の事だろう。しかし生きた心地のしなかった令嬢達には長く感じられ、それから解放された安堵からへたり込んだ体勢で数秒ほど放心状態でいた。

 その令嬢達が、正気に戻ったように顔を上げ互いに喜びの表情で馬車内へ振り返ると、狭い車内だというのに先程の危険な行動など、まるで見えてもいないように窓の向こうの進行方向だけに意識を向けているマーゴットの姿があり、令嬢達の瞳は戸惑い揺れる。



 各々が無言のままで改めて座り直すが、車輪の駆動音や馬の蹄が石畳を蹴る音などの響く車内、おずおずとマーゴットの斜め前に座る令嬢が口を開いた。


 「ひ、姫、様…あの…こ、このように振る舞うのは……」

 「なぁに?」

 「い、いえ…」


 いくら王族とはいえ、このような事をしても本当に問題などないのか?私達は何かしらで罰せられるのではないか?


 まだ少女である彼女達の間で沸き上がる疑問や不安は、マーゴットの不敵で我儘な圧を持った視線とたった一言の物言いで容易く押し消える。

 マーゴットと共にいる学友という立ち位置の少女達は十一歳。幼すぎるわけではないが、甘い汁を求める腹黒い大人の貴族という訳でもない。

 裕福な高位貴族の家に生まれ、多くの者に頭を下げられる事が息をするのと同意で気位は高いものの、実際は親の言う事に従順で優等生な十一歳の子供でしかない。

 親の方でも幾らかの打算はあれど、まさか王宮で王女とお茶を楽しむ予定で家を出た大切な娘が、現在このような不安と危険の中に身を置いているとは知る由もないだろう。


 「まだかしら?もう着いても良いのではないの?」


 馬車が走り出して十分足らずといった所にも関わらず、窓の外を見ながらイライラと何度も口にするマーゴットは、とうとう耐え切れなくなったのか、馭者ぎょしゃ席と車内を隔てる小窓を開け怒鳴り出す。


 「ちょっと!まだ着かないの?もっと急ぎなさい!」

 「姫様、申し訳ございません。道幅が極端に狭くなっているのもあり、これがこの馬車では精一杯であります。それに馭者席からは連絡通路が見えてきておりますので間もなく到着致します」


 ずっと怯えた様子のままで綱を手にし、必死で馬を操る年老いた馭者ぎょしゃをフォローするべく、隣に座る新人騎士のトーマスが振り返って代わりに答えた。


 「あら、お前もいたのね」

 「はい、修練場まで姫様をお連れいたしまっ……!!!!!」



 ズンンンッッッ!!!



 そんな地面そのものが浮き立つような振動の直後、馬車が大きく揺れ動き、その後に思わず全員が耳を塞いでしまう程のドゴゴゴンッッッ!!!!という衝撃音と共に馬のいななきが鳴り響く。



 「「「「っ?きゃあああああっ!!」」」」



 車内では揺れによって壁や床へとなぎ倒される少女達の姿が、馭者席では最初の振動の際に吹き付けた突風で地面に飛ばされた老齢の馭者、それと同じように飛ばされ掛けながらも席に掴まる騎士トーマスの姿が……。

 その災害らしき様子は、辺りに巻き起こった砂煙すなけむりによって視界は暗く閉ざされ、付近を歩いていた者達も地面にうずくまり、舞う砂が顔や身体につかって目を開くことすら出来ずに時が過ぎるのを耐え待っているという状況になっていたせいで、誰一人状況把握を出来ないままでいた。

 


 「?………ヒッ…!?」



 そんな中で、いち早く声を発したのは馬車内の一人の令嬢。車輪が一つ破損したのか、わずかに傾いているという以外で不具合の見当たらない馬車内は砂煙の影響も少なく、この訳の分からない状況下でも腕を組み座るっている不遜な態度の変わらないマーゴット王女。

 しかし相反する三人の令嬢達は窓際に張り付き、不安の滲む表情で身を寄せ息を潜めるようにして、真っ黒に染まるガラスの向こうをジッと見つめていた。

 どれくらいの時間そうしていただろうか、少しだけ視界の透けてきた遠くに見えた景色に出た最初の声は、先程の怯えや恐れからの小さな悲鳴めいたものだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇





 マーゴット王女達の乗る馬車から二十メートルと離れていない到着予定だった屋根付きの連絡通路は、騎士団の本部施設と修練場を繋ぐもので、本来なら足元には造られてから年数が経っているのが見てとれる程にり減り艶もなく色褪せた石畳が続き、その上にも同じ石材で造られた雨避けの石屋根が長く長く続いていた。

 ……そう『続いていた』はずなのだが、初めてこの場に訪れた令嬢達の目に映ったのは、在ったはずの石の屋根の多くが崩れ落ちガタクタのように通路の奥、見上げる程に高くそびえる塀で囲まれている修練場らしい建物の出入り口を塞ぐ形で高く積み上がっている瓦礫がれきの山だった。


 耳に届いた令嬢の小さな声に、座席から立ち上がり巻き上がる砂や粉塵の向こうへと目を凝らすと、煙の中に瓦礫の山があり、それらが覆う通路に気付いて眉を吊り上げたマーゴット王女は、矢庭やにわに馭者席側の壁をドンドン叩き、トーマスと馭者を怒鳴りつけるように呼ぶ。


 「騎士!馭者!どちらでもいいから返事をしなさい!あれはどういう事なのよ?あの石が積み上がっているのが修練場の入り口じゃないでしょうね?まさか、あれ以外に入り口が無い訳じゃないわよね?」



 バンッ!バンバンッ!!



 「返事をしなさいってば!」



 いくら怒り心頭でも、小窓を開くと砂や小石が入って来るのが分かりきってるため、閉じたままの小窓や壁を叩きつけながら声を張り上げるマーゴットの怒声に、泣きそうな顔の令嬢達は怯えながらも俯く以外出来る事などなく、心の中で一刻も早く無事に自宅へ戻れるのを祈るのみであった。

 二、三分そうしていると、やがて幾らか砂煙が落ち着いたのか小窓がゆっくりと細く開かれて、馬車内に粉塵などが入らないよう自身の衣類か何かで覆いながらトーマスが声を掛けてきた。


 「姫様!ご無事で御座いますか?」

 「無事なわけ無いでしょ?このグズ!いつまで私をここに閉じ込めているつもり?何かが引っ掛かっているみたいで中からは開かないの。さっさと扉を開けて!急いで修練場に向かうんだから」

 「恐れながら…」


 小窓の向こうのトーマスは言葉を濁すように目線を反らした。


 「なに?グズグズしてないで急ぎなさいってば」

 「ええ…いえ…あの」


 返す言葉を選ぶように狼狽うろたえる新人騎士のトーマスに、イライラと目を細めるマーゴット王女。


 「とにかく扉を開けなさい!」

 「し、しかし、まだ砂煙が舞い状況確認も出来ておりません…姫様の御身に何か危険が及ばないとも…「うるさい!私に口答えする気?」…!っ……い、いえ…」



  新人騎士であるトーマスに拒否権や選択権などない。分かりきってはいるものの、ここでマーゴット王女がかすり傷でも負ってしまえば、それはそれで大問題なのは間違いない。

 トーマスが逡巡しゅんじゅんしていると、砂煙と粉塵で正体は分からないが何やらバタバタと走る複数の足音と、ガランガラン…と石を打ち付けるような金属音が近付いてくるのが聞こえてきた。

 訓練された近衛所属の足運びの音でないのは、新人のトーマスでも容易く分かったが、団員ではなくても宮廷に所属する人物であれば誰であろうとも自分よりは先輩であるため、指示を仰げる可能性に些か気が楽になるのを感じる。



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