第5話


 「急で悪いんだが、明日の午前中から半日程度の時間お前に護衛任務を任せるよう達示たっしが来ている」


 二ヶ月に渡る新人訓練を終え、王室近衛騎士団内の三つ目の隊であるカルロス隊へと二週間前に正式入隊をしたトーマス・ケラーは、夕食を済ませ同期の仲間と軽口を叩き合いながら寮内の食堂を後するところを背後から声を掛かられ、現在この事務室で己の所属する隊の長と向かい合っていた。


 「あ、あの…、いえ、は、はい!」


 入室し姿勢を正すと同時に、何かを問う前に発せられた上官からの言葉に思考が追い付かないが、どのような事柄にも新人騎士に是非はないものとの考えが先立ち、体育会系のさがか迷っている余裕なく大声で返事をする。


 「つい先程、団長から来たばかりでな俺も詳しくは把握していないんだが……」


 そう話し始めた上官である隊長の伝える内容は、この国の王女である十一歳の少女の護衛任務と、地方のありふれた田舎貴族の三男であるトーマスには知り得る事のない、王室や上位貴族の様子や情報だった。

 情報と言っても入ったばかりの新人騎士に話せる事となれば、上澄み程度のものだろうが、この国の王の娘つまり王女様の護衛をトーマスに務めるように、との初仕事としては重い任務に心の中で大いに怯んだ。

 そして、その後に続く王女の人となりや振るまいに更に怯む。


 まず第一に、王女殿下の前で『王女様』や『殿下』と言ってはいけない。そう口にしてしまう事で、人にもよるが、どのような報復を受けるか分からないらしい。

 そして次に、近衛騎士団の各隊の名称……例えば己の所属する隊なら『カルロス隊』等という其々それぞれの隊の長からとった呼び名があるが、王女は自身の我儘が通りにくい各隊の隊長や団長の名を耳にしたり口にするのを酷く嫌っているという。


 「で、ですが、自分は隊に所属しております故、隊の名を呼ばずにはいられないのではないのでしょうか?」


 正式に名乗る上で、自身の所属を告げるのだからトーマスの疑問は至極当然であった。しかし、それを受けた隊長は自嘲めいた笑いを浮かべて答える。


 「そうだな、このカルロス隊を『姫君』は『三隊』と数字で呼んでいるらしいぞ」


 王家直属の近衛隊を番号付けで呼んでいる事に耳を疑ったトーマスへと追い討ちを掛けるように『よって王女の前では一隊、二隊、三隊と呼ぶように気を付けろ』という言葉が乾いて聞こえた。


 「残念だが俺から言える事はこれぐらいだ。その場での振る舞いは王女の一番の理解者である乳母殿に聞くのがいい」

 「……はい!精一杯務めて参ります!」

 「ふふっ、まあ少しは肩の力は抜いていけ。明日は王宮の庭園で令嬢達と喋って歩くだけと書かれていたし、勿論周囲に熟練の警備の者も複数いる。ただ王女は玄人の警備の者達を嫌がるからそれと分からず潜んでいるがな」

 「はい!」


 護衛にあたるのが自分だけじゃない事で安堵したトーマス。


 「あ、分かっているとは思うが、明日の任務開始の正午までの時間は無いと言っても、この事はくれぐれも内密に」

 「はい!このトーマス・ケラー心して任務にあたる所存であります!」


 隊長は『また肩に力が入ったな…』と呆れるような微笑ましいような初々しさに、クスっと笑い明日に備え自室に戻るように促した。





 ◇ ◇ ◇ ◇





 そんなやり取りからの翌日の午後、トーマス・ケラーは本日二度目となる名乗りを同じ人物の前で行い、最敬礼ともいえる深々とした礼のまま姿勢を保っていた。


 「ふーんケラーなんて初めて聞く家門ね。田舎者なのかしら?ねえどうなの?」


 トーマスは、これでもかと深く下げたままの頭を固定して、背中から汗が吹き出してくるのが分かった。何も暑いわけではなく、周囲に響き渡る王女の声がトーマスを責め立てているような色を含んでいたからだ。

 何かやらかしただろうかと、昨夜の隊長からの言葉を心の中で思い浮かべ反芻し、己の振る舞いと発言をさらう。


 「!!」


 注意事項に思い当たったトーマスは息を飲む。


 「姫様!恐れながら申し上げます!」


 そう発すると続く言葉は、トーマスの中では一か八かともいえる半分ヤケクソなものだった。


 「聡明な姫様の仰るように我がケラー伯爵家は、姫様のようなとうといご身分の方が生涯目にされる事のない程、遠方に位置する田舎にあります。しかしながら、その田舎貴族のこの身に姫様をお守りするという家門の栄誉ともなる機会を与えて下さった事に心から感謝してもしきれない思いでおります!」


 名乗りの際に口にしてしまった『王女』という文言を打ち消す勢いで、心にもない目にしたばかりの『姫君』に対する美辞麗句を一息に並べ立てた。

 先程、王女の口から出た『家門』という言葉は、トーマスが近衛団に入れた事を手放しで喜んでいた家族にまで被害が及ぶ恐ろしさを容易に想像させ、それをどうにか押さえるべく必死に絞り出した耳障りの良さそうなワードは、どうやら目の前の人物を満足させる出来だったようで、頭をあげるように言われたトーマスは直立の姿勢に戻れた。


 「で、修練場ってここからどれくらい掛かるの?」


 腕を組み、真っ直ぐなストロベリーブロンドの髪を輝かせ何の事もない様に言い放つ少女に周囲の者は慌てふためく。


 「姫様、王宮施設と言いましても修練場までは距離もあり…「乳母、私はケラーに聞いているのよ」っ…」


 普段は乳母の進言であれば大して遮ることなく聞き入れるが、崇められる事に執着とも呼べる類いの優越感を感じるマーゴットは、今しがた思い付いた新たなる優越の材料に向かうため、乳母の否定の言葉を頭ごなしに拒絶する。


 「ケラー、騎士のお前ならここから修練場までどれくらいなのか分かるわよね?」


 自身の求める答え以外は発してはならないとでも言うようなマーゴットからの圧に、人知れずゴクリと喉をならすトーマス。


 「こ、此方からですと、馬車で十分も掛からないかと…しかし、庭園内に馬車が入れる余地もありませんし、途中に連絡通路が横切っている為、そこからは荒い石畳を歩いての移動になるのでお歩きになるのは……」

 「その石畳はそんなに歩くのに向かないのかしら?」

 「そうですね、基本修練場付近はご婦人のお履き物での移動に適した造りにはなっておりません。申し訳御座いません……」


 自身のせいでもない事だというのに、困り果てたように謝るトーマスの姿。

 そもそも王族や高位貴族の前で大々的に催される、剣術による祭事や行事は演舞場での執り行いとなるので、昔からある武骨な騎士団施設の一部である修練場等に令嬢が足を運ぶこと自体が滅多に無い事なのだ。

 今回の全体訓練の見物人も、多くは近衛を昔に退役し現在は隠居している高位貴族か、婚約者を応援するために歩きやすい服装や履き物で訪れた令嬢、はたまたトーナメント見物を息抜きとして心待ちにしている王宮に務める貴族や官職に就く優秀な平民の者である。

 しかし、こんな事で引き下がるのでは『王宮のわがまま姫」とは名付けられていない。たまたま近くを通り掛かっただけの文官らしき者を呼び止めたかと思えば「五分以内にここに馬車を用意しなさい」と当然かのように言い放って走らせた。

 それこそ止める間もない早業で一同は頭を抱える。


 流石に五分とはいかないものの十分も経たぬ内に、一同の間を分断するように割り込む形で突如として馬車が現れ、マーゴット王女と三人の令嬢は吸い込まれる様に乗り込み、諫めようとした乳母や侍女と使用人達を置き去りに馬車を走らせ始めたのだ。

 そもそも庭園であるこの場所に馬車を呼び込むなどと、実際に出来るとも思っていなかった乳母達は、どう考えても真っ当といえないその行動により、馬車の去った後の芝生や側に生えていた花々は車輪と馬の蹄によって踏み荒らされ見るも無惨な状態になっていた。


 遠くから見守っていた、常時宮園各所に配置されている警備の者達も、何やら騒ぎ立てている王女といさめているらしい乳母を怪訝に思いながらも、そんな光景は日常茶飯事だったのもあり様子を見ていたところ、突如として轟音と共に現れた馬車に驚き何事かと対処する間もなく乳母達と共に置き去りにされる事になる。

 唯一機転を利かせ…というのか、どうにか食らい付く形で馭者ぎょしゃの隣に飛び乗る事が出来たトーマスは揺れるその席で、ここからが更なる騒動の始まりだとも気付く事なく胸を撫で下ろしていた。

 


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