第4話


 二人が瘴気に満ちた密室に取り残された日から数日が経過した、四年前の王宮内ーーー


 魔獣飛来による王宮の騎士施設内での件が発生してから、丸三日が経った王宮謁見の間には、深夜に召集の知らせを受けとった国内主要貴族や宮廷内所属の上位役職者が、朝も早くから勢揃いしていた。


 「先日、王宮の中庭に降り立った魔獣についての事態が見事な終結に至った為ここで皆に知らせる」


 国王の第一声によって集められた臣下等の胸中はざわめき、その表情は変わらずとも同じような感情を皆が持ったであろう。

 何故なら魔獣が降り立ったのは王宮敷地中央に位置する宮庭ではなく、あの日訓練場で全体訓練をしていた近衛騎士隊の者や、訓練の見物をすべく集まってきたギャラリーが行き交っていた王宮との連絡通路だったのは、多くの王宮内勤務者がいる皆が周知していた事だった。

 この連絡通路は、定期的に貴族へと解放される中央の宮庭園からは離れた端にあり、距離もあるため目的がなければ足を運ぶ事も迷い込む事もない。


 そして通常、災害に等しいと分類される魔獣飛来が事件に近しい様相に変化した切っ掛け…いや、原因がこの国の幼い王女であるのも情報として、既に貴族達の知るところであった。

 この場には、実際に対処のため駆けつけ現場を目にした者も多く居るため、謁見の間に会した一同の頭にある異称いしょうよぎった。



 【王宮のわがまま姫】



 この国の王には二人の子がおり、一人は王太子としての長男もう一人が王女としての末娘。

 皆から姫君様や姫様と呼ばれるデビュタント前の少女だが、王が溺愛する王妃との子とあって、王からの寵愛という甘やかし行為は筆舌に尽くし難いものがあった。

 王の手前か我儘のせいか、二人を取り巻く状況や周囲の者の対応も甘えを助長する事柄が多く、兄妹もそれを当たり前として享受し、『姫君様』に至っては元々持ち合わせた気質も相まって、王宮内外で暗に先の異称【王宮のわがまま姫】という不名誉な呼び名が、直接的にも間接的にも迷惑をこうむってきた数多い者達の心に深く浸透していた。

 まだ幼いため今までは『我儘』という範囲で収まっていたものの、今回の事件は王女のデビュタント後の社交界での振る舞いを、想像し思い浮かべるだけで、頭が痛くなる者や背筋が凍りつく思いの者…等その立場や立ち位置によって様々な気分にさせられる。


 人目のある場所では、絶対に口には出すことのない異称を心に止めながら、続いて発する王の言葉を固唾をのみ集中して待つ臣下達。

 次に放たれる言葉次第で、今後どのような振る舞いをしなくてはいけないのか、確実に見極めなくてはならない…。貴族として家門や周囲を守り、生き永らえさせる必須行動ともいえよう。


 「王宮の中庭という本来なら我が国で一番守られ、平穏である場所への予期せぬ飛来に居合わせてしまった魔導薬師クラーク侯爵令嬢を、その身を挺して守った筆頭ネヴィア・マーチンは師の鑑と言えよう」



 一度言葉を切った国王は、ゆっくりと臣下達を見渡す。



 「その際、魔獣のいる部屋の扉を閉じ速やかに魔獣への対処を行った勇気ある功績、そして弟子を想う心を汲み取った余は、今回瘴気の被害を受けてしまった筆頭ネヴィア・マーチンの治療の為、異例ともいえる大神官への特別派遣要請を行った。それと併せ王宮の魔法術師と余の専属医師も定期的に治療と診断にあたる許可を与える事とした結果、瘴気被害の日から治療と治癒に皆が尽力した甲斐もあり、昏睡状態が続いていた筆頭ネヴィア・マーチンが目覚めたとの知らせが昨夜、余の元に入ってきた」


 王は目の前に会する臣下達を慈愛と満足さを湛えた目で再度見渡した。三文芝居にも及ばない滑稽な様にも、臣下達は良き観客の顔で立ち並ぶ以外の選択肢など無い。


 「筆頭薬師のネヴィア・マーチンからは王家からの手厚い処置に対して、感謝の言葉が出ているようだが…まあ、心配する事なく治療を受けるように申し付けてある。この先は筆頭の代理として弟子であるクラーク令嬢が高位薬の作業を続けたいと申し出ておる。皆の者も薬師部門への高位薬依頼は今までと変わらず、筆頭の研究棟へ依頼するとよい」


 大陸内七つの国で我が国が誇る代表格ともいえるのが、薬品部門である。それで潤う部署や普段からそれらを用いて商談や交渉を円滑に進めている者には、明らかな安堵の表情がみられた。

 それと同時に謁見の間に立ち並ぶ全ての者が『このシナリオでいくのか』との共通認識を新たにした瞬間でもあった。


 それぞれの屋敷や所属している部署で、昼には知らぬ者が居ないほどに拡散され王の発言は広く知れ渡る。事実と異なる『物語』によって王の慈愛の精神と家臣への心遣いを称える声は、至るところで上がったのだった。

 第一の当事者と言っても過言ではない『わがまま姫』は、いつの間にか現場には居ない事とされ、魔獣飛来の位置すら変更された新たな情報だけが巷に拡散されていく。



 しかし、当日付近にいた高位貴族や王宮で官職に就く者達が何事かと駆け付け、何より事は騎士団施設で終結したのだから多くの騎士達は事の顛末を知っているのだ。




 のちに『王宮庭園の魔獣飛来』と国民に呼ばれる事となる災害…いや正確には事件に近い『それ』の起こった当日は、実に良く晴れ渡り雲ひとつなかったと朝から王女の周辺にいた者達は記憶している。

 行楽や庭での茶会には最適な日が長く続いていた事もあり、その日城に招かれていた王女…もとい『姫様』の学友である令嬢達は、庭を歩きながら姫との交流を楽しんでいた。

 すると、話をしながら何かを思い付いたであろう先頭を歩く姫は、突如として離れた場所で見守る護衛騎士へと振り返り『ちょっと!』と短い大声を上げ呼び寄せた。

 このように不意打ちで声を張り上げる場面は、王女に仕える事のある者であれば珍しくもない。駆け寄り速やかに対応する年若い護衛の騎士。


 「ねえ、今日の訓練って二隊だけかしら?」


 この一言から始まった予定外の姫の行動により、本来災害や事故で済むはずの出来事が、多くの災いをもたらした『瘴気事件』へと発展する。少女が予定通り行動していれば、翼竜獣も適切に処理され事故の扱いさえなかった可能性の方が高かっただろう。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 数時間前から王女マゴットは腹を立てていた。


 普段と何ら変わらない家族との遅めの朝食を終え、自室に戻りソファーに腰掛けると、それに合わせ乳母が伝えた本日の予定確認と着用ドレスの再確認が行われた。

 そこまでは良かった…しかし『午後に予定されているご学友を迎えて過ごす茶会の護衛はいつものお気に入りの騎士ではない』との予定確認後に付け足された一言が、大層お気に召さなかったのだ。伝えた乳母の方も王女の反応が分かりきっていたので、全ての予定確認が終わった後に最後に付け足すように伝えた。


 もし朝食前に告げれば、ドレスにも難癖をつけ、自身で『絶対今日開くのだ』と駄々をこねた茶会もやめると言い出しかねない。

 それでは周囲の者の仕事が滞るばかりではなく、午後の茶会に迎える予定の令嬢にも迷惑が掛かり、その家族からの心象も益々悪くなっていく。

 ただでさえ王都や周辺に住む貴族で、王女に良い印象を持つ者が皆無といっても良いほど少ない現状を、来年に控える予定の国内デビュタント前に改善しなくては…と思う乳母の心も知らず、目の前の『姫君』は頬を膨らませ足を踏み鳴らし抗議を続けている。


 『姫様、いつも仕えている騎士ですが本日は近衛騎士団の全体訓練に参加しなければならないのです。夕刻には戻ってくる予定なので、それまでは他の隊の者が姫様をお守り致します』


 そう話す乳母の向こうに見える扉の前に、見知らぬ若い騎士の姿があったが、顔を見る事もなく興味などまるでないように顔を背け怒りをあらわにし続ける王女。

 乳母は顔色を変える事もなく、あと三時間もない茶会に響く事を避け、あやすようになだめ落ち着かせると頃合いを見計らっては着替えなどの準備を進めた。

 王族としての振る舞いがなかなか身に付かない王女という立場のマーゴット。『姫様』などと呼ばれるのは精々五、六歳までで昨年から王立学園に通い始めた十一歳にもなる王公貴族が『姫』と他人から呼ばれるなど今までに聞いた事もない。

 しかし、マーゴットは姫様と呼ばれるのがことほか好きなようで、王女様や王女殿下と呼ばれるのを嫌い姫様呼びを周囲の者に強いた。


 呼び方と同じように大層好んだのが『姫君お気に入りの騎士ソワード』だ。

 この騎士は、トーナメント形式で年に一、二度行われる王室近衛騎士団全体訓練に、前回も前々回も不参加だったのだが『今回は参加資格を持つ所属団員全ての参加必須』と三つある近衛隊全体をまとめる団長が全体に向けきつく発令した。

 これまで不参加が続いたのも『わがまま姫』のせいである事は誰もが理解しているため、普段は滅多な事で直接口を出さない団長がわざわざ自身の名を出し通告するに至ったのだろう。


 お気に入りの騎士であるソワードは、日中の鍛練に出られない不足を補うように、誰もいない修練場で早朝に一人個人鍛練を済ませたのち、朝食に向かう王女の後ろに付き護衛を始める。

 それからは王女が夜に寝付くまで、歩き回る時はその数歩背後を付かず離れずに、自室に居る時は扉の外に護衛がいるにも関わらず室内側の扉の前に特に話し掛けるわけでもなく置く事を望んだ。

 そう…まさしく『置いた』というのが適切な表現であり、これによって完全な休日もないが、マーゴットが十歳を迎えた昨年に貴族学園へと入学した事で、姫君が授業を受けている午前中のみ息抜きが出来るようになったといえる。


 この憩いの時間も、学園の送り迎えのため実際には学園の門前で待機している状態だったが、それでも入学以前よりは気が休まっていた。

 ソワードは貴族学園の騎士科卒業後に、見習い騎士の訓練期間を終え正式入隊と配属が決まったばかりの時期、媚を売る等の行為をすることもなく皆と同様に、新人騎士らしく大仰に背筋を伸ばし整列をしていただけ。ただそれだけであった。

 しかし、美形揃いと言われる近衛の中でも抜きん出ていた柔らかさと甘さを含む見目が、当時八歳のわがまま姫に目を付けられ……いや歓心を得る事になり、日々の護衛を続けること早三年が経ってしまった。


 ここまでの年数が流れるまでには、多くの他の騎士を再配置したり、王や王妃による直接の説得も多少は試みられたが、お気に入りの騎士ソワードが視界から消えたり、護衛人材の配置に忠言する者がいると大暴れし、その癇癪かんしゃくによる行動は周囲への被害を増やし、言葉を失うほどに酷いものになった。

 そもそもが両陛下の説得自体そよ風程度のささやかなもので、近衛騎士団からの苦言に表面上動いたを示しただけで全く効果はなく、そもそも重要事項とも捉えられていないのが仕えている者には有り有りと伝わった。

 そんなこんなで周囲への被害軽減の意味もあり、ソワード本人も酷い状況になるのを度々目の当たりにした後は、自らの申し出により大人しく任務を遂行する至っている。



 しかし見兼ねた団長が自ら注意し今日一日は、この騎士をマーゴット王女の護衛から引き剥がす事になった。

 国王と団長は年齢も同じで、王の少年期から学園内での護衛も兼ね学友として共に居たため、王太子や王女とは過ごしてきた時間や期間も比べられない程に長く、地位も発言力もずば抜けている。

 そんな人物の名前を出されたとあって、流石のわがまま姫も我を通しきる事など出来ず、最終的に短時間だけならと他の隊から臨時で送られてきた『本格的なトーナメント形式の訓練には参加資格のない新人だが、安全な王宮内での護衛には不足の無い』騎士を近くに置くのを大暴れし気が済んだ後に、渋々ながら受け入れた。



 そんな皆が一苦労した姫の大暴れから数時間が経ち、学友の令嬢三人を迎え自室で軽くお茶や菓子の時間を楽しみ、その後は一部高位貴族にのみ解放されている王家自慢の『宮園』と略称される庭園を歩きながらお喋りをしていた。


 昨年の入学から一年経ち、随分仲良くなった十一歳の少女達の雑話は互いの身に着けている装飾品やドレスの話に始まり、建物内から庭園に場所を変えてからも、話題をあちらこちらに変えながら止めどなく続いたが、ふと話の切れ間に一人の令嬢が背後にいる数人の使用人達に目をり訊ねた。


 「あら、本日はいつもの騎士様ではないのですね」


 珍しい事もあるといった風な、はたまた意外だとでもいうような、わずかに驚きの混じる声を伴い姫の方に視線を戻したが、離れた距離にいる近衛騎士や乳母と侍女等には聞こえてはいなかっただろう。


 「そうなの。今日は二隊の訓練があるらしくって今いる護衛は入ったばかりの新人で他の隊から借りているのよ。困った事だけど訓練では仕方ないので快く送り出したわ。王族を守るには美しさだけじゃなく逞しくあって当然だもの」

 「まあ!ご自身へ仕える者への配慮までなさるのですね。何てお優しい」

 「ほんとですわ。それに今日の護衛の騎士様も姫様のお供をなさる方として美しさで不足はないのでは?」

 「私もそう思いましたの!いつもいらっしゃる物語に出てくる王子様のような騎士の方とはまた違う美しさで、流石は姫様を彩る花ですわね。どんな家門の令嬢を守る騎士様でも、あのように整った方などそうりませんもの」

 「…あら……?…そう、かしら?」


 次々に誉めそやす令嬢達の言葉に気を良くしながら、チラリと背後というには少々離れた位置に立つ護衛の顔を見る。臨時で当てがわれた護衛として朝食後に名乗りをしていた時は、新人騎士は部屋の入り口でガチガチに固まった敬礼をして、遠くのソファーで不満を爆発させていたマーゴット本人は顔など認識していなかったのだ。


 (へぇ…確かに…この位の距離でも目立つ容姿だわ)


 自身の持ち物が誉められた事で浮かれた内心を咳払いで誤魔化す。


 「まあ悪くはないでしょうね、それでも私の護衛にはソワードが相応しいと思うの。貴女達が気に入ったというなら時々はあの者を側に置くのも考えておきましょう」


 侍女長か乳母にでも言えば二人目の護衛として配置してもらえるだろう…と算段しながらも、目の前の令嬢達のお喋りは続いていた。


 「滅多にお目に掛かれない王室近衛騎士様方の揃うお姿も、姫様にとっては日常だなんて、おとぎ話のようで羨ましい限りですわ」

 「ロ……、い、一隊は両陛下直属ですし、二隊は王太子殿下と姫様をお守りしているでしょう?三隊は比較的目にする機会があるとはいっても王室主催の年中行事の警備くらいですから、数でいえば入手困難な人気演劇の看板役者の方が目にする事は遥かに多いですもの」


 この上なく自尊心をくすぐる言葉を受け、心地良くなっている姫君は更に称賛の言葉を引き出す手段を思い付き、背後に仕えている者達へと声を張った。


 「ねえ、今日の訓練って二隊だけかしら?」


 明らかに自身に向けられていたであろう声に、臨時でここにいる新人騎士が素早く駆け寄り即答する。


 「はい!王女殿下、昨日はカ……いえ、さ、三隊の訓練があり本日は二隊と一隊全隊員による訓練であります!」


 慇懃いんぎんさでガチガチに武装された敬礼と言葉に似合いの、初々しく若い騎士の姿に令嬢達が口には出さずとも色めき立つのが手に取るように伝わったマーゴットは、内心ほくそ笑みながらも何て事はなさそうな顔で言い放つ。


 「そういえば、名前を聞いていなかったわね?」

 「さ、三隊に今月付けで配属されましたトーマス・ケラーと申します!」


 つい数時間前にも行った本日二度目になる名乗りだが、まるで初めてかのように振るまい気分を害さぬよう余計な事を足さず短く名乗ると再び深々と頭を垂れた。




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