第25話 【T子さんの文章】『マラケシュの艶事(えんじ)』

吹き付ける風で舞い上がる砂埃。

響子は思わず目を瞑る。


異国の聞き慣れない言葉が、ある種の音楽のように耳に入ってくる。


誰も自分の事を知らない。

自分も知る人が居ない。


響子がモロッコのマラケシュを訪れてから、2週間が経過していた。

観光スポットで紹介されている場所は、一通り巡った。

美しい造形の庭園・宮殿・モスク…

しかし何ひとつ響子の胸を打たなかった。


魅力的な異国のツアーガイドと、一夜を共にした。

彼の独特の体臭と情熱的な行為、己が自由の身である事の解放感が、響子を大胆にさせた。


「東洋人の女が、こんなに積極的で情熱的だとは知らなかった」

彼は拙い英語で伝えてきた。

響子は黙って微笑んだ。



マラケシュ。

この独特の土地。

魅惑的で不可思議で、自分が余所者である事を思い知らされる。


溺愛していたサクラを親友の南条茜(なんじょう あかね)に託し、ボランティアの仕事は辞め、響子が選んだのは旅をする事だった。


結婚以来、彰一の仕掛けた盗聴器の存在が、彼女を不自由にさせた。

常に盗聴器を意識して、響子は振る舞った。

ただひとつを除いては。


そう。

それは道哉との情事。

盗聴器があると知りながら、響子は敢えて夫に聴かせた。

自分以外の男と激しく愛し合う様子を聴き、嫉妬に狂うで有ろう夫の姿を想像しながら。



宵闇の頃。

端正な顔立ちの男が、響子に笑い掛けてくる。

とてもセクシーな微笑み。

その視姦するような眼差しに、誘われていると気付く。


響子は立ち止まり、微笑み返す。

男が近づき、彼女の手を取る。

筋肉質な腕。

逞しい肉体。


見つめ合う。

吸い込まれそうな瞳。


「家に行こう」

拙い英語。

響子は頷くと、男に手を引かれついていった。


狭いアパートメントの3階。

ドアを開けると、男は響子を壁に押し付け唇を奪った。

分厚く温度の高い湿り気を帯びた唇。

響子は目を閉じて堪能する。

侵入してきた舌に、積極的に舌を絡め応えると、男の手が彼女の胸を揉みしだく。

「ん…」

胸から腰の括れに移動する腕は、響子を思い切り引き寄せた。


風が時折、窓を叩く。

激しくキスを交わしながら、ふたりは器用にベッドに移動した。

安っぽいパイプベッドに、響子を押し倒すと、彼は上半身裸になった。

彼女はワンピースを着たままだ。


さあ、私をどんな風に愛してくれるの?

どんな快楽を与えてくれるの?


ワンピースの裾をたくし上げ侵入してくる手に、響子の興奮が高まる。

下着を脱がせる。

彼女は自ら動き、脱ぐ事に協力する。


指先が、既に濡れ始めた膣口を捉え、ゆっくりと挿入される。

「あっ…」

響子から漏れる甘い吐息に、男の興奮も高まる。


指先を、グッと奥まで挿入し、膣内をゆっくりゆっくりかき混ぜる。

響子のGスポットを探り当てながら、指の抜き差しも繰り返す。

空いた手で胸への愛撫も欠かさない。


慣れてるのね。

響子は安心して委ねる。

快楽の波に委ねる。


いい…

気持ちいいわ。

温かい舌の感触を膣に感じる。

キスが巧い男は舌口の愛撫も巧い。

絶妙な舌使いに、響子は何度も声を上げる。


男がワンピースを脱がせ、本格的に繋がろうとしたその時。


パンッ!

けたたましい音が、部屋中に響いた。

虚ろな目を音のする方に向けると、般若のような表情の女が仁王立ちでドアの前に居た。


「○●◎◆△★」

異国の言葉。

でも何を言っているか解る。

こういう修羅場で、万国共通の台詞だろう。


男が飛び上がる。

響子を背後に隠すように、立つ。

彼女は、急に快楽から現実に戻され、ぼんやりしていた。

だから女が思い切りビンタした時、避ける術もなかった。


男女の罵り合う声を背に、響子はアパートメントを後にした。

打たれた頬が、じんじんと痛んだ。

響子は思わず笑ってしまった。

こんな異国まで来て、いったい何をやっているのだろう。

私はいったい…


夜風に吹かれながら、響子は自嘲気味に笑い続けた。



彼女が帰国した時、日本は春の嵐の真っ只中だった。

結婚していた時に住んでいた家に、何となく向かう。


売りに出された家。

もう何の感傷もない。


立ち去ろうとした響子の目に、懐かしい姿が飛び込んできた。

柔らかな光を纏ったその人は、以前とすっかり雰囲気が変わっていた。

深みを増し、大人の男性になっていた。


「響子さん…!!」

道哉に久しぶりに名前を呼ばれ、響子は思わず涙が溢れた。


そんな彼女を、道哉は躊躇なく抱きしめた。

2度と、もう2度と離さない…!!

そんな決意を込めて、抱きしめた。



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