第22話 【私の文章】『蜃気楼の香格里拉(シャングリラ)』

道哉は、すっかり経営者の顔もスポーツマンの顔も以前のように煌めきを放つようになっていた。



ただ、現在は女性の魔性と妖艶さに魅了されている輝きではなく、神仏の抱擁が煌めく守護と、無限の優しさが集う加護を心身共に享受されているという恩賜の感謝からの輝きだった。


梅園家の人々として、麗らかな新緑の草原で永遠に佇みながら、春の暁のような光明で諭してくれた、梅待(うめまち)稲荷神の狐達との邂逅が、醜い魔物の憑依から救済してくれたのみならず、現在の思考と真実の至高に到達する轍の尊さを教授してくれたのだと、追憶する度に慈悲に対する感謝の念が清水(きよみず)の如く溢れ出ては止まなかったのだった。



あの手紙と守り袋を受け取って以来、欠かすことなく梅待稲荷神社への参拝と、御佛(みほとけ)への詫びも行うことを決意して、山茶花と蓮で名を馳せる荘厳な『誘蓮寺(ゆうれんじ)』へも山門越しでは有ったが、日課として合掌し続けたのだった。



参拝と合掌を繰り返していると、少しずつ清廉の聖職者の心境に寄り添えたような気がして、水面(すいめん)に映る顔を覗き込む度に、白銀の瞬きが湖光の如く慈悲と慈愛の結晶を映写させたのだった。


いつものように、寺社からの帰路のことだった。



それまでは夕景から夜景に変化しても、薄暗い風景を維持して深海に潜った魚のように物音1つしなかった隣家に、温もりが宿っていることに気付き、響子と彰一の在宅を知ることに成ったのだった。



「響子さんも彰一さんもサクラさんも、今日からあの家でまた、暮らし始めたんだなあ。」



少しずつ海底の彼方へと鎮めた烈(はげ)しく燃え滾った魂の記憶が、高鳴る心音を1つ鼓動させる度に蘇る。



曾て、荒々しい高波のように一体化しながら、身も心も紫と深紅の眼差しと体温に溺れ交わり続けながら果てた、汗と呼吸を共有して溶け合った女性との恋の狂人と化した時間を脳裏から呼び覚ますように思い浮かべた。



早朝から深夜まで1日中同化して情交を続けても足りない程、心中(しんじゅう)も厭わないぐらい、毛髪1本ですら剰りにも愛(いと)し過ぎて、我を忘れて深愛の慟哭に誘(いざな)われ、自分自身を亡き者にしても護りたかった唯一の最愛の女性。



悲愴感にも似たこの世界で、夢想の彼方に蜃気楼のような香格里拉(シャングリラ)が存在し、虹色に光輝く2人だけしか知らない幻日の朝焼けが有ることを清風名月(せいふうめいげつ)の残り香で教えてくれた唯一の女性だった。



しかし、加護と守護で更生した道哉は、一瞬の回想の後、響子と彰一とサクラが再び隣人に成った喜びと、2人と1匹の幸せと笑顔を神仏に祈願することを誓ったのだった。



しかし、1ヵ月の後(のち)に、響子と彰一の夫婦の縁(えにし)が蜘蛛の糸のように切れてしまったこと、響子が裳抜けの殻の人に成ってしまった事実を知ってしまい、赤色から茶色の血液に変化してしまったのではないかというぐらいに衝撃が止めどなく走った。



「嘘だって思いたいよ。

響子さんが再び僕の前から消えてしまうなんて…

今度は何も言ってくれずに…!!」



玄関のドアを閉めた直後に、冷や汗と涙が顔面蒼白の表情に滴りながら、目の前に暗黒の情景が無限に広がっていくのを茫然と見ていることしか出来なかったのだった。



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