野球=カープの街・広島
第3話 路面電車で大学へ
17時を少し回った。ホテルのロビーに、石村教授が現れた。
八木青年は昼に多少外出したものの、チェックインの時間にはホテルに戻って自分の勉強をしていた。
「ほな、ハチキ君、ちょっと事務作業をお手伝い願おう」
石村教授はフロントで自室の鍵を受取った。正方形のいささか金太郎あめのような少し長めの物体の先に、その鍵がついている。金太郎あめの部分には、部屋番号がかかれている。
石村教授は八木青年を自室に招き入れた。
「今回の集中講義の受講者は30人程や。とりあえず、学年ごとに分けたうえで、各学年ごと学籍番号順にこのレポートを並べなおしてください」
八木青年は提出されたレポートを並べ直し、教授に提出した。
「次は、その順番に受講者名簿と照らし合わせてください」
青年は次の作業も難なくこなした。
「これで、まずは4回生のほうを私が一通り目を通します。貴君は、3回生の方を先に読んでみてください。特に専門の難しい話はないはずです。その上で、感想を聞かせてくれるかな」
そのレポートは、この科目を受講に至った動機についてのもの。文系学生に訳の分からない話というほどでもない。彼らは3回生と4回生に分けられたレポートの束にざっくりと目を通した。
「どうかな、彼らの「国語力」は?」
なるほど、自分が呼ばれたのはそのためだったのか。
「さすが国立大学の理学部ですね。皆さんどなたも、しっかりしたことを書かれています。約1名、4回生に単位が云々と現金なことを述べている人もいますが、彼の文章はしかし、愛嬌がありますね」
「その学生さんはしかし、君らの学部の呆け者ども並に遊んでおったのやら」
「文系学部は理系と違って遊ぶ者はとことん、逆に勉強に必死な者はとことん必死という感じですけど、逆に理系の人は、おおむね勉強へのスタンスが安定している印象を持っています。それがはっきりと見て取れますね」
「ま、予想通りの御回答ですな」
少し間をおいて、八木青年が尋ねた。
「ですが、特に飛び抜けた人って、この中にはいないようですね」
「とびぬけた学生さん? まあ、この中の誰もが物理学を極めるわけでもないですから、これでいいのです。もっとも、折角この学部に来られたのですから、ある程度以上の素養を身に着けて頂かんと困るけどな。君らの世界でいうなら、こうや。借方と貸方もわからんレベルでは困るってこと」
「そりゃ、仕事になりませんわ。しかし、このレポートを拝読する限り、そんな人はいないようですね」
その日彼らはホテルの外の居酒屋で夕食を済ませ、早めに帰って休んだ。
そして、翌朝。ホテルの朝食会場で、教授は青年に申し渡した。
「ハチキ君、今日は私の講義に同行してください。スライド等の機器を使用して講義をしますので、そのお手伝いを願います」
昼前に、彼らはホテルの前の電停から路面電車に乗って大学のキャンパス近くまで移動することになった。
平日の昼間の広島の街の大通りを、電車はゆっくりとしかし確実に歩むように走る。各停留所では幾分の乗降客もある。岡山より多少なりとも規模の大きい街だけあって、人の動きは多い。だが道路が広いためか、街行く人々はどこか余裕のある動きをしているようにも感じられる。
「悪いが、今日は君も講義を一緒に受けてください。何、難しい話は一切ない。この集中講義は広島大学さんの要請もありまして、平和教育の一環としての意味もこめられているのです。私が学生の頃、広島の被爆後の調査に広島入りした時の話をする予定です。君には話してなかったと思うので、今日は是非、聞いて下さい」
穏やかではあるがしかし有無を言わせぬ教授の眼鏡の奥の目は、決して笑っている様子はない。街中の景色を楽しもうと目をそらそうにも、とてもそんな雰囲気ではない。ふと向いに、広島で有名なラーメン店が目に入った。この大通りにも、いくつかのお好み焼きの店が見える。だが、そんなものに目を向けてはいられない。
これはただ事ではないぞ。八木青年は、黙って了承するより他なかった。
市電は鷹野橋を左折し、程なく大学前の電停に到着した。今まで乗って来た電車は、以前神戸市内を走っていた電車である。向い側の電車の正面を見ると、大阪市内を走っていた電車のようである。
それぞれ小銭を車掌に払って降車し、キャンパスに向かった。まずは揃って学食のカツカレーを食べた後、彼らは教務の事務室に向った。
この日の講義は、昼間の100分が2コマ。
講義の終りに、石村教授はこの日の講義に関わるレポートを受講生らに求めた。
「この調子なら、今日もまた一仕事させられそうだな」
同行していた八木青年の期待は、裏切られなかった。帰りは教務が用意したタクシーに乗車し、宿泊先のホテルに戻った。明日からは午前中の授業となる。今日は遅くまで何かしているわけにもいかない。タクシーは大通りを避けてホテルに向ってくれた。10分もせぬ間に、特に大きな信号にかかることもなくホテルに到着した。まだ17時を少し回った頃である。
「ハチキ君、今日は酒など飲んでおる場合ではない。ラウンジで一仕事や」
かくして八木青年は、受講生のレポートを整理し、教授の指示通り彼らのレポートを読むこととなった。
この日のレポートもまた、物理学の専門知識がないと読めないものではない。
それどころか、他学部の学生でも受講したのちにそれなりのものを書ける内容のものだった。八木青年は教授よりレポートを書くことを求められてはいないが、この後言うなら「口頭試問」の如き対話があったことを申し添えておこう。
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