第2話 あっという間に広島へ

 列車は8時10分、定刻に新大阪に到着した。

 停車時間は2分。

 名古屋からの列車なので、さほど降車客はない。

 まだ早めの時間帯でもあり、乗客も極度に多くない。

 特に問題もなく、定刻に新大阪駅を発車。

 高架上の列車は、少しずつ速度を上げていく。車内はさほど騒音を感じないが、外はこの列車を走らせるおかげでかなりの音が出ている。


 つい昨年にも、名古屋では新幹線の騒音に関して訴訟が提起されている。

 国鉄としてはメンツを保ちつつも、しっかりと対策をしていることも示さねばならぬときが来ていたのである。この数年後には嫌煙権訴訟と称される、国鉄に禁煙車を設けることを求める訴訟も起こされている。よりよい環境が裁判という手段を通して求められる。そんな時代は既に到来しているのである。


 列車は新神戸駅も構わず通過していく。他の駅に先立ってホームドアが設置されたが、この時期にはまだ設置されていなかった。

 どうしても東京や大阪に近いこともあってか、横浜と神戸は新幹線の恩恵というものをもう一つ受けられていない。ただ、神戸の場合は地下鉄でわずか一駅、歩いても20分程で三ノ宮駅があるから、横浜より幾分マシと言えばマシである。

 とはいえ、神戸市の中心駅はどこかと言われると、建前上は神戸ではあるものの三ノ宮駅とこの新神戸駅が林立している状態であり、それは現在に至るまで解消されていない。山をいくつもくりぬくこの路線、海の見える風光明媚な在来線と比べてどうしても殺風景なトンネルを走ることが多くなる。

 列車は次の西明石のホームの間に設けられた通過線を軽々と通過。はるか向こうに瀬戸内海を見ることができるものの、程なく列車は海から離れる。もっとも、ここから相生あたりまではさほどトンネルはない。

 列車はさらに姫路を通過。特急停車駅としては神戸・三ノ宮と同格ではあるが、神戸より前から城下町として発達してきただけあり、中心駅は岡山同様この駅と定まっている。

 手柄山へ向かうロープウェイは一昨年前に運転を休止して久しいが、正式にはまだ廃止されていないという(1979年に正式廃止)。いささか山よりの土地をくりぬくように列車は進み、再び海が近づいたと思えば相生駅を通過。列車はまたもトンネルに入っていく。


「お弁当にお茶、珈琲にビールはいかがですか~」


 車内販売が時折通過していく。彼女たちは物品を販売するほか、車内巡回をすることにより保安要員的な仕事も受持っているのである。石村教授と八木青年は食後ということもあり、少し休憩がてらに青系統のモケットの座席で休んでいる。

 列車は兵庫県を超えて岡山県へと入った模様。いくつかトンネルを超えたあたりで、風景が一変する。どうやら平野部に入った模様。吉井川の鉄橋を超え、もう一つトンネルをくぐると、そこはもう岡山市郊外。肥沃な岡山平野が高架下に広がっている。やがて在来線と並走をはじめた。高架の下の在来線には貨物列車やかつての湘南電車が走っている。

 程なく0系独特のオルゴールがかかり、岡山到着の案内がなされる。山陰・四国方面をはじめ、各路線への乗換案内が丁寧になされる。案内放送を終えて旭川鉄橋を超えると、列車は左側に大きくカーブし、岡山駅の新幹線ホームへと入線した。


 岡山到着と同時に、再び多くの客が降車。乗車してくる客はそれほどいない。

 新大阪からここまでが58分。

 かつての在来線特急なら姫路から岡山までの時間で、新大阪からここまで来ることができるのである。確かに区間によっては恩恵があまりないケースもないではないが、大阪‐岡山間の移動に関しては、すでにして確実に1時間以上の短縮効果がある。四国方面のように乗換が余分に発生するケースもいくらかあるが、それでもこれだけの短縮効果があれば利用者としてはありがたい限りと言えよう。


 2分停車の岡山を出た列車は、広島に向けてさらに西へと進んでいく。

 2年前の9月、石村教授は福岡での学会出席のため当時の特急「かもめ」に乗って約1日がかりで博多まで移動したが、今や新幹線のおかげで半日もあれば移動できるようになっている。彼は福岡の街で旧知の堀田繁太郎O大教授に「新幹線サマサマ」と指摘されたが、まさに今日の移動は新幹線サマサマなのである。

 この列車の広島到着は10時8分。あと50分少々である。


「ハチキ君、折角であるから、今度はビュッフェに行ってみないか」

 教授に勧められ、八木青年は2両後ろのビュッフェに行くこととなった。8号車は先ほど入った食堂車。しかし、食堂内を通ることはない。山側の食堂部分から切り離された通路を歩いて9号車へと進む。デッキ部分を超え、9号車に入るとそこはビュッフェ。博多開業を見越して食堂車が新設されたと同時に、それまであった座席を撤去し、かつての急行列車のように立席形態となっている。

 石村教授はホット珈琲を2人前頼んだ。ほどなく、カウンターに珈琲が運ばれてきた。珈琲の代金は食堂車よりいささか安めのようである。

 教授は小銭をまとめて釣りの出ないよう支払い、ここでも領収書を受取った。

 山側に沿って設置されたカウンターから景色を眺めるにも、いかんせんこの区間はトンネルが多い。高梁川を渡ったこの列車はさらに速度を上げ、かつて玉島駅であった新倉敷駅を通過していく。まだ周囲は田園地帯。開発されるには時間がかかりそうである。


「新幹線のビュッフェは、初めてかな?」

「いえ、何回か来たことはあります」

「そうか。このビュッフェの客席が山側になった理由、わかるかな?」

「ひょっと、外国人観光客対策ではないですか?」

「せや。富士山がしっかり見えるように、な。昔東海道線の急行のこれまた立席のビュッフェに寿司コーナーがあってな、あれも、鉄道マニアで有名な先輩のお話によれば、外国人に日本文化を楽しんでもらうための方策の一つやったらしい」


 珈琲1杯で軽くシャキッとさせ、教授と青年は再び食堂車の通路を通って2両前の自席へと戻った。

 列車は福山駅を通過。ここからまた、列車は山側のルートへと入っていく。現在新尾道駅のあるあたりは、海からかなり離れた場所にある。ほどなく三原も通過した。広島まであと30分程度。ひかりは西へのフレーズ通り、新幹線電車は高速で西へと滑るように走っていく。

 山沿いのトンネルの多い場所をくりぬくように走り抜いてきた青と白の16両にして400メートルからなる高速電車は、定刻の10時8分、広島駅に到着した。

 京都からここまでで2時間半を切っている。新大阪からであれば2時間も切っている。広島の人には、大阪や神戸への出張はまさに新幹線サマサマであろう。


 石村教授と八木青年は新幹線の改札を出た。改札口には広島大学の職員が迎えに来ている。

「石村先生と八木さんですね。早速本学理学部に御案内致します」

 彼らは駅前のタクシーに乗込み、市街地から少し海側にある広島大学理学部キャンパスに向かう。駅前の橋を渡り、繁華街のある大通りを進んで少し東側に戻ったあたりに、広島大学理学部のあるキャンパスがある。広島電鉄こと広電の路面電車がしきりに往来している。なかには数年前まで大阪や神戸の市電として走っていた車両もあるという。京都の市電も現在は医師が取りざたされているが、ひょっと何両かはこの街に来るのかもしれない。


 理学部のある建物に到着した。京都からの客人たちはキャンパス内の控室に案内された。別の教務職員がやってきて、青年に数枚の書類を手渡した。

「八木さん、こちらが石村教授とあなたの宿泊ホテルです。先に先生とあなたの荷物を持ってチェックインを済ませておいてください。17時前には本日の講義が終りますので、その後石村先生はホテルに戻られます。それまでは基本的に自由にしてくれていて構いませんが、17時にはロビーで待機しておくようにと。これは石村先生からのご指示です。よろしくお願いします」

「ほな、ヤギ君、後はよろしく頼みます。昼は、適当に近くで何か食べといて。あと、領収書をよろしくな。心配してはおらんが、酒は飲まんように」


 かくして石村教授は集中講義の打合せに入った。八木青年は呼ばれていたタクシーに乗車して宿泊先のホテルに移動し、各種手続を済ませた。

 このあとは、夕方まで自由時間を兼ねた待機に入る。

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