新幹線サマサマへ ~ホプキンスのサイン

与方藤士朗

新幹線での広島入り

第1話 いざ、一番電車で広島へ

 1976年8月第1週の月曜日の朝。

 市電に乗合せて京都駅に着いた立命館大学理工学部物理学科の石村修教授と経営学部4回生の八木昭夫青年は、新幹線の改札前で合流した。


「ハチキ君、そろそろ名古屋からのひかり号がやってくる頃や。この度はよろしゅう頼みますよ」

「わかりました。折角の機会ですので頑張ります」

「ま、そんなに張り切らんとき。ちょっと率のエエバイト、ま、ついでに里帰りも出来て広島で遊べるくらいの心がけで、ちょうどよろしい」


 彼らは改札からエスカレーターで下りの新幹線ホームへと向かった。ほどなく、名古屋発の朝一番のひかり号がやってきた。彼らは7号車指定席を確保している。

「乗ったらすぐに食堂車に参ろう。朝はあまり食べないと言っていたな」

「ええ、まあ。夜しっかり食べておいて、朝は軽くパンを食べる程度です」

「サヨカ。たまにはこういう場所での朝食もよかろう」

 程なく列車が入ってきた。京都で降りる客はそういない。ここから西へと向かう乗客はと言うと、まだそれほど多いわけでもない。しかし、この列車がなければ困る人がそれなりにいることは、乗客の乗り降りを見て感じられないわけではない。

 彼らは7号車の山側の2列席に荷物を置き、その足ですぐ食堂車へと向かった。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


 7月も下旬に入る頃。金閣寺近くのこの大学では前期試験もたけなわ。大学内は普段とはいささか異なる緊張感と来る夏休みに向けての解放感の混ざり合った、いささか矛盾感を孕んだ雰囲気に包まれている。

 八木昭夫青年は、この日最後の履修科目の試験を終えた。

 当時の大学はどこも、多かれ少なかれ掲示板を使って大学内の意思疎通が図られていた。この大学もその例に漏れない。彼は経営学部の掲示板を見た。普段自分の名前がこのような場所に掲示されることはまずない。

 とりあえず、連絡事項を全て確認した。


「あれ、あんた、4回生の八木君ではないか?」

 そこに、教務の中年男性職員が貼り出すべき掲示を持って現れた。この職員とはかねて顔見知りである。ここで逃げ隠れすることもない。

「あ、山内さん、何か?」

 少し思い当たるふしが青年の側にある模様。

「あるで。あんた、これ、見てみ」

 その紙には、自身の学部と氏名、それに学籍番号がまがうことなく手書きの文字で書かれている。

 用件は、教務窓口に出頭されたし。


「ほな、私が全部掲示を張り替えるまで待って。話は窓口で、な」

 山内氏は啓示をそそくさと張り替えると、八木青年を窓口に招いた。

 八木青年の名前の書かれた紙は、貼られずじまいで貼替えられた掲示板の他の紙とともに教務事務室にお持帰りとなった。かくして彼の名の書かれた掲示は日の目を見ることなく反故紙となることが決まったのである。

「うちの学部に関わる話とは、ちゃう。別にあんたが悪さしたとか卒業させたらんとか、そんな話でもない。八木君は、理工学部の石村教授を兼ねて御存知やね?」

「はい」

「石村先生から、ヤギ君に御指名、カカッテルデ」

 やはり、あの案件か。八木青年は直感した。山内氏は内線電話で石村教授の研究室に電話をかけた。教授は研究室に在室していた。

「石村先生がこちらにお越しであるとのことやが、君、時間あるか?」

 山内氏の問に、彼は特に急ぐ案件はない旨回答した。

「ほな、よろし。先生から学食横の喫茶で待っておくよう御指示があった。今から行けば少し早いくらいで到着しよう。直ちに喫茶に向ってください。用件はそちらで確認して。本学部も教務も、本件にはこれ以上関知しません」

 山内氏は、いささか大げさな表現で伝達事項を締めくくった。

「わかりました」

 八木青年は、指定された喫茶に向った。


 喫茶到着後程なくして、石村教授がやってきた。夏物の涼しい色の上下背広に、これまた涼しい色合いのネクタイといったいでたちである。涼しげな色の上下の服に、セルロイドのメガネの上部の黒と茶色の革靴がアクセントを添えている。


「ハチキ君。先日の王将京都でお尋ねした件について、早速打合せや」

「はい」

 やっぱり、あの件か。

「ほな、これで、コールコーヒー2つ頼むな」

「わかりました」

 アイス珈琲と氷水入りのグラスを持ってきた八木青年を向いの椅子にかけさせ、石村教授は用向きを切り出した。

「卒業要件を満たす単位を揃える見込は既に立っておるな」

「はい。あとはゼミ論ですが、これもめどは立っております」

「大いに結構。それでは、この度の件についての打合せや」

「広島大学の集中講義に同行せよとの仰せですね」

「せや。行きは新幹線や。4泊して、帰りの土曜日に岡山に立寄ろう」

「また無料どころかお金迄いただいて帰省させていただけるとは世にもありがたいお話ですけど、研究室の人はおられんのですか? 数学もままならん私なんかが物理学の講義に同行してよろしいものでしょうか?」

「広大の学生諸君の面前で数学や物理の問題を出して貴君をさらし首にするつもりはあらへん。今回は専門の集中講義や。君が出てきてわかる話と違うし、第一、そんな知識を求めて呼ぶのではない。そこは安心したまえ。研究室の子らは助教授さんにお任せしておる。それに、こんなことでわざわざ連れて行くわけにもいかん。そこに来て君はどうせ夏休みで空こうがな。王将の店長さんには君を借りる予定は早めに申し出ておるから、大丈夫や」

「ほな、今日の夕方に店に寄って店長に申し出ておかなければなりませんね」

「今日は休みか?」

「はい。この3日ほど休みをいただいております。明日には行きます」

「ま、寄れるようなら今日のうちに言っときな。で、日程であるが、~」

 その日程は、2週間後の月曜日から。3年来続けている飲食店のアルバイトのほうは、夏休みの2か月間については基本的には休みにしてもらっているのだが、人手の足りないときには臨時で入ってもらうよう店長から依頼されている。

「とにかく、無理な時期に呼び出されてもお互い困りますから、こちらから申し出ておけば問題ないでしょう」

「せやな。ほな、頼みます」


 その後彼は、王将京都のバイト先の店に向った。

「石村先生からのお話、すでに伺っとる。その時期に広島に行くネンナ。ほな、わかった。滅多にできん経験でもある。しっかり行って来なはれや」

 話はすんなりまとまった。この店長、実は広島出身である。そればかりか、岡山にも親戚がいるという。

「ぼくが代わりに行きたいくらいや。このところ里帰りしてないからなぁ。ほな、申し訳ないけど八木君、もみじ饅頭、頼むわ。間に合わなかったら、岡山のきび団子でもええ。あれ、酒のつまみにええんよ」

 どんな日程かはすでに教授から店長に話が行っていたこともあり、その日のうちに八木青年の王将京都のバイトのシフトの件は解決した。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


 彼らは食堂車を通り抜ける通路から外れ、食堂車内へと入った。

 食堂車の客はおおむね2割程度か。京都からやって来た客も何人かいる模様。さらにいくつかの座席も埋まった。特に相席を求められるほどでもない。石村教授と八木青年は、進行方向海側の2人席に向かい合って腰かけた。

 ウエイトレスが注文を取りに来た。彼らは洋朝食を頼み、飲み物にはアイス珈琲とオレンジジュースを選んだ。この洋朝食はそれなりに本格的なもので、値段もホテルの朝食並にかかる。市井の喫茶店に比べ幾分豪勢ではあるが、その代わり高価な食事でもある。なるほど、高くてまずいという客がいるのも頷けないではない。

 注文後数分もせぬ間に食事のプレートがやってきた。

 この列車は新大阪で乗客が乗って来ることが予想される。

 急ぎの客もいるらしく、そそくさと珈琲を飲んで、もしくは食事を済ませ、素早く会計を済ませて山側の通路へと出ていく客もいる。

 山側の客がどのあたりを歩いているかは、この食堂からはわからない。通路との間は壁で仕切られているからだ。そのため、折角の富士山が見られないではないかという苦情も入っているそうである。

 もっともこの列車は静岡県を走らないから、どうあがいても富士山は見えるわけもないのだが。


「豪勢なモーニングの出る喫茶店みたいですね。にしては値段が張りますけど、場所が場所ですから、仕方ないでしょう」

「まあ、そんなところや。味のほうもさすがに食堂車だけあって悪くはないが、確かに貴君仰せの価格の問題は、いかんともしがたいわな。この食事にかかっておるのは材料費だけやない。人件費や国鉄に払う営業料なんかも、な」

「そりゃあ、街中の喫茶店に比べて嫌でも高くもなりますね」


 そうこう言っている間に、簡単に食事が済んだ。教授はウエイトレスに金を払って領収書を受取り、青年とともに7号車の座席に戻った。

 列車はそろそろ、新大阪に着く頃である。


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