第26話 吹き抜ける風

「……その認定証はちゃんとした形でもらいますね。まったく、もっと下にいると思ったらここにいるなんて……今日の俺は大分ラッキーだな」



 50階層まで突っ走って飯も睡眠もほぼ無くここまできて、レベルアップで回復があったとはいえしんどく思ってた。


 でもこの幸運で何もかも吹っ飛んだ。



 スキルの怒気は切れてしまってるものの、スキルレベルの上がったドラミング効果は維持。


 脚は緑玉鹿に向かって軽快に動いてくれる。



 しかもこいつはA-という高ランクのモンスターのくせに強そうには見えない。



 やや光沢のある緑色の斑点で一本角。



 それ以外は普通の鹿。


 立派に見えるけど、あの角で幼角になるのか?



「――駄目だ! 一旦引け!」



 緑玉鹿との距離が詰まっていくと血原の焦った注意が飛んだ。


 あの血原が俺を気にかけるなんて明日は雪でも降るんじゃないか?



 でも残念、俺の脚はもう止まってくれそうにない。



「掴んだ!!」



 緑玉鹿は思ったよりも無防備。




 俺は簡単に角を掴んだ、と思った。




「あ、れ?」


「幻覚!? 一本角になった緑玉鹿の斑点は個体ごとに異なったスキルを発動させるが……その中でも最悪を引いちまったか」



 目の前に見えていたはずの緑玉鹿の姿が消えた。


 そして慌てて振り向くと緑玉鹿は俺の背後でその角をこちらに向けていた。



「ヤバ……」


「ちっ。仕方ねえか……弾けろ!!」



 迫るその角に合わせて何とか手を回そうとすると、それよりも早く更に後ろで血しぶきが舞った。



 それを警戒したのか緑玉鹿は横に飛んで距離をとった。


 無理矢理攻めてこないところを見るに相当注意深い相手らしい。



「ありがとうございます。助かりました」


「緑玉鹿はその素早さと注意深さで狩りが難しいモンスター。だから訓練としてはうってつけだと思ったんだがな……。あれはもう別もんだ。ダイヤモンドランクだってちゃんとしたパーティーを組まねえとどうにもならない」


「でも幻覚スキルさえどうにかなれば――」


「倒せるかもしれない。だが確率低い。それにあの角は成長しきった状態。今倒しても幼角は手に入らない。つまりあのかてえ角は折って新しく幼角を生やさせるしかねえってことだ」


「……そんなに硬いんですか、あの角」


「ああ。俺の攻撃力じゃあまず不可能だろうぜ」


「じゃあ、俺なら?」


「……いけるかもしれん。でもその前に串刺しだ。まぁ、もう少し訓練、レベルアップしていればどうなっていたか分からなかったが」


「それって……」


「レベルアップつっても質は違う。死ぬほど筋トレをした後にレベルアップすれば通常よりも攻撃力が上がりやすい。死ぬほどランニングした後にレベルアップすれば走力がアップする。で、数値にならない感覚的なことってこともあって身体能力の向上は証拠がなくてあまり広まっていない。だからお前も知らなかった」


「それを今回の訓練で教えようと?」


「信じねえ奴もいる。だったら実感させてやったほうがいいだろ? まぁストレス解消したいからってのもあったが」


「なるほど」


「だがそれももう終わりだ。今緑玉鹿と戦うにはあまりにも受け取れるもんが少なくて……リスクがたけえ」


「……それは諦めるってことです、よね」


「……。仕方ないことだ」


「でもこんなところで諦めるような奴は目的を達成できないって、血原さんいいましたよね?」


「それは――」


「それってもしかして俺だけじゃないんじゃないですか? 今の血原さんの顔、唇の血……凄く情けなく見えます」


「お前……言ってくれんじゃねえか。……死ぬぞ?」


「俺、諦めるが悪い人間なんで死にませんよ」


「……。はぁ、俺は認定証を渡す見定めを探索者協会から命じられた探索者。戦闘不能ならまだしも死なせたとなればどうなることか……」


「血原さん」


「面倒だけどよ、付き合ってやる。お前の諦めの悪さに。……そんで、もう置いてかれねえ」




 サァ……。




 血原の珍しい表情と呟き。


 それに怒りとは違う込み上げるものを感じとると、辺りを爽やかな風が吹き抜け……突如として風景が変わり始めた。

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