海賊狩り

第27話 旧友の訪問

 遠江国榛原郡大井川城 一色政孝


 永禄3年12月上旬


「随分と御屋形様の御決断が早かったと思ったのだ。だがその場に伊予守様が同席されていたとなると、納得もまぁ出来るというもの。これは良き時期に人をやったものだな」


 話を振られた昌友は、ただ無言で頭を下げる。

 そして一切口を開こうとはしなかった。なぜならば、一色家より格が上とされている人間がこの部屋にいるからである。


「しかしまさかこれほど早くに送り込んでくるとは。俺の監視か、あるいは文句か」

「どちらであると思われますか、右門殿」

「どちらも。そうであろう、源五郎殿」


 十数日前に予想していた通り、今川館より人が遣わされた。そしてこれまた予想通り、その使者は瀬名源五郎氏詮。幼き頃の悪友であった。

 しかしさすがに今ではその頃のいい加減さは微塵も感じられない。この男は一門衆の筆頭になることが期待されており、元服後は氏俊殿の傍に付き従って瀬名家のふるまいを学んでいるのだ。

 だがそれでも俺の前で見せる態度はどこか懐かしいものであり、やりにくいと思っているのか、あるいは今さら改まった態度をとることが恥ずかしいと感じているのかは不明であるものの、どうにも気持ちの悪い空気が漂っている。

 それを察してか、瀬名家から連れてきた者や、一色の家臣らもどこか気まずそうに目を伏せていた。


「御屋形様はたいそう右門殿を心配されております。初陣を華々しく果たしたものの、未だ一色家軽視は続いているような状況。あれもただ運がよかっただけだと、認めぬ者たちも大勢おります。そして加えて井伊の一件。なにゆえ井伊の内輪もめに介入し、それを小野が訴えを起こすまで黙っていたのかと不信感を募らせている者が」

「大勢いるのであろう。しかし弁明はせぬ。そもそも俺が井伊の者を囲っているという証拠などあるまい。あるならば出して俺を納得させてみよ」


 完璧に隠せるとは思っていない。

 人の往来を完全に隠すことなど不可能であり、目撃者を全員黙らせることなど出来るはずが無いからだ。

 だが目撃証言などが決定的証拠になるはずもない。それ以上に確固たる証拠を持ってこない限り、俺は一切井伊の生き残りについて弁明するつもりなど無い。


「…それは」

「御屋形様が源五郎殿を送り込んだことは正しかった。ここで引き下がらぬ人間を送ってきていれば、間違いなくひと悶着あったであろうで。そう思うであろう?」

「実はあの日、義父もその場にいらっしゃったのです」

「左衛門佐殿が?それはまた」

「葛山家の息のかかった者を送り込もうとされておりまして、それを父上が阻止された形でございます。今の右門殿の言い分を見て、私でよかったと確信いたしました。もしこれが私でなければ、難癖付けてさらに悪い立場へと追いやられていたことでございましょう」

「同感だ。左衛門佐殿は駿河衆の中で最も一色家の存在を嫌っている。まぁ自身と同様に広大な領地を持つ一色家の待遇に腹を立てているのであろう」


 葛山家は駿河の東、御厨地方に領地を与えられている一族である。

 この地は東に相模の北条、北に甲斐の武田を抱える今川家にとって戦略上非常に重要な地とされていた。

 今川家へ完全なる従属を果たす前には、この奪い合いが必至の地で生き残るために近隣の強大な大名家と養子縁組などを行うことで生き残る戦略を立ててきたゆえ、そのしぶとさは高く評価されている。

 例えば後北条家の祖である北条早雲が相模を制した際には、葛山家の姫が早雲に嫁いでおり、北条五代に仕えることになる北条幻庵が生まれていたり、現当主である葛山左衛門佐氏元殿の正室が北条氏綱の娘であったりと。

 この様子から見ると北条家との関係がしっかりと結ばれているのかと思うのだが、河東一乱の折に突如として今川家へと寝返っているのだ。

 現在では先ほども言うたように御厨地方に所領を安堵され、さらに同族が武田家に仕官していることを利用して、対武田外交でも高い評価を得ていたりもする。

 まぁその外交ルートを先代義元公はあまりよく思っておられなかったようであるが。

 そんな葛山氏元殿であるが、どうにも性格に難がある。

 そもそも同じような境遇でありながら、一門衆に列せられたことを優遇とみて、こちらを妬んでいるのであろうが、そんなに文句があるのであれば婚姻を推し進めた義元公に言ってほしいものである。その婚姻によって生まれた俺に文句を言うなど、お門違いもよいところだ。


「あと父上曰く、その場には三浦内匠助殿もいらしたと」

「あの方が。して口出しは?」

「無かったと聞いております。ですが明らかに態度から不満の気が漏れていたとも申しておりました。父上は例の策について、傅役であり御屋形様が最も信頼しておられる側近でもある内匠助殿が容認したことについて、強い不信感を抱いておられます。おそらく右門殿もそうなのではないかと申しておられました」

「なぜ伊予守殿はそのようなことを?」

「前の評定の際に、随分と難しそうな表情をしておられたからであると。その後、なし崩しで義父様との暴言の応酬になってしまったため、真意を探ることが出来なかったと」


 あの日、俺が漏らした失言の真意を知る方がおられた。そのことに驚きであった。

 ついつい口にしてしまった言葉を主批判だとでっち上げられたせいで、その後うやむやにされていた件であったから、俺もすっかり忘れてしまっていた。

 そんなことを氏俊殿は覚えておられたようだ。


「たしかに俺もあれはおかしいと考えていた。弱った今川家を喰らうために、武田も北条も兵を向けてくるだろうと。その危険が一切ないと言い切るための根拠が無いと。しかしそんな大きな危険を全て切り捨てて、あまりにも危うい援軍要請など、本来であれば楽観的に容認できるはずのものではないのだ」

「あの一件について、父上は家臣一同の反応を見るためであったのかもしれぬと悩んでおられました。しかし今回の件で確信したと」


 俺は氏詮から発される言葉を聞きながら、正直内心ほくそ笑んでいた。

 瀬名父子は完全に俺を信頼しきっていると。本来であればこのような話を外の人間にすべきでは無いのだ。

 もし俺が三浦内匠助正俊殿と繋がっていれば、瀬名父子の疑惑はすぐに正俊殿に届くことになるだろう。そうすれば、いくら一門筆頭の立場を持つ瀬名家であっても同様の地位を有していた関口家のように潰されてしまうかもしれない。

 現在の正俊殿はそれが出来るだけの権力を有している。実際関口家の処分について、随分と意向が尊重されたという話もあるくらいだ。


「―――でありますので…。右門殿、聞いておられますか?」

「もちろんであろう。それで御宿の家の者と接触していたことが確認されたという話であろう?だがそれだけで離反を追求することは難しかろう。左衛門佐殿がいれば、縁を頼ることができる。反対されたことを勝手に推し進めることは問題であるが、この良くならぬ今川の情勢を思って、武田家から助力を得ようとしていたと主張すれば、それ以上あの男を責められるのであろうか」

「それは…」

「少なくとも瀬名家より立場の弱い一色家では出来ん。ただでさえ井伊家のことで微妙な立場に追いやられているのだ。小野が一色の名を出したことを謝罪し、今回のことに俺たちが無関係であったと宣言しない限りは下手に動けぬ。それに」


 俺はここからは残念ながら見えないものの、間違いなく潮の香りを感じることが出来る部屋の外へと目を向けた。

 なぜ俺が今川の勢力争いに関与できないのか。その理由はまさにあの向こう側にある。


「海賊狩り、でございましたか。ここ数か月にわたって、水軍を重視していたのは」

「庇護下の商人らが受ける被害が尋常でないのでな。元より考えていたことではあったが、これを機に戦力を整えることとした。それに必ず水軍を頼って戦をする日が来る。物資の輸送を船で確実に行えるようになれば、それだけで有利になることもあるであろう」


 もちろん海上輸送という概念が無いわけではない。しかし些か、長距離航海となると船の安全性という点で信用できない。

 また駿河湾近海のみに限らず、海賊行為をしている者は結構多い。今の俺たちのように、正規の水軍衆が海賊に後れを取ることだって十分に起こりうることなのだ。実際、瀬戸内の海賊は手ごわいという話であるし、近場で言えば志摩国の連中は海賊ではないものの、やっていることはほとんど海賊と変わらないと悪名高い。


「駿河でも水軍の戦力拡充に努めておりますが、やはり周辺の海賊が手ごわいためかどうにも手こずっているようで。それでも権大夫殿は頭1つ抜けておりましょうか?」


 伊丹権大夫雅勝殿は今川家の海賊奉行に任じられており、今川家が抱える水軍衆の指揮全権が場合によっては与えられているほどの腕前である。

 それでもまだまだ低いレベルの話ではあるが。だがなんであれ、それだけの実力が認められていることも事実だ。

 元々は摂津の国人であった伊丹家に連なる人物であるらしいが、管領細川家のいざこざに巻き込まれて、母方の縁を頼り駿河にまで逃れてこられたそうだ。

 まぁさほど興味があるわけではないが、管領が絡むためかこの話は今川家に属する者の大半が耳にした話である。


「次点で岡部与惣兵衛殿でございましょうか」


 岡部与惣兵衛貞綱殿も今川水軍の一角を率いる1人である。すでに60近い老体ではあるが、船に乗る姿はなかなか様になる。一度だけその姿を見たが、船上から発せられる凄まじい威圧感があったことを今でもはっきりと覚えていた。

 だが氏詮が上げる者は、誰に聞いてもそう答えるであろうとされるところ。ありきたりであり、順当でしかない。

 その点で言えば、俺は少し違う。


「まぁ頭1つ抜けているのは、間違いなく一色であろうが」

「…海賊に手こずっておられましょうに」

「一色の水軍であるから壊滅していないのだ。その辺の水軍衆をぶつけてみろ。完膚なきまでに叩き潰されるゆえ」


 まぁこちらも染屋の傭兵護衛があってようやくこれだけの被害で落ち着き始めただけであるが、見栄を張ることも必要である。ただの対抗心という幼稚なものではなく、瀬名家の嫡子に一色の兵が精強であることを印象付けるために。


「…まぁそれはそうなのでございましょう。これまで近海の海賊は放置されておりましたので。それゆえに奴らがここまで増長し…」

「まぁそういうことだ。だがひいき目を抜きにして、俺が最も期待しているのは朝倉河内守殿か」

「安倍七騎筆頭の河内守殿でございますか。たしかに水軍兵力の整備に力を注いでおられますが、実績という実績は」

「それは誰も同じはず。その中で地盤無きあの者が領内のことに加えて水軍の戦力強化に手を出したことを評価したい。俺よりも歳が下の男が、駿河という縁も無い地で新たなことに手を出したのだ。それだけでも十分に素晴らしき判断であると思う。それにまだ若いことも評価すべきだ。老体であれば、なかなか海の上では辛かろうで」


 そう言うと、先に名を上げた2人の爺さんらは怒るであろう。

 だが年齢ばかりはどうにもできない。ずっと静かに俺たちのやり取りを見ている爺だって、もう少し若ければもっと色々仕事を割り振ったはずだ。

 そりゃ時真の手前、あまり無茶苦茶なことは出来ないであろうがそれでも…。

 いや、すでにどうにもならぬことで悩んでも仕方がないか。

 ちなみにだが、朝倉という名からもわかる通り在重殿は越前朝倉家に縁のある人物である。実際に父親が駿河の地を踏んだわけではないらしいが、その実父は朝倉家の大野郡司であった朝倉景高という人物とのこと。それよりも有名な血縁者は長兄の朝倉景鏡か。朝倉家を滅亡させた原因の1人と挙げられ、後に悲惨な死を迎えた人物でもある。また父親の方も、主家に対するクーデターを画策して失敗している。

 そんな父と兄を持つ在重殿だが、本人は実直な性格で評判も良い。

 今川館の近くに城と領地を与えられたのも、その性格が評価されたからであろう。ちなみに最近与えられた城は、元関口家が預かっていた持舟城だ。安倍川の西に位置するこの城と、近隣の地を与えられた在重殿は水軍の整備に着手した。まだまだ何も始まっていないような段階ではあるが、その行動力も込みで期待している人物である。

 願わくばこちらに協力してほしいところ。人となりを抜いても、安倍川流域を押さえている安倍七騎の頭領的立場にある在重殿が味方になってくれると非常に助かるのだ。

 すぐそこに今川館が見えるゆえ。


「いずれにせよ、今の駿河水軍衆を目的の海賊に鉢合わせればどれだけの被害が出るか分からぬ。それならば比較的水軍衆の重要性が軽視されている遠江の水軍でどうにかしてしまった方がよかろう」

「それで援軍を断られましたので?」

「御屋形様であれば間違いなくそう言ってくださるとわかっていたでな。あらかじめ遣いの者には断るように伝えておいたのだ」

「そういうことで…。して上手くいきそうなのでございますか?」

「わからん。だがこの冬の間に決着をつけるつもりでいる。そのために大きな罠を張っている最中なのだ。どうだ、見ていくか?海賊狩りの行く末を」

「もちろんそのつもりでございます。しかし監視という名目は非常に便利なもので、御屋形様からのお下知でございますから、監視だと公言しても右門殿は私を蔑ろにできません。そしてそれは一色家中の方々も同様に」

「いやいや。旧知の仲である源五郎殿を蔑ろにするはずがなかろう。たとえ伊予守殿に差し向けらえた監視だとしても、他に目的があったとしても。俺は寛大な心で迎え入れるわ」


 顔を合わせた時に比べて、随分と和やかな空気で時間が過ぎていく。

 本当にそんな呑気なことを考えている奴がいたとすれば、それはもう特大の馬鹿だ。

 氏詮の目的は井伊の件の監視でないことは明白だ。わざわざ今川一門の筆頭である瀬名家の嫡子を送り込んできたのは、そんなことのためではない。

 これは間違いなく様子見と警告であろう。

 天野家のことで俺の影が少なからず見えたはずだ。あちらもまた嫡子を送り込んで、一色庇護下の商人に対する行いについて詫びに来ている。そして直後の犬居谷騒動だ。

 井伊家の騒動の中でも、長い一族の歴史の中で特に関わりのなかったはずの一色家の名が出てきている。

 これらのことが偶然であると氏俊殿は考えなかったわけだ。それゆえに気心知れた氏詮を送り込んできた。こちらの心の内を探らせるために。

 そんなことは端から分かっている。だからこそ、懐深く、迎え入れたのだ。

 本当の使者諸共、な。


「まぁゆっくりして行ってくれ。そろそろあの者たちも神高島に上陸した頃合いだ。数日のうちに良い知らせが届くはずである」


 まぁ氏詮と使者のことはどうでもよい。俺から何か得られることは無いゆえに。

 それよりも海賊狩りの方だ。氏詮にあれだけ大見得切っておいて、散々な負けを喫するのだけは何としても避けてほしいところ。

 しかしあの者たちの協力があれば、今度こそ上手くいくような気はしている。あとは逃げ隠れしている海賊どもを表舞台に引きずり出すだけなのだがな。

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