第26話 悪循環の最中
「流民の受け入れは順調でございます。ごく稀に近隣の領主方より、苦情を頂くこともございますが、殿に言われた通りの対応をしております」
昌友の報せはおおむね満足のいくものであった。
そもそも土地の有効活用が出来ていたとは言い切れなかった状態から、民を増やし、農地を増やし、大井川やその近辺にある支流から水路をある程度広げたことで、大幅に国力を増加出来ている。
また迎え入れた鍛冶職人らもとりあえずは職人町の区画に住まわせ、積極的に弟子を取らせている。
まだまだ火縄銃の量産体制などは整わないが、それでも鉄器の生産は順調であると言えるだろう。
近隣より頂く苦情とは、流民を強引に大井川領に住まわせているのではないかという、事実無根の言いがかりである。そもそも流民らが大井川領内に集うのは、昌友が領内を豊かにしてくれているからであって、俺たちが他所の民を攫っているわけでは無いのだ。文句を言われる筋合いなどまったく無い。
まぁ目に見えて領内が発展しているゆえ、一言文句を言わねば気がすまぬのであろうな。
昌友には「同じようにして、領内を豊かにすればよい」と俺が言っていたと遣いを追い返させている。きっと怒り心頭であろうが、そんなことは知ったことではない。三河での騒動を見ても、何一つ行動を起こさなかった自身の鈍感さを恨んでほしいところである。
「しかし三河での動乱よりもう何十日と経ったが、未だに宿や寺に世話になっている者が大勢いるのか。これはこちらの期待以上に人が集まったのだな」
「まことに。現在追加で東海屋に向けた支援金を捻出しております。しかし早く年を越さねば、本当に蔵が空になる勢いでございますので、まことに加減に注意していただきたく」
「分かっている。そもそも今年はあの敗戦から随分と金が多く出て行った。父上がもう少し商人らとの交渉を踏ん張ってくれていれば、上納金をあてにすることも出来たのだがな」
「…まだあの頃は商人との関係も今ほど良いものではありませんでしたのでな」
ずっと黙っていた爺が口を挟んだのは、俺が父上のことを悪いように口走ったからであると思われる。
相変わらずの忠義心であるが、そろそろ俺を1番にしてくれてもよかろうに。もちろん爺にそのようなつもりは無いのだろうがな。
「たしかにそうだったな。俺がどれだけ忠告しても父上はまったく頷いてくれなかった。あれでは商人らに下に見られると何度も伝えたのだが」
「ですがそうはなりませんでした。あれに関しては私と殿の見当違いであったということ。政文様のお考えは決して間違いでは無かったということでございます」
「わからずやだと取っ組み合いまでしておいて、結局俺が間違っていたのだからな。きっと今頃、にやにや顎髭を触りながら俺を見下ろしているであろうよ」
これは現在の保護式目を発布する直前の話。
爺が俺を言ったら聞かぬ頑固者であると認識した一色父子の取っ組み合い事件はまさにこのことである。
保護式目の発布当時より上納金の取り決めがあったのだが、当初は高すぎると保護下の商人らが口々に文句を言っていた。それゆえに他、式目の改正に合わせて上納金の見直しも進められたのだ。
だが一色家の貴重な財源の一部を担う上納金のあまりの引き下げ案に昌友が困り果てた。これでは改正以降、一色家の懐事情は相当に厳しくなると。そこで昌友と相談した俺は父上に直談判したのだが、まったく取り合ってくれなかったゆえについつい掴みかかってしまったというわけだ。その場を目撃した爺が勘違い(?)をして、俺が頑固者なのだという評価を下した、と。そういう話である。
「今すぐには無理だが、もう少し財源をどうにか考えねばならぬな。手っ取り早いのはやはり火縄銃か?堺や国友、雑賀に負けぬ産地になれば、それだけで相当な売り上げが見込めるであろう」
「一朝一夕でならない話でございます。それにますます彼らに狙われましょう」
昌友の視線の先にいるのは、まさにその彼らの情報を持つ清善である。
水治奉行として一色家の海全般を担う清善であるが、さすがに今回ばかりは苦戦気味。それでも商人らが抱える傭兵らの手助けもあり、比較的順調に海賊狩りが進んでいるという話は聞いていた。
しかし未だ本命との接触が無く、つい先日奴ら最大の根城とされている神高島への上陸許可を求められたわけである。
しかしこの許可はさすがに独断で下せない。なんせ一色家の領地が増えるということは、それすなわち今川家の領地が増えることと同義である。さすがに勝手に事を進めるわけにはいかぬゆえ、これは御屋形様のもとに人をやって許可をもらっている最中である。
「海賊狩りは順調でございます。これは先日の報告でお伝えした通り」
「俺もそのように聞いている。で、だ」
「例の手ごわい海賊らは我らが共闘を始めて以降、一度も姿を見せておりません。これがたまたまなのか、はたまた恐れて姿を隠してしまったのかは不明でございます。ですが神高島へ海賊らが出入りする様子は確認できておりませんので、おそらく別の根城で様子を見ているのかと」
「勝てる相手だけを襲う、か。まぁ海賊であるのだから当然であろう。それに」
俺の言いたいことが清善にも分かったようで、まだ何も言っていないにも関わらず即座に三度頷いた。
「傭兵らは元々商船護衛を生業としております。もちろんその依頼は、雇い主である染屋の収入でございますので、いつまでも我らと行動を共にすることは出来ません」
「やはりか。染屋からは何か言われているのか?」
「…直接は」
「暮石屋を介しては」
清善に代わって答えたのはやはり昌友であった。
「すでに保護下の商人らが困り果てているという話は聞いております。海賊はあの者たちのみではなく、特に京への航路の最中には厄介な者たちもいるとのことで。それゆえ、出来るのであれば早急に元の任に戻してもらいたいと。組合の長として暮石屋はその者たちの不満を押さえてはくれておりますが、そう長くはもたぬと思います。少なくとも年を跨ぐ前に解決しなければ、それこそ来年初めの上納金に影響が出ることになるかと」
結局そういうことだ。
商人らにとっても、これだけ武力行使が当たり前の世界であるからこそ力のある庇護者を求める。その役目を一色家が担っていたからこそ、商人は大井川領内に集まっていたのだ。これを成し遂げたのが俺の祖父や父上である。
だが決して忠義などで結ばれた関係でない。金の切れ目は縁の切れ目という言葉があるように、俺たちと関わることで金儲けができなくなるとなれば、彼らはこの地より去っていくであろう。
庇護下の商人が減れば上納金が減ることは当然の話であり、それは俺たちの望むところではない。ゆえに早期の解決が求められる。
傭兵護衛らが通常業務に戻れるように。
「染屋はどちらにしても傭兵護衛の依頼料を得ておりますので、さほど文句は出ていないと。ただ護衛を出してほしいと連日別の商人らが店に乗り込んでくることだけ、面倒であると申しておりましたが」
「…彦五郎」
「はっ」
「御屋形様がどこまで一色家の事情を理解してくださっているかがわからぬゆえ、神高島への上陸許可が遅くなるということは十分にあり得る」
「はい」
「だが遣いが戻り、許可する旨の返答を頂ければすぐに行動に起こすゆえ、水軍衆にその支度をさせておけ。それと引き続き、近海を見廻らせ、怪しい船には片っ端から声をかけるように」
「かしこまりました。そのように」
「それと空いた時間に水上での戦い方や、修練方法など、いかにして水軍衆を強くするのか。その術を学ぶよう、又兵衛らに命じるのだ。時間はもうさほど無い。一刻も無駄にするなとな」
「はっ」
清善はさっそく行動しようと腰を上げかけたのだが、同時に俺が口を開きかけたため昌友に膝を押さえられていた。
「おっと!?」と声を漏らしてふらついていたが、俺の声も聞こえたようですぐに座り直す。
「悪いな、あと少しだけ話に付き合ってくれ」
「い、いえ。私も逸りました。申し訳ございませぬ」
「よい」と手を振り、俺は改めて2人。いや、少し離れた場所で事の成り行きを見守っている爺も含めた3人を見た。
「実は少し前から考えていたことがあった」
「考えていたことでございますか?それはいったい」
水軍関係の話が続いていたゆえ、問いかけてきたのは清善である。
「少し前に爺にも話したことがあったが、これまでの海賊狩りの被害もあり水軍衆の人員が全く足りていない。それはもう目に見えて明らかであろう」
2人に問うと、ほとんど同時に素早く頷いた。それはもう迷うことも無く。
「しかし船に乗って戦うゆえに、その辺の兵を連れて来ても即座に戦力になるわけではない。今の水軍衆が弱いのは、そもそも船上、海上での戦い方に慣れていないことが最大の原因であると思うのだが、彦五郎はどう考えているのであろうか?」
これはこの中で最も戦いぶりを見ている清善に問うたもの。
清善はわずかばかり考えた後、納得したようにゆっくりと頷いた。
「おそらく。練度が低いと感じる原因はそれであると思われます。ゆえに修練を指導できる者も少なく、なかなか戦力の向上が見込まれぬのはそのためかと」
「やはり。だが現状、兵を追加する余裕も修練で練度を挙げる余裕もない。海賊らはそのようなこちらの事情など関係ないゆえな」
「…ならば如何いたしましょうか」
清善にとっても頭の痛い問題であったはず。
そこで俺は2つ、問題の解決策を考えてみた。
1つ目が何日かほど前に爺に話した海賊を一色配下に組み込むというもの。だがこれは奴らを蹴散らした上に捕縛に成功してようやく実現するものであり、現状の戦力差と時間の無さを考慮すればあまり現実的では無い。
そこでもう1つ。
流民で溢れた大井川領であるからこそ有効な策。
「現状のみの話ではあるが、水軍衆に限っては徴兵ではなく、兵を最初から雇い入れる。銭で兵を雇い、船の上で戦うことを生業とする組織をつくるつもりだ」
「銭で雇うのでございますか!?」
声を荒げたのはやはり昌友である。
先ほど金が無いという話をしたばかりであるのに、俺がまた支出になるであろう話を持ち出したゆえに思わず声が出たのだと思われる。
当人もすぐに浮きかけた腰を下ろしていたが、恨むような視線は投げかけられたままである。なんせ隣の清善がすでに興奮状態にあるからだ。
「主水の言うように銭で雇う。だがまぁ、今年中には無理だ。先ほどもあったように、今年はもう金の余裕が無い。だが来年になれば、水軍衆1人1人に禄を渡すことになるであろう。それを含めた予算組みをする。それであれば問題あるまい」
「上納金が大幅に減っていなければ、無理な話ではないと思われます。ですが少しでもこの海賊騒ぎが尾を引けば、それもまた難しいことになるかと。最も金をかけるべきは海賊狩りではございませんので」
結局領内発展の妨げになる海賊行為ではあるが、それでも関連支出の優先度は低い。だがこれは仕方が無いことだ。今まで重視してこなかったことに加えて、一気に増える流民やそれに合わせた領内開発。
あまりにも銭の行き先が決まっている。だからこそ商人らの心が一色家から離れないように心掛けなければならないのだが、そうなると近海の安全航海を果たすために海賊を退治しなければならない。今の戦力ではそれが難しいゆえ、染屋の傭兵護衛をフル稼働させる必要があり、結局商人らの護衛依頼が受け入れられずに心が離れていく。
今はとにかく悪循環の最中にあるわけだ。ここから抜け出すためには、結局早期海賊討伐が必要となる。そんなことは誰もが分かっているのだが、奴らが隠れてしまっているから困っているわけで。
おそらく共闘関係が終われば、また連中が出てくることであろう。そして被害続出…。
「わかった。やはり年内で片を付ける必要があるな。清善、時には思い切った策も必要であると心掛けよ。必要であれば爺に協力を求めればよい」
「ひ、氷上様にでございますか?」
「まぁ船上での戦い方に関しては爺にも分からぬことがあるだろうが、敵の心を読む術に爺は誰よりも長けている。足が船になっているだけだからな。まぁ多少勝手は違うであろうが、それでも何も進展が無い今を思えば、まったく違う視点に立つ者からの言葉で妙案が浮かんでくるやもしれぬ」
「な、なるほど。氷上様、近くお時間を頂いてもよろしいでございましょうか?」
「儂は構わぬ。少しでも殿のお力になれるのであれば、喜んで力を貸そう。どこまで助けができるかは分からぬがな」
了承を得た清善は今度こそ満足げに部屋を出て行った。
まだ話は微妙に終わっていなかったのだが、まぁ諸々の準備も必要であるし、言いそびれた話も今すぐことを起こすものでもない。
昌友の言うように、今年はどうせ無理だ。来年、いくらほどの予算が組めるのか。すべてはそれ次第。
今はとにかく身を隠している海賊どもを引っ張り出すことが最優先であるからな。爺の頭と、水軍衆らの実力でどうにか今年中に事態が解決すればよいのだがな。
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