第28話 神高島の歓待

 神高島柚賀浜 小山家房


 永禄3年12月上旬


「船を迅速に浜辺へと上げよ!すぐに列を組むのだ!」


 私の声に応えるように、方々より「応!」と声が上がる。そんな中、ゆったりとした所作で船から降り立たれたのは、水治奉行である清善殿であった。


「いくらなんでも、やはり冬の駿河湾は寒い。又兵衛殿もそう思わぬか?」

「雪が降り始める前でよかったと私は思っておりました。視界が悪い中での海越えは、今の我らの技量では少々足らぬと思うておりますので」

「…もう少し時期が遅ければ、皆で仲良く海に身を投じることになっていたと?」

「そういうこともあったかもしれぬという話でございます。ですがたどたどしい操船術を見て、きっと彦五郎殿も不安に思われたのではございませんか?」


 そう問いかけると、どこか言いにくそうに、そして周囲の目を気にするように、控えめに頷かれた。

 これは船に乗っている者が感じているものではない。船の上が不慣れな清善殿ですら感じとれてしまうものであるのだ。それがいかに我らの技術が拙いかを示していた。


「しかし殿は水軍衆の整備に精力的であることはたしか。近々人員の補充を進められるとのことであったゆえ、多少は形になるであろう。その日が楽しみよ」

「たしかに。あまりにも陸と海で勝手が違い過ぎて、このままでは兵を鍛え上げることも難しいと感じていましたので」

「それは私も同様よ。その辺り、殿もよく見ておられる。ゆえに又兵衛殿も安心して此度の任を全うすれば良い」

「かしこまりました」


 一色家の実質5番手に位置するのが清善殿である。

 この5番手というのは、古くより一色家を支えてきた譜代の家臣らを総称する四臣とはまた別の序列。

 政において殿・昌友様・時宗様・時真様に次ぐ5番目ということ。これはすでに殿によって明言されている序列であり、覆すためにはその人物になり替わる必要があるほどに絶対的なものであった。

 本来であれば水治奉行は大井川港で差配するのだが、今回は殿の命で清善殿が神高島との交渉役に駆り出されたのだ。我らは言うなれば護衛である。

 万が一にも海賊らが襲い掛かってきたとき、無事に大井川領へと清善殿を連れ帰るための。


「小山様、我らは当初の予定通りに動きます」

「よろしく頼む、寅吉殿」

「お任せを!」


 そして先ほどからずっと我らの会話の切れ目を探っていた寅吉という者。この男は染屋が抱える傭兵護衛団の長であり、染屋の主人の実弟でもある。

 傭兵としての腕前は確かであるが、一方で商才は微塵も無かったとのこと。これは当人より聞いた話である。

 先代の主人である父親は、才無き寅吉殿を子として接しなかったようであるが、実兄が跡を継ぐと待遇が一変したとのこと。

 元々体格に恵まれていたことに加え、事実上家から見放されていたために丁稚の1人を連れてよく海に来ては、漁師らの手伝いをしていたとのこと。おかげで船の上での体の使い方が異様なまでに上手くなり、またその時の経験が活きているのか視野が異常なまでに広い。

 染屋は商船を保有してすぐに傭兵を雇い入れたようなのだが、かき集めた者たちであったために統率力に欠いており、それを視野の広い寅吉殿が加わったことで最強と名高い傭兵護衛船団となったのだそうだ。

 たしかに兄弟が2人並んだところを見ると、誰もその体格の違いに兄弟だとはわからないはず。私も初めて見た時、そして兄弟だと聞かされた時は思わず声が出てしまったものである。


「海賊よりもあの者たちを水軍衆に組み込んだ方が早いように思えるが」

「…あれほどの手練れ。そして染屋の収入の一部を担っている者たちでございますので、いくら協力的な姿勢を示している染屋であったとしてもそう簡単に手放さぬかと」

「それに染屋の先代の反動かわからぬが、やけに兄弟同士の絆も強い。一色家に仕官するということは、縁を切るも同義であるゆえな」

「熊吉殿は決して頷かぬかと思います」

「同感であるな」


 そうこうしている内に、上陸を果たした兵たちが隊列を組んだようであった。指揮していた者が我らを呼びにやってくる。


「用意は出来たか?」

「万全でございます。いつでも動くことが出来ます!」

「よし。まず最初に言っておくが、この島の民は決して味方ではない。そのことを皆に改めて伝えよ。必ずしも友好的な態度がとられるわけではない。何時如何なる時も平静であるように努め、決して民を怖がらせるようなことがないように」

「ははっ」

「威圧はしない一方で、必ずしも海賊がこの島にいないという保証もない。もしものときに備え、敵を迎え撃つ用意は怠らぬように」

「かしこまりました!」


 水軍衆の副官である壱助は漁師の子である。しかし漁師も決して裕福というわけではない。

 そこで口減らしとして、水軍衆の人員として差し出されることが多々あるわけであるが、その中でも頭1つ抜けた存在であったため副官として傍に置いているのだ。

 そんな壱助は誰よりも努力を惜しまぬ男であり、当初口減らしで売られてきた者だと見下されているような雰囲気があったものの、実力で周囲に認めさせた。今では立派に兵を指揮してくれている。


「少し内陸に向かえば、島長らが出迎えてくれる手はずになっております。ですがそこから先は」

「用心するようにということであろう。それは十分に理解しているつもりだ。殿にも耳にたこが出来るほどに言い聞かせられたゆえ、又兵衛殿もそう心配せずともよい」

「ですが警戒は必要でございます。当人らがおらずとも、上陸を警戒して間者が忍び込んでいるということもあり得ることでございますので」

「…たしかに、それはその通りであるな。ならば言う通り、改めて慎重に行動するといたそう。さて、では我らも行くとしようか」

「ははっ。決して私の傍を離れぬようにお願いいたします」




 島民からの歓待を受けた我らは、特に何かがあるわけでもなく島長の屋敷へと案内された。

 島長は随分と歳を重ねているようで、氷上様よりも上であるように見受けられる。どうやら屋敷には、孫かと思うほど若い娘と2人で暮らしているようで、年齢を心配して頻繁に島民らが屋敷に出入りしているようであった。

 そんな島長であるが、こちらが思った以上に会話はしっかりと出来るようで、我らの要望と島の保護を一色家で行いたい旨を清善殿がしっかりと伝えておられた。島長は涙を流して喜んでいたが、一方で娘の方の表情はあまり晴れない。その意味が私にはどうにも理解できず、しかし清善殿と島長の会話を断ち切ってまで問うことも出来ず、ただ悶々とした時間を過ごす。


「一色様の名はこの島にまで届いております。儂ら、神高島の民は長らく海賊の影響下にあり、何年も、何十年も搾取され続けておりました。目を凝らせば見えるほどの場所に、あれだけ栄えた地があるというのに、なにゆえ儂らはこのようにみじめな思いをしなければならないのかと」

「源蔵よ。これからは我らの殿が間違いなく海賊の手より守ってくださる。ゆえに安心して欲しい」

「感激でございます!林様!小山様も危険を顧みず、この島へ足を運んでくださって、まことにありがとうございます!」


 吹けば飛んでしまいそうな細くやせ細った身体を床に投げ、何度も礼を言いながら身体を震わせている。

 これだけ島長が感謝してくれるのであれば、きっと島の民も同様の反応を示してくれるはず。そうして神高島を一色家の影響下に落とすことが出来れば、海賊の根城としての役割を排除することも出来るであろう。

 海の上で無類の強さを誇るあの者たちであっても、陸にいる我らを海へとたたき出すことは容易なことではない。殿が神高島への上陸を命じられたのは、我らの得意な場所で戦うためであったのだ。やはり殿はただものでは無いと、改めて思い知らされる。


「この目出度き日をこの爺に祝わせてくだされ!決して豪勢な酒宴は出来ませぬが、精一杯のもてなしを約束いたします!」

「おぉ、それはなんともありがたい申し出だ。みなも喜びましょう」

「ならばさっそく用意をさせます。ほれ、海里みさとよ。用意をさせよ」

「はい、お父上様」


 海里と呼ばれた表情を一切変えない娘は、島長に命じられるままに部屋を後にする。結局その真意を聞けずじまい。

 酒宴ともなれば無粋な話を易々と口にするわけにもいかぬゆえ…。


「ところで源蔵」

「なんでございましょうか、小山様」

「先ほどの娘であるが」

「あぁ。海里でございますか?きれいな娘でございましょう?あれは亡き女房が残していった、儂のただ1人の娘なんでございます。随分と歳を食ってから生まれた子でございましたので、可愛くて可愛くてなかなか嫁に出すことも出来ず」

「ふむ。今はいくつほどで?」


 そう言ったところで、何やら意味ありげな視線を向ける清善殿に気が付いた。

 清善殿は間違いなく勘違いをされているが、今はそれすらも些細な問題であるように思える。

 とにかく私はこの後の酒宴で言葉を交わす機会が欲しい。そのきっかけを島長に求めているのだ。決してやましい気持ちがあってのものでは断じて無い。


「歳はでございますね。歳は…」

「源蔵?」

「い、今は19でございます。そう、19でございました!」


 何やら不自然な物言いであったが、歳は20にもなっていないとのこと。島長がいくつかはわからぬが、氷上様よりも上であるように見えることを思えば、少なくとも五十路前後で生まれた子であるということか。

 たしかに遅くに生まれた子である。しかし19となると殿と同じ年頃か。

 政文様の御年を思えば、やはり遅いな。


「嫁に貰おうとしているのであろうか。会っていきなりとは、又兵衛殿もなかなか手が早い」

「勘違いでございます、彦五郎殿。そうではなく」

「そうではなく?」

「…ただ島に閉じ込めておくにはもったいないと思っただけのこと。しかし源蔵の気持ちを無視することは出来ぬと考えを改めました」


 確かに人目を惹くほどの素材であるとは思った。だが嫁にしたいかと言われると少し違う。私はあのようにほっそりとした女子ではなく、もっと肉付きが良く、丸顔の…。

 いや、このようなことを今考えるのは止めておくとしよう。

 そんなことよりも、嫌な勘違いをされてしまった。このまま2人が乗り気になってしまっては困るゆえ、何かしらの理由をつけて一度屋敷を出るとしよう。


「酒宴を前に少しだけ外の空気を吸って来ようと思います。人を少しだけ連れて行きますので、どうか彦五郎殿はこのままで」

「うむ。あまり遠くには行かれるな。じきに酒宴も始まろうで」

「承知いたしました。ではまた後程」


 部屋の外で待機していた護衛の1人である壱助を連れた私は、そのまま屋敷の外へと出た。

 しかし改めて思うが、海賊に略奪行為をされていたという割には随分と立派なものである。それこそ根城としてそのまま奪われてもおかしくはないというのに。


「又兵衛様、これからどちらに」

「少しばかり浜に戻ってみようと思う。何事も無いとは思うが、船が流されていては困るゆえ」

「そのようなことであれば誰かを送りますが」


 壱助は私自らが向かうほどでは無いと手を振るが、どうしても自らの足で見に行きたい気分になってしまっていた私はその申し出を断る。

 ただし海賊が潜伏している危険もあるゆえ、待機していた兵をいくらか連れていくことにした。


「しかし酒宴でございますか。よいのでしょうか、我らだけそのような場を設けていただいて」

「本来であれば殿のもとに連れて行き、神高島がこれより一色家の影響下に入ることを了承させねばならぬのだが、海賊騒ぎが終わっていない今だとそれも出来ぬ。とりあえずは我らが歓待を受け取り、友好的な関係を築いたという事実だけでも示さねばならぬのだ。酒宴を前に改めて羽目を外しすぎないよう、みなに伝えておかねばならぬな」

「ではそれはこちらから」


 そう言いながら浜辺に到着した時、明らかな異変に気が付いた。それは周囲の者たちも同様であったようで、慌てて波打ち際まで走り始める。


「縄が切られているのか!?」

「…いえ。ただ解けただけのようでございます。波に流された船は少々海に近かったようで」

「流された船は如何ほどであろう」

「ざっと見たところ、損失は一隻も無いと思われます。ですがもう少し陸に引き上げておかねばなりません。少しばかりお時間を頂きます。又兵衛様はしばしお休みください」


 壱助はそう言い残すと、他の兵らとともに波でゆらゆら揺れる小早船を捕まえ始める。私も入ればよいのでろうが、そうすると兵らが私を気にし始めるであろうから、余計に時間がかかってしまうであろう。

 そうなるとやはり大人しくしておくべきであろうかな。

 そう思い、私は周囲の景色に目をやっていた。

 遠くに見えるいくつかの船は海賊などでは無く、染屋の傭兵護衛船である。あれだけの数を揃えるのに、いったい染屋はいくら使ったのか。

 ぼんやりと考えている最中、なんとなく目を向けた先に何やら人影のようなものが見えた。


「…あれはいったい」


 こちらを気にする様子も無く、随分と身軽な動きで視界の外へと消えていく。追いかけようかとも思ったが、護衛も無くこの場を離れることなど出来はしない。


「又兵衛様」

「お、おぉ。壱助」

「何かございましたか?ずっとあちらの方を見ておられましたが」

「いや、大したことでは無い。ただ少しばかり海を眺めていたのだ。さて、そろそろ戻るとしよう。彦五郎殿が心配しておられるであろうからな」

「かしこまりました」


 島長の屋敷に戻る最中、それとなくあの人影が消えた場所に寄ってみたのだが誰もいなかった。ならばあの影はどこに行ったのか。

 戻り次第、この気になる出来事について彦五郎殿に伝えておくべきであろうな。

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