第13話 焦りと後悔に取りつかれ
三河国八名郡石巻 一色政孝
永禄3年6月下旬
騎馬にて山を駆け降りる。
我らが下山の支度をしている最中に戻った物見によれば、思った通り石巻山の北側の山麓に怪しげな一団が動いているところを確認したとのこと。
そのような連中は昨夜の段階では確認されておらず、明らかに山に伏せていた者たちが出現したことに間違いないと結論付けた。
そしてこの一団が狙うものというのは、俺たちを排除して別動隊の背後を取ることなどではなかったのだ。奴らの本当の狙いは、後方かく乱を画策していると思わせておいて、別動隊の側面を突くこと。
つまり俺はまんまと奴らの掌の上で踊らされていたということである。
「殿!背後より銃声が」
「聞こえている!すでに戸田隊が丘上に現れたのであろう。心配せずとも爺であれば上手くやる」
馬を寄せて叫ぶ昌秋にそのように返したが、やはり数の不利はどうにも補えない。俺が火縄銃を買ったばかりに、動員する兵が大幅に減ったのだ。
その負担がこのような形で自分たちに返ってきている。今の戦況を思えば、あまり褒められたものではない。それはたしかだ。
しかしだからと言って、今さらこの状況を後悔するわけにもいかない。
せっかく買ったのだから、周囲を納得させるだけの戦果が欲しい。爺、そして景里の2人に一色家の今後はかかっていた。
そして俺たちもまた、一色家の将来がかかっている。
「前方に敵の集団を捉えました!」
「突撃せよ!奴らを別動隊本体に近づけてはならぬ!!」
俺が叫ぶ下知など、ほとんど入り乱れる様々な音でかき消されているに違いない。だが誰が始めたか、「えいえい、おう」の雄たけびが全軍に伝播し、騎馬を操る我ら一色隊はまるで一本の矢のようになる。
俺も前に出てやろうと馬の腹を蹴ったのだが、馬の脚は前に出てきた1人の男に遮られた。
「殿!これ以上は前に出てはなりませぬ!」
「又兵衛!俺の邪魔をするな!」
兜よりわずかに見えた顔より、その者が誰であるのかが分かった。
俺の護衛隊10人を指揮する小山又兵衛家房だ。周囲を注意深く見る目に長けており、臨機応変な用兵術を持つ。
それゆえに護衛役の1人として抜擢したのだ。
普段は海の上で生きる男であるが、その割にはやけに馬の扱いにも長けている。いざ加速せんと馬の腹を蹴った俺の前に起用に飛び出してきたのだから、やはりその腕は本物なのだと思った。
いや、そんなことを考えている場合ではない。
「どけよ、又兵衛!」
「どけませぬ!政文様の二の舞になられるおつもりでございますか!?」
「な、なんだと!?」
俺は思わず手綱を引いていた。騎乗していた馬も加速しようとした瞬間に停止させられたため、ひどく慌てているのがわかる。
だが家房は決して俺の前からどけようとはしない。
「騎馬隊の扱いに関しては新左衛門殿に任せておけば間違いないと殿も知っておられるはず!また人を補佐することに長けた藤次郎殿がお傍にいれば、反撃を喰らったとしても決して孤立はされませぬ!殿の護衛はたったの10人のみ。いったいどうやって敵兵と乱戦状態に陥った状態で、我らは役目を全うすればよいのでございますか!」
「しかし俺がこの策の失態を埋めねば」
「殿1人の失態ではございませぬ!これだけ傍に家臣がいて、誰も見抜けなかったのですから我ら一色家の失態でございます!ここで殿に万が一があれば、我らは責任すらとれずに敗走することをご理解くだされ!!」
叫ぶ家房に足止めされた俺は、ようやく周囲の状況を見ることが出来た。
護衛の者たちは乱れた行軍の中でかろうじて俺を追いかけているような状況であり、俺は知らぬ間に道房らの兵と行動を共にしていたのだということをここでようやく理解する。
もしこのまま戦闘に突入していれば、まさかここに俺がいるとは思っていない道房らの兵は誰も俺を守ろうとはしない。
そして護衛は散り散りの状態にあって、まともに俺を守ることが出来ない。
知らぬ間に俺は焦っていたようだ。目の前にある功と、隣り合わせにある失態の2つに。
高力清長に一本取られたことに焦り、何にも見えていなかった。
「騎馬隊が退けばおそらく両軍にらみ合いの戦になることが予想されます。我ら一色隊は殿を中心に兵を展開する必要がございますので、あまり前に出ず、全軍の指揮に徹してくださいますようお願いいたします」
家房の言葉に厳しさは無くなっていた。
俺の頭に昇った血が、どうにか降りていると確認できたからであろう。
「左兵衛」
「はっ」
「俺が暴走しかけた時はお前が止めてくれ。この役目は一門であるお前の方が適任だ」
「…かしこまりました」
冷静になってもう1つのことに気が付いた。
家房の手綱を握る手が酷く震えている。主家の当主に対して、命を懸けて制止してくれたのだ。
他にすべき役目を持つ男に、余計な気をまわさせたのもまた俺の失態である。
「聞かなければ殴ってくれてもよい」
「それはどうかご勘弁を」
「そうか。…又兵衛、お前のおかげでしっかりと目が覚めた。俺たちは奴らが別動隊の本体をつつけぬ様に兵を展開し、奴らをここで足止めする。あの2人が戻るまでに支度を進めよ」
「「ははっ!!」」
馬から降りた俺もまた手が震えていた。
一歩間違えたら死んでいた。せっかく母上のお力添えもあって桶狭間で死なずに済んだというのに。
だが初陣で戦の怖さも同時に学ぶことが出来たような気がした。
まことに怖い。迂闊な行動は危険であると。
三河国八名郡石巻山北部 高力清長
同時刻
「若魚釣りは失敗か」
「あの若造、よくぞあそこで踏みとどまりましたな。あと一歩前に出ていれば、その首はきっと落ちていたことでございましょうに」
「越中、どうであろう?あそこにそなたがいれば、あの首獲れたであろうか」
ワシがそう問いかけると、設楽越中守貞通は「さて」とだけ残す曖昧な態度だけを見せる。
「自信は無いか」
「少なくとも河内守殿からの報せが無ければ、我らはまんまとあの丘へとあぶりだされておったことでございましょう。まぁあれだけ尻を叩かれれば、策云々関係なく出陣させなければならぬ状況でございましたが」
貞通はまるで困った子供を見るような目で、山麓の平野部で騎馬隊にかき回される味方の者たちを見下ろす。
あそこにいるのは、当初石巻山南部の丘上を取ろうと主張していた西郷の倅である。
ワシの到着があと少し遅れていれば、間違いなくおびき出されて取り囲まれていたことに違いない。
手柄が欲しい西郷孫太郎元正は、丘上への出陣を取りやめるのであれば代替策を用意せよと求めてきたゆえ、内通している戸田を利用して敵の側面を突くようにと勧めたのである。
結果としては看破され、今川一門の1つである一色家の当主も討つ機会もたった今失ってしまった。
失態ではあったが、大敗北を喫しなかったことは評価されてもよいであろう。すべては殿より頂いた助言にあった。
一色家は諜報に長けた忍び衆を抱え込んでおり、代々召し抱えられていたために東海一帯の土地勘はすさまじいものであると。常に情報が筒抜けであると前置きしたうえで策を練るようにとのことであった。月ヶ谷城の動向についても知られていると思っていたが、どうやらここだけは見逃されていたようであったが、結局あそこで捉えられてはここまで隠してきた意味も無いということ。
すでに月ヶ谷城はわずかな守兵を置いただけで、ほとんど空となっていることなど今の一色家は知らぬはずであった。
もう少しそれを生かす戦い方があったやもしれぬが、ワシのことを認めぬ者たちが多い中で、このような結果に落ち着いたことはそれなりに満足できることではある。…のだがな。
「しかしあれを救わねば、今後西郷とは協力関係が築けぬな」
「ああ見えて、頑固でございますので。弾正左衛門殿は」
「…しかし殿より預かった兵は未だ動かせぬゆえ」
「単身我らの陣に乗り込んでこられたところでなんとなく察しておりました。元々我ら八名郡の領主らが松平家に協力したのは、本領安堵を約束されたからでございます。かつて三河の地を争った関係でありますゆえ、今はまだ両家に溝がございます」
「特に西郷などは今川家の先代より期待されておった。あ奴の元の字は、亡き治部大輔様より与えられたもの」
「内心焦っておるのでございましょうなぁ。我らも同様でございますが」
貞通の言葉からもわかる通り、殿の離反騒ぎは松平のみが絡むことでは無いのだ。圧倒的強者であった今川の支配から脱するため、三河の領主らがようやく手にした機会である。
かつての敵同士であったとしても、今は手を取り合う必要があった。
それゆえにワシもこの者たちを助けてやりたいのだ。だが信頼関係とは一朝一夕で築き上げることができるものではない。
ワシにその気があったとしても、八名や設楽の領主らは松平が土地を奪いに来たと警戒せねばならぬ。たとえそれが不毛な争いであったとしても。
「…策を授ける」
「ありがたきお言葉でございます。なにぶん我らはあの男とまともに面識がございませんので」
「ワシも殿からの受け売りであるゆえさほど大した策は授けられぬであろうが、何も知らぬよりは幾分もよいはず」
「してその策とは?」
「今度こそ狙うのよ、あの丘を」
ワシが指をさせば、その意図をすぐに汲んだ越中が「なるほど」と口にする。
今の一色は丘の上を離れている状態にある。またあれを伏兵だと思い込んでいるゆえに、少ない兵力の大半を伴って下山してしまったのだ。
つまり今の丘上であれば、戸田宣光の部隊とともに落とすことが出来るであろう。さすれば今度こそ、南北挟撃を成すことが出来る。
元正と対峙している一色は正面に集中できなくなり、奴らの本隊も背後を取られたと知れば迂闊に攻めることが出来なくなる。
これは一手打つことで生み出した絶好の機会であるのだ。
「よき助言をいただきました。我ら設楽はこれより石巻山を制することといたします」
「朗報を月ヶ谷城にて待っておるゆえ」
貞通は軽く頭を下げたのち、兵らを伴ってワシの元から離れていった。
「…まことに殿は右門殿を討たれるつもりであったのか」
「頼りなき者は同盟相手に適さぬ。そう殿は仰った」
「半蔵殿もご苦労でございましたな。して首尾は?」
「可もなく不可もなく。とにかく我ら伊賀党が出来ることはやった。あとは芽が出れば」
「三河の統一はなりますか。さすれば右門殿とのあの話は無かったことになりましょうな」
「うむ」
伊賀党の頭領である服部半蔵正成殿は、どこか遠い目をして燃え盛る石巻山南部の丘を見ている。
おそらくこの戦、あの地の攻防が結局のところ決着を左右させる。流れは今まさにこちらに傾きつつあるのだと、ワシはついつい思ってしまった。
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