第12話 理想と現実

 三河国八名郡石巻神社 一色政孝


 永禄3年6月下旬


 目に映るは赤々と燃え上がる一色の陣だった場所だ。

 しかし実際のところ燃えているのは陣幕程度のもので、山自体が派手に燃えているわけではない。

 やはり三河東部を統治するうえで、この石巻山やその周辺の民を蔑ろにはどうしてもできなかった俺は、爺に命じて乾いた木を組ませたのだ。

 そして葉や枝を集めてよく燃えるように支度をしておいた。

 ようはキャンプファイヤーの要領で、遠目から見てよく燃えているよう錯覚を起こすように演出したわけである。

 陣幕をわざわざ燃やしたのは、リアリティを持たせて近くまでおびき寄せるためだ。


「…上手くいってくれ」


 朝方、まだ平野部も静まり返ったころの大騒ぎ。嫌でもこちらに目が集まっているであろう。

 ここで派手に伏兵が看破されれば、敵方の士気も多少は落とすことが出来るはずなのだが…。


「藤次郎が上手くやりましたな」

「あぁ。新左衛門らには随分と騒いで山を登らせたゆえ、間違いなく俺たちが混乱していると奴らは見ているはず」

「今はまだ様子見でございましょうか」

「だろうな」


 だが俺としてはもう1つ気になることがある。この炎に背後を通りかかった虫が飛び込んでくるかどうか。

 無視されるとがら空きの二連木城や、西にばかり目が向いている今橋城が危うい。もちろん奴らが裏切ってくればの話ではあるのだが、これに関しては十中八九間違いなく裏切ってくると思っている。

 そもそもこの裏切りの連鎖の中で、今川家が先代の最盛期ほどに力を取り戻すビジョンが一切見えない。

 加えて自身の血縁者が、今川の祖である吉良家の血縁者に嫁ぐ。利だけを見れば、奴ら戸田家は松平に従う一択であるのだ。

 そこは俺も理解している。だが寝返る時期があまりにも悪すぎる。

 今ではなく、3年後であれば俺も声をかけたやもしれぬがな。


「…」

「…」

「…」


 待てど暮らせど、いっこうに伏兵が現れる気配が無い。とは言っても、さすがにこの石巻神社から、俺たちのいた場所の詳細がわかるわけではない。

 作戦の成否は完全に景里に預けた種子島の音だけである。


「轟きませぬな」

「まだ様子見をしているだけということも」

「しかし火が落ち着けば我らが戻ってくると考えましょう。燃え上がっているうちにあの丘を奪わねば、いらぬ衝突を招くことになることはあちらも理解しておりましょう」

「…ならば俺たちが伏兵をあぶりだそうとしたことを見抜かれたか?」

「まだ何とも言えませぬが」


 爺も落胆の色が隠せずにいる。

 これではただ俺がたわけをしただけの結果に終わり、味方の信頼を大きく損なっただけで何も得が無い。

 やはり戦とは難しいものだと痛感していたところ、何者かが石巻神社の鳥居の下で騒いでいる。


「急ぎお伝えいたします!」

「待て!その方はどこの所属だ」


 俺が駆け付けた時、その者は顔から尋常でない汗を垂らしながら膝をついていた。

 そしてそのまま言葉を発そうとしたため、それを止めて所属を問う。すると「あっ!?」とわかりやすい表情で顔を上げた後、すぐに頭を下げて告げた。

 某は尾野隊所属、名を渡辺猪三郎と申します!」

「猪三郎だな。して三郎は何をおぬしに託した」

「東頭神社の南に怪しげな一団を捉えました!その者たち、どこの者かもわかりませぬが、まっすぐに石巻山の一色旧陣地へ向かって進んでいるとのことでございます!」

「…どこの所属かわからぬと?」

「はい!物見を送り込みましたが、下っ端の兵らは何も知らされずに、ただひたすら丘を目指していたとのことでございます」


 俺は隣でジッと話を聞いていた爺に目を向ける。

 爺もまた、俺に言いたいことがあるようでこちらをじっと見ていた。


「どう思う」

「通常味方であれば先んじて我らのもとに人をやってくるはず。それもなく、ただひたすらに丘を目指しているのであれば、我らの背を突く動きと見て間違いないかと」

「…やはりそう思うか」

「それ以外にありますまい。そしてこの動きが出来るのは、現在三河東部で出陣を渋った戸田甚五郎様くらいしかありませぬな」

「あぁ。三遠国境の遠江側は留守役である松下加兵衛殿が詰めている故、裏切っていなければそちら側からの侵入はあり得ぬ」

「如何いたしましょうか、殿」


 爺や周囲の兵が俺から下される下知を待っている。

 そうでなくとも、道房のためにも今後の方針を示さねば。本来であれば伏兵殲滅の時間稼ぎのために、たった60の兵を率いて山を下らせたのだ。

 今のままでは道房はただいたずらに兵を死なせるだけになってしまう。


「殿!どうか敵方かく乱のお下知を!」


 猪三郎が急かすが、俺はすぐに決断を下すことが出来ない。

 下手をすれば部隊の三分の一を潰しかねぬからだ。


「殿」

「少し待て。この窮地をどうにか好機としたい。俺たちが一番うまいところを得る方法はなんだ…」


 そもそも伏兵は本当に出てこないつもりなのか。

 俺たちが背後に気を取られている隙に丘に現れた場合、おそらく易々と彼の地を奪われてしまうであろう。そうなると国境沿いを攻める別動隊は背後を取られてしまう。

 だからといって、背後にある謎の部隊を放置するわけにもいかぬ。

 何故奴らは出てこない?そもそも本当に伏兵は…。


「爺!すぐさま山上の藤次郎らを呼び戻せ!」

「全軍をもって背後の敵を蹴散らすのでございますか!?」

「違う!奴らの狙いは端から俺たちではなかったのだ!だからこちらの状況を全く知らぬはずの怪しげな連中が、別動隊の背中ではなく後方で戦もせずに陣取っている俺たちを狙っているのだ!」


 俺の説明に呆ける一同。誰も俺の考えを理解できなかったらしい。

 そもそも俺も慌てすぎて説明が言葉足らずであったことは認める。しかし今は時間がとにかく惜しい。

 背後で騒動が起きれば、平野部に展開する将兵の目は多くがこちらに向けられるはずだ。つまり大きな隙が生じることになる。


「とにかく急げ!山を下る支度をさせよ!馬への騎乗も許可するゆえ、迅速に動ける支度を整えるのだ!」

「かしこまりました!」

「猪三郎、そなたは三郎に命じて足止めを命じよ。ただし時が経てば、テキトーに撤退するふりをみせて丘上までおびき寄せるのだ」

「ははっ!かしこまりました!」

「それまでに種子島隊の配置を変える。反対側から敵が登ってくるのだから、そちらに網を張るように10人を伏せさせなければ」


 しかしそれを指揮できるだけの人材が、今は手元にいない。

 一色家は前の戦で貴重な人材を多く失った。また広大な大井川領を統治するため、内政官も多く家中に存在している。

 ゆえにいざという時、まともに兵を動かすことが出来る人材というのは本当に少ないのだ。

 特に種子島という新しい武器。これまでとは明らかに異なる運用方法であるから、慣れぬ者が指揮を執れば、それこそひどい混乱を招くことに繋がるであろう。


「殿、人手が足らぬとのことであれば、儂が孫次郎を指南いたします」

「なに!?正気か、爺」

「もちろんでございます。これよりは体力勝負となりましょう。この老体ではついていくのがやっと。きっと殿をお守りすることも出来ぬでしょう。ただの足手まといになるのであれば、儂の実力が発揮できる場所に向かうべきでございます。それに殿は、軍師などおらずとも1人でやってのけているではございませぬか。護衛は左兵衛殿がおれば問題もございますまい」


 そう言って爺は、俺の背後から片時も離れない昌秋を見る。

 昌秋も応えるように強く頷き、爺はそれを見てさらに安心した様子であった。


「種子島の扱いに関しては孫次郎に敵いませんが、用兵であれば儂の方が何枚も上手でございます。どうかこの爺にお任せを」

「…よし。わかった」


 俺は地図を引っ張り出して爺に指示を出す。

 元々は丘の南側の茂みに伏せていたのだが、それだとまんまと背中を取られることになってしまうわけだ。

 ゆえに今度は北側に伏せる。燃やしたのが組んだ木と陣幕だけであったことが功を奏しているはずだ。身を隠す場所などいくらでもあるだろう。


「上手くやってくれ。それと時間稼ぎが目的であって、殲滅を目指す必要は無い。丘の上に陣取っていれば、平野部の戦況もよく見えるはずだ。奴らを十分に足止めし、それ以上は必要ないと判断した時点で北側の斜面を下るのだ。良いな、北側だぞ」

「かしこまりました」

「猪三郎も同様だ。三郎には決して欲にかられるなと伝えよ。とにかく奴らの目を自分たちだけに向けられるように丘の上へと誘導するのだ。あとのことは爺に任せよ」

「かしこまりました!」


 猪三郎は鎧を鳴らしながら、鳥居の向こう側で繋がれていた馬に飛び乗りかけていく。

 そして爺もまた山を下る支度を進めていた。


「殿、どうかご無事で」

「お互いにな。それと無茶だけはするなよ。種子島1つ壊せば、たとえ爺であったとしても、主水は容赦なく小言を漏らすであろうからな」

「年長者である儂にも遠慮が無いことはよきことでございます。物怖じしないことは、きっと殿のお力になりましょう。ですが」


 そこで一度言葉を切った爺。


「どうした?」

「10挺、無事に殿へとお返しいたします。それはもう、必ずや」


 爺の顔にまったく余裕が無いのは、やはり昌友を恐れる気持ちがあるからだろう。政に関して一切妥協のない昌友は、俺や父上にすらも不満があれば徹底的に詰めてくる。

 もちろん最年長家臣である爺に対してもそれは同様だった。

 一番印象的であったのは、年貢の徴収を行っていた時、我らの不手際で民に損が生じたことがあった。あれは家中での連携が取れていなかったことが原因であったのだが、それを理由に爺が時真を庇おうとしたのだ。

 結局その行為が昌友の逆鱗に触れた。まぁ実際に損が出ているから仕方が無いが、爺が時真の立場をおもって擁護したくなる気持ちもわかる。全責任が時真にあったわけではなかったからだ。責任者ではあったが。

 結局のところ、討論勝負になったとき政絡みでは誰も昌友には勝てぬであろう。あの場を父上の隣で見ていたのだが、昌友には逆らうべきではないと改めて感じたものである。

 とにもかくにも、爺もより安全な方法を模索しながらやってくれるはずである。

 種子島はここ最近になっていくつかの一大産地で量産体制が取られ始めている。元々種子島に伝来した時には、現代の価値で2000万近い価格で買い取ったらしいが、それも今ではある程度抑えられ始めた。とは言っても、やはり高価な兵器であることに違いはない。

 今はまだ他所から買わなければならないことを思うと、すべて無事で帰ってきてほしいと強く願うものであった。


「爺がそう言い切ってくれること、まことに頼もしい限りだ。孫次郎のことも含めて、どうかよろしく頼む」

「かしこまりましたぞ!」


 爺は氷上の側近らを連れて、意気揚々と山を下る支度をしに行った。残された俺たちはすぐさま山上の部隊に人をやり、これからの行動を起こすためにこれまでとは全く別の指示を与えることにする。

 というか、もうここまで伏兵の動きが想定と違うとなれば変えざるを得ない。


「左兵衛、使番はもう向かったか?」

「向かわせました。じきに集まってくるかと」

「よし。あとは山の上から平野部を、何物にも邪魔されずに監視できる者も置いておかねばならぬな。情報を早く届けるために、数人を別々の場所へ配置する。その支度も進めてくれ」

「はっ」


 本来は栄衆を使うべき場面なのだが、井伊のことや本坂峠・月ヶ谷城のことなどで手がいっぱいだ。

 これ以上、落人らに負担をかけさせることは出来ない。


「お師匠様の言われた通りだな。やはり戦を読むことは難しい。難しすぎるわ」


 この場所からでは平野部の様子が見えない。

 ゆえに強く願う。間に合ってくれ、と。

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