第11話 伏兵看破策前夜

 三河国八名郡石巻山 一色政孝


 永禄3年6月下旬


「十分に人を集められたな、さすがは石巻神社の神主だ」

「これくらいはさせてください。三河の安寧を守ることが出来るというのであれば、この程度の働きなど苦ではございません」


 そう言って神主は頭を下げた。

 一方で集まった民の様子を心配そうに見つめる一色の家臣たち。特に時真の様子は尋常では無かった。

 まぁ最も常識的な思考を持つ存在であるから、この異様な様子に精神がすり減る気分になることも理解はできる。特に平野部に陣取っている方々からすれば、ここでこれから執り行われるお祭り騒ぎは決して気分がよいものでは無い。

 そもそも俺たちは兵を1人たりとも削っていないのだ。なぜにそんな奴がお祭り騒ぎなど出来るのかと不満を持つことも当然である。だがそれこそが俺の狙い。

 なおさら俺のうつけぶりが浮いてくるわけだからな。


「爺、あれの用意はどうなっている?」

「殿の御命に従い、すべて配置は済んでおります。いつでも策を実行することが出来ますので」

「よし。ならばその役目は藤次郎に任せるゆえ、直々に策を伝えておけ」

「まことに倅でよろしいのでございますか?こういった派手な役目は新左衛門や三郎の方が似合っておりますが」

「三郎には別の役割を与えている。新左衛門だとやりすぎる恐れがある。それに藤次郎にもそろそろ手柄が必要であろう?見事に成功させてくれれば、それだけ氷上の嫡子に功績という箔が付く。爺も安心して隠居の日を用意することが出来るはずだ」

「…まぁそうでございますな。たしかに常々隠居したいとは申しておりましたが、こうして殿に頼りにされた直後にそのようなことを言われると、わずかに寂しい気もいたします。ところで三郎に与えた役目というのは…」


 まだこの話は道房とその配下の兵にしか伝えていない。いや、正確には兵にも伝わっていないだろう。

 いったい俺たちが誰を敵として定めているのか。動かなければ、ただの冤罪である。

 その時が来るまでは黙っておくべきだ。


「今は言えぬ。それよりも民たちを上手く逃がすのだぞ?」

「それは万事抜かりなく備えております」

「頼むぞ。もし火の粉をかぶれば、神主に申し訳がたたぬ」


 一応神主には策を伝えている。言ってもこの辺りの山を最低限とはいえ燃やすのだから、すぐそばに社がある神主には伝えておくべきだと考えた。

 もちろん明日の明け方には道房がお世話になる東頭神社にも人をやって伝え済みである。あちらも神社の敷地に影響が及ばなければ、特に抗議することは無いと言ってくれている。ただまぁ、内心はあまりよくは思っていないであろうな。

 俺は遠江の人間で、あくまでここの人々は今橋城の城主と関係を築いている。だから俺の言葉にさほどの力など無い。そういう意味で微妙な反応であったのだと思っている。


「それで決行の時間は何時頃で」

「陣中での祈祷は夜中の内に行う。日中だと戦が始まってしまうという口実で、周囲は納得させてる。もちろん紀伊守殿にもな」

「ふむ」

「決行は明け方だ。空が白み始めたころに火を放ち、完全に明るくなる前に兵の移動を始める。藤次郎と新左衛門らの主力は山の中腹に向けて移動させ、俺は石巻神社に身を潜める。そして敵の目を主力に引き付けておき、この地に奴らが顔を出したところで、近場に伏せておいた種子島を盛大にお見舞いする。銃声が響けば反撃の時である合図とし、山に登っていた我らが一気に下って奴らを奇襲する」


 俺を格下と侮っているからこそ刺さる策であると言える。問題はこの餌に高力がかかるかどうかだ。

 顔を出してこなければ、ただ俺はこの地を焼いただけとなる。それは間違いなく、周辺の民から恨みを買うであろうし、今回協力的であった石巻神社や、山麓にある東頭神社は今後協力などしてくれぬであろう。

 それだけはなんとしても避けねばならなかった。


「勝算はどの程度あると思う」

「伏兵が高力殿でなければ、半分以上。高力殿であれば…」

「半分も無いか」

「それだけ慎重な戦に長けた男であると儂も、そして政文様も申しておられましたので」

「だが高力の姿が辺りに見えぬ今、間違いなく伏兵を指揮しているであろう。それに俺がどうこうとかそういう問題でもない。この石巻山を落とされれば、遠江の井伊領から西郷領の月ヶ谷までの山道である本坂峠を完全に落とされることになる。そのようなことになれば」

「…井伊家はいつでも三河の事情に首を突っ込むことが出来ますな。どちらの意味でも」

「そういうことだ。だからなんとしてもこの地、この山は死守せねばならぬ」


 頭に叩き込んだ周辺の地図。

 問題なく、俺は絶対に手放せない地点だけは完璧に守り抜く準備をしている。兵を入れられない場所には栄衆を配置し、妨害活動を展開することによる時間稼ぎの準備もばっちりだ。

 あとは事前に組み立てた戦が上手くいくかどうかだけ。なんせこのあまりにも難しい戦が俺の初陣であり、今後の俺の立ち位置を決める一戦になる。

 あまりにも下手なことをやれば、事を起こそうとした準備をしたとしても、誰も頼りないうつけだと言って聞く耳を持ってくれぬであろうし、目立ちすぎればそれだけちやほやという名の監視が付きまとうことになる。

 ほどよく馬鹿をやったうえで、ほどよく勝つのがまさに最良であった。


「爺、時間が来るまで少し休め。ことが始まれば、後方待機の俺たちであるが休む時間など1つもなくなる。その身体が途中で動かぬなどおきぬよう、休めるうちにしっかりと休んでおくのだ」

「なんとも手厳しいお言葉で。ですが同感でございます。1度戦いが始まれば、気力などあっという間に尽きてしまうもの。少しばかり戦場から離れておりましたが、あの何もかも投げ出したくなる気持ちは死ぬまで忘れることは無いでしょう。途中で倒れぬためにも、しばらく休ませていただきます」

「あぁ、護衛は常に置いておくゆえ心配するな」


 爺は「ははっ」とかすかな笑いを残して俺の前から姿を消した。

 そしてそのタイミングを待っていたかのように姿を現す落人。


「仕掛けはどうだ?」

「とりあえず井伊谷一帯で井伊信濃守離反の噂は広まっております」

「井伊谷城の動きはどうだ?」

「噂を消すために躍起になっているようでございます。ですが今はまだ火種が燃え上がり始めたばかり。そう簡単には消せぬかと」

「よし。引き続き燃え上がる火を煽り続けろ。間違いなく井伊家中で何度目かの対立が起こるはずだ。俺たちがここにいる間はそうやって時間を稼げ。どこにも味方できぬようにな」

「かしこまりました」

「それと月ヶ谷城はどうだ?」

「噂を聞いて本坂の井伊隊は兵を引き上げ始めております。月ヶ谷城も我らに遅れてこの情報を得ると思われますので、じきに出陣があるかと」

「わかった。まだ城を出てはいないのだな?」

「少なくとも監視していた者が人を送った段階では、まだ本坂峠の状況を注視するに留めていたと」


 伏兵であれば兵はきっと少ない。だがこれに堂々と山攻めをする部隊が加われば厄介だ。

 しかし普通に考えれば、月ヶ谷城は西郷の城。平野部で数的劣勢にある西郷本隊に合流するはず。それでも不測の事態に備えるべきで、爺も油断なく考えを巡らせるべきであると言っていた。

 それにかつてお師匠様も同様に言っておられた。

 ゆえに本当に最悪の想定もする。比較的自由に動かすことが出来る栄衆はこういう場面で非常に便利であると改めて実感した。


「落人」

「はっ」

「もし仮に、だ。もし仮に俺の推測がすべて外れて我らが窮地に陥った場合、遠江にいる栄衆を率いて蔵人佐のもとに向かえ」

「それは主を替えろということでございましょうか」

「それは一色が滅ぶときまで待て」

「ではいったい我らは何をしに、岡崎にまで向かわなくてはならぬのでございましょうか」

「持っている情報をすべて提供し、そのうえで蔵人佐を退かせよ。3年待てば三河と遠江をすべてくれてやると俺が言ったと伝えてな」

「…それは大名として独立する道を諦めるということでございますか?」

「初陣から盛大に躓いて命を失ったら、独立だ、大名だなんて夢は語れぬ。それであれば誰かにすり寄ってでも生き残るべきであろう」

「あの男であれば生き残ると?」

「俺が今手をまわしているすべてが実現すれば、遠江はやはり間違いなく俺の手中に落ちる。それは根回しに動いているお前たちが1番よくわかっていることのはず」

「その通りでございます」

「遠江を奪えば、三河東部は孤立も同然。ゆえに今回以上に蔵人佐は楽に三河を制することが出来る。そして俺も松平の配下として、遠江を土産に降る」


 これが俺の描く最低最悪のシナリオだ。

 しかし松平元康は本来の歴史で天下を取った男である。これからたくさんの波乱に晒されながら着実に大きくなっていくだろう。

 俺が今川を裏切って独立を目指すのは、どう考えても先が無いからだ。それならば独立をしようと思い立ったわけだが、生き残ることを最優先にするのであれば松平の下にとりあえずつくことだって1つの選択肢ではある。

 徳川家康みたく、織田が取りこぼし、豊臣が掌握しきれなかった天下をつかみ取るなんてこともあるかもしれないからな。虎視眈々とその時を待つだけだ。ただその時の俺は退屈で死にそうにしていることに違いないだろうがな。

 全ては生き残るためである。


「まことによろしいのでございますね」

「最悪な。だがそうはならん」

「我らも大名である一色家に仕えたく思っております。そのために此度の戦はより懸命に働きます。二度とあのような想いはしたくありませんので」


 落人もまた父上を影からお守りするために、あの上洛戦に従っていた。本人の口からは何も言わぬが、今の言葉からも相当に後悔の念があることがわかる。

 忍びであるから決して顔には出さぬが。


「もちろんだ。俺も二度とあのような想いをお前たちにも、そして皆にもさせるつもりはない。この戦は俺たちが獲りに行く。それだけだ」

「ははっ!」


 珍しく感情の乗った声を残して落人も姿を消した。

 そして俺も少しばかりの休息をとる。

 祈祷の時間はもうじきだ。




 三河国八名郡下条 朝比奈泰長


 同時刻


「兄上、まことに右門殿はやるのでございましょうか」

「やるのではないか?初陣であると聞いていたが、随分と思い切った真似をすると感心したものよ。まぁ、策についてはあまり期待はしておらぬがなぁ」

「所詮うつけはうつけでございますか。尾張のうつけはその評価が誤りであったことを世に示しましたが、遠江のうつけはどうなりましょう」

「評価を一転させるだけの活躍が出来るとすれば、それはまことに伏兵を看破したときであろう。しかしそう簡単にあぶりだせぬから伏兵であるのだ。それをわかっておるのかおらぬのか。傍には鬼氷上がいるとはいえ、寄る年波には勝てぬであろう」


 亡くなられた一色山城守政文殿の軍師として、その名を広めた鬼氷上こと氷上新九郎時宗。一色家の筆頭家老ではあるが、すでに一色3代に仕える老臣であり、前の上洛戦では帯同すら政文殿が許されなかったと聞く。

 ようやく初陣を果たす政孝殿を補佐するということで戦線復帰とのことであるが、いったいどれだけ戦勘が鈍っているのやら。

 だがそう思ってはみても…。


「何を突然笑っておられるのでございますか、兄上?」

「いやいや、あの文は傑作であったなと」

「あの炭で書いたものでございますか?たしかに戦場では炭を筆の代用とすることもございますが、あれだけ読みにくい字というのも珍しく」

「そうでは無いぞ、弟よ。文字には人の性格や感情が乗るものだ。あの文字を見て私は肝をぬかれた。なぜに初陣で、伏兵看破という難しい状況に直面しておきながらあれだけ自信満々なのかと」

「…そうでございましょうか。それこそただのうつけの強がりということでは?」

「見る目が無いのぉ、肥後守も」


 そんな私の物言いに、弟の肥後守元智が不満げな顔をした。

 そんなにうつけと評されている男を私が庇うことが不満なのであろうか。


「見る目が無いのは兄上でございましょう。戦は机の上で学ぶものではございません。戦に出て、場数を踏んで学ぶのでございます。この伏兵看破とて成功するとはどうにも思えませぬ。我ら二連木の隊は少しばかり後退し、すぐにでも石巻山を奪い返すことが出来るように支度をいたします」

「そのような余裕が我らにあると思うているのか?それに三遠国境を任されている別動隊の大将は誰であったかのぉ」


 たとえ兄弟であったとしても、大将である私の命は絶対である。

 元智がどれだけ気心知れた弟であったとしても、例外は無い。伏兵に関しては政孝殿にすべて任せる。

 もちろん背後を気にしながらではあるが、最初からそちらに兵を割くわけにはいかなかった。なぜならば今日の衝突で、どれだけ相手が守りに徹しているかを実感したからである。力押しで奴らの守りを崩壊させるか、じっくりと奴らの兵を削るのか。

 どちらにしても数が必要であることに違いは無い。

 元智を後方に待機させておく余裕など、当然ないわけである。


「…兄上でございます」

「さすれば我が命に従うのだ。そもそもあの地に一色隊を配置したのは私の命である。かの地が伏兵に落とされれば、それはすべて私の責任。伏兵の危険を知りつつも、戦況がすべて見える場所を優先した私の落ち度である。責任は大将自ら一色家の救援という形で私がとる。心配せずともよい」

「某にあれだけ言っておきながら、兄上も随分と心配しておられるようで」

「何度も言うが右門殿は初陣なのだ。本来であればもっと易い戦があったはず。初陣を勝ち戦で飾ることは当然のことであろう。が、しかしである」

「勝つとは思いますが、余裕はございませんな」

「苦い思い出にしてやりたくはない」


 本心はこちらであった。

 別動隊の大将でなければ、私も元智と同じ提案を大将にしていたやもしれぬ。しかし出来ぬ。ゆえに気だけでも回してやらねば。


「親代わりでございますか?兄上らしくもない」

「そのようにたいそうなものでは無い。しかし山城守殿にはよくしてもらったゆえに、こういう形で恩返しが出来ればと思っただけのこと。それに…」

「それに?」


 私の命はそう長くはないだろう。

 寄る年波に勝てぬのは、鬼氷上だけでは無いのだ。ゆえにささやかな恩返しを勝手にやっているだけ。


「いや、なんでもない。とにかく、明日の内に結果がわかる。我らがそれを見届けたうえで奴らと戦うのか、あるいは最中にその結果を知るのか」

「いずれにしても、明日はもっと押し込まねば」

「その通り。月ヶ谷城の城下に迫ることが出来れば、これ以上右門殿の陣に伏兵を仕込むことも、我らの背後を取られることもないゆえ」


 心配は尽きぬ。しかしもう今さらどうこう言えぬ段階である。

 とにかく願うことは政孝殿が無事であること。贅沢を望むのであれば、見事伏兵を看破していてほしいところであるが、果たしてどうなるのやら…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る