第8話 三遠国境奪還の道のり
遠江国敷知郡宇津山城 一色政孝
永禄3年6月下旬
「皆の衆、よくぞこれだけの兵を揃えてくれた。別動隊を預かる大将として、改めて礼を申しますぞ」
宇津山城の広間には鎧姿の将が大勢揃っていた。
その中で声を張り上げるのは、宇津山城主であり別動隊の大将に任じられている朝比奈紀伊守泰長殿だ。
聞いたところによれば、俺たちが到着するよりも前に配下の者に坊ヶ峰を越えさせて西郷の偵察をさせたという。
また北で日和見を続けている井伊に動きが無いことも確認済みだそうだ。
「まずは物見の持ち帰った成果を皆の衆と共有いたそう。もっとも優先すべき目標である五本松城に西郷は主力を置いているようでございますな。今橋城から寄せられた報せ通り、奴らは近く今橋城の東に位置する二連木城と赤岩城、さらに船形山城を奪うことで以西にある今川諸城を孤立させるつもりでございます。また渥美半島を制することで伊勢湾を封鎖し、船による脱出も防ぐつもりとのこと」
「紀伊守殿、少しよろしいか」
「なんなりと聞かれよ、左馬助殿」
「三河の方々を孤立させる段取りは納得できるが、渥美半島をとったからと言って伊勢湾を封鎖することなどまことに出来るのであろうか?離反の主犯である蔵人佐は、長らく三河にいなかった者で、従う者たちも大半が似たようなもの。そのような者たちが満足に船を揃えられるとはとても思えぬのだがな」
おそらく大半が感じていた疑問を投げかけたのは、遠江衆の1人である新野左馬助親矩殿であった。
史実だと桶狭間以降も今川に忠義を尽くし、最期は曳馬城を攻める中で討ち死にした人物。今回の出陣では俺と同じく別動隊として西郷の牽制を担うのだが、新野家は随分と兵を動員している。俺とは違って、本気で三河北東部全域の奪還を目指す1人であった。
「真偽が確かで無いような情報を、さも事実のように広めるのはいささか問題があるようにも」
「そのようなこと、私が一番よくわかっておりますとも。ゆえに情報を精査し、そして確信しております。松平の背後には織田の影があるのだと」
「…織田?まさか織田弾正忠家でございますか!?」
親矩殿の言葉に、広間が殺気立つ。
明らかに落ち着き払っていた様子の方々までもがこめかみに青筋を浮かべて、泰長殿の回答を待った。
そして頷くために首が縦に動きかけた瞬間より、明らかな殺意が広間一帯に充満する。
「織田のうつけは我が父の仇でございます。ぜひともその面をば拝まねば」
「八郎殿、少しばかり落ち着かれよ。いくら織田弾正忠がうつけと呼ばれているとはいえ、三河の騒乱に自ら首を突っ込むほど愚かではない」
「ならばいかように織田が介入するのか」
「熱田にて商いをしている生駒。この者らは商いのためと称して、いくつもの船を持っているとのこと。こやつらが知多に出張ってきているという話がある。いったい何のためか」
「水軍戦力をほとんど持たぬ我らにとっては、船を出されるだけで湾を封鎖される非常に厄介な相手ということでございますな」
なるほどと納得する親矩殿を他所に、松井八郎宗恒殿は苛立った様子で爪を噛んでいる。置かれた状況は俺と同じで、父親が桶狭間の地で討たれている。
また事前に調べた感じだと、兵の引き上げにも失敗しているようで同族の多くが討ちとられ、兵も相当に失ったようだ。
それでも此度参陣を強行したのは、信長に対する恨みを忘れないためとのこと。
また弱っている今川の隙を突いて独立した元康の不義理を許せぬと、そこそこの兵を率いてこの宇津山城にやってこられたのだ。
見上げた忠誠心である。
「左馬助殿の言う通り。ゆえに渥美半島を松平方に取られぬように、伊予守殿に兵を出していただくことになっておる。後方支援隊の駿河衆は数こそ少ないが、精鋭ぞろい。かの地は戸田の残党らが潜む厄介な地であるがゆえに精鋭を率いる伊予守殿が適任であろう。それに」
泰長殿の視線が俺に向けられた。
それに気が付いた方々の視線も俺の方へと集まる。その意味を理解して、小さくため息を吐いた。
そんな俺の滅入った感情を知ってか知らずか、泰長殿は一度止めた言葉を続けられる。
「渥美郡はかつて丹波一色家が分郡守護として治めた地。そして守護代であった一色式部少輔様は」
「我が大伯父上と袂を分かった義兄でございます。かつて京で酒を酌み交わした2人でございましたが、式部少輔様は応仁の乱で西軍に付き、大伯父上は尾張・越前・遠江の守護職に戻るため、東軍に味方された武衛屋形様に従われました。結果として京にはせ参じた式部少輔様は、隙を突かれる形で渥美の支配を東軍政所執事伊勢方の戸田弾正左衛門尉によって揺るがされております。その後、守護代としての地位を奪われるような形となりました。ただ一色の嫡流である守護家の三河における評判は良かったものの、守護代としての一色の評判はあまりよいものでは無かったとのこと。なぜ大伯父上が義兄弟の契りを交わしたのかも不明でございますが、渥美で一色式部少輔の名はよく思われておりません」
そのように戸田弾正左衛門尉宗光が仕込んだのかもしれない。留守の隙を突いて渥美半島を獲りにかかった宗光に、守護代一色政照様は和睦という形で争いを終わらせられた。しかしその先に待っていたのは強制的な隠居と、宗光を猶子として諸々を継がせるというもの。
実子もいたようだが、渥美にはいられぬと京に戻り将軍に直接仕えたとのことだ。
ちなみにこの戸田という一族、後に今川へ人質に出されていた元康を強奪する形で織田に送り届けた者たちでもある。この事件により今川家の怒りを買った戸田の宗家筋は滅亡。
現在は、先ほども名前が挙がった城である二連木城の城主がその血脈をつないでいるような状況だ。
こちらは人質強奪騒動の折に、早々に今川に与していたから助かったというわけである。
「いくら直接的な関わりが無くとも、式部少輔様の傍若無人なやりように不信感を持つ民は大勢いたことでございましょう。そのやりようは口伝にて子へ孫へと受け継がれていく。それに大伯父上が義兄弟であったとしても、私は渥美の地になんら詳しくはございませんので」
「言いたいことが伝わっていたのか。しかし彼の地を一色の名を冠する者が奪還したとなれば、丹後一色家の方々も喜ばれるのではないか?」
「我ら遠江の一色家が相次ぐ当主の死で窮地に陥った際に、あちらの方々は何ら手を差し伸べては下さいませんでした。今さら念願叶ったと喜ばれたところで、こちらとしてはただただ迷惑なものでございます」
「ふむ。若いのに随分と手厳しいことを申すのだな。御屋形様より聞いていた話とはずいぶん印象が異なる」
泰長殿の言葉に、多くの方々がうなずいた。
そもそも遠江衆と駿河衆では、前者の方が関わりが少ない。俺の人生の内、半分は駿河の今川館で過ごしたのだから当然だ。
それにお師匠様に師事していて、長らく部屋に籠るような生活を送っていたゆえ、なかなか他家の者らと顔を合わせて言葉を交わす機会も無かった。
おかげでここでも俺はうつけとまではいかないが…。といった評価である。
まぁそれの方が都合が良くて助かるのだがな。
「しかし当人にそのつもりが無いのであれば仕方がない。渥美の案内は伊予守殿が二連木城に入った後、戸田の者らに出してもらうといたそうか」
「それが良いかと思います。渥美の民の感情を考えても」
少なくとも今の俺には渥美など見ている余裕などない。
今後、松平が三河を治めるうえでキーマンとなりうる存在である西郷家の行く末を見守らなければならぬのだ。
兵が少ないがゆえの提案であったのであろうが、ありがたく断らせてもらった。
「さて大きく話が逸れたが、とにもかくにも西郷らが兵を南に動かす前に我らが五本松城に迫る必要がある。渥美半島さえ制してしまえば、最悪を想定して動くことも出来る。たとえ三河の地を捨てることになっても、松平の目をくぎ付けとすることが出来る。それだけ時間も稼ぐことが出来たと胸を張ることも出来るであろう。その間に尾張に圧をかける準備も進む」
泰長殿の言うように、現在今川家ではとある計略を進めている。
その計略とは、実はすでに尾張を統一していた信長の配下にある犬山城の織田十郎左衛門信清を今川方に寝返らせること。見返りは尾張一国だ。
どうやら尾張上四郡の守護代であり、2年ほど前に滅んだ織田伊勢守家の領地を巡って、信長と揉めているらしい。信長の姉を嫁として和解、事実上傘下に入ったようだが、やはり両者は相容れなかった。
御屋形様はこの弱点を突くことで、信長を尾張にくぎ付けにする策を展開された。考案されたのは御屋形様ではなく、氏俊殿ら側近衆であるが。
「五本松城に至る道のりであるが、2つ用意している。1つは近いが険しい道のりになるであろう本坂峠を越えるもの。もう1つは遠回りになるが、山々を避けるように南の平地を進むもの」
「時間が無いのだ。峠を越える一択でございましょう」
「いやいや、八郎殿。焦ってはなりませぬぞ。山を越えた先にあるのは月ヶ谷城。つまり西郷が持つ城の1つでございます。山越えで疲労のたまった兵らが戦うにしては厳しいのでは?」
宗恒殿の言葉に待ったをかけたのは親矩殿だ。
たしかに親矩殿の言うことももっともなのだが、問題はもっと近くにある。
本坂峠を越えるためには、一度井伊領の奥山支配の地を抜ける必要があるのだ。現在は日和見であるとはいえ、日和見は敵対とほとんど同義。御屋形様に従うことを決めた方々はこのように理解している。
そもそもこの今川の窮地に兵を出さぬのだから当然だ。
そんな者たちがいる領地を通り抜ける際に、何も問題が起きないはずがない。宗恒殿のように、恨みを込めて此度の戦に参加している方々も大勢いるゆえ。
そのためたとえ時間がかかったとしても、南回りで確実に、安全に八名郡へ向かうべきである。そう意見できればどれほど良いか。
今はまだ井伊を今の立場から動かすわけにはいかぬゆえ、無駄に刺激したくないのだ。
「こちらは本隊と後方支援隊を合わせて3部隊に分けて行動を共にしているのだ。うち三遠国境をかき回す役目を与えられている別動隊と後方支援隊が同時に三河に入れば、奴らの兵も分散いたしましょうぞ。さすれば多少兵が疲れていようとも、野戦で戦うほどの兵力を持たぬ月ヶ谷城主らは籠城を選択するに決まっておる」
「随分と八郎殿は自信をお持ちのようでございますが」
「当然だ。この戦で俺は親父殿の無念の1つを晴らす。そのつもりで参陣したのだ」
そう言い終わるやいなや、キッとこちらを強く睨みつける。
「同じ境遇にありながら、たったあれだけの兵しか引き連れてこぬ者もいる。なんと嘆かわしいことか!」
「兵を飢え死にさせるわけにはいきません。武器を持たさずに戦場に立たせるわけにはいきません。それともなんですか、八郎殿が持参の兵糧を分けてくださるのでございますか?」
「ふざけたことを申すな!これは我が松井の兵を生かすためのものであって、よその者らに食わせるものでは無い!」
「ならばよそのことに口出しは無用でございます」
あぁ、またやってしまった。売り言葉に買い言葉だと、売られた喧嘩を条件反射かという勢いで買ってしまった。
しかも宗恒殿の顔は真っ赤に染まり、今にも斬りかかってきそうである。
だがあれだけ厭味ったらしく言われたら黙っていられない。一門衆としての面目を守るためにも、反論しなければ。
そういう体をここにある方々に見せつける必要がある。
「まぁまぁ、2人とも。これからともに行動するのですから」
「その通り。八郎殿とて父を亡くされたのだから、右門殿の気持ちも理解できるはず。境遇が同じ者でもその後の行動が必ずしも同じというわけではないことは、八郎殿もよく理解しているはず」
宇津山城と同じく、浜名湖の畔にある堀江城主大沢左衛門佐基胤殿と泰長殿が仲裁するように、言い合う我らの間に言葉を滑り込ませる。
怒りの収まらない宗恒殿は舌打ちを連発していたが、俺は冷静に頭を下げておいた。
しかしこれは完全に今川館でのデジャブ。あの日、御屋形様の前で繰り広げた言い合いを見ていたのであろう親矩殿が苦笑をこぼす。
「右門殿は右門殿で短気が過ぎるのではないか?そのように喧嘩を買いまわっていては、周囲が敵まみれになるであろう」
「私とてそれを望んでいるわけではございません。ただ、悪意を向けられることに敏感なだけでございます」
「あっ、悪意だと!?」
顔から火でも出るのではないかと思うほどに宗恒殿の顔は真っ赤。いや、もはやそれすらも越えている。火を噴きそうな勢いだ。
そもそもこの程度の挑発に耐えられないのであれば、人をおちょくるのをやめるべきだと俺は思う。その後先考えない行いは必ず身を滅ぼすことに繋がる。そう断言する。
「そうでございましょう?それにたった200であるとはいえ、その中に種子島が10挺ございます。種子島1挺で兵数人分の価値があることを思えば、馬鹿にできるような数でもないと思いませぬか?」
「くっ!?」
はぁー、黙らせてやった。言ってやったわ。
スッキリもしたし、俺に注目が集まっている今だからこそ先ほどの考えを述べさせていただこう。
なりゆきで注目された好機を捨てるわけにはいかない。
「別動隊大将である紀伊守殿に進言いたします」
「う、うむ」
「峠越えはやはり兵の消耗を考えても得策ではございません。そもそも我らの役目は松平からの脅威に備え、継続的な三河の支援を行うために、三遠国境付近を押さえることでございます。当然でございますが、この任の中には三河救援を仰せつかっている本隊が無事に駿河へ戻ることも含まれております。もし仮に我らが敵の目が届きにくい本坂峠を越えたといたしましょう。峠越えに成功し、月ヶ谷城を落とし、五本松城に一気に迫ったとしても、入れ違いに松平方の兵が国境南部を押さえていれば意味がありません」
「だ、だが奴らが本坂峠を越えて遠江に侵入してくればどうするのだ。それこそ」
「それこそあり得ぬことでございます。もし仮にそういった動きをすれば、日和見に徹している井伊が黙ってはおりません。これを見過ごせば、ただちに今川より討伐の兵が向けられることになりましょうから。そのために掛川城に駿河からの兵が集められているのでございます」
井伊家の者たちもその意味をよく理解しているはず。
だから向けられた刃を躱すために、峠を越えてくる松平勢を追い払おうとする。とりあえずこの場しのぎ的に。
元康がこの段階で井伊と独自の繋がりを持っていたとしても、ここで今川に討伐の兵を向けられたくはない。三遠国境の北部を有する井伊を見殺しにすることになるゆえ。
だからこそ迂闊に干渉しないと俺は考える。どちらにしても、この段階で井伊に絡むと松平に得が無いわけだ。
「そもそも先ほど八郎殿が言われたではありませんか」
「あ?俺が?」
「三方面より展開する今川勢の攻勢をしのぐために、松平は兵を分散させると。そのような状況の中で、あえて敵がいない本坂峠を越えさせますか?そうやって敷知郡の西部を落としたところで、すぐさま奪い返されましょう。立地を考えればわかりやすいかと」
南の平野部を進む我らは、仮に入れ違う形で松平勢にこの辺りを奪われたとしても、すぐさま兵を引き返して奪還することが出来る。
一方で兵を分散させた上に、兵の疲労がたまる峠越えの選択肢しかない松平勢に敷知郡を維持する力など無い。
戦略的に考えれば、絶対に奴らがとるはずもない話を今しているわけだ。時間がただただもったいない。
それに今橋城までの道中において、我ら別動隊は救援本隊の露払い的な役割もこなすべきである。そうでなければ、消耗した状態で松平の本隊とぶつかることになる。
そういった点から考えても、結局我らは南周り一択。
俺も俺なりにしっかりと考えてきているのだ。ただ嫌味を言ってきた男に対して逆張りをしているわけではない。
「たしかに右門殿の言い分ももっともか。さて、皆の衆は如何であろうか?」
大将泰長殿の問いかけに、広間のあちらこちらより賛同の声が上がり始める。
面白くなさそうな宗恒殿は、また爪をかじりながら俺を睨んできていた。あれはもう駄目だ。
復讐リストの中に織田弾正忠・松平蔵人佐・一色右門と名を連ねたかもしれん。
「では決まりである。我らは本隊より先行して三河に入り、多米を越えた辺りより北上することとする。最初の目標は西郷の一族が籠る月ヶ谷であるが、同時に熊谷の勝山城も奪う。この辺りまで制することが出来れば、西郷の本拠である五本松城は目と鼻の先。あとは全軍がそろって城を取り囲む。異論のある者はいるであろうか?」
泰長殿から向けられた再度の問いかけ。誰も反対の声を上げなかったため、ようやく方針が決定した。
これより俺たちは山を避ける南回りで三遠国境を奪いにかかる。
チラッと出た熊谷の勝山城は現在元康の腹心の1人である高力与左衛門清長が城主として入る城だ。勝山城はかつて六波羅の戦いで功のあった熊谷という一族が入った城であり、高力の一族を遡れば熊谷にたどり着くためにそのように呼ばれている。
いずれにせよ、この辺りを落とさなければ八名・設楽の松平支配は崩れぬ。標的として定められることもまた必然であった。
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