生かしておく価値がない。


——死者が私を苛む。


伝承の悪魔が残した呪いにより、私は永久に眠りを奪われた。


毎晩目を瞑るたび、これまで殺めてきた数多の者の魂が、私のこれまでの行いを非難し否定する、それは至極真っ当な理由で。


夢の中で私は椅子に座り、周囲360度を取り囲むアンデッド共の主張を聞き続ける。


『あの日は退院したお母さんを祝うためのパーティーだった、長い間難病に苦しんできたんだけど、奇跡が起こって治ったの、私はケーキを買う帰りだった』


私が滅ぼした国の誰か。


「そうか」


事実を受け止め言葉を返す、心は動かない。


『病気の妹がいた、始末屋部隊のリーダーなんてやってるのは全部妹の医療費のためだった、アイツには面倒を見てくれる奴は居ない、俺が死んで妹はおそらく餓死しただろう、一人寂しく孤独に』


島で私を襲撃した刺客の男。


「お気の毒に」


お悔やみ申し上げる、目線は動かない。


『アンタのこと好きだった、尊敬してた、それを僕は裏切られた、目の前で大切な人を殺された、僕は絶対にアンタを許さない、センセを返せ』


私を目標にしていた魔術師の男。


「心から謝罪をしよう」


罪悪感はある、身じろぎひとつ無くそう告げた。


『お前はヒドイ奴だ、生きてたらいけないこの世の害悪だ、オマエはオレ以上に価値がない、オマエの思い描く理想は無意味だ』


そして彼の者の残留思念、呪いの根源、それが夢の中で無防備な自意識を攻撃する、その声はきっと塞いだ手を貫通して耳へと届くだろう。


「その無価値で無意味なものに打倒された貴方では、いささか言葉の強さが足りないでしょう」


読み終えたばかりの駄作に、目頭を抑えながら苦言を呈するように呟く。


「貴方も哀れだ、死んでも死にきれず、こういう形で自我を残そうとするとは」


後ろを振り返る、そこに浮かぶ暗黒に、もはや形とも呼べない弱々しい呪いに。


悪魔は何も喋らない。


何故ならそれは単なるシステムでしかないからだ、与えられた役割以上のことはできないのだ、故にこそ私は哀れだとそう呼んだ。


「何を見せて頂いても構いません、むしろ眠っている間も思考できるという点で、私は貴方に感謝をしています


人間の体の構造上、どうしようもなく定められた体力という名のリミットを無視して、研究を進める事ができるのだから」


生産性の無い死者への追悼より、今を有効的に活用する合理性、何事も発想次第で変わるものだ。


『お前は死ぬべきだ、故郷の家族もきっと幸せにはなれない、お前は不幸を振り撒くだけの存在だ、誰も彼もがお前を憎んでいる』


「どうぞご自由に」


情けをかけたからではなく、この時間の優位性を見出したからこそ、私は彼の遺した呪いを解こうとは思わない。


『オマエは一生許されない、キャリー=マイルズ』


「頑張ってください」


私はこの事態を、気にも留めていなかった——。


※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


「……現実か」


あの夢のおかげで一瞬、自分がどっちに居るのか分からなかった。


ベッドから体を起こして枕元の髪留めを手に取る、最近伸ばしている髪を後ろで纏める、それからストレッチをして筋肉をほぐす。


体が温まるのと同時に頭が冴えていく。


首を鳴らしてベッドから降り、昨日入れて飲み切らずにおいたココアを啜る、多少冷えているが味に問題はない。


カップを持ったまま歩き回って、トーストを準備してテーブルに着く。


——コト。


これまで手袋は外したままだが、このくらい触感がなくてもこなせる、むしろ熱い物を触る時などに便利だった。


傷は今や自動的に直るし、わざわざ魔術で温度を遮断する必要もない、有効活用とはこのことだ。


紙皿をゴミ箱に捨ててカーテンを開ける、外には排他的な巨大都市が広がっている、ハイテクノロジーが人々の暮らしを補助し始めて久しい。


——高層。


窓辺に腰を掛けながら歯を磨く、きっと何処にでもある朝の一コマだが、しかし私の目に写っているのは決して日常と呼べるものではなかった。


空に放たれた


派遣された視覚は次の火種を追従する、私はここに無いものを見ている。


障害となり、賢くなく、また利用価値のなさそうな敵を始末するために、まず必要なのは新鮮で正確な情報だろう。


私が相手取るのは権力者だ、それもとりわけ魔術世界への影響力が高い者たち、必然的に獲物のレベルも上がってくる。


ターゲット本人あるいは周りの部下たち、警備体制であったり日頃の姿勢であったり、そこらの金持ち連中とは一線を画している。


——カーテンを戻して立ち上がる。


情報を集めながら洗面所に向かい、口を濯いで歯ブラシをケースにしまう、そのまま服を脱いで風呂場に入っていく。


湯気。


髪の毛が濡れて重みを増す、肌を滴り落ちる水滴、戦いに身を投じる者としては些か綺麗に過ぎる体、まるで傷のひとつも知らぬかのようだ。


小さく歌を口ずさみ、立ったまま、目を閉じて頭からシャワーを浴びる、どうせこれからまた血で汚れるというのに。


気になったガラスの曇りを手のひらで拭い、自分の顔を見て気が付いた。


『瞳の色が変わっている』


溶けた黄金のような流動する瞳、それはあの悪魔の持つ物と同じだった。


かつて金の瞳は不吉の象徴として忌み嫌われた、それで滅んだ村も過去にはあった、この世界にとっての黄金はそういう存在だ。


「潔く滅んでおけばよいものを」


呪いの表れか、それとも単なる嫌がらせか。


どちらにせよ良い物でないのは確かだ、場合によっては偽装魔術の出番がくるかもしれない、まったく余計な手間を掛けさせてくれる。


——キュッ。


シャワーを止めて扉を開ける、フカフカのタオルで水気を飛ばしながら、魔術で横着しつつ下着を履いていく。


サッパリ、スッキリ、身も心も生き返る、これなら気持ちよく命を奪いに行ける、コンディション管理には気を配らねばな。


髪型を整えて用意した服に着替える、部屋に戻って荷物を確認する、収納漏れ等がないことを確信して『黒杖』を手に取って玄関に向かう。


——ガチャ。


さあ、人間らしい時間はここまでだ。


※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


ストーム=エヴァンス、彼は魔術に関する法律の制定に多大な影響力を誇っている。


彼自身は魔術師ではないのだが、昔からやっているのおかげで、お偉方との太いパイプを築いている。


老人達の良いように。


その代わりとして富と名誉を手にする、どれだけ『推進派』が手を尽くしても、世界が変わらない理由の一端でもある。


このタイプの人間は排除するしかない。


利益の犬だ、簡単に裏切る、味方に置いておくにはリスクが高い、弱みを握って脅したとしてもいつか必ず喉笛を噛み千切りにやってくる。


合理的な生き方だ、故に行動が読みやすい、生かしておく理由も価値もない。


——屋上。


今日、彼はビジネスの話をしに会合に出席する、だからその途中で襲撃する、真昼の大通りで堂々と殺しを敢行する、プランは既に練ってある。


ある記念日に湧くこの街では、そこかしこで浮かれた人間が散見される、騒ぎに紛れて事を成すには都合が良い。


——時計を見る。


「間も無く時間だ、3、2、1……」


予定通り黒いリムジンがやって来た、前後に護衛の装甲車がついている、魔術的な防御も十重二十重に施されており、警備はまさに万全と言える。


——だが往々にして、準備にはイレギュラーが付きまとうものだ。


フッと飛び立つ、のち一瞬の空中浮遊。


空から地上を見下ろし、狙いを定めて。


——ダァァンッ!


車のボンネットに直接落下した。


「……!?」


驚愕に染まる運転席の男。


——パァン。


結界は既に解除してある、私はフロントガラス越しにターゲットへ向けて発砲を行った、弾丸は狙いの導線を真っ直ぐとなぞる。


我が殺意は無駄を許さず、対象となる当人のみを補足した、余計な被害は一切出さなかった。


——キキーーッ!!


異常を感知した護衛のチームが急停止する、そしてこちらを見るや否や、所持していた銃火器を構え戦闘体制に入る。


所要時間はあまりに早く、しかしあまりにも遅かった、彼らが車から降り切る頃には既に、私は犯行現場から離脱していた。


「魔術師だ!魔術師の襲撃だ!早くボスを安全なところへ連れて行け!」


「出血が酷い!このままでは保たない!」


その声を聞きながら、パニックに陥る民衆を掻き分けて、身体を縮めて騒ぎの中心から離れる。


どうやら運良く即死は免れたようだが、なにも一撃で殺す必要は無かった、ただ体の何処かに当たっていればよい。


銃は魔を宿している、弾丸もそれに即した物、体内に残り続け傷口を広げていく、もはや治療魔術を使っても間に合わない。


殺害は完了した、後は無事に此処から離れるだけ。


荒波を乗りこなし、受け流し、あらかじめ決めていたルートを通って速やかに裏路地に逃げ込む、それから別の通りに入って服装を変える。


最初の仕事にしては上出来だ。


私が事前に定めた勝利条件はひとつ、護衛についているであろう魔術師に、現場で一切の手出しをさせないというもの。


終始私は透明で居た、引き金を引いた果てまでも彼らは出撃者の姿を目撃できていない、こればっかりは経験の差であった。


守りを固めた鎧の中にネズミを投げ込む、外側に向けた警戒が濃ければ濃いほど、対応には明確な遅れが生じてしまう。


その隙に『ひと噛み』をする猶予はある。


与えられた僅かな時間を使い、極めて致命的となる『小さな傷』を与える。


私はあえてこのシンプルな計画を選んだ、手練手管を尽くすという道も当然あった、にも関わらず今回この手法を選び取った。


その理由は単純で、いくら凝った計画を立ててもだったからだ。


直接的な手段をもってでしか、奴の目を掻い潜り確実に事を成せる保証が無かったからだ。


——立ち止まる。


ホテルに戻る途中、突然周りの景色が一変した、人の気配というものが全て消えたのだ、まるで違う世界にでも入ったかのように。


『要因』のお出ましだ。


私に小細工をさせなかった、欺くのは不可能だと判断させた原因の男。


標的を探る際、まず真っ先に目に飛び込んでくるのは、彼を守るために張られた強力なる結界、そしてお抱えの『用心棒』の存在。


「——降伏せよ、そうすれば命だけは助けてやる」


どこからともなく声が響いた、左右は建物に囲まれている、隠れる場所などいくらでもある、居場所を探るのは無理があった。


「分かりました、降伏しましょう」


両手をあげて無害を主張する、その手にはとっくに杖が握られている、いつ何処から仕掛けられても対応は可能だ。


油断ならない時間が過ぎていく、向こうは出方を伺っている、下手に手を出してこないあたり相当戦い慣れているのだろう、私を警戒している。


「何者だ」


会話で気を逸らそうとしてくる、その隙に私の結界を解こうというのだな、させてなるものか。


「通りすがりの配達員だよ、届け物は鉛玉だがね」


余裕をもって周りを見回す、ほんの少しでも存在の片鱗を掴もうとする。


「よくもやってくれたな、お前のおかげで信頼はガタ落ちだ、アレではもう助かるまい


せめて手を下した者の首を手土産にせねばな、でなければ私の今後が危ぶまれる」


周りに人が居ないのは結界が張られているからだ、おそらく『どちらかが死ぬまで対象と自分を閉じ込め続ける』といった手合いのもの。


解除条件が事前に定められており、そしてその方法が唯一である場合、付随する魔術の強度は逸脱的なものとなる。


ズルはできない、私は此処から出られない。


——予定通りだ。


奴が追いかけて来るのも途中で戦いになるのも全て予想を違わない、私としてはあの場でコイツが手を出して来さえしなければよかった。


『単独』だと思わせさえ出来ればそれで良かった。


——バヂッ。


「なにっ……!?」


視界の端、存在を意味する火花の炸裂。


それは伏兵の仕業、私はあえて彼らの前に姿を晒した、あのやり方なら敵はこちらを一人だと思う、故に罠を仕掛けさせてもらったぞ。


——早撃ち。


露呈した敵の居場所めがけて魔術を放つ、相手はそれを防ぐが反撃どころではなかった、生じた『余波』が『結界の砕かれた生身』に響くからだ。


先ほどの火花は奴の纏う結界が解かれた為のもの、それをやったのは伏兵で、そんな芸当が可能なのはであるからだ。


術者の全ての行動を禁ずる代わりに、結界の内側にいるあらゆる者の座標を顕にする、そういう効果が事前に施されている。


「っ……!」


防御を間に合わせたはずの敵が苦しむ。


私が放った魔術は、分解されることで別の効果を発揮するもの。


普通は結界によって防がれるのだが、今回に限っては話が違う、屋根の上に立つ奴の体は副次効果によりズタズタに引き裂かれている。


——結界を貼り直す隙も、傷を治す隙も与えない。


前に出ながら杖を振る、敵はあの圧倒的な不利にありながら、的確に私の攻めを捌いている。


恐ろしい魔術師だ、もしまともに撃ち合ったならば勝敗は決して分からなかっただろう。


だが残念なことに、こういった勝負の場では相手に実力を発揮させない事こそが重要だ。



「っ、ぐ、ぁ!?」


我が師、ラゥフ=ドルトゥースの生み出した狂気、それを私なりに改造したもの。


その効果は、相手の痛覚抑制を貫通し神経に直接『痛み』の情報を送り付ける、ただそれのみに特化させた悪辣なる魔術。


人間の持つ防御反応、硬直という名の、生き物としては抗いようのない反射を引き起こす、時間にしてほんのコンマ数秒程度の空白。


——だが、それだけで十分だ。


杖を突き出す。


先端から放たれた魔術は、無防備を晒した一瞬を見事に捉え、根こそぎ敵の意識を刈り取った。


速度と精度に優れた『気絶』の魔術、我らが初めに基礎として教わる物故に、それは洗練されており防ぎようが無かった。


倒れた魔術師の真上に『重量』を作り出す。


目に見えないそれは、私が合図を送るのと同時に落下を始め、無防備な対象をすり潰した。


——バシャッ。


水風船を壁に叩き付けたような音が響き、脅威となる魔術師は屋根のシミとなった。


片手に持ったクリスタルの杖を、普段使い、歩行用、オシャレの一環、仕込み用の入れ物である『黒杖』に差し込み留め具をつける。


「ご苦労」


私が呟くと同時に結界が解かれる、そして何処からともなくスーツ姿の男が現れた。


「実に良い手際だ、貴重な『推進派』の友人を失いやしないかとヒヤヒヤしていたが、まったくの馬鹿げた杞憂だったようだ」


彼は私の正面に立つと、ニコリと表情を緩め手を差し出してきた。


その手を迷いなく取る、そして互いに引き寄せあって軽く肩を抱き合う。


「久しぶりだね、まさか『幽霊』から連絡を頂けるとは思ってもいなかったよ」


背中をポンポンと叩かれる。


「生憎と墓穴の居心地が悪くてね」


離れて顔を見る、こうして直接会うのは初めてだ、彼とはいつも書面でやり取りをしていた、呼び掛けに答えて貰えて本当に良かった。


クラリス=レーン、通称『仲介人』


私が魔術の一般化に向けて動いているのと同じように、彼もまた『推進派』の重鎮、昔から何かと協力しあってきた私の数少ない協力者の一人だ。


「美味しいスイーツでも食べに行こう、この街の良い店を知ってるんだ、満足したからって成仏しないでくれよ?」


そう言って、彼は宝石のあしらわれた杖をしまい、私に笑いかけた——。

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