星屑の終焉。


長い空の旅が終わる。


操縦桿の冷たさが身を貫く、あるじを亡くした鉄の棺桶は、物悲しげに夜風を切り裂き飛んでいる、機械は使い手を選ぶことが出来ない。


人は誰しも力に従って生きている、法律といった絶対的なものから、マナーと呼ばれる小さな共通認識まで、我々はより大きなモノの前に膝を着く。


善か悪かは関係がない、あるのは損得だけ、視点によって最も容易くひっくり返る、そんな不確かな価値観には意味がない。


選択したのだ、他者を殺し自らを生かす道を。


選択させられたのだ、絶対的な抗えぬ力によって。


いつだって誰かが邪魔をする、理不尽を呪っても得るものはない、ならば現状の自分の立場を素早く正しく理解し行動するしか道は無いだろう。


私には一貫性がある。


目的のため、目的を果たすための命のため、それの前において万物は二の次となる。


親友恋人家族恩人、誰であろうと容赦なく踏み潰して進もう、後ろを振り返る趣味はない、私はただ前だけを向いて生きていく。


——目的地が見えてきた。


燃える都は朽ちており、以前見た時よりも遥かに怪しく、そして艶やかな光を湛えていた。


「おかえりなさい」


声が聞こえたと同時。


私は切り替わりの瞬間を認識出来なかった、まるで小説のページを一気に捲り飛ばしてしまった時のように、脈絡のない場面転換が起こっていた。


——首を失くした神の像。


ここは大聖堂、朽ち果てた冒涜の間、赤い絨毯の片隅には怪物達が控えている、作られた道の向こう側で彼女がこちらを静かに見据えている。


「思ったより早かった」


そう言い、傍に侍らせた怪物の頭を、我が子を愛でるかのように撫でる女。


「渡して」


こちらに差し出される輪郭のない腕、何処までも終わりが見えない星海の闇、我々が理解の及ばないはるか外側の生き物。


私は懐を探り、悪魔を封じたコインを取り出した。


これは戦利品、殺して奪ったラゥフの形見、このような別れは決して私が望んだものではない、私に先生を殺す理由などひとつも無かった。


キルシュもそう、私は彼という弟子を愛していた。


初めて誰かを教えるという経験をした、彼なら私の目指す未来を後押ししてくれるに違いないと、密かに心を踊らせてもいた。


あの二人は必要な人材だった、必要な人物だった。


しかし、その未来はもう存在しない。


全ては夢幻、起こり得ない0の世界、我が身可愛さに私は冷徹に審判を下した、必要ないと判断したものを切り捨てたのだ。


——コインを投げる。


宙を舞う、重さ数グラムの金属の塊は、鈍い音色とともに短い旅をした、私からフォルトゥスに向けた答えの具現。


——パシ。


「ありがとう」


彼女は満足そうに笑って見せ、そして。


「さようなら」


聖堂に待機させていた怪物達に命じた。


やはり彼女は私を生かしておくつもりはなかった、役目を終えたら処分する気でいた、当然の判断だろうと納得が出来る。


いいやむしろ、


「……待って」


今にも襲い掛からんとしている怪物達に、彼女は静止の命令を飛ばした。


反するものは一人も居なかった、それは彼女の恐ろしさを理解しているからでは決してなく、今までにない主人の姿に動揺しているからに他ならない。


「おまえ」


注がれる憎悪の視線、彼女はかつてなく感情を露わにしている、これまで超然としていた生き物が、そんな風になる理由など一つしかない。


そう、それは自らの命が脅かされた時。


私はコインを投げ渡す際、彼女の気が逸れる一瞬を狙って、ある『魔術』を行使していた。


「よくも」


怨みがましい視線が向けられる、私に手を出してくる様子はない、彼女はしかと理解しているのだ、私が死ねば自分は決して『助からない』と。


——真相。


※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


構成式を読み解くのには苦労した、私が開発した秘匿工房『安寧の首吊り台』での絶え間ない研究、それによってのみ判明した究極魔術。


『不可侵の四面体』その真の効果。


それは伝説で語られているような、内と外を断絶させるものではなかった。


一般的な結界術の視点で考えてはいけなかったのだ、かの偉大な大魔術師達が考案した、この世界で最も高度とされるその術式を。


結界は二枚存在した。


外側に向けたものと、内側に向けたもの、それぞれ別の効果を持った結界が、複雑怪奇なる融合を以て成立していた。


——表と裏。


ひとつは中側へと作用する、付与された効果は『フォルトゥス=ラァケルトからの如何なる干渉を受け付けない』という性質を持つ。


そしてもうひとつは外側へと作用する。


付与された効果は『フォルトゥス=ラァケルト本人の出入りを禁じる代わりに、それ以外の物品や呪い、声などの全てを阻まない』というもの。


これにより彼女は結界から出られず、しかし外への影響を与えることが出来た。


彼女はずっと探っていたのだろう、この忌まわしい結界をどうにかする方法を、だから伝承の悪魔が復活した気配を察知し、なにか現状を変えるキッカケになるのでは無いかと考えたのだ。


回りくどいやり方だったのはそのせいだ、私が自分から近付いてきたのは、彼女にとってさぞ幸運な事だったのだろう。


——だから判断を誤ったのだ。


利用できると考えてしまった、欲を掻いて素直に始末しておかなかった、この私に考える時間を与えてしまった。


解析の結果、あの結界は『未完成品である』ということが判明したのだ。


設計途中で手順が放棄されていた、最後まで組み上げられていなかった。


まるで何かに追われながら作業を続け、最後の最後で間に合わなかったかのように、完成間近の状態で放置されたままだった。


当時彼女を封じた大魔術師達に何があったのかは分からない、だがコレはある種のメッセージだ、卓越した技術を持つ魔術師にのみ分かる。


言うなれば虚空に引かれた導線、私の目にはありありと浮かんで見える、設計者達の目指した完成予想図が、構成式の隅々に残されたヒントが。


それは未来に向けたみちしるべ、いつの日かコレを目にした何者かが、術式を解析し続きを作り上げてくれることを願った想いの痕跡。


私は残りを引き継いだ、彼らの思想を具現化した。


私の手が加えられた事により結界は、単なる閉じ込めるための檻ではなくなった。



それこそが残された最後のピース。


二枚の結界は今ひとつになった、そしてその瞬間、隠されていた更なる効果が発動された、というものが……!


彼女は結界に干渉できない、彼女は結界の外に出る事が出来ない、つまり防ぐ手立てが無い、このままいけば潰れて死ぬ事になる。


既に状況は手中にある、私は現状を次なる段階へと進めた。


「取引だ」


間髪入れず返答が飛んでくる、背中を追い立てられたように。


「条件は」


私は提示した。


「そこの悪魔を抹消しろ、そうすれば収縮を止めてやる」


「分かった」


フォルトゥスは懸命だった、ほとんど悩む時間は無かったと言っていい。


それもそのはず、今尚閉じゆく『不可侵の四面体』は、あと数十秒も経たずにここへ到達する、悩んだり駆け引きをしている余裕は無い。


彼女はコインに手をかかげると、中に封じ込めていた悪魔の力を引き摺り出し、ズィードゥークをこの場に召喚した。


彼は何も言わなかった、奪った人間の体のままこちらにジッと視線を向けてくるだけ、恐らく我々の話を聞いていたのだろう。


抗う術を持たない彼は死期を悟り、静かな『呪いの眼差し』を向けてくる、伝承の悪魔ズィードゥーク最後の悪足掻きと言って良いだろう。


私から言うことは何もない。


お前の存在は不快極まる、そのまま何も出来ず死んでゆけ、散々人間を弄んだ報いを受けろ、始末する手間が省けて良かったよ。


——ギッ。


フォルトゥスが拳を握り込む、すると悪魔の立っていた場所が空間ごと歪み、次の瞬間には中心に向かって爆発が広がった。


小さすぎる穴に無理やり詰め込まれていくように、悪魔の姿は欠片も残さずに消え去った、強大な力を持つ彼がこうもあっけなく。


——消失を確認し杖を振る。


結界の収縮が止まる、既に大聖堂の壁が押しつぶされ始めていた、あと数秒遅ければ手遅れだ、ギリギリのところで取引は成立した。


——ピク。


「妙な気は起こすな」


彼女の指先がわずかに動いたのを見逃さず、再び杖を振り上げ天井に向ける、一度戦った相手の動きは学習している。


なんのための秘匿工房だと思ってる、一日あれば研究には十分だ、相手のプロファイルはある程度済ませてある。


この瞬間、お前が私を排除しようとすることなど。


——一歩後退する。


怪物たちがこちらへ躙り寄る、すぐにでも手を出せる位置に待機している、少しでも隙があれば喰らうつもりなのだ。


「生きて帰れると思うの」


おぞましい目の色をしている、彼女の姿は徐々に人から離れていく、怒りに我を忘れ形を保つことが出来なくなっているのだろうな。


少しずつ、少しずつ、敵から目を離さぬようにして慎重に一歩ずつ後退していく、手を出すそぶりを見せたら容赦なく結界を閉じるぞと脅しつつ。


彼女としては迂闊な事はできない、かと言って私を逃すこともできない。


外に出た途端術を再開されればお終いだからな、だからその前になんとしてでも、私の息の根を止める必要がある。


——残り十二メートル。


残り少し、そこまで来てフォルトゥスは私から隙が生まれることはないと判断し、狡猾にもやり方を変えてきた。


「死んだ人間を生き返らせると言ったら?」


彼女が口にしたのはまさしく悪魔のような提案だった、黄泉の門を開くのと引き換えに不殺を誓わせようとしている、自分が助かる為に必死だな。


私は即断即決、間を空けずに言ってやった。


「随分と下らない遺言だな」


——ドパパッ!


が彼女を撃ち抜く、それと同時に結界の縮小が再開される。


少し怯んだのち敵が襲い掛かってくるが、私はとっくに別の魔術を発動させていた。


背後約十二メートル、直線上に障害物ナシ、移動魔術の使用条件は満たされました。


閉じる速度、離脱する速度、両方が掛け合わさることで実際の体感速度は倍以上に膨れ上がる。


これによって私は一瞬だけ、彼女の想定を超えた速度で動くことが出来た、すんでのところで補足は間に合わなかった。


——空を切る魔の手。


強烈な加速によって後方に離脱した私は、数度地面を転がりながら結界を通り抜け、途中受け身を取り床を滑って止まった。


——ザッ!


前を向く、そこには閉じゆく結界と、結界を破壊しようとがむしゃらに力をぶつけるフォルトゥス=ラァケルトの醜い姿があった。


何をしても効果がない、触れた途端弾かれて体の一部が爆散する、彼女の使役する怪物達も例に漏れず境界を跨ぐことは出来なかった。


「ゆるさない」


恐ろしげな声で私を糾弾する。


何としても私の首を取ろうとする、しかし手が届くことはない、彼女にはもうどうしようもない、私を外に逃してしまった時点で詰んでいる。


——一歩一歩前に歩いて行く。


結界が縮小するのに合わせて、彼女が追い詰められていくのに合わせて。


——バギッ、バギバギ、バギッ、ヂュッ。


そんな肉と骨の潰れる音を立てながら、容赦無く圧殺されていく彼女を、ただ実験動物の末路を眺めるような気持ちで見届けてやる。


「🟥🟥🟥🟥🟥🟥🟥🟥🟥」


理解のできない言語で喚き散らす彼女は、もはや生き物とは呼べない形に変わっており、元の体積の三分の一程しか残っていない。


彼女が侍らせていた怪物たちとミックスされ、グロテスクな塊に変貌している、もうどこが目で口で鼻なのか分からない。


ただピンク色をした、気持ち悪い物体でしか無い。


——ゴギ、ゴギッ、メギ、メギ、ゴリッ。


物質の限界を超えてすり潰されていく、結界はゼロへ還ろうとしている、完璧に跡形もなく消えて無くなるまでこの縮小が収まることはない。


「タスケ」


その言葉を最後に、彼女は閉じる結界に推し潰されて存在を失ってしまった、原子レベルの痕跡さえ残らなかった。


これで、戦いは終わった。


——ザッ。


踵を返して歩き出す、魔術を使って非空挺を呼び寄せる、此度も乗り物は無事だった、中身もどこも壊れてはいなかった。


——ドカ。


椅子に座って、背もたれに体を預けて、両目を閉じて天井を見上げる、私は少しの間そうやって黙っていた、そう長くはなかったと思う。


「……」


目を開けて、天井の模様を認識した後は、眼鏡を外してレンズを拭き、再び掛け直してコンソールの操作を始めた。


地図を表示して、行き先を設定して、所要時間や距離が映し出されるのを見届けて、自動操縦モードに切り替えて席を離れる。


そして腰裏のベルトに挟んだラゥフの拳銃を引き抜いて、ケースに収めて荷物の中にしまった。ついでにキルシュが持っていた杖も一緒に。


もちろん形見などという殊勝な心掛けではない、あれらはのちほど研究対象として扱う、今後に役立つ技術が見つかるかもしれない。


——思いがけず、予定が早まったな。


私はそのことを内心喜んでいた、悪魔狩りも教育も余計な仕事だったからだ、これでようやく自分のことに取り組める。


——そう、本来の目的を。


魔術の一般化、今よりも門を広げる、求められる才能の敷居を大きく下げる、誰でも望めば魔術を学べるようにする。


そうしなければ我々は生き残れない、未来につながる技術が残せなくなる、今のままでは我々は緩やかに死んでいく。


——未来を変えるのだ。


その為には全体の意識改革が必要だ、今の選民思想が蔓延った腐った魔術師界では実現出来ない、大切なのは古い考えを破壊すること。


地位に着くのはまだもう少し後でいい、今はこのゴーストの身分を利用するべきだ。


——故にやる事は一つ。


保守派の権力者共を片っ端から消していく、私の思い描く未来に異論を唱える者を、ひとり残らずこの世界から退場させてやる。


主な障害となるのはやはり、今の世を生きる大魔術師のお歴々、彼らは皆己の支配と権益を何よりも優先的に考えている生き物だ。


魔術学院に居た頃は手が出せなかったが、今の私は何者にも縛られない自由の身だ、彼らの強大な権力を恐れる心配はない。


更地にしてから改めて望んだ形に組み上げていけばよい、腐った地盤は取り換える必要がある、途方もない話だが地道にやっていこう。


障害となる者は誰であろうと始末する、そこには微塵の躊躇いも存在しない、罪だろうと正義だろうとこだわりは無い。


私の夢はまだ始まってすらいない、スタートラインに立つ前の準備段階、他の対戦相手をあらかじめ始末してから望む出来レースなのだ。


キャリー=マイルズの信念は誰にも曲げられない、必要とあらば私は躊躇なく、たとえ何であろうとも切り捨ててみせよう。


「さあ、初めの犠牲者に会いに行こうか」


地獄の使者が今、貴様らの首を狩りに行く——。

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