まじない指
「——当然、あんた相手にタダで我儘を聞いてもらえるだなんて思っちゃあいない
せっかく遠路はるばる助けに来て下さったんだ、何かしらのお礼をしないと俺の心が傷んじまう、だから幾つかの情報を話してやるよ」
両手両足を拘束され、地面に座らせられるイヴィディアは、裏切りの可能性について調査されている最中にも関わらず、悠々と自分の話を語り始めた。
制することは特にしない、片手間に聞き流すことくらいは可能だ、それにコイツはイカれているとはいえ基本的に意味のないことはしない男だ。
耳を傾ける価値はある。
「実はな、俺に仕事の依頼をしてきた奴がいる」
その言葉に、やや興味の数値が上昇する。
彼は私の興味を引けたことを確認すると、真剣な面持ちで話を続けた。
「まだ俺がフリーで殺しをしていた当時、仕事に使っていた裏のネットワークがある
あんたと個人的な契約を結び、表舞台から姿を消した時点で、その網は使えなくなったはずだった……
だがつい七日前、突如として俺の元に、ある一通の手紙が届けられたんだ」
彼の懐を探っていると、魔術によって守られたポケットを見つけた、私はそれを解除し中に入っていた封筒を取り出して中の紙を広げた。
『"迷櫃の霧"魔術師キャリー=マイルズを殺害せよ』
——ゴツ。
封筒の中にまだ何か入っている、ひっくり返して中の物を手の上に落とす、現れたのは斯くも美しい青銀の硬貨だった。
これ一枚で五代遊んで暮らせる、手紙曰くコレは前金で、依頼を達成すれば同じものがあと三十五枚支払われるのだと言う。
彼を見る。
「おいおい、勘弁してくれよ、あんただって分かってるだろ俺の『性質』を」
「もちろんだとも」
手紙を折りたたみ、硬貨と一緒に封筒にしまう、そして元あった場所に返して結界を貼り直す、私は彼の潔白を確信した。
イヴィディアは安心したようにフーッと息を吐き、肩をすくめてこう言った。
「知っての通り俺は金が欲しいわけじゃない、損得はまるで釣り合っちゃいない、あんたが提供してくれる極上に敵うものなんか俺は知らないね」
この男にとっての殺し屋は、あくまで機会を得るための手段でしかない、個人で殺人を繰り返すよりもっと効率の良い方法を探した末に立てた看板。
だから彼自身は依頼を断ったのだろう。
そう、彼自身は。
「私を呼んだ訳はこれか」
彼の拘束を解く。
「お察しの通りだ」
自由になった手首を持ち、揉みほぐしている彼。
先程の硬貨、あれにはある呪いがこめられていた。
極めて複雑なものだ、私でも解呪は不可能だろう、まさしく手も足も出ないほどの強度だ、外圧による干渉は一切受け付けない。
「やってくれたな」
私はまんまと利用されたわけだ。
彼は笑って言った。
「結果は想像通りだった、あんたは罠を疑いながらも来てくれた、誰よりも合理的な女だからな、信号を出せば絶対現れると思っていた
まさかこうも早いとは予想外だったが、おかげで何日も砂粒を奥歯で噛み潰す生活をしなくて済んだ、あんたがクライアントで良かった」
私は食い気味に言葉を被せた。
「貴方には監視が着いていた、封筒を切り手紙の文面を読み、中の硬貨に手を触れるという一連の動作がトリガーとなって、強制的に術式が発動した」
『そうですね?』と視線を送る。
彼は頷き、立ち上がりながらこう言った。
「俺に掛かった呪いはふたつ、ひとつは座標の強制開示、そしてもうひとつは言論の統制だ」
ならば先ほど戦った魔術師共は、彼が依頼を受けなかったことに対する代償、そしてある種の猶予のようなものだろう。
「あんたが纏ってる防護結界は並じゃない、呪いを解除出来なくても『狂わせる』ことは出来るんじゃないかと思ったんだが、どうやら俺の目論見は上手く行ったらしい」
実際彼は話せている、私はまんまと賭けに巻き込まれたわけだ、この話が厄介なのは単に私が損をするだけではないという点にあった。
——私の生存に気付いた者が居る。
それは限りなく有用な情報だった。
「誰があんたを狙ってるかは分からない、裏のネットワークは多くの仲介を通す、両者のプライバシーを守るためだ」
「だからアレを持ってきたんですね」
「役に立ったろ」
「ええ、とても」
封筒、手紙、硬貨。
遠隔からとはいえこれ程強力な魔術を成立させるためには、常軌を逸した『仕組み』が必要となる。
呪いを発動した今、あれら品物はただの見た目通りの機能しか持っていないが、隠し切れない痕跡を至る所に残していた。
道筋は浮かび上がった、後は辿っていけば良い。
——イヴィディア=ハンス=クルグヴァーン、彼のやる事には毎度驚かされる。
助けを呼べば私が来ること、私が追手よりも強いこと、私が彼のことを疑い持ち物を調べること、私の結界が呪いに影響を与えること。
全て推測、根拠のない賭け、何処か一つボタンを掛け違えていれば決して上手くは行かなかったであろう目論見、幸運を呼び込むこの男の勝負強さ。
加えて。
「差し迫った脅威について、認識してしまった以上あんたはもうこの一件を放り出せない
俺が敵に回る可能性も、限りなく引くとはいえ完璧にゼロとは言えない、結局死んじまったら無意味だからよぉ、心変わりの線は充分にある」
挑戦的な視線を向けてくる彼。
そう、私はもう後に引くことが出来ないのだ、他の何を投げ打ってでも対処すべき最優先事項が、いまこの瞬間に発生してしまった。
先ほどの『やってくれたな』はそういう意味だ。
——杖を振る。
魔術は行使され、私はすべきことをやった。
「いや悪いねぇ、助かるよ」
自分に施された結界を見てそういうイヴィディア、これで彼に掛けられた
「これで俺も自由に動ける」
肩を回し、首を鳴らすイヴィディア。
「せっかく枷と
腕を組み、静かな視線を向ける。
「そう怖い目をするなよ!きちんと対価は支払うつもりなんだぜ、これでも俺はその辺しっかりしてるんだ、とっておきを提供してやれるよ
あんたの目的に関わる、とっておきの話をな——」
そして私は彼の言う『とっておき』を受け取り、敵が構築した封鎖結界を破壊し、別れの挨拶などは無しに解散した。
人の目が無いことを確認して、空に待機させておいた飛空艇を呼び出し、
——カツン、カツン。
扉を閉め、操縦席に座り、ナビゲーションシステムを起動して離陸する、これから向かう目的地は当然ながらN.Aなどではなかった。
閉ざされた石櫃を暴こうとする者は、何人たりともこの世に存在してはならない。
秘密に迫ろうとするのが誰なのか、突き止めて対処する必要がある。
好奇心には報いを、私の貴重な時間を浪費させたことの贖いをさせてやる、死の間際の断末魔をもって償わせてやる。
痕跡の続く先がどこなのか今に分かるだろう——。
※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※
常世ならざるもの。
この世界にはいくつかそういった話がある。
生まれながらに人でなく、万物を組み伏す絶対不変の法則を侵すもの。
ただそこに居るだけで、今までにない全く新しい『ルール』を成立させてしまう、別の
その中でもとりわけ神秘
あるいは奇跡とも呼ばれる、魔術の域を超えた外側の存在、長い歴史の中で唯一『不可侵』と認定された、たった一人のバケモノ。
煤けた街の孤独な王、灼け堕ちた縦瞳、まじない指のフォルトゥス=ラァケルト。
彼女の根城。
それが今私の目の前に、私の目の前のモニターに、見間違いを疑う余地もなく、ありありとハッキリと映し出されている。
「……どういうことだ」
今尚生きる
詳しい位置は出回ってないので、実際この目で見るまで自分が何処に向かっているのか分からなかった、来てみてびっくりというわけだ。
それが何故私を。
イヴィディアを使って私を殺そうとする?
「……何が起きている」
モニターに表示された画像では、人の気配のない街が広大に広がっている。
そこはかつて彼女が堕ちてきた大地であり、それと同時に滅亡したディーヴァ帝国、街の建物には今も
多くの大魔術師が彼女に『謁見』し、その力の秘密を解き明かそうとしたが、ただひとりの例外もなく狂気に呑まれ帰ることはなかった。
故に当時の魔術協会は、彼女に対してのいかなる接触や研究を禁じた。
我ら探求の生命である魔術師にとってそれは、己の研究成果を全て奪われることよりも許し難い、にも関わらず当時の大魔術師の面々が揃いも揃って口裏を合わせ断行した緊急隔離魔術。
公に記録される大魔術のうち、もっとも強力なモノがあの街の結界である。
その名も『不可侵の四面体』
内側と外側から、いかなる者の出入りも禁じる完全無欠にして強力無比な遮断術、今日に至るまで誰ひとりとしてその結界を解析出来た者は居ない。
もし手を出そうものなら、対象の精神はたちまち破壊され廃人と化す、そんな真の意味での禁忌、それがいったい何故私の命を狙ったのだ。
いや、そもそも。
そもそも『不可侵の四面体』の内側からでは、例え如何なる手段を用いたのだとしても、外部への接触は完全なる不可能のはず。
『報いを受けさせる』などと宣いはしたが、流石にこんなものは予想外だ、間違いなく私の手に負える案件では無い。
不本意だがこの件は無かったことに。
——そのとき丁度、瞬きをした。
瞼を閉じて開けるまでの、ほんの0.2秒程の不注意。
それが起こり終えた、次の瞬間。
私は上も下もない、ただ散り散りにちりばめられた星屑の浮かぶ真っ暗闇の空間で、この世のものとは思えない異形の怪物に取り囲まれていた。
「——」
冷たく凍結する脳内、理解を捨て対処に思考を切り替える、時間という概念すら追い付けない高速処理が今私の中で行われている。
——結果として瞬速。
合計278体の怪物を相手に、抜き身も見せぬ早業で、持ち得る全ての拘束魔術を行使した、自分でも幾つ発動したか分からない程に。
そして留まる死。
「……っ」
遅れて理解した。
自身の取った選択の途方もない正しさを。
目の前に迫っていたのは、まるで夜明けの空のような紫色のなにか。
それに実体はなく、ただキラキラと輝いている触手のようなもの。
あるいは腕、どこまでも終わりの見えない闇の中に星のような何かが浮かんでおり、それは時折鼓動するかのように蠢いている。
魔の手は前後左右、上下から迫っていた。
もしあとほんの少し反応が遅れていたら、私はこの得体の知れない腕のようなモノに捕まり、想像を絶する目に合うところだった。
『🟥🟥🟥🟥🟥🟥 🟥🟥🟥🟥』
頭の中に音が響いた。
意味の分からない不協和音、聞いているだけで気が触れそうになる、何かは不明だが良くないものであることだけは理解できる。
即座に音に関する神経を遮断する。
続けて拘束したイキモノ達を皆殺しにしてやろうと術式を準備して。
「……ッ!?」
背筋にゾクリと虫が這い回るような感覚を味わい、私は咄嗟に後ろに身を引いた。
——ヒタリ。
何かが胸に触れた、生き物の指のようだった、遠くに置いた物を取るかのような、とても攻撃だとは思えない感触だった。
——にも関わらず。
ただちょっとなぞられたに過ぎない箇所は。
何かとてつもない力で捻り、歪められ、千切って引き裂いて握りつぶされたかのような、無茶苦茶な傷が刻まれていた。
「なんだ、これは」
魔術によるものではない、吸血種の血液から作成した
『🟥🟥🟥』
また、音が聞こえた。
かつてないほど頭は回転し、かつてないほど冷静になっていく、その過程で私の目は正確に、自分が見たものを脳へお伝えていた。
——ズッ。
常人ならば、ここで発狂していただろう。
私が見たものは、そう。
人のような形をした、私の身の丈の数万倍はあろうかという大きさの真っ白い影。
体を構成するひとつひとつの細胞が、部位が、それぞれ生き物のように胎動しているのが分かる、無数の手のようなモノが私を求めている。
命ある、存在が
私のような、矮小な塵屑が。
抗える、余地のある、モノだとは、思えなかった。
——だから。
迫り来る恐怖に。
——抗うための術を、イマ作った。
迫り来る暗黒に。
……私の得意技である結界は、始まりと終わりを決めて成立させる物である。
閉じる必要がある、さもなくばそれは無窮に膨張し続け、やがて術者本人を食い潰すことになる。
その零地点を、始まりと終わりの両方を、まるで虹の成り立ちのように、末端と末端を我が『霧』によって隠し無理矢理に顕現させる。
必ず円形でなくてはならないという結界術のルールを強制的に捻じ曲げる。
霧の効果の一部を抜き出す、抜き出した構成式を結界術に組み込む。
これによって作り出された結界は本来あり得ない、術として成立するはずのない形に、細い細い『糸』のような状態に変化した。
その『糸』の表面は、顕微鏡でも見えないほどに小さな白い霧が、竜巻の渦のように、あるいは蛇のとぐろのように這っている。
暗い闇の中に、一条の光が煌めく。
——ピンッ。
張り詰めたような音がすると同時に、目の前の巨大な白影が斜めに分断された。
——サァッ。
なんの抵抗もなく、影は二つに分たれた。
『🟥🟥🟥🟥🟥🟥🟥🟥』
今一度音が響いた、意味は分からないがおそらく、怒りの感情であろうと想像がついた。
——効いた。
私はかねてより、守りの技術である結界を、なんとか攻撃に転用出来ないか考えていた。
それが今この土壇場のインスピレーションにより、長年取り組んできた課題が突如として、自分でもよく分からないままに解決した。
結界の持つ『拒絶』の力。
あらゆる災禍を跳ね除け、尋常な手段では決して、何者も境界を跨ぐことは出来ない。
霧の持つ『分断』する力。
如何なる者であろうとも、ひとたびそれに包まれてしまえば、存在や記録記憶もろともに消失し、二度とこの世に戻る事はない。
その両方の力を掛け合わせ、文字通りどんな守りも切り裂く無敵の矛とした、その構造は極めて単純かつ瞬間的な大量生産が可能となった。
私はこの術を。
『
そう名付けた。
——ピ。
風切音、そして巻き起こる破壊。
私は見渡す限りの全てを刻んだ。
動くもの、動かないものを関係なく、この目に映るありとあらゆる『異なるもの』を殲滅し、斬滅し、粉微塵に切り裂いては消し飛ばした。
なかば恐慌状態にあったと思う。
あくまで平静を装っていただけ、魔術師として様々な禁忌に触れ、多少耐性がついていたというだけ、ここにきて仮面がヒビ割れ恐怖が露呈した。
数百、数千、数万と。
敵意を感じる限りを延々と害し続けた、そのうちに目新しい変化が起こり始める、白い影の形がどんどん萎んでいくのだ。
気付けば周りの異形の怪物たちも、細胞の一片までも刻まれて塵になっていた。
自分や周囲を客観視出来るようになり、パニック状態から回復しつつあったその時、事態は大きく動くことになる。
——景色が変わった。
「……なに」
突然のことにかえって冷静さを取り戻す。
場所は地上、馴染み深い大地の感覚、それも石造りの建物の中だった。
ホールのような所、非常に広く、しかし至る所が苔むしている、長らく誰の手も加えられていないだろうことが容易に想像できる。
——パチ、パチチッ。
視界の端で翠色の炎が燃えている、壁や天井をゆっくりと伝って動き、まるで生き物のように移動し続けている。
何がどうなったのかと思考を巡らせ、そして即座にお題を打ち切った、何故ならそれ以上のことが目の前で起こっていたからだった。
——ズ。
空間が歪む、中心に捻れて渦を巻く。
私は警戒して術の準備をしたが、それはどうやら攻撃の予兆ではないらしい。
どうなったのかは分からない、私は片時も目を離さなかった、だというのに理解できなかった、その渦の形がいつ『人型』になったのか。
『人型』は最初こそボヤけた写真のようだったが、そのうちに形が定まっていった。
深海のような深い蒼色の肌、人間で言う黒目と白目が反転している、瞳は爬虫類のように縦だ。
細くしなやかな尻尾のようなモノが生えている、髪は夜明けの空のように鮮やかな紫色をしている、身体的特徴は女性のものだった。
その姿はまさしく、御伽噺で聞いた通りだった。
煤けた街の孤独な王、灼け堕ちた縦瞳、まじない指のフォルトゥス=ラァケルト。
彼女は困惑する私に向け、数度咳払いをしてチューニングした声でこう言った。
「契約の悪魔、こっちにちょうだい」
そうか私を狙った理由はズィードゥークだったか。
どう答えたものかと一瞬迷ったが、私が返事をする事は無かった。
「痛かった」
その何処までも沈んでいくような声を、聞いてしまったから。
「おもてなし、してあげる」
私の身体がバケモノの腕に、四方八方から拘束されてしまっていたから。
「……いつの、まに」
私の決死の覚醒は、彼女にとってほんの少しの苦痛を与えただけに過ぎなかったのだ——。
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