異邦より救難


対悪魔を想定した戦闘訓練、キルシュへの魔術指導、個人的に行う各種トレーニング、そして合間を見つけての研究開発。


タスクの多い毎日だが、私の能力をもってすれば大した問題ではない、ペース配分は完璧だった、多少のが起きても平気な位には。


「どうしたね、マイルズお嬢ちゃん」


ラゥフとの魔術特訓スパーリングの最中、異変を感じた彼女の銃を撃つ手が止まる。


——カランカランカラン。


弾き飛ばされた私の杖がステージに落ちる、戦いが最後まで行われないにしろ、どっちみち私の敗北は決定されていた。


杖を取り寄せて、懐からノートを取り出し『五手敗着』と書き込んで彼女の質問に答える、此度の戦闘の流れを詳細に記録しながら。


「友からのSOSです、たった今送られてきました」


「なに?」


私にも横の繋がりはある、魔術師同士の緊急連絡網だ、安全性の観点から普段は閉ざされているが、それがこの瞬間に発動した。


「訓練は一時中断だ、飛空艇を借りますよラゥフ」


パタンとノートを閉じてペンと一緒にしまい込む、彼女に背を向けて歩き出す。


「それは別に構わんのだがね」


そんな私の姿を驚きの表情で追うラゥフ、飛空艇のキーが投げ渡される。


「厄介そうか」


上着を着直し、ネクタイを整え、手袋を引っ張る、受け取った鍵を拳の中に握り込み、杖を元の場所に戻しながら片手間に答える。


「極めて些事です」


※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


一時間十五分の空中旅行、世界にまだ数台しかない小型高速挺、空中格闘ドッグファイトを想定しないこの機体は、武装も装甲も極限まで削り取られている。


防御は全て魔術に任せてある。


それ故に実現した夢の超スピード、世界中のどんな場所へも駆け付けられる。


「到着だ」


目的地の遥か上空、モニターに表示された拡大画像、そこは結界で閉じられた戦場だった。


「耳栓は要らなそうだ」


外目にはただ夜の砂漠が鎮座しているだけ、しかし私には見えている、決して誰も生きては返さないという意志を感じさせる死の箱庭が。


姿形は無い、気配も無い、魔術師の静かなる戦場、ただ結界だけが墓標のように佇んでいる。


コンソールを操作し自動操縦に切り替える、席を立ち上がって後部ハッチに移動する、そして緊急開閉スイッチを叩く。


アラームと共に扉が開いていく、風が吹き込んで髪や衣服がはためく、雲のない地上を見下ろす、月明かりがいつもより近い位置にある。


「速攻で終わらせる」


眼鏡を外して懐に片付ける、そして前に踏み出し、大空に身を投じる。


——バッ!


途端身体を打ち付ける空気の壁、魔術的な保護がなければ目も開けてられない、まともに呼吸をする事すらままならない。


——ゴウッ!


速度を纏った急降下、大気を突き抜ける生身、片手に握った杖の感触がよく伝わる、眼下に作り上げられた結界は実に強固。


気付かれないように通り抜けるのは不可能だ、尋常なる手段では叶わない、なればこそ狂気に縋ろう。


杖を小さく振り上げる、するとこの身を霧の魔術が包み込む、私という存在は失われ霞んでいく。


裏の世界へ、誰も居ない異郷の地へ、この技を使うのはもう何度目だろう、キャリー=マイルズという自我はその度に死を迎えている。


新たなる自己の定義、以前の自分はもう取り戻せない、だが私は私を誰よりも信用している、この合理性の塊である生粋の魔術師を。


——フッ。


結界を素通りする、その瞬間に顕現する。


「よし」


動悸はない、息切れも無しだ、自己消失による副作用は感じられない、段々まるで息を吐くように使いこなせるようになってきたぞ。


ゆくゆくは体の一部分だけ、杖を持つ右腕だけを損なわせ、真正面から不意打ちなんて芸当も。


胸を躍らせるのもそこそこにして、もう間も無く地上がやってくる、私を迎えんと死の大地が、招かれざる客を空から呼び落とした。


——魔術師が降り立つ。


※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


星空の海が砂の光で泳いでいる、クラゲのように漂っては流れる、右も左も丘で坂で蟻地獄、時折風に舞い上がる煙幕が視界を塞いだ。


「……多いな」


舌打ちと共に独り言を呟く、誰の耳に届くこともない悪態だ、私はすでに臨戦体制に入っている。


長年奴らと戦っていると分かる、その場の空気とでもいうのか、科学的には証明できない感覚のようなものが私に告げている。


と。


目には見えない不届者が、この枯れ果てた砂の海に闊歩しているぞと。


魔術師は基本、自らの姿を可能な限り隠して戦いに臨む、だからこそ我らは『存在しないものNoBoDy』として人々から恐れられているのだ。


だから勘で動くしかない。


砂の丘を滑り降りる、それによって地形に与える影響は無い、ゴーストとなっているのは私も同じ、この場にいる敵もまた私を見つけられない。


——イヴィディア=ハンス=クルグヴァーン。


私がここに来た理由、私に救難を出した男、タスクの優先順位に割り込める存在、彼は私にとって大切な利用価値のある人間。


『魔術の一般化』という目的を果たす為に、大きな役割を持っている男だ。


何があって助けを呼んだのかは分からない、しかし追われていることは理解できる。


絶対に死なせるわけにはいかない。


速やかに敵を排除し彼を救出する、無論罠である可能性も十分視野に入れつつ行動する必要がある、故に私はあえて遠くに降り立ったのだ。


彼の居場所は正確に把握している、上空から座標を確認した、送られてきた信号から逆探知した奴の存在をリアルタイムで追跡している。


あらかじめ施していた魔術のおかげで、砂地に足を取られず行動できる、まずは見晴らしの良い高い場所に行く。


——頂上に来た。


辺り一帯を見回せる絶好のポイント、ちょうど雲のない空が私に味方する、イヴィディア救出対象が隠れているであろう洞窟も確認する事ができた。


私に見えているなら敵にも見えている、しかし誰も戦いの気配を発さない、何故ならアレが『罠』であることが皆分かっているからだ。


見通しの良い場所にポツンと佇む洞窟。


あんな分かりやすい場所に陣取って、なんの仕込みも為されていないはずがない、まず間違いなく誘い出そうとしている。


イヴィディアは守るのが得意な魔術師だ、迂闊に踏み込めば私でさえ無事では済まない、彼に接触するに為は敵を滅ぼす必要がある。


私の結界に施された魔術偽装は並でない、余程の相手でもない限りは誤魔化せる、とはいえ使う術は最低限にしておきたい。


故に、まずは霧を発動させる。


現在地を中心に、洞窟の周りを円を描くように、少しずつ範囲を狭めていく無差別攻撃、ほんの小さな断片のような霧をばら撒いた。


攻撃が仕掛けられる気配はない、術は安全に行使された、あとは誰かが引っ掛かるのを願っておく。


霧で敵を倒したなら、味方が消えていることにも気付かないので隠密が可能となる、あまりに数を多く倒しすぎると危険だが一人二人なら平気だろう。


続けて私は杖を振り、背後で風を起こし、砂の煙幕を見渡す限りに放ってみせた。


目的は索敵、誰か結界の張りが甘い奴が居れば、そいつの場所だけ風の流れが不自然になる、細かいところから探りを入れていく。


しかし網には誰もかからない、綺麗に存在が消えている、跡形も無いとはまさしくこの事だ。


——なるほど手練れだな。


外の結界の出来から分かっていたことだ、そうでもなければイヴィディアが私を呼ぶはずもない、彼だって荒事には慣れている。


こうなると炙り出すのは難しい、少なくとも安全な方法では無理だ。


一人に手を出せば他の者にも悟られる、ツーマンセルで行動している可能性もある、遺跡で戦った連中とは恐らくレベルが違う。


小手先の技では通用しない、自分の腕を信じて勝負に出るしかない。


洞窟の周りには結界が張られている、分かりやすく偽装する気のない、相手の侵攻を止める目的で作られたものだ。


構成式は読み解けた、手間は大して掛からない、ハナから強度の高いものではないのだ、アレはあくまで囮の役割でしかない。


——そう、他の者にとっては。


魔術を発動、早業、洞窟に施された結界術、それに干渉しあるに作り替える。


当然、いくら偽装を施しているとはいえ、その場に自分達以外の何者かが居ることは、優れた魔術師ならば理解するだろう。


居場所は漏らさなかったが対処は可能だ、逆算するなり当てずっぽうするなりと、私の居場所を突き止める為の手段はある。


手段はあるが、その為の時間は。


——ピシッ。


決して与えてなどやらない。


——バキキッ!ドンッ!!


瞬間的に膨張し、爆発的に範囲を広げていく結界。


それは私が手を加え発動させたモノ、居場所の分からない者を倒すには、無差別攻撃で炙り出すのが最も確実だ。


無論、私自身も巻き込まれることとなるが、そう簡単に痛み分けをさせてなどやらない。


——霧。


結界に細工し、爆発を起こす寸前、私は自分に霧を纏わせて存在を消した。


現実世界から一切の干渉が不可能となり、文字通りの透明人間となった私の横を、形容し難い破壊の嵐が吹き抜けていく。


——十二体。


私はで起こった防御反応を、自我の再成立と並行して感知、敵の数と配置を把握する事に成功した。


ほとぼりが冷めるのを確認して霧を解く、私という自己が世界に繋ぎ止められる、そしてタイムラグなしに行動を開始する。


あの結界はあえて設置されたものだった。


私が利用しやすいように、わざと構成式を単純にして作られたものだった。


敵からすればただの見えている落とし穴、どれだけ脆い守りでも罠を警戒して迂闊に手は出せない、彼は私を呼ぶうえで最大限助力をしたのだ。


敵影は捉えた。


結界は普段は隠れているが、効果を発揮する一瞬だけ具現化する、露出したそれは私の目と反応速度なら構成式を読み解くのは容易い。


私は十二人の中から、特に守りが弱かった三人を抜擢して精神支配の魔術を放った。


——まずは三人。


下される命令は『仲間の中で最も強い魔術師に集中砲火を加える』こと。


瞬間的に、同時三方向から、極めて正気を保ったまま放たれる質の高い連携魔術攻撃、対処するのは容易ではなかった。


遠くの方で焦ったように分解に踏み切る敵、だがその時点で既に詰んでいる、敵は何の抵抗も出来ずに嬲り殺された。


——これで四人。


精神支配は継続する、彼らの標的は更新され続ける、よって次なるターゲットは『次いで最強となる魔術師』となる。


しかし、そう簡単にやられはしない。


残り八人の魔術師は、状況を素早く理解して精神支配を施された味方を排除しに掛かった、それと同時に私の居場所も探り始める。


だが、まだ遅れている。


——五人、六人、七人。


秘密裏に、最序盤に放っておいた霧の魔術が、判明した敵の居場所に派遣され、人間を飲み込んで抹消していく。


敵はそのことに気付けない、強いものから順に消えていってる事実に。


精神支配を与えた魔術師三人と、残りの五人が一斉に撃ち合っており、彼らは三人の処理にやや手間取っていた。


当然だ、本来なら三対八のつもりで撃ち合っているのだから、自分でも気付かないうちに、私の霧は無意識下を侵食しているのだ。


たとえば、これから崖を飛び越えようという時に、助走をつけて勢い良く地面を蹴り、向こう岸に到達する前に、本人も気付かぬうちに距離だけが伸びたなら果たしてどうなるか。


届くわけがない、そして何故届かなかったのかを、落ちながらでさえも理解できない。


だから手間取る。


——八人、九人、十人。


更に三人が黄泉に送られ、敵の数がいよいよ二人になった、それと同時に私の『人形』が見るも無惨な姿に変えられて死亡した。


私はここで正面戦闘を選択した、残る二人に対し、同時に攻撃を仕掛ける。


二人は素晴らしい反応でそれを防ぎ、そして私の居場所を把握した、もはや姿隠しは意味を成さず、あるのはただ純粋なる魔術戦だけだった。


故に。


「貴方達の負けです」


勝敗は既に決している。


彼らは意識を逸らしてしまった、ほんの一瞬、それまで所在の掴めなかった襲撃者を捉え、脅威として認識してしまった。


だからあの、砂漠の中央で、見通しの良い絶好のポジションで行く末を見守っていた彼に、を与えてしまった。


——砕け散る敵の結界。


奴らは自分たちが犯した間違いに気付き、咄嗟に役割分担をしようとするが、一対一の状況に持ち込むよりも早く私の魔術が彼らを滅亡させた。


——パンッ!


小気味の良い破裂音と共に、水の入った風船を壁に叩き付けた時のように飛沫をあげる男達、彼らは赤い水となり砂の大地に吸収された。


敵の追撃は無し、これで戦いは終わった。


私は杖を片手に床を踏み鳴らし、洞窟に向かって下って行った、するとそれまで何も無かった空間に人影が浮かび上がった。


「武装を解除し私に拘束されろ、事情を全て偽りなく話すまで、貴様に自由はないと心得ろ」


私はその者に杖を突き付けて、そう告げた。


彼はゆっくり手を上げて、こう答えた。


「あははーはぁ怖い怖い、おっかなくて仕方ねぇなぁオイ、やめてくれよタダでさえ靴ん中砂まみれでイライラしてんだからよ、マジでムカつくぜあの連中!クソ!俺の服に傷付けやがって!ちくしょう!


ていうか久しぶりだねぇキャリーちゃん、元気してたかお前よー、俺は最近結構良い調子だったんだぜ?それなのにそれだって言うのに……


なんべんぶち殺してやっても足らねえよ!この砂漠のゴミ虫共が!とっととくたばりやがれ!俺が今すぐこの手で殴り殺してやる!


なぁ武装解除は分かったからさぁ、一旦あいつらの死体並べてお説教かましてやっても良いよな?構わないよな?気が済まないんだよぉ、頼むよぉ……」


溢れ出る激情、安定しない情緒、話が通じるとはとても思えないギラついた眼、頭のネジがいくつもぶっ飛んだ危険人物。


「ダメだ、その場に跪け」


「ちぇ、信用ねーの、別に取って食やしないって」


コロッと態度を変えて指示に従う男、だが彼は引き下がったフリをして、私に隙があったら殺してやろうと心の奥底で考えている。


奴はそういう男だ。


そういう関わるのを推奨されない、魔術を人殺しの為にしか使わない、頭のイかれた異常者であるのだが、しかしそれ故に優れた使い道がある。


を呼び付けるとは、この借りは高く付きますよ」


「任せて任せて、ちゃんと恩には答えるからさ、俺の欲しい『仕事』をくれるあんたの事は、こう見えて結構好きなんだぜ俺はさぁ


だからさぁ、ちょっとでいいからさぁ、いっかいその首絞めさせてくれよぉ、頼むからさぁ、その細っこい首へし折らせてくれよぉ


なんてなんて!冗談冗談!アッハハー!機嫌良いってスンバラシイなぁオイ!晴れ渡るようだぜーっ!うずうずして堪んないっつーんだよぉ!」


イヴィディア=ハンス=クルグヴァーン、彼こそが歴史上最も残虐な大量殺人鬼として知られる男、そしてこの私お抱えの『殺し屋』であった。


「ところで」


彼は跪いたまま、私に目を向けて、うってかわって冷えた声と表情でこういった。


「あんただろ」


「その辺の事情も話します、とりあえず大人しく拘束されなさい」


それからの彼は、不気味なほど静かだった——。


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