悪魔の右腕
——パァン。
問答無用で頭蓋に撃ち込まれる弾丸、それは私の脳機能を停止させ、全身への電気信号の伝達を阻害、キャリー=マイルズという人間は死亡した。
——はずだった。
『契約者死亡、交わした取引内容に従って、契約者の魂と肉体を我が者とする』
通達、それは私が彼、悪魔ズィードゥークと最初に結んだ約定のこと、死の運命を回避する代わりに悪魔の封印を解くという約束に付与された条件。
リスクヘッジ。
死という絶対的なものを退けるために必要な代価の支払い、黄金蝕ラゥフ=ドルトゥースによって殺害された私は未来永劫、魂を幽閉される。
肉体は奪われ、私から『死』と『自由』の概念が剥奪される、これより先にあるのは永遠の虚無と暗闇、そして凍り付くような冷たさである。
——そう、そのはずだった。
『……!?なんだっ!?魂の主導権が移らん、契約が達成されない!?』
驚く悪魔。
驚いたのは彼だけではない、今死んだばかりの私自身、この状況に戸惑いを隠せないでいる。
死んだはずなのだ、私は完膚なきまでに敗北した、にも関わらず意識がある、体は動かせなくとも聴力や触覚はまだこの身に残っているのだ。
——どういうことだ。
背中に感じる地面の硬さ、吹く風の音、その疑問はラゥフ自身の口によって説明された、勝ちを確信した堂々たる語調で。
「貴様は必ず欲張ると思った、私を殺さず傍観するだろうと予想していた、この状況に持ち込めたよ」
私の中から飛び出し、奪った人間の体を依代に現代に姿を表す伝承の悪魔ズィードゥーク。
彼はラゥフが何かをしたのだと判断し、議論の間も無く彼女を殺しにかかった、悪魔の手は距離に関わらず対象の命を『握る』ことが出来る。
「お前が何をしようが関係ない、小細工をしたところで死ねば終わりだ」
ズィードゥークが告げる。
生命という不確かなモノを掌握、それを強制的に手中に収めることで、擬似的な支配を実現する彼の得意技、辺り一面に闇夜が舞い降りる。
だが私は、私は知っていた、彼のその考えはまったくもって間違いであると。
——バヂッ!
「……ッ!」
弾かれる力、悪魔の手を退けるラゥフ。
「オマエ、ニンゲンまさか……ッ!?」
ラゥフは、羽織っていたコートを脱ぎ捨て、自身の右腕に施された偽装魔術を解いた。
「御名答」
そう答える彼女の腕は異形に歪んでいた、人のものではない暗い森の木のような邪悪な鱗、爪の形も指の形もどれもが禍々しい。
彼女は悪魔狩りだ、古くから悪魔達を滅ぼしてきた魔術師だ、そんな彼女がかつて戦った悪魔の一人、死に際に残した凶悪な呪い。
それを封じ込めるために、彼女は自身の肉体に悪魔を封印し、右腕一本に押し留めている。
既に悪魔の自我は喪失している、故にそれはただの『火傷の跡』のようなもので、得意な能力は何も残っていないはずだった。
にも関わらず、ズィードゥークは顔を曇らせた。
何故なら。
「まさか俺たちの術を!契約の力を人の身で扱うというのかッ!?」
「再び、御名答」
——既に契約は達せられた。
私の中の悪魔との繋がりが、プツンと音を立てて切れる感覚があった。
「が、っ……」
悪魔が膝をつく、苦し紛れの抵抗を行うが、まだ全ての力を取り戻しきっていない彼では、戦闘態勢に入った黄金蝕に敵わない。
行動を封じ込まれ、空中に打ち上げられる。
頭上を見上げたラゥフは、口元の端に笑みを湛えてこう叫んだ。
「お前の契約者はもはやマイルズ嬢ちゃんではない!この私だマヌケッ!死の定義を細かく取り決めていなかったな!それが敗因だズィードゥーク!
彼女の命は今我が手の中にある、だが気付いての通り彼女はまだ生きている
しかし貴様にはこの状態のマイルズ嬢ちゃんを『生きている』と判定する術がない、肉体は死んでいないのだから魂を奪い取ることもまた不可能ッ!
手にした宝物庫は空だったな!
開けるタイミングが早すぎたのだ!一度開いた扉を閉めることは出来ない!お前は自分の判断で『契約達成の成否』を決められる!
それが仇になった、己を信用しすぎたな、自分に有利なように結んだ契約には穴が生まれる、封印されている間にそんな簡単なことも忘れたか悪魔よ!
勇足のおかげで繋がりが薄れた、隙間に捩じ込めたぞッ!貴様はもう私に何も手出しが出来ないッ!」
ズィードゥークの姿が崩れていく、人間の体が崩壊していく。
「……お、のれ」
どうにもならない状況に恨み言を吐く悪魔、彼の目は爛々と輝いていた、そこに浮かぶ憎悪はたとえ一欠片であっても世界の全てを焼き尽くすだろう。
本来契約とは相手と交渉し、了承を得て結ぶ物だ。
しかしラゥフのは純正品ではない。
自身の肉体に残った悪魔の残滓を元に、彼らの力の一部を擬似的に再現した魔術。
その実、彼女の扱う力は『契約』ではない『支配』と呼ぶにふさわしいものなのだ。
代償と引き換えに願いを叶える、おいそれと使えるものではないが、この場合の『代償』とはハッキリしている。
それは『自身に悪魔を封じ込める』こと
そして見返りの支配とは。
『私との契約を完全に断ち切る』こと。
ズィードゥークの姿が失われ、代わりに生じた青いモヤのようなものが、ラゥフの体の中へ吸い込まれて消えていった。
瞬間、私の全身の機能が回復する。
「は……っ!」
酸素を求めて口を開ける、床に這いつくばって土を握り込む、そして負った怪我を治してゆく、もう体の自由は奪われていない。
「ゲホッ、ゲホッ……!」
ウイルスの影響はない、彼女の蝕術は、それによって与えた被害や外傷を『無かったこと』にするという付属効果がある。
相手が完全に死亡していない限り、どれだけ瀕死の重体まで追い込もうが、奴の采配ひとつで完治することも一生死んだまま生かすことも出来る。
黄金すら蝕むという彼女の異名の所以、その名をすなわち『時間蝕』と呼ぶ。
「フー、流石に三部位取り戻した伝承の悪魔は重いな、抵抗の余地など残されていないはずなのに、内側から私を支配しようとしているよ」
——ザッ。
膝を着き、立ち上がろうとする私の前に、黒い茨のような呪痕の走る手が差し出される。
——パシ。
それを掴んで起き上がる、もう彼女に戦意は無い、これで彼女がここにいた理由も見えてきた、初めからズィードゥークを狙っていたのだ。
「改めて、久しぶりだなマイルズ嬢ちゃん、顔を合わせるのは十年ぶりだろうか」
私は穴の空いた衣服を修復して整え、その辺に落ちている杖を回収し、眼鏡を掛け直して答えた。
「はい、十年九ヶ月と七日ぶりです、先生」
彼女こそ、我が魔術の師であった——。
※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※
「私がここに来たのはね、キミが処刑されたという話を聞いたからなのだよ」
暗い通路にこだまするラゥフの声。
戦いの跡地は綺麗にならされてしまったが、悪魔を封印する遺跡だけは無傷だった。
私達はその中に入り、トラップを破壊し迷路を踏破し順調に最新部を目指していた、これはその途中に行われた会話である。
必要なこと、足りない部分、答え合わせ。
落ち着いた今だから話せるあれやこれや、私の疑問を解消するための時間、この先の身の振り方を決める大切な問答。
「正直『何の冗談だ』と思ったよ、大人しく捕まって処刑されるタマかとね、それで色々調査したら決定的なものを見つけた」
彼女は私の目を見た、答えはわかるねという顔だ、この人はまったくあの時から何も変わっていない、いつまでも私の先生なのだな。
「グレイ=アスラウォール、キミ絞首台に送った張本人、彼が自宅で『病死』したという話だ」
『それで私は確信したよ』というラゥフ。
「復讐したんだ、私が教えたことだったね、屈辱を与えた相手には必ず報いを与えよと、そのための方法も私が教えたんだ
すぐにピンと来たよ、となればあと肝心なのは『手段』の方だ」
壁から飛び出した槍が立ち所に腐食する、抜けた床は意味を成さず、二人の魔術師が空中を歩く、落ちてきた天井を粉微塵に砕き通り抜ける。
「キミの死体は確認させてもらったよ、こんがり焼かれていたが修繕は容易い、その結果あの死体は『キャリー=マイルズ本人である』と結論出来た」
コウモリのような羽ばたき方で、我々を襲う宝石剣の怪物、切先に仕込まれているのはどれも魔術師を殺すための劇物だが、私の反応速度の前ではまったくの無力。
現れると同時に撃ち落とされる、それを見たラゥフがヒューと口笛を吹く、そして『前よりも早くなったね』とはなまる評価を寄越す。
話の続きを。
「あの悪童、怪物キャリー=マイルズが大人しく処刑台に登った、何の抵抗の記録も残さずに
グレイの自宅での不審死、目撃者は居なく嫌疑のかけられた使用人でさえ結局は無罪だった
死体は本物だった、細かい傷に至るまで、私がキミに残した術式さえもそのままで
そして数日前の魔術協会の崩壊、ここまで来れば答えは見えたようなものだ
キミは決してそのような大立ち回りを好む人間ではない、つまり何者かに強制させられている、キミに言うことを聞かせられる者は多くない
そうだ『悪魔』だ、それも並大抵の奴じゃない、死の運命の抽出なんてそう出来ることではない、少なくとも禁忌指定のいずれかだ
いくつかある選択肢の中で私は迷っていた、そこにキミが、世間的にはマフィア組織が、魔術協会のある男を殺害した情報を見た
彼のことはよく知っている、何に関心を持っていたのかも、これによりキミに取り憑いているのは、かの伝承の悪魔ズィードゥークであると分かった」
封印の間の扉、施された結界の解除に取り掛かる。
その私を横目に腕を組み、事の経緯について語り始めるラゥフ。
「頭を抱えたよ、よりによってそいつかと、対抗手段は殆んど無いに等しい、おかげで私はこの右腕を使わざるを得なくなってしまった
賭けだったよ
残されたあらゆる文献から、ズィードゥークという悪魔の所業を洗い出しプロファイル、性格と傾向を組み上げて幾つもの仮定を
唯一の光明にして、彼の最も厄介な部分、それは『契約の不平等さ』だった」
私が結界の解除に手間取っていると、横からラゥフが出てきて私の前に立ち、懐のガンベルトから銃を抜くと構え、引き金を引いて扉を破壊した。
——ドンッ!バガァァァンッ!
「全知全能とはまさにこの事」
——スチャ、ベルトに銃を戻す。
カツーンカツーンと足音を響かせながら、暗い広間に侵入し、そこである仕掛けを見る、それは所謂『謎解き』に属するものだった。
回転する九つの魔法陣、それぞれは常に形を変えており、そばには七本の杖と生贄の台が乗っている、木の机に突き刺さった儀式用の短剣。
近くに行き、それらを二人で観察しながら、ラゥフは話の続きを始めた。
「悪魔が悪魔と呼ばれるのは、一見こちらの利になるようなことを囁いてたぶらかし、己が目的を達成するからなのだが、彼は特にその傾向が強かった
言葉遊びの天才、悪巧みにおいて彼の右に出る者はいない、彼は目的のためなら侮辱を是とする、最後の最後で笑うことが重要だからだ
悪魔の契約とは、平等でなければいけない
それは彼らの行使する力が、本人の生まれ持った性質に起因するものではないからだ、より高次の存在を仲介に挟んで行う『儀式』である訳だ」
ラゥフは一本の杖を取り、空中に浮かんだ魔法陣をちょいちょいと弄る。
私は収集した魂のひとつを取り出し、そこに人間のガワと機能を与え、生贄台に寝かせて短剣で胸部を突き刺した。
血が流れ、床の溝に浸透していく、あとはラゥフが謎解きを終えるのを待つだけ。
「イカサマは指摘されたら負けになる、私は悪魔がキミに対してもそうすると考えた、ならば何処にそれを適応するのか?
契約内容が死の回避だとして、それに釣り合う見返りは封印の解除しかあり得ない、ならば契約未達のペナルティはなにか
恐らくは魂と肉体の主導権の譲渡」
——ガゴッ!
魔法陣が全て重なり合う、それらはある術式を発動させる、謎解きを終えたものは安堵する、そこに仕掛けられる意地の悪い罠。
もう引っかかるものか。
二人揃って分解を始める、発動しかけた超大魔術は発動の片鱗すら見せず破壊された、その間わずか0.05秒、神業をも超えた神業であった。
「ペナルティが発生するのは契約者が死亡した時、普通にやればそうなる
しかしその場合、例えば脳死体となった時、悪魔は契約者の肉体が死ぬまで待たなければならない、後からそれを変えることはできない
何処かに幽閉されても同じことだ、やはり寿命を待つしかない
封印の解除が掛かっているからな、きっと普段の万全な彼ならそれも待てたのだろう、しかしそう悠長にもしていられまい
封印はあくまで『当時はそうするしか方法がなかったから』というだけで、時代の進歩により切り分けた悪魔の力を破壊する力が完成するかもしれない
猶予はない、流石のやつも手遅れは避けたい、故にペナルティ発動の条件を『己の判断に委ねる』というモノにしたのだ」
解放された悪魔の力の一部と対峙し、ラゥフは笑って『ある意味では正しい判断だった』と言った。
彼女は腕を横に振った、すると封印から解放された悪魔の力が、粉々に砕け散って消滅した。
彼女は完成させていた、この世から完全に奴らを抹消する術を、上位の悪魔にすら通用する術式を。
「その手のズルには必ず『脆弱』が付きまとう、今回の場合で言えば判断ミス、タイミングを間違えた場合のリスク
彼はあの瞬間無防備だった、契約の繋がりは薄れたが完全に切れたわけではない、故にキミから離れることは出来ない
しかし外部への露出は避けられない、姿を現したかどうかではなくもっと概念的な意味の話で、ズィードゥークには成す術がなかった
私がキミに勝てたこと、そしてキミが私を本気で敵だと思い戦ってくれたこと、勝利条件は決着の瞬間まで悪魔が介入してこないことだった
そうでなれば私に勝ち目はなくなる、言葉通りの賭けというわけだ」
そこまで言って、彼女はフーッとため息をつき、以上がこれまでの全てだよと締め括った。
「それで、私はこれからどうすれば?」
ラゥフの方を見る、彼女は言った。
「うむ、話が早くて助かる、キミには私と一緒に『禁忌指定の悪魔ども』を殺してもらいたい、奴らを滅ぼすのを手伝って貰いたいのだよ」
私は質問した。
「見返りは?」
ラゥフは嬉しそうに笑い、こう答えた。
「キミの魔術師としての公な存在資格、研究のための土台、それの提供、すなわち新しい身分と身を隠すための『家』を与えることだ」
悪魔の次は人間と、私は取引を交わすことになるのだった——。
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