悪魔の3カウント。
——この『乗っ取り』は一時的なものだろう。
「身内に裏切り者が混じっていました、狙われる理由は不明ですが大方知ってはならない何かを知ってしまったのでしょう、国に帰るところでしたが予定を変更して他国に匿ってもらいます」
私は、私の体を操るズィードゥークの中で、このろくでもないお国柄のイザコザを耳にしながら、現状の整理を行っていた。
「差し出がましい申し出かもしれませんが、ぜひ私にも護衛をさせてください」
「……いいんですか?ただでさえ部外者の貴女をこうも面倒な事に巻き込んでしまったと言うのに」
「ええ、ですからその分の弁償を期待しています、良心を満たしつつリターンを頂ければと」
「確かにその通りですね、事が済みましたら私の方からお詫びの品を遅らせて頂きます」
笑い合う二人。
このように悪魔ズィードゥークは、言葉巧みに彼女らの信頼を勝ち取り、海に鉄塊を投げ沈めたが如く勢いで事情に深入りして行った。
「私を抜きにして楽しそうですわねお二方」
と、ここで。
そこらに散らばった電車の乗客のトランクから、逃げるには目立つドレスに変わる衣服を調達しに出かけたゼーナ=ヨハネス=エリトールが戻ってきた。
彼女はプリンセスであり、リノールは『我々の近くから離れないでください』と再三にわたって忠告していたが。
『ご心配して頂かなくとも、この腕も足も飾り物ではございませんのよ!』と一蹴されていた。
「少し血が着いたり焦げたりして汚れていますけれど、動きやすさは中々なものですわ」
自分の体を見下ろして、走ったりストレッチをしながらそう言うゼーナ、彼女はカゴの中の鳥と呼ぶにはいささか逞しすぎるようだった。
……心底どうでもいい。
「怪我はこれで完治しました、もう動いても問題ありません」
人当たりの良い演技を続けるズィードゥークの言葉を聞き、リノールが腕を曲げたり伸ばしたり、体の調子をペタペタ触って確かめる。
「かたじけない、この御恩は必ず返します」
丁寧な所作で頭を下げるリノール、それから彼女はここから先の予定についてを詳しく話し出し、改めて護衛の役をお願いしてきた。
こんな茶番は良いんだ、問題は『悪魔が何を狙いにしているか』だ。
まさか未来を見通す力なんてモノを持っているとは知らなかったが、ということはつまり、彼女らに関わる上で悪魔に有利に働く出来事が待ち受けているという事になる。
人が場所か物か、いずれにせよ私に出来るのは『思考』することだけであり、近くに潜伏しているであろう吸血種レイノート=ファンブルクも、まったく介入してくる気配はない。
手助けは期待できない。
乗っ取れる期間はそう長くないはすだ、引き換えにしたものと釣り合わないからだ、悪魔と言えど契約のルールには従わざるを得ないだろう。
私の見立てでは今日中には効果が切れる、彼はそれまでの間に何かをしようとしている、何がどうなっても受け入れられる準備をしておかなければ。
「……以上が私の提示する道順です、異論がある方はいらっしゃいませんか?」
誰も反対の声をあげる者は居ない、議題は斯くして可決された。
「それでは、出発いたしましょう」
※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※
だだっ広い平原を抜け、魔物でも潜んでいそうな不気味な大森林を通り、地下洞窟を抜けて外に出ると街が見えてきた。
悪魔は魔術を扱えない、その代わりに別の力を魔術と偽って使用している、疲れを知らなくしたり歩みを早めたり飲まず食わずでも平気だったり。
それはこれまで彼が奪ってきた魂、その生命力を燃料として使用する力であり、魔術とはまったくの別物であった。
「魔術って便利ですのね、三日掛かる道をわずか半日で踏破するなんて」
「天が遣わした助けと感謝しなくてはなりません」
いくら魔術でもここまで万能ではない、身体能力を強化したり状態を保存するような魔術は、存在しないわけではないがそう簡単に使えるものでも維持出来るものでも無いのだ。
しかし彼女らは違和感を抱くことはない、魔術に対する一般認識などこの程度だ、悪魔のついた嘘など見抜けるはずもない。
こうして我々はある国に辿り着いた。
検問はマントで顔を隠してこっそり抜けた、リノールが門番に何かを見せると、大したボディチェックも無しにあっさりと入国させてもらえた。
人目を避け、怪しまれないよう、気をつけて城下町を行き、そして城にやってきて再びリネールが何かを衛兵の一人に見せる。
衛兵は顔を隠したプリンセス=ゼーナを驚いた表情で見ると、敬礼をして我々を中へ通した。
城内は慌ただしく、早足で横を駆け抜けていく人間を何人か見た、我々は兵士の案内を受けて大扉を潜りある部屋へと招かれた。
「リノール!ゼーナ!無事だったのか!」
そこにいたのは黒い髪の背の高い男で、彼は二人に駆け寄ると真っ先に体を気遣った、とりわけプリンセスに対しては。
——なるほど、婚約者か何かだな。
「アインリッヒ様、突然の訪問にもかかわらず、お時間を空けていただきありがとうございます」
服装では隠しきれない高貴さを放ちながら、ゼーナが頭を下げて見せた。
「いいのだ、むしろ頼ってくれて嬉しいよ、私は警戒されているとばかり思っていた、君の乗る列車が脱線事故を起こしたと聞いて気が気でなかったよ」
『まさか一日も経たずに来るとは』と言い、彼はゼーナの肩に手を置きながら怪訝そうな顔で服装を見回し、脇腹のシミに気付いて顔をしかめた
「とりあえず着替えたまえ、用意させよう、風呂にでも入って気持ちを落ち着かせてから改めて話をしようではないか」
「ええ、ではそうさせていただきます、くれぐれも覗きに来られませんよう」
「アハハ、そんな冗談を言えるとはな、本当に逞しい女性だよ君という人は」
ひとまず再会の挨拶を済ませた彼は、次に私に目を向けてこう言った、それは表面上は柔らかいが心の奥底で警戒を怠っていない目だった。
「そちらのレディは何者かなリノールくん、私にぜひ紹介して欲しい」
リノールは前に出て、胸に手を当てながらハキハキとこう言った。
「はっ!列車で刺客に襲われていたところ、我々を助けてくれた魔術師であります!ここにくる道中も手を尽くしてくれました、私や姫様の手当のみならず移動に関しても魔術で支援を」
アインリッヒと呼ばれた男の瞳が揺らぐ、魔術師という単語を聞いてからだ、警戒の色が強くなったように感じる。
「それはそれは、我が婚約者を守ってくれたのですね、ここまで本当にありがとうございました、ここからは私が役目を引き継ぎましょう」
うやうやしく頭を下げて礼をする、態度に気持ちが篭っていない、早く私を追い出したくて仕方ないって感じだ。
「これからここは戦場となるでしょう、そんな場所に無関係の貴女を巻き込むのは大変忍びない、感謝の気持ちと私からのささやかなお礼として、いくつかの品物と国外へ安全に渡航できる手筈を整えさせていただきます」
そう言って彼は使用人に目配せをした。
彼の言葉にはプリンセスの近くに私を置きたくない、そんな気持ちが奥底に隠れている、さっさと他所に放逐してしまいたいのだ。
悪魔ズィードゥークは言った。
「首を突っ込んでしまい申し訳ございません、私は引き際を弁えておりますゆえ、お言葉に甘えさせていただきます」
アインリッヒの顔から険しさが少し抜ける、きっと安堵したのだろう、すると今度は申し訳なさや罪悪感といったものが湧いてくる。
「……いえ、すみません、少々気が立っていたようでした、婚約者の恩人様に対してとんだ無礼な態度をとってしまったことをお詫びします」
頭を下げるアインリッヒ、視界の端でゼーナがほっと息をついたのが見えた、彼の態度に苦言を呈すか迷っていたのだろう。
「構いません、私も貴方の立場でしたら見知らぬ魔術師のことなど信用致しません、一刻も早く遠くにと考えるのが正常な判断というものです
むしろ、それほど大切に思われている奥様が、羨ましいとすら思えるほどです、この微笑ましいやり取りが見れただけで私は満足でございますれば」
ぬけゆけと言い放つズィードゥーク、心にもない言葉をよくもこうスラスラと、しかし彼の発言には不思議と誠意が篭っているように感じられる。
「……はは、フォローされてしまうとは」
頭を掻くアインリッヒ、和んだ空気、張り詰めていた糸が緩んだ瞬間、無事を祈りつつ国で待つしかできない彼の心労がいま報われたのだ。
「私から何かお詫びをさせて欲しい、可能な限り叶えさせてもらいたい、そうだなゼーナ以外ならなんだってくれてやってもよいぞ」
だからそんな、迂闊な発言をしてしまうのだ。
「——そうですか」
ズィードゥークが呟く。
向こうのガラスに自分の姿が反射している、私の瞳の色は黄金に輝いている、それは本来の私の目の色ではなかった。
彼は言った。
「ではここは、アインリッヒ様のお体とでも言っておくといたしましょうか」
冗談めかして、そんな顔をして、遠回しに『お気遣いなど結構ですよ』とそう伝える、言葉の裏に邪悪な淀みをひた隠しにして。
——契約文は告げられた、これより悪魔の3カウントが始まる。
「はははは、まったく敵いませんな魔術師殿、リネールやゼーナが信用した理由が分かったような気がしたよ、本当にすまないことをした」
——3。
「またぜひ別の機会に、今度はお互い改めて自己紹介でもしましょう、貴方とは何か有益な話し合いが期待できそうだ」
——2。
「もう、魔術師さんったら、あまり私の前で私の未来の旦那を口説かないで下さいまし、このゼーナ嫉妬のあまり狂ってしまいそうです」
——1。
「そうだ魔術師殿、貴女のお名前をお伺いしておりませんでした、何から何まで失礼と存じますがどうかお教え願えないでしょうか?」
——0。
よって、悪魔はここに宣告する。
「オレの名前はズィードゥーク、今をもって質問から3秒が経過した、これにて契約は成立する」
「いったい何を——」
ズッ……。
水面から引き上げられるような感覚と共に、私は私の体の主導権を取り戻した。
「じ、ジードゥーク様?」
私が袖の中から杖を取り出すのと、アインリッヒが動くのは同時だった。
——バヂィッ!
目を焼くような閃光が場を包み、眩んだ視界が晴れる次の瞬間には、つい先程まで不安げな顔をしていたプリンセス=ゼーナの身体が。
首から上を失い膝から崩れ落ちていた。
ゴトッ、泥の人形のように倒れ込む肉塊。
「——は?」
起きたことを飲み込めないリネールに代わり、アインリッヒ『だったもの』が言った。
「人間の発音ってのはいい加減で困るな、オレの名前はズィードゥークだ、お前は知らんだろうが名前っていうのは命より大事なものなんだぜ」
「——」
リネールが腰の剣を抜いた。
起きた事態は把握していないが、己の敬愛する主を殺した目の前の男、いやもはや人間ではなくなってしまった黄金の瞳をした化け物に対して。
戦士として、騎士として、止まった脳みそを全て『撃滅』の一点に集中させ仇討ちを行う。
——だが。
「……が、はっ」
その剣は振り抜かれることはない、何故なら彼女の命脈は既に尽きているからだ、リネールの体を巡る血液は一滴残らず消失してしまっていた。
——ドダ。
崩れ落ちる死体、魂はもうどこにもない、肉体がまだ自分は生きていると勘違いして見た一瞬の夢のようなもの、間違いはとうに正されていた。
「き、気様ッ!何を」
放たれる悪魔の凶爪。
言い終わる前に兵士の首が消し飛ぶ、残った肉体はその場に直立したままになった、グニャグニャと形が歪に変わっていく。
「……ふー、ようやく適性のあるカラダを手に入れたぜ、アインリッヒとか言ったか、自我が中々強くてな、目の前で殺された女の為に怒っていたよ
クックックッ……てめぇで殺したようなモノなのにサァ、人間ってのは哀れでいいねぇ全く、お前もそう思うだろ『魔術師』よう」
戻ってきた体を確かめている私に悪魔が語りかける、彼の姿はノイズが掛かったようで、時折ザザザと輪郭がブレている。
「やってくれたな悪魔め」
殺しに加担させられた、これではもう私は後始末に動くしかない、私の顔を見た全ての者の頭の中をリセットする必要がある。
「さぁやろうぜニンゲン、オレの初陣だ、久しぶりだなぁ国を滅ぼすのは、胸が躍るよ実に実に」
たとえ二人に別れても、私と悪魔との間には契約が残っている、故に敵対することは出来ない、それはつまりお互いの目的を基本的には邪魔できないということを意味している。
悪魔が片手を天に掲げる、すると窓の外の景色が途端に淀んでいき、空は暗黒に包まれた。
コイツはやる気だ、国ごと滅ぼすつもりだ、ただ新しい体を試したいというだけの理由で、本来私がこれに従う義理は一切ない。
だが万が一、彼が捕まるようなことになれば。
もし私の知らない場所に封印でもされたら、手が出せなくなってしまったら、あるいは逃げられてしまったなら。
契約の完遂が難しくなる、または達成不可能となってしまう。
『一度だけ死の運命を回避する代わりに、悪魔ズィードゥークの復活を助ける』
この契約には期限がある、私はすでに見返りを受け取っている、だからもしもの事があれば、私の魂は永遠に彼のモノになってしまう。
生き返った意味が無くなる、魔術の一般化という我が目的が達成できなくなってしまう、この国の罪のない人間の命と自分の野望と命。
——天秤に掛ける必要すらない。
よって私はこう結論する。
「手早く鏖殺する、証拠は残さない、この際徹底的に根こそぎ滅亡させてしまおう、私も試してみたかった魔術が幾つかある」
キャリー=マイルズは合理的にしか動かない、人の命などどうだって良い。
やるしかない。
悪魔は笑って、言った。
「それでこそオレのパートナーに相応しい、今のは契約に含めないでおいてやるよ」
暗い影が二本、邪悪に不気味に伸びていた——。
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