暗澹たる詰みの章


会話の余地ナシ、即座に戦闘が始まる。


——一手目。


三人同時に魔術を放ち、三つ同時に破壊される。


——二手目。


手数より重厚さ、構成の読み解けない魔術が老人の手により放たれ、我々は防御に集中させられる。


——三手目。


攻撃のわずかな隙間を狙って、構築の容易さと即効性に優れる『気絶』の魔術を二人で放つ。


しかし相手も同じことを考えていた、魔術はまたしても三つ同時に分解される。


——四手目。


べスティアと連携し攻撃に集中する、二人で交互に魔術を放つ。


ここであの老人は信じられないことを始めた、のだ、発動即着弾の実態を伴わない弾丸に己の魔術を掠めさせた。


「……っ!」


攻撃の手が止まる、揃って防御体勢を取らされる。


極めて複雑な構造体であるそれは、どれだけ腕のある魔術師でも一定以上の強度には作れない、故に少し手を加えるだけで逸らせるのだ。


本来魔術師自身で行うはずの『分解』の工程を己の放つ魔術に担わせる、そういう効果を術の中に組み込むことは可能だがまさか実戦でやるとは!


ボクシングで例えるなら、相手のパンチに自分のパンチを重ねて逸らしつつカウンターを入れる、といったところか。


格闘技の数百倍の戦闘スピードの中で、とてもじゃないが真似できる芸当ではない。


——五手目。


迂闊に手を出せなくなった我々は、老人の放つ魔術を処理することに集中する。


打たれる前に分解するのは間に合わないので、発動された魔術の構造の一部を弄り、自分に当たらないように軌道を変える。


これがさっき、あの老人が魔術に担わせた本来の役割、並外れた反射神経と目が無ければ不可能、曲芸じみていて現実的戦法ではない。


が、そういう器用な真似が出来るのが自分だけだとは思うなよ大魔術師。


さっき軌道を変えた攻撃は私に当たることは無い、しかし魔術には着弾が必要だ、必ず終点が設定されてなければならない。


私とべスティアはその『終点』を『術者本人』に設定した、奴が放った魔術は奴自身に返る。


——六手目。


二人にそれぞれひとつずつ、つまり四人分、一瞬だけ数的有利が倍に膨らんだ我々は、これを機と捉え一転攻勢に移る。


老人は対処に追われる、ほんのコンマ数秒間それのみに意識を集中させられた、私はここで『霧の魔術』を発動させ敵を滅ぼしにかかった。


——七手目。


それが運命の分かれ道、ほんの小さな予兆も見逃すまいと捉えていた老人の姿が消失する、そしてべスティアの眼前に現れる。


……転移魔術だと!?


魔術とは一般に予め座標を入力して放つもの、追尾性能を与えることも出来るが普通はしない、余計な機能が付けばそのぶん脆くなる。


だからこうして高速で移動してしまえば、放たれた魔術は対象を逸れる。


が、言うは易し。


動いた方が攻撃が当たらないのなら皆そうする、現代の魔術戦において『高速移動』が戦術に組み込まれることは無い。


その移動が魔術によるものだった場合着地を狩られるからだ、そして人力であれば発動即着弾の魔術を振り切れるだけの加速が人間には不可能だ。


よって魔術を速度で躱すのは現実的な戦法ではないと結論付けられている。


……しかし。


元々この空間は奴が作り出したモノ、ずっと何の効果があるか探っていたが分からなかった、そうかこれは転移魔術を補助する為の……!


パシ。


老人はべスティアの頭を掴み、彼が纏っている結界を容易く破壊すると、この場における『最悪な魔術』を発動させた。


私が協会の魔術師達にやったのと同じ、他者の意識を縛り傀儡とする術、老人はここに来て数的有利を潰しに掛かった。


マズイ、この二対一は……ッ!!!


——八手目。


「私の命を、思い通りになると思うな」


万策尽きたかのように思われた戦局は、しかしべスティアの意地によって打開される。


奴は肉体の主導権が完全に失われる前に、自分の体を魔術によって粉微塵に破壊、支配の効力から完璧に逃れた。


「……!」


即断即決、自害に微塵の躊躇いも見せないべスティアに驚きを隠せない老人、そして訪れる針の穴のような好機。


再び私は霧の魔術を発動させた。


しかしそれは対象を指定しない、この部屋全体に広がる致死の霧、巻き込まれた者は未来永劫もう二度と誰も貴方を思い出す事は無い。


老人は霧を破壊しようとしたようだが、直ぐにそれが不可能であることを悟ると、再びの高速移動によって距離を詰めてきた。


そうだ、私の近くにくれば霧はまだない。


老人が視界に再出現した時、その手には禍々しい黒色の、異形を思わせる不気味な湾曲をした、小さな死神の鎌のような杖が握られていた。


——九手目。


繰り広げられる高速魔術戦闘。


分解しても、分解しても、次から次から次から次へと新しい魔術が放たれる、逸らそうが弾こうか構造を弄ろうがまるで全くもってキリがない!


霧が部屋全体を覆い尽くすまで一秒弱、範囲を指定しない無差別攻撃が故に、通常使用と比べ圧倒的に速度が遅い。


それまで、コイツの攻撃に耐え凌ぐ!


老人は痩せこけて見えるが、その実余分が削ぎ落とされた素晴らしい肉体をしており、杖の振りはまるで卓越した剣豪のように先端が目で追えない。


防ぎ切れない。


肉体を削るしかない、骨と筋肉という鎧を持って、奴の牙から致命傷を逃れるしかない、鼻血が流れるほど脳を酷使して尚足りない。


「ッ……!!」


後ずさり、腸が抉られ、頸動脈が切断され、下半身が麻痺し、脳の一部が焼き切られ、片腕が爆発し破片が身体中を引き裂く。


痛覚が引き上げられ、内臓を他所に送られ、十重二十重に構造を強化された気絶の魔術が直接意識の回路に叩き込まれる。


視界がブラックアウトしかけた時、遂に霧が我らの元へ到達する。


そしてその時、この隔絶された空間が元の、ただ権威の象徴である建物の一室に戻る、老人はここが潮時と判断し逃げるつもりだ。


「……ハ」


一度死んだからな、人間がどこまでやれば死ぬのか、またどこまでなら生きていられるのか、私は身をもって体感した。


だからこんな綱渡りが出来た、治癒さえ施せば無事生きられる境界線。


ニヤリと、血に汚れた口元の端を歪めて呟く。



——十手目、これで詰み。


老人が退散しようとしたその瞬間、部屋の壁が細切れに切り刻まれた。


ドガァァァァン!


「……っ!?」


老人が振り返る。


爆音と共に姿を現したのは、血の赤よりも紅い眼をした闇夜の吸血種。


ここに来る前、万が一の保険として仕込んでおいた奥の手、悪魔を仲介とした契約により彼女は、レイノート=ファンブルクは一度だけ。


生涯を通してただ一度のみ、キャリー=マイルズの命令に従わされる。


条件は私が勝ちを宣言すること。


その瞬間目の前のあらゆる壁を打ち壊し、戦場に乱入するよう指示しておいた……!


——キンッ!


死風が過ぎ去り老人の体が斜めに分断される、吸血種は地面に着地し、だが直ぐに向きを変えて、再び地面を蹴った。


老人はまだ死んでいない、体をぶった切られたくらいではこの大魔術師を殺せやしない、私は残った力を振り絞って魔術を放つ。


老人は傷の治癒もままならない内に、私の魔術を阻害し、乱入してきた怪物の動きを妨害した、二度目の奇襲は通用しなかった。


……が、ここで数的有利。


それが最も有効に働くのは、意識外からの発覚だ。


——突然、拘束魔術が老人を束縛する。


「なにッ!?」


自害を選んだべスティアの、最後の置き土産、私の目を欺いた彼の隠蔽の技術は遂に、魔術協会の最も偉大な魔術師の目を盗んだ。


魔術の使用を禁じ、肉体の自由を奪う、強力な魔術ほど発動前の妨害に合いやすいが、べスティアはそれを隠蔽によりカバーした。


もはや老人に、打つ手は残されていなかった。


「そろそろ棺に収まる時だ」


心臓と脳を撃ち抜き、全身を焼き尽くして灰にする、万一の蘇生も起こりえないよう、奴の残骸を徹底的にこの世から消し去った。


経過時間八秒、これまでで最も長い魔術戦が終わると同時に耳元で悪魔が囁いた。


「ご苦労様」


どうやら、力が戻ったらしい。


「……だは、っ」


床に崩れ落ちる、急いで傷を修復する、色々麻痺させたり遅効させたりして命を保っているだけで、そう長いこと続かないからだ。


魔術師とて不死身ではない、即死させない限りは死なないだけだ、そして私は此度そのギリギリのラインを狙って傷を受け入れた。


受けたダメージは途方もなく大きい。


「……よし」


治癒が終わって立ち上がり、ズレた眼鏡と乱れた衣服を正し、精神を落ち着かせるべく手袋をギュッギュとはめ直す。


「ではとりあえず、脱出としましょう」


「お主、人間のフリをした化け物なのではないか?」


そんな吸血種の呟きを耳に聞かせつつ……。


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