悪魔の契約

——ドンッ!


衝撃で船体を軋ませながら、その化け物は真っ直ぐ飛び込んできた。


フェイントや駆け引きの存在しない、極めて直線的な突進、そしてそこから繰り出される貫手。


普段なら防御結界を頼るところだが、こと『吸血種』が相手となれば話は別だ。


——タッ。


地面を蹴り、後ろに大きく下がる。


吸血種の爪は如何なる物質をも切り裂く、防御結界とて例外では無い。


「この腰抜けが!避けおったな!」


攻撃を空振った化け物は、私を卑怯者と罵り睨み付けてくる。


——恐ろしく早いが、目では追えるな。


相手は不老不死、人間を遥かに超越した身体能力、どんな傷もたちどころに完治させる回復能力、万物を見通す照魔鏡の如き目を持っている。


痕跡がどうなどと言ってる場合では無い、全力で魔術を使わせてもらう。


杖の形を戻し、振る。


「む……!」


小手調べにと思い地面に縫い付ける、傷を負わせても意味は薄いからだ、まずは何が有効かを探る必要がある。


……吸血種は遠い昔に滅んだ種族である、かつては地上を闊歩していたのだが、文明の進んだ人間によって排除された。


故に知識は沢山ある、当時戦いに身を投じていた者たちが、文字通り命懸けで見つけ出した対策。


魔術師とは知識を追い求めるもの、たとえ滅んだ生き物のことであろうとも、頭の中に詰め込める情報は全て入れてある。


無論、だからって戦えるかどうかは不明だが……!


「小賢しいわ!」


——砕け散る拘束魔術。


「やはりダメか」


文献にある通り、通常の魔術は吸血種に効きにくい、理由はどうも奴らの体を流れる特殊な『血液』にあるようだが。


「ハッ!」


化け物は壁や天井をまるでピンボールのように跳ねながらこちらに距離を詰め、この世で最も鋭利な刃物である爪を振るう。


直接的な魔術が効きにくいのなら、もっと原始的だ単純な手ならどうか。


体の前で小さく、杖を斜めに振る。


——バチッ!


途端、目の前の空気が灼熱を帯びて炸裂、目を焼く閃光と共に幾重にも重ねられた爆発が、船体を破壊しながら直線上に走った。


化け物は爆発に飲まれて吹き飛ばされていった、爪が私の首を刈り取ることは無かった。


「効果アリだ」


焼き焦げた空気が鼻につく。


こんなもの魔術戦じゃ使い物にならないが、こういった場面では役に立つ。


無論ダメージとして成立はしていない、まず人間に奴らを殺すことは出来ない、今のは単に『距離を離した』だけだ。


殺せないのならどう滅ぼしたのか、答えは専用の『封印術式』の存在である。


……準備に手間が掛かるので、今この場で使える代物では無いが。


だから私が勝つには『どうにかして奴の行動を封じ込める』必要がある、身動きさえ取れなくしてしまえば如何に吸血種と言えどお手上げだろう。


その為の術式を戦いながら組み上げる、目の前の相手に合わせた専用の物を。


……問題は。


「——よくもやってくれたなッ!」


ズァッ!!


飛翔する無数の赤い槍。


「……ッ!」


これこそが吸血種の最も厄介たる所以、再生能力も身体能力もこれに比べたら大したことは無い、人類にとって何より驚異となるのは。



貨物船に飛び移る前、上空に放ってそのままにしておいた目を使い、移動魔術を発動させる。


直線上に障害物がある場合それは使えないはずだが、物質を透過する術式を使用することで強引に発動させることが出来る。


——晴れた青空に浮遊する、我が肉体。


私が避けた血の槍は、船体を滅茶苦茶に引き裂いて貫通し、まるで巨大な怪物の爪に引っ掻かれたかのような有様にしてみせた。


背筋が冷たく冷える。


吸血種を相手取るうえでは、アレが最もマズイ。


並の人間であれば掠るだけで死に至る、如何なる手段を用いても決して破壊できず、発生の予兆も無ければモーションも要らない。


そうだ、それは今の世の魔術師と同じ。


吸血種こそが我らの源流、古き時代の蹂躙されるだけだった人間が、当時地上で最も強かった生き物の技術を『再現』しようと生まれたモノ。


その、完全なる上位互換。


空中に留まるのは危険と判断した私は、再び移動魔術を使って海面を足場に着地、そしてすかさず別の魔術を発動させる。


「範囲は、このくらい」


次の瞬間、見渡す限りの海が凍り付く。


海上歩行を維持し続けるよりも、一度広い足場を作ってしまう方が楽だと判断してのこと、加えて下からの攻撃を防ぐ意味合いもある。


「探知魔術の効きもイマイチだ」


敵の姿が見えず不気味に思っていると、氷漬けになった貨物船が動き始めた。


この大きさのこの重さの物が、まるで幼児に与えるオモチャのように操られ、氷面をガリガリと削りながら回転する。


ゴウンッ、ゴウンッ……!


貨物船は正しくの要領で、一回転二回転と勢いをつけ、そして渾身の力をもって投げ付けられた。


「——ッラァ!」


迫り来る巨大質量の暴力ッ!


目眩しの可能性、囮、陰に隠れて奇襲、または別の角度から血で攻撃を仕掛ける。


様々な可能性を考慮した上で魔術を選択、船は下から突き上げた氷に貫かれて串刺しになり、瞬く間に冷たい世界へ囚われた。


——バァァァン!


出来上がった氷像を間髪入れずにぶち破り、吸血種が真っ直ぐ突っ込んでくる。


「やはり、直線的」


飛び道具が後から追従してくる可能性、直前で進行方向を変える可能性、あちこちに視線を動かし頭を働かせつつ、仕込んだ術を発動させる。


——ギ、ギギギギ。


氷漬けの貨物船から嫌な音が鳴り響き、やがてバラバラに弾け飛んだ。


「ぬっ……!?」


四方に船だったモノの残骸が飛び散る、それは非常に鋭い形に加工されており、私が事前に仕込んだ魔術によるもの。


当然被害は自分にも及ぶが、施された防御結界がそれを塵に変え、肉体に触れる前に消失させる。


「グッ……!」


一方吸血種は飛来した破片に刺し貫かれ、しかしそれは貫通することなく肉体へと食い込み、同化し、そのまま氷の地面に縫い付けた。


「こんな、物……ッ!」


間髪入れずに拘束が解かれていく、体を貫く破片も一瞬で除外されていく


大した足止めにはならないのは重々承知の上だ、それでも尚ほんの僅かにでも時間が欲しい、あともう少しで術式が完——


吸血種が、倒れたまま腕を振った。


腕の動きに追従するように、馬鹿らしいまでの射程と速さを誇る血の刃が形成されて、この体を分断せんと迫った。


「……っ!」


分かってはいたことだが、なんてデタラメな武器なんだそれは。


分解は間に合わん、移動魔術も既に二回使っている、インターバルを置かなくてはならないしそろそろ対応してきてもおかしくはない。


ならば逃げ道はひとつだけ……!


永久凍土と化した大海原を元の状態に戻し、この身を海中へと投じる。


「ハッ!自ら墓穴に飛び込みおったかッ!」


即座に追撃を仕掛けようと動くが、これまで見た限り奴はかなりの直線馬鹿だ、私の行動を予測していたとは思えない。


故にかち合う『準備』と『反応』の両者、当然そのふたつであれば事前に備えていた方が一歩先を行くだろう……!


水が、


「なにっ!?」


根こそぎというのは文字通りの意味であり、先程凍結させたのと同じ範囲の全ての水が、冗談みたいに持ち上がって吸血種に襲いかかった。


水は巨大な球体となって空に浮かび、中心に向かって常に圧力をかけ続ける。


言わば水圧の檻。


いくら吸血種と言えど、この何万トンあるかも分からない水の力を跳ね除けるだけの身体能力はない、奴は完璧に行動を封じ込められた。


——だが、まだ足りない。


「……っ!」


視界の端に紅を見る、それは苦し紛れの血の斬撃、目を見張るほどの量となって襲い掛かる。


夜空に満点の星々か、あるいは夜闇を照らす大花火か、こちらの圧殺に対抗して放たれる、力に任せた頭の悪い質量爆撃ッ!


ダメだ、ここまでだ。


私にはアレをどうにかする手段が無い、構成を読み解くには時間が足りない、為す術なくズタズタに切り裂かれてしまう!


瞳孔が、開いて。


「——契約を」


その時、耳元で、悪魔が囁いた。


「——お前の体の主導権の半分を、オレに寄越せ」


死か、自由意志の損失か、選択の余地は、ない。


「貸す代わりに、コレを何とかしろッ!!!」


取り返しのつかないひと言と、それを聞いた悪魔の邪悪なる笑い声。


「ショウチした」


そして、


人体を超越したスピード、魔術を行使せずに行える空中起動、意志とは関係なしに動く体の性能はハッキリと常軌を逸していた。


血など一発も当たりはしない、そして。


「吸血種」


悪魔が、これまでずっとそうであったように、耳元で囁かれるあの声で、頭上でもがき苦しむ怪物に対し語り掛ける。


「そのままでは苦しかろう、解放して欲しいだろう」


返答はない、水が音を掻き消すからだ。


「吸血種ってのは苦痛を感じない生き物だ、痛覚も鈍ければ皮膚感覚も弱い、なまじ最強故にこれまで不便なんてしたことはなかっただろう?」


血の攻撃は尚も続いている、しかしどれも悪魔私の体に近付いた途端に消えてしまう。


それは既に準備に入っているからだ、悪魔が悪魔たる所以そのものに。


「動けない、苦しい」


水が渦を巻く。


「どうして自分が、こんなはずでは、おのれ矮小なる人間め」


悪魔は嘲笑う。


「ならば、オレがその苦しみから解放してやろう」


これは取引だ、いつもの彼のいつもの手口、甘い餌をぶら下げて他者を誘惑する。


「もう二度とオレたちに手を出せないという制約を結べば、その忌々しい檻を排除してやる」


文言は告げられた、悪魔の契約だ。


それは当人の意思に関わらず、三秒以内にYESかNOを答えない場合、強制的に取引が成立してしまうという伝承の悪魔のいつもの手。


そして今は。


「——!!——ッ!!」


あの吸血種は答えられない、海水は汚濁を流し去る、人型生物の声帯から発せられる小さな声など、初めから無いかの様に……。


ニタリ、口元が大きく邪悪に歪むのが分かる。


「契約成立だ」


そして魔術は、なんの前触れもなく砕かれた。


「ついでにその力、返してもらうぜ」


振ってきた吸血種の体に貫手を差し込み、奪われた己の一部を回収する。


「がっ……貴様、約束が違うでは……ッ!」


「危害を加えられないのはお前だけだぜ?ちゃんと初めから『そういう契約』だからな」


檻を消す代わりに今後一切の手出しを禁じる、そこに両者平等の和平条約など存在せず、あるのはただ単純な損失のみ。


「おの、れ……」


「オレの契約も躱せない馬鹿だから滅びるんだよ、てめぇら吸血種は」


ズッ、右腕が引き抜かれる。


支えを失った吸血種の体は、そのまま墜落して水しぶきを跳ね上げた。


「フン、雑魚野郎が」


空中に浮かんだまま腕を組み、波立つ海面を見下ろす悪魔。


「いい加減体を返してくれませんか」


「うるせぇな、しばらく遊ばせろよ」


契約を躱せない馬鹿ならここにも居る、しかし私はあの吸血種とは違う。


悪魔は言った、お前の体の主導権の半分をオレに寄越せ。


そして私はこう答えた、貸す代わりにコレを何とかしろ。


取引とは一方的な服従では無い、使いようによっては偏った利益をもたらすというだけで、本来は平等に権利が存在している。


悪魔は余裕ぶって私に契約を持ちかけてきたが、私が死ねば悪魔も死ぬ、あの切羽詰まった状況では細かいことを考える余裕が無かったのだろう。


——故に。


「時間切れですよ」


「……なにッ!?」


主導権が完璧に自分に戻る。


「……き、貴様ッ!」


憤慨する悪魔、しかしもう遅い、一度成立した契約は二度と破棄する事が出来ない、お前は私の体を自由に出来ない。


「また借りたい時はどうぞご遠慮なく、時と場合によっては考えましょう」


たとえ死の瀬戸際であっても、魔術師キャリー=マイルズは常に自分の利益のみを追求する、思い通りになどなるものかよ。


「何て奴だ!信じられねぇ!」


負け犬の遠吠えは、清々しい青空がかくも美しく浄化してくれる。


勝ちどきにしては少々品が無いな、と私は思うのだった……。


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