迷櫃の霧、その所以
私が十三の時、この霧の魔術は誕生した。
若きキャリー=マイルズが
触れた者の存在を『無かった』ことにする魔術、あらゆる記憶あらゆる記録から完璧に抹消し、もう二度と誰も思い出すことは出来ない。
書類、物品、幼い頃柱に着けた測り傷、大切な人と育てた子供、それら一切の区別なく、その人間が今まで生み出してきた物全てを失わせる。
その霧は不可視であり、防ぐこと叶わず、また探知を外れる。
危険な魔術だ、今まで邪魔な相手を何人も消してきた、証拠の残らない完璧な殺人法。
私が魔術学院の大魔境で生き残れてきた理由、若くしてあれだけの地位を手に入れられたカラクリ、誰も下手に手出し出来なかったその訳。
魔術師は地位や名誉を重んじる、故にそれは死よりも恐ろしい、己の存在した証明が後世に、永久に語り継がれることがないのだから。
手柄を強奪し、論文を我が物とし、異例のスピードで権力を手に入れて来た。
迷わせ閉じ込め封じ込め、手中に収めてひた隠す、故に人は私を『迷櫃の霧』と呼んだ。
——まずは三人。
我が霧は獲物を飲み込んだ、一人一人端から順に消していった。
私だけは消えた人間のことを覚えていられる、そうでなければ戦術的価値がない、この魔術を作るのに最も苦労した箇所だ。
「恐ろしいモンを作るなお前、あんなモノ悪魔でもそう易々とは使わない、俺でさえ抗えない抹消の術式なんてな」
ひとまず奇襲は上手くいった、しかし問題はここからだろう。
——あと何人居る?
最低でも三人、多くて五人、私の探知を掻い潜れるだけの腕を持った魔術師がそれだけ居る、ほぼ確実に尻尾は出さないだろうな。
障害物を透過して歩く、風も起こさない草木も揺れない、気配も匂いも何もかも隠している、余程の至近距離でもない限り平気だ。
研究所の結界は事前に解いてある、炎も遠隔で消しておいた、中に魂をばら蒔いてあたかも生存者がいるかのように見せかけたが、どうやら誘い込むことは出来なかったらしい。
入らなかった理由はなんだ?
攻撃は無い、居場所を悟られたわけではない、ならば敵はいったい何を警戒した。
扉が開くのは見ていた、しかし踏み込みはしなかった、扉が開いてから閉まるまでの間に妙な間があった、その間に何かに気付いたのだろう。
例えば仲間の死。
霧と言えど完全無欠では無い、その事は私もよく知っている。
例えば友人Aが友人Bを誘い街に出掛けたとして、友人Aが霧によって消失したとする。
その場合消えるのは。
友人Aが金を払い購入した品、友人Aと話した事の記憶、友人Aの名義で予約をしたホテルの宿泊権、友人Aの指紋や足跡落ちた髪の毛や皮膚片。
逆に影響しない部分。
まず友人Aが消えたことにより、友人Bが友人Aに誘われたという事実は失われるが、だからといって友人Bがいきなり自宅に戻ったりはしない。
友人Bはその場に残ったままだ。
だからその人間が普段あまり外に出ない者の場合『なぜ僕は独りでこんなに遠くに来たのだろう?』と疑問に思うことになる。
類稀な推理力と柔軟な発想力を持った人間であれば、そこから真実に辿り着くのは不可能ではない。
特に魔術師なら。
同じ手はもう使わない方が良さそうだ。
もし真実に辿り着いていても、いつ仲間が消えたかは絶対に分からない、故に自分達が今も見られているのか彼らには判断がつかないはずだ。
推測は出来ても確証はない、賢い人間であれば迂闊な真似はしない。
そう、お互いに。
あくまでも推論、確実性がない以上は息を潜めるしかないのだ、目隠し博打など愚の骨頂り
二度目の霧使用時にはもしかしたら補足される『かも』しれない。
魔術自体は見破られなくても、それを使う者が何処に居るかはひょっとしたら推理できる『かも』しれない。
放たれる弾丸は見えずともスコープの反射で居場所がバレることはある。
無差別範囲攻撃などもってのほか、運命をコインの裏表に任せはしない。
だがこうしていても埒が明かないのも事実、いっそ船を奪いに行くのもアリか、いや万が一狙いがバレていたら危険だろう。
と、耳元で悪魔が囁く。
「俺の力を使えば、そんな敵の居場所だろうが人数だろうが制圧だろうが楽勝だぜ?そうだな今なら視力と聴覚の半分ずつで手を打ってやっても良い」
論外だ、悪魔はわざとこの提案をした、取引は向こうが主導権を握っている、故にこちらから別の条件を提示しても受け入れられる事はない。
「お断りだ」
目の前の楽しみを邪魔されないために、ズルなんて考えるなと釘を刺された。
……あれこれと、思考を巡らせてはみるものの、およそ安全策と思える手はどれも使い物になりそうもなく、結局残された道は『賭け』のみ。
この『賭け』には『信用』を必要とする、もし私が敵の実力を見誤れば——。
いや、考える余地は無い。
時間は掛けたくない、猶予を与えれば与えるほどこちらが不利だ、どうやら向こうは相当頭が切れるようだし、勝負は早い内に決めておきたい。
私は意を決して、ある策の実行を決めた。
※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※
「私はここだ」
両手を広げて出て行く、ガサガサと音を立て、土の地面に足跡を残し、全ての隠蔽魔術を取り払って姿を晒す。
策とはこれのこと、すなわち読み合いの放棄、深読みを前提とした大博打。
もし敵がなんの考えもなしに、複数人で同時に魔術を行使したら私は死ぬ、三人でも五人でもさして変わらない。
だがそうはならないはずだ。
私が向こうの立場なら罠を疑う、そして確実に他にも仲間が居ると考える、この状況で単独犯を決め付ける道理は無い。
「さあどうした、姿を表せ、私はひとりだけだぞ!」
そう叫びながらゆっくりと、周囲一帯に及ぶ死の魔術を形成していく。
こんな隙だらけの魔術、分解は容易だが引き換えに命を失う、私は決して逃がしはしない、妨害行為を行ったその瞬間術者を殺す。
魔術は基本的に発動すれば防げない、気絶の魔術だろうが死の魔術だろうが、構築の段階で破壊する必要がある。
当然例外はあるが、今回のはそうではない。
放っておいても死ぬ、対処しても一人は必ず死ぬ、ならば取るべき手段はひつとだけだ。
——予兆。
二十メートル先の木の影から妨害の予兆あり、即座に術を放ち殺害する。
後隙を狙い撃つように幾つかの魔術が形成される、何人でやっているかは不明、巧妙に偽装されており読み解くのは不可能。
当然のように分解を行うが、次の段階へ移行する前に、既に布石は打ってある。
死んだ魔術師、つまりは囮、苦渋の決断によって仲間を犠牲にする判断は賞賛に値する、しかしそれはこちらにとっての良い駒だ。
——ビキッ!
突然、死んだ魔術師の体が数十倍にも膨れ上がる、風船のように膨張したそれは次の瞬間に爆ぜ、辺りに大量の酸の雨を降らせた。
——防御魔術。
これが例外、発動したあとでも防げる魔術、いや『防げる余地を残した』魔術だ。
雨の粒は全部でいくつだろう、数千万、数億、その全てを分解する事など誰にも出来ない、故に残された手は防御でしか有り得ない。
展開された防御魔術は私のを合わせ三つ、居場所も人数もこれで分かった。
一対二、いくら私が強くても人数差があっては勝てる戦いも勝てない、だがここまで粘って結局物量差には勝てませんでしたなんてオチは無い、これで私の『勝ち』が決定した。
——霧が、自身を包む。
私の存在が消えてなくなる、敵は敵を失い無防備に晒される、今自分が大変危険な状態にあるという事実さえも全て忘れてしまう。
これこそが奥の手、切り札、この魔術の真骨頂は人でなく、私自身に使った場合にあった。
私だけは霧に隠された者のことを覚えていられる、故に私は自分をまだ認識していられる。
消えて失くならないよう自己を再定義し続ける、もってせいぜい五秒といったところだが、その間私はあらゆる認識を掻い潜れる。
乱用は出来ない、副作用もある、持続時間もそれほどない、しかし五秒もあれば私は容易に敵の背後を取る事が出来る。
——霧が晴れる。
「……ッ!?」
その瞬間敵は全てを思い出し、私の姿を探した、だが全ては遅すぎた。
どんなに難易度の高い複雑な魔術でも、この方法を使えば必ず最初の一撃が通る、私は二人の内、より弱い方に認識を誤認させる魔術を放つ。
これにより敵は味方を私だと認識する、長くは続かなくともら一時的に二対一の構図が出来上がる、人数不利とは魔術師にとって致命的だ。
「く、そ……ッ!」
防ぐのに手一杯になる、攻撃に移行できない、味方の術を解く暇もない。
0.5秒間の攻防、男は手も足も出せず死亡する、原型が残らないほど凄惨な状態になって。
そして最後に残った一人を、間髪入れずに脳を焼き尽くし、残った体を跡形もなく破壊。
——パァン!
伏兵がいたらここで終わり、読み通り敵が六人だけなら私の勝ち、しばらく待ってみても一向に私が死ぬ事はなかったので勝利が確定した。
「はっ……!」
そして私は、先程の霧の魔術の後遺症により、自分で自分が分からなくなり膝をついた。
私の名前は?私の出身は?生きてるのか死んでるのか目的は?何のために誰のために?何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故……!
——暗黒。
霧は一切の区別無く、包んだ者の存在を抹消する、よって私は先程消滅したのだ、それは決して比喩表現でなく言葉通りに。
故にこそ『再定義』
自己を自己と認識し記憶から人格を再形成する、私ではないナニカに『キャリー=マイルズ』という役割を担わせて成立させる。
白紙を染め上げる、死んだ人間の皮を被る、既に私は一度死を経験している、死ぬ前の私と死んだ後の私は同一なのか?
とうに乗り越えた深淵だ、だから私は大丈夫だ、元より魔術師など倫理観を捨てた存在だ、キャリー=マイルズは滅びない。
——安定。
「……よし」
立ち上がり、服を着直し、眼鏡を押し上げる。
「万事、問題は無い」
堂々と口にする。
乗り越えた感想は『意外と良い気分』だった、まるで新しい自分みたいでワクワクする、きっと私は前の私より進化しただろう。
「……」
悪魔はそんな私の姿に絶句していた。
「さて、船を奪いに行きましょうか」
時折口調が分裂するのはかつての後遺症、初めてこの技を試した際に自己定義に失敗し、別の私が混ざり込んだ結果である。
死を経験して私は強くなった、あの時のような失敗はもうしない。
もっとも、私はこんな私が好きで好きでたまらないので、死にさえしなければ人格が混ざろうが口調が変わろうが全くどうだって良いのだ。
「俺は、いったいナニに拾われちまったんだろうな」
初めて悪魔相手に優位に立てた気がして、腹の底から楽しくて仕方がなかった……。
※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※
姿を消して海面を歩き、波紋も立てず船に近付き、姿を隠して甲板に乗り込むと、まず目に付いた者に死の刻印を施す。
時間差で、手動で発動する呪いである。
そのまま船内をくまなく散策し、一人一人に同様の術式を付与して回る、作業自体は五分と掛からなかった。
「これで全部ですね」
何度も確認し直し、見逃しは居ないと判断、そして呪いを発動させる。
すると人が倒れるバタリという音が各所から鳴り響き、やがて船内は一気に静寂に包まれる。
「全員殺しちまって船はどう動かすんだ」
「もちろんこのように」
私は魂を集めている。
それは決して不老不死を望めるものではないけれど、しかし便利な傀儡として使う事は出来る。
戦いの最中に仕込めるほど簡単な者ではないので、魔術戦では役に立たないが、ある一定の役割を与えることは可能だ。
魂には記憶が宿る、船を運行する為の技術、死体を綺麗なまま残したのはそのためだ。
殺して魂を抜き出し、再び肉体に宿らせる、すると肉体は再び稼働を初め、術者に与えられた命令通りに仕事を始める。
「目的地は次の遺跡まで、後はのんびり優雅なクルージング、ここ数日の疲れを癒すとしようか」
私は見事に問題を片付けた、五体満足健康に、肉体的にも精神的にも元気ハツラツとして、ぐっすり眠れる健全さと共に。
「しばらく俺に話し掛けるなよ、お前不気味だ」
そして悪魔と共に。
幽霊船は魔術師を乗せて渡航する——。
─────────────────────────────────────────────────────────────────────────────
ご閲読ありがとうございます!
よろしければ『いいね』または『感想コメント』よろしくお願い致します!
皆様の応援が励みになります!それでは失礼しました!またお楽しみください!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます