第9話 KICK BACK-1

夢見心地のまま車に乗り込むと、エンジンの起動音が響く。

窓の外を見る。にこやかにこちらを見上げて手を振る恋人──じゃなかった。冬華の姿が見えた。

それに私も手を振り返すと、車は動き出した。ガタガタと揺られながら、頬に触れた柔らかい感触と、ふわりと香った冬華の甘やかな匂いを思い返す。


冬華って、私にめちゃくちゃ優しいよな。それに抱きついてきたり、一緒にお風呂入るように誘ってきたり、「頼りになる」って言ったりしてくるし。

ほっぺにちゅーとかしてくるし。


これ、あれだな。恋愛経験なくても分かっちゃうな? 冬華って絶対……私のこと好きだよね?


私は冬華のことが好きで、冬華は私のことが好き。それってつまり──両想いってことじゃん。


いや~まいったなぁ~試験、絶対に受からなきゃいけないなぁ~。だって冬華が私のこと待ってるし?

無事入隊できちゃったら、私と冬華のラブロマンスが始まっちゃうんだろうなぁ~。

初めての恋人があんな美人だなんて……私のこれからの人生、ハッピーで埋め尽くしてレストインピースしちゃいそうな感じだな~これは。


「へ、へへ……」


窓の縁に肘を掛けてどこまでも続く同じような景色を眺めながら、私はこれからのめくるめく薔薇色人生に思いを馳せ、にやけるのを抑えられなかった。




やがて白い大きな建物の前にたどり着き、車が止まる。そして運転していた隊員が降りて車のドアを開け、じっと私を見上げてきた。


これは、降りろってことなのかな?

職業柄のせいか、まるで睨んでいるような鋭い視線で私を見ている隊員さんと、決して目を合わせないようにしながら、軽く会釈して降りると、隊員さんは運転席に戻り、車は走り去っていってしまった。


一人取り残された私は「え?」と声を上げる。

え、説明とかなんかないの? と思いながら、キョロキョロ辺りを見回す。誰もいないし、目の前にある白い建物以外に、他に目ぼしい建物はない。

とりあえず、この建物に入れってことなのかな。ドキドキしながら、目の前にある大きな建物の扉を開く。中はよく見慣れた、広めの体育館だった。


ていうか……誰もいないんですけど? 試験って何するの?


「あ、あの~……私、入隊試験を受けに来た刃金哀、で~す。誰かいませんかぁ~」


ガランとした無人の体育館に、私の声が虚しく反響する。

もしかして、私さっきの隊員さんに嫌われてて、試験会場と全然違うところで降ろされちゃったのかな? だって、私のこと、すごく睨んでたし……。


「あ、あの~……誰もいないみたいなので。一旦出ますね~」


誰に声をかけるでもなくそう言って、私は出口へと向かう。すると背後で、「にゃ~ん」と声が響いた。

振り返る。姿は見えないけど、再び「にゃ~ん」と声がした。


「え……ねこ?」


なんでこんな所に? 疑問に思いながら体育館の中を探索していると、柱の陰から、にゃーと声がした。


「……ここかな」


柱の陰を覗くと、白い猫が座って毛づくろいしていた。「ねこちゃん?」と声を掛けると、猫が私を見上げる。

金色と青色の瞳。オッドアイ。しなやかな体つきで、毛並みもツヤツヤだ。おお、とんでもなく美猫だな。


「お……おいで~?」


しゃがんで手招きしてみると、白い猫は私の方へと歩いてきて、私の足にすり寄ってきた。

すりすり。私に自分の匂いをつけるみたいに、頭を擦り付けてくる。


か、かわいい……!

実は私、昔から猫に嫌われてて、撫でられた試しがないんだよなあ……この子なら、触らせてくれるかも。

私の足元でごろんごろんと無防備に転がっているふわふわのお腹に、恐る恐る手を伸ばしてみる。無事手のひらにふわ、と感触が訪れ、そのまま手をすべらせる。

猫ちゃんは引っ掻いたり威嚇したりすることもなく、じっとしたまま私のなでなでを受け入れてくれた。


うわ~。あったかいしふわふわだ~。かわい~!!!


「へへっかわいいねぇ~? ……にゃー、にゃ~?」


顔をにやけさせて全身を両手で撫でまくる。猫ちゃんはリラックスした様子でお腹を見せて寝転び、ごろごろと喉を鳴らして目を閉じていた。

もしかして、私の撫で方が気持ちいいのかな? う、嬉しい……よし、もっと撫でてあげよう。


「にゃにゃにゃ~♪ にゃにゃ~っ♪ に゛ゃ!?」


ズドンと、突然お腹に衝撃が走った。何事かと見下ろす。私のお腹のど真ん中に、数センチ程の穴が、ぽっかりと空いてた。


「え、なに……これ」


あまりにも綺麗な円形に空いてるから、まるでお腹にそういう画像でも貼り付けたんじゃないかと、信じられずに自分のお腹に空いた穴の縁に触れてみる。

あ、これ……本当に空いてるじゃん。


ごぼっ。

口からの大量の吐血とともに、尋常じゃない痛みが一気に襲い、私はお腹を押さえて蹲り、叫んだ。


「いっ……だああああああぁっ!!! ううううう゛っ!!」


あまりの痛みに喚き、脂汗をかきながら私は足をバタつかせてのたうつ。私がのたうつ度に、体育館の床がお腹から溢れ出す血で真っ赤に染まっていった。


え、なに? いったい何が起こったの? もしかして、私の知らない間に試験がはじまった? だとしたら、危ない。

猫ちゃん、避難させないと──。


お腹を押さえて蹲りながら、猫ちゃんの方を見る。綺麗なオッドアイの瞳が真っ赤になっていて、ギラギラと怪しく光っていた。

よく見ると白い尻尾の先が赤く染まり、ぽたぽたと赤い液体を垂らしていた。

猫が静かに歩み寄ってくる。私はお腹を押さえながら後ずさりし、持っているナイフを猫へと差し向けた。


「き、来ちゃダメっ! 刺すよっ……!」


ガタガタと震える手でナイフを向けてみる。猫の歩みがぴたりと止まった。私達の間に、束の間の沈黙が流れる。

すると私は、お腹の痛みが引いていくことに気付いた。

見てみると、空いていたはずの穴がどんどん小さくなっていき、やがて完全に元通りになった。

これが冬華が言ってたエナジクトの治癒の力なのかな? とりあえず……よかった。


安堵していると、ゴキン。と関節が外れるような物騒な音がし、慌てて顔を上げる。私は驚きに目を見開いた。

ゴキ、バキンと音を立てながら、猫の体がみるみるうちに大きくなっていっていき、やがて私を見下ろすほどの巨体へと変貌してしまった。

ズシンと地響きを立てながら、猫が一歩前に踏み出す。

見上げるほどに大きくなってしまった『元猫ちゃん』を見上げ、恐怖に震えながら私は思った。


もしかして、私の撫で方が気に入らなかったのかな? そのせいで、怒らせちゃったのかな? ああ……私はいっつもそうだ。

人の神経を逆撫でするようなことを言ったり、空気が読めなかったり。人との距離感を思いっきり間違えたり。

そんなんだから私は、おじいちゃんと鈴音ちゃんに嫌われて、学校でもいじめられたんだ。


……私、何を浮かれてたんだろう。猫の撫で方一つ上手く出来ないこんな奴。誰かに好きになってもらえるわけ、ないじゃん。

きっと冬華だって、本心では私のことなんか──。



ネガティブ思考に沈んでいると影が迫る。見上げると、猫が前足を私目掛けて振り下ろしてきた。

ハッとして既のところでそれを避ける。バキィと音を立てて、床に大穴が空いた。


ヒェッあんなの当たったら──絶対死んじゃうじゃん!


「ひっ……ひいいいいいっ!」


私は一目散に出口へと駆け出した。なんとか扉の前にたどり着き開けようとする。ガチャガチャガチャガチャと何回やっても、扉はびくともしなかった。


「う、うそ……だれかっ! 誰か助けてぇっ!!」


ドンドンと扉を一心不乱に叩く、けど、当然のように応答は無い。背後にズシンと足音が響き、半泣きで振り向く。猫が大きな瞳を真っ赤に開かせ見下ろしていた。

来る。そう思った瞬間には巨大な前足が迫ってきていた。


早く逃げなきゃ。そう思ったのに、さっきお腹を貫いた痛みが蘇り、足が震えて一歩も動けなかった。


スパン。


そんな漫画みたいな鋭利な効果音とともに、私の身体は猫の爪によって切り裂かれ、お腹を切り取り線として、上半身と下半身で綺麗に分断されてしまった。

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